1.1.現代社会への幻滅と決意
第一部:発端 新たな秩序への希求
1.1.現代社会への幻滅と決意
「――耐え難いノイズに満ちている……」
午後三時のターミナル駅。
雑踏の真ん中で、私はふと足を止め、そう低く呟いた。
スマートフォンのスピーカーから垂れ流される甲高いゲームの電子音、イヤホンからの音漏れ、ビデオ通話のけたたましい笑い声。それら全てが混じり合い、一つの巨大な不協和音となって私の鼓膜を、そして魂を直接殴りつけてくる。
向かいのホームでは、若い男が誰にともなく悪態をつきながら、空のペットボトルを線路へと投げ捨てた。その行為をとがめる者は、誰一人としていない。
(ああ、ダメだ。もう限界だ)
私は汚物でも見るかのように顔をそむけ、その場を静かに立ち去った。私の背後では、何事もなかったかのように、無秩序な音の洪水が渦巻き続けていた。
西暦2032年1月13日。私は、61年の歳月をその身に刻んでいた。
表向きは、自らの名を冠したAI開発会社のCEO。天賦の才とやらで、有り体に言えば、大成功を収めていた。時間にも、資金にも、何不自由ない満ち足りた日々。
だが、私の心は、半世紀以上も浴び続けてきた現代日本の「くだらない不愉快な出来事」の堆積によって、とっくの昔に擦り切れていたのだ。
自社の役員会議室に戻ると、そこは外の喧騒が嘘のような静寂に満ちていた。
床から天井まで続く巨大なガラス窓の向こうには、灰色のビル群が林立している。その無機質な風景を背に、一人の少女が私を待っていた。
「春凪さん、お待ちしておりました」
彼女の名は、霧雨静香。
私が自らスカウトした、18歳の天才戦略家だ。その涼やかな瞳は、常に膨大なデータと、その先にある未来だけを見据えている。
「RHK-9、RepublicHarunagiKernelのバージョン9を政府に納品する件、最終仕様の確認をお願いします」
静香が、宙に浮かぶホログラムディスプレイを指し示す。私はその報告に静かに頷いた。
「うむ、その方向でお願いします。ただし、倫理プロトコルの監視レベルは、現行のまま一切変更しないように。我々のカーネルが、どのように使われるかを注視し続けることは、開発者としての我々の責任だ」
「承知いたしました。リスクヘッジについては、既に第二案までシミュレーション済みです」
静香は表情一つ変えずに答える。頼もしい限りだ。
だが、私の憂鬱は晴れない。
(自分勝手な人間が増えすぎた。日本とは、このような国であったか)
私の脳裏を、無数の光景がよぎる。
列への割り込み、歩きスマホ、店員への罵倒、巧妙化するハラスメント、そして、学校で静かに心を殺されていく子供たち。
この国は、あまりにも多くの「配慮」と「責任感」を失ってしまった。
ピコン、と私の肩の上で小さな電子音が鳴った。
手のひらサイズの妖精のようなホログラムアバターが、心配そうに私の顔を覗き込む。
『マスター、心拍数に乱れを検知しました!ストレス性疲労の可能性があります。癒やし系BGMを再生しますか?』
「いや、いい。ありがとう、カノンちゃん」
私は、秘書AIのカノンの申し出を、手で制した。
音楽で癒やされるような、そんな生易しい問題ではないのだ。
(この国は、もう手遅れだ。システムそのものが、バグだらけになっている)
ならば――。
(ならば、私が創るしかない)
そうだ。もう、迷うことはない。
私は、この腐りきったシステムを、このノイズに満ちた世界を、根底から覆す。
「責任と静寂を、自らの意志で選択する者たちが集う場所」
そんな、全く新しい共同体を。
この手で、私のAIで、創り上げてみせると。
壮大にして孤高の決意が、私の魂の奥底で、確固たるものとして鋳型に流し込まれた瞬間であった。




