02 そうした方なのだと
色とりどりの美しい前菜が運ばれてきた。
ソーンはその装飾にひとしきり感想を言ったが、これはあまり反応がはかばかしくなかった。ただの飾りにいちいち何か言い立てるなどは、こうした食事にあまり慣れていないと言わんばかりだったかもしれない。
慣れていない訳ではない。カーディル城の料理長ディーグは、日常の食事でまでそんなことはやらないものの、何らかの祭りや記念の日だの、身分ある客が訪れただのとあれば、こまごまと小ぎれいに皿を盛りつける。しかしそうした際、わざわざゼレットや、同席することもある執務官たちと、装飾については語り合わない。
ソーン自身が客となってどこかを訪れたり、王城に招待をされたりすれば、やはりこうした繊細なひと皿と巡り会うことになるが、そういうときも、特に料理の見た目について話し合うことはしない。
そうしたものと受け入れているからだ。
ディーグには、食事のあとで美味かったのきれいだったのと言うことはあるが、それは知った顔であるからであり、本音でもあるが挨拶でもある。
特別に言い立てることではないと判っているはずなのだが、こうした席で女性とふたり、何か気の利いたことを言わなくては、と考えすぎてしまったらしい。
それからしばらくは、絵に描いたようなやり取りが続いた。
昨今の天候、例年との比較、初雪の予想。
冬になればウェレスで毎年のように語り草となる、数十年前だかの、大雪に見舞われた冬至祭の話。
冬至祭からその直後に雪が降るというのは、雪の三姉妹が祈りを受け入れなかったことであるから、本来の意味を思えば、よいことではない。
しかしウェレスは相変わらず繁栄をしている、それは非常によろしいことだ――などと、その話題の流れは決まり切っていた。
そう、決まり切っていた。
臣下が礼をし、君主が答礼をするように、それは決まり切った作法。
脚本の通りに喋り、演ずる、役者。
ここが舞台であったなら、次には歌でもはじまるんじゃないかと思うような。
「突然の文にお返事をくださいましたこと、嬉しく思っておりますわ」
次の皿に移ったとき、話題はそこへ移った。
「驚きました」
またしても青年伯爵は正直に言う。
「私は、とても完璧たり得ないのに、いったい何故と」
「まあ」
オリフェリィは片手の甲を唇に当てた。
「完璧な殿方なんていらっしゃいませんわ」
これにはソーンは、吹くかと思った。あと一歩で、しかし貴女はそう仰ったではないかと、口走りかけた。
(……と、危ない)
何も姫は、自分の言ったことをついうっかり忘れた訳ではない。
「酷い女性だ」
彼は顔をしかめた。
「貴女の気紛れな一言に、馬鹿な男が翻弄されるのを楽しんでいる」
「気紛れだなんて」
オリフェリィは美しく笑みを形作った。
「どうしてそのようなことを仰いますの?」
「貴女は」
少しうつむいて、彼は続けた。
「私をからかっているのでしょう」
「どうして、そのような」
オリフェリィは繰り返した。どうしてもこうしてもない。それを問うならむしろソーンだ。
礼儀に基づいて話をしながら食事をする、というようなことは、オリフェリィはもとよりソーンだってお手の物だ。だが今日は、語り合いながら料理を味わうという段階にまでは至らなかった。どんな味がしているものか、さっぱり判らない。
「あの夜」
最初に、彼が彼女を目にした、数月前の夜会。
「私は、貴女がどこの姫とも知らないでいました」
近衛兵時代に、見かけたことはあったかもしれない。おそらく、あったのだろう。
だが近衛は、会場の警護をするものだ。彼らが探すのは不審者であって――そんなものはまず、いないのだが――美しい姫君ではない。
なかには不心得な、或いは要領のいい近衛兵もいて、真剣に警護をする顔をしながら着飾ったご婦人たちを眺めている者もいるだろう。しかし生憎と、ソーンは至って真面目に警護をしていた。
カーディル伯爵の後継者となってからしばらくは、カーディルでゼレットについて勉強をするばかりで、きらびやかな場には滅多に出なかった。
爵位を継いでからはお披露目とばかりに出かけることもあったが、何より自身の町での業務に慣れることが優先と、最低限しかウェレスには向かわなかったし、夜会の類をソーンが苦手にしていると気づいたゼレットは、最低限でかまわないと言ってきていた。
しかし今年になってからと言うもの「業務にはもう慣れたはずだ」と、父親は彼を引っ張り回した。
そこで初めて、ソーンは数々の姫君と言葉を交わし、名前と顔を一致させるようになったのだ。
しかし、オリフェリィはそんな話など知らない訳である。はたとソーンは気づいた。
誰だか知らなかったという発言は、かなり無礼に値するのではないだろうか。
「そうではないかと思っておりました」
だがソーンの危惧とは裏腹に、オリフェリィはうなずいた。
「多くの殿方は、わたくしにお話しくださる前に、父か兄と言葉を交わしますから」
これにソーンの頬は、かっと熱くなった。
オリフェリィ・アシェアと話す前には、父か兄の許可が要ったのだ。
もちろん法律などではなく、不文律というやつだろう。破ったから罰があるというものではないが――礼儀を失した、無知をさらけ出した、そういうことになる。
「初めは、こう申し上げるのも失礼ですけれど、ソーン様というのはそうした方なのだと思いましたわ」
「礼儀知らずの、無法者ということですか」
気まずい気持ちでソーンは言った。
「いえ」
だがまたしても、オリフェリィは否定した。
「母も、ゼレット様に同様にされたと、聞いておりますし」
聞いてソーンはむせそうになった。
つまり――逆だ。
ものを知らない不調法な男、ではなく、意図して不文律を大胆に破る男だと、思われた訳である。
(となると)
(姫は、父上が多くの女性と浮き名を流したような、そうした関係をお望みなのだろうか)
(だとすれば)
そうであれば父も自分もあまり深刻に、アシェア公爵家とのつながりがどうたらと考える必要はない。
だがその代わり、ソーンは、遊びで女性とつき合うなどはできない。必ずしも「結婚を前提に」ではないとしても、彼の相手はいつだって――というほど経験も多くないが――ひとりだった。
ソーンの感性ではそれは至極真っ当なことなのだが、ゼレットをはじめとする世の男性の半数近くは、そうでもない。浮気であって本気ではないのだから妻や恋人を裏切ってはいないとか、毎晩の相手を嫌がるのであればほかに求めて当然だとかいう類の意見を持つ。
ゼレットは独身だが、ミレインに求婚しながら違う女を寝台に連れる思考形態は、ソーンには全く理解できなかった。
(ということは)
(それで、あの台詞だったのか?)
完璧な男が好みであると。
それは、遊ぶのであれば、もっと完璧な男を演じてみせろ、そうして自分を楽しませろとでもいう意味合いだったのだろうか。
(だとすれば)
ソーンは気づかれぬようにそっと息を吐いた。
(ちぐはぐなのも当然だ)
姫はあくまでも、遊戯の規則に従って語り、笑み、誘った。カーディル父子が考えたようには、裏にアシェア公爵の目論見など、薄皮一枚程度も存在しないのでは。