5.3.静寂に来た、影
5.3.静寂に来た、影
同時刻、東京・霞が関。
内閣情報調査室(通称「内調」)の、薄暗い一室。
「――以上が、今回の任務の概要だ。コードネーム『梟』。ターゲットは、春凪一」
上司である男の、抑揚のない声が響く。
机の向かいに座る一人の少女は、ただ黙って、その言葉を聞いていた。
艶やかな黒髪を、機能的なポニーテールにまとめている。歳の頃は十八といったところか。しかし、その身にまとう空気は、とても十代の少女が持つものではなかった。
研ぎ澄まされた刃物のような、怜悧な静けさ。
「対象は、奈良県の山中に拠点を構え、非合法な『国家』の設立を企てている。表向きは、元AIエンジニアの老人の道楽に見えるが、その背後には、我々の想像を超える技術と、莫大な資金、そして国際的なネットワークが存在する。……これを、放置はできない」
「……」
「時雨。君に、その『理想郷』とやらに潜入してもらう。手段は問わない。春凪一に接近し、その計画の全貌と、弱点を暴き出せ。可能であれば、内部から無力化しろ。……できるな?」
時雨と呼ばれた少女は、初めて顔を上げた。
その瞳には、一切の感情が浮かんでいない。まるで、美しい人形のようだ。
「――御意」
短く、しかし明瞭に。
彼女の返答には、疑問も、躊躇も、一切含まれていなかった。
与えられた任務を、完璧に遂行する。ただそれだけが、彼女の全てだった。
「うむ。頼んだぞ。日本の未来は、君の双肩にかかっている」
上司の言葉を背に、時雨は静かに部屋を退出した。
彼女の頭の中では、すでに、ターゲットである老人、春凪一に関する、あらゆるデータが再構築され、潜入のための最適なシナリオが、いくつもシミュレートされていた。
(春凪一……世界を救った英雄、ね。欺瞞に満ちたその仮面、私が剥がしてあげる)
東京の夜景を背に、時雨は、静かに唇の端を吊り上げた。
それは、これから始まる「狩り」を前にした、捕食者の笑みだった。
こうして、春凪共和国という静かな聖域に、一筋の不協和音が、確かな足取りで近づきつつあった。
私たちが、その存在に気づくのは、もう少しだけ、先のことである。




