7.1.静寂の応答
第七部 仮面の崩壊
7.1.静寂の応答
シン、と静まり返った図書室。
静香が突きつけた、あまりにも的確で、あまりにも鋭利な言葉の刃。それは、時雨が幾重にも身にまとっていたはずの、完璧な仮面を、いとも容易く貫いていた。
(なぜ……?私の正体を?いや、それ以上に、なぜ、私の、一族の成り立ちまで……?)
混乱。動揺。そして、初めて感じる、純粋な恐怖。
時雨の脳裏を、無数の思考が嵐のように駆け巡る。心臓が、警鐘のように激しく鳴り響き、指先が、氷のように冷たくなっていくのが分かった。
『警告。対象のストレスレベル、閾値を超過。思考パターンの同期、著しく低下しています』
司令室では、Nagiの冷静な声が、逆に事態の異常さを際立たせていた。
だが、『梟』としての長年の訓練が、時雨の崩壊を、寸でのところで食い止めた。
彼女は、震える唇をぐっと引き結び、ゆっくりと息を吸い込む。そして、かろうじて、平静を装った声を発した。
「……静香さん。それは、何の……お話、でしょうか。まるで、小説か何かのような……。私には、よく、分かりません」
それは、エージェントとしての、模範解答だった。知らない、分からない、関係ない。全ての情報を、否定する。
だが、その声は、微かに、しかし確かに、震えていた。
静香は、時雨のその必死の抵抗を、まるで慈しむかのように、穏やかな笑みで見つめていた。
彼女は、それ以上、何も追及しなかった。ただ、一礼すると、優雅に告げる。
「あら、失礼いたしましたわ。そうですよね、ただの荒唐無稽な与太話ですもの。お忘れになって。……では、私はこれで」
まるで、本当に、ただの世間話だったとでも言うように。
静香は、何事もなかったかのように、静かに踵を返し、図書室を去っていった。
一人、残された時雨。
静香が去った後も、彼女は、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
今まで、彼女の世界を支配していたのは、任務という名の、絶対的な「秩序」だった。だが今、その秩序が、音を立てて崩れ始めている。
(違う。惑わされるな。これは、敵の揺さぶりだ。私を混乱させ、ミスを誘うための、高度な心理戦……)
時雨は、自らにそう言い聞かせる。
そうだ。これは、ゲームなのだ。春凪一が、そして霧雨静香が、私に対して仕掛けてきた、チェスなのだ。
ならば、私がすべきことは一つ。冷静さを取り戻し、次の手を、的確に打ち返すことだけだ。
だが、一度入ったヒビは、そう簡単には元に戻らない。
彼女が去った後の図書室の静寂は、もはや、時雨にとって安らぎの場所ではなかった。それは、自らの不協和音を、ただただ残酷に響かせる、不気味な無音空間へと成り果てていた。




