01 素直に取れ
輝かしいのは、オリフェリィの金の髪だ。
眩しくさえ思うのは、オリフェリィの穏やかな微笑み。
目にするたびに揺さぶられ、その姿を心に焼きつけておこうとするのに、次に会ったときにはそれが無駄な努力だったと悟る。自分の想像力は、彼女の美しさを心に再現するにはあまりにも貧困だったと気づくのだ。
ソーンは、オリフェリィの招待を受けた。
王城都市ウェレスを訪れ、アシェア家の別邸まで彼女を迎えに行き、またお会いできて嬉しいなどと言って――ゼレットの指南でもあるが、本音でもある――豪華な劇場に向かった。
何を話したらいいか判らなくて、カーディル城の猫の話などした。適切な話題だったものかは判らないが、少なくともオリフェリィは、微笑を浮かべていた。
戯曲〈エリファラン〉は、見たことのないソーンでも大筋を知っているくらい、有名な話だ。
身分違いの男女の悲恋。定番だが、定番というのは受けるから定番になるのである。
使用人の若者と貴族の姫君が恋をする。もちろん、許されることはない。
しかし若者は、彼女に相応しい地位を得ようと努力を重ね、少しずつ成功をしていく。
姫は彼が立派になる日を夢見てほかの男たちの求愛を断り続けるが、ついに断り切れない相手が出現する。余所の街の王子だ。
もっともその王子は、彼らの強い愛を知り、自らの気持ちを抑えて姫に協力を申し出るのだが、王子と姫の婚礼の誤った噂が流れ、それが若者に伝わってしまう。
気落ちした若者は隙だらけになり、賊の刃に倒れる。それを知った姫も哀しみのあまり自害をする、という筋立てだ。
楽団の演奏に合わせて役者たちが歌い上げる様は見事だったが、ソーンの好みではなかった。歌は吟遊詩人にでも任せて、役者は芝居だけ演じていればいいのではないかと思うのだ。
先日カーディルを訪れた隊商にいた吟遊詩人は素晴らしかったな、などと彼は思い出していた。ソーンのような芸術音痴にも、歌だけで状景や登場人物を想像させたのだ。ああいった巧者を見たあとだと、これだけ――文字通り――舞台を整えて歌えば、人を感動させるなど当たり前のような気がした。
話の方も、斜に見てしまう。何故、オリフェリィはこの戯曲を選んだのかと。
たまたま、やっていたからか。身分違いという主題のためか。
後者であるなら、それは「自分たちはこれほど身分が異なる訳ではない」という方向なのか、逆に「男の身分が低ければ、努力をしたところで無駄なのだ」とでも言いたいのか。
(……いかんな)
ソーンはそっと首を振った。
(父上が、裏を読め裏を読めと言うせいで、妙な探り癖がついてしまいそうだ)
評判の芝居団だからというだけだろう。彼はそう思うことにした。あまり慣れない考え方はしない方がいい。
歌劇が終わると、オリフェリィは熱心に拍手をしていた。ソーンも、気のない雰囲気を出さないようにしながら、役者たちを称えた。
しかし、気がなくなってしまうのも、ある意味では仕方ない。
姫役の役者は美人だったが、彼の隣にいる女性の方が美しいのだ。
ソーンは舞台を見るふりをしていたものの、実際にはオリフェリィを眺めている時間の方が長かった。
と言っても、芝居を全く見ていなかった訳でもない。
オリフェリィに感想を尋ねられて詰まることのないように、あの歌がよかったの、あの演技がよかったの、それくらいは言えなくては。これまでは知らなかったが、主演陣は有名な役者であると聞いたものだから、彼らの代表作が何であるかくらいの知識も頭に入れてある。
まるで近衛隊の入隊試験を受けたときのようだ。
貴族の息子が入隊するということになれば、裏では話が整っていて、選定から落ちることはまずない。だが、そこで父親の地位に依存しないのがソーン・クラスであった。彼はクラス儀式長官の息子でなくとも合格できるだけの能力を身につけて、試験に挑んだものだ。
姫との逢い引きは、むしろ厳しい先輩近衛との面談に似て、ソーンは緊張しきりであった。
「ソーン様」
オリフェリィが彼を呼ぶ。美しい外見に相応しい、澄んだ声。
この声が恋歌を歌えば、世界中の男を魅了できるに違いない。
「あまり戯曲は、お好みではありませんでしたか」
劇場を出て〈白雲と虹〉亭に落ち着けば、オリフェリィはソーンにそんなことを尋ねた。
「えっ?」
退屈していたのがばれたのだろうか。ソーンはぎくりとした。
しかし、彼女はずっと舞台を向いていた。舞台を右方に眺める二階の仕切り席で、彼女はソーンの右隣にいた。つまり舞台に対して前方に座っていた形となる。はっきりと振り返らない限りソーンの様子はうかがえないはずだし、オリフェリィは一度もそんなことをしなかった。
「殿方は得てして、退屈されるものですから」
「いや、そんなことは」
ソーンは慌てて手を振った。
どうやら彼個人の好みの話ではないようだが、まさか「ええ、確かに退屈でした」とも言えまい。
「私などは、田舎に引っ込んでいれば見る機会があまりないだけで、興味がないという訳でも」
これはゼレット直伝の言い訳だ。知らないことがあれば知ったかぶりはせず、素直に無知を認めること。その際、不調法でとか若輩者でとか田舎者でとかつけておけば「物を知らない男だ」という悪印象を「謙遜しているのだな」と改めてもらえる。
ただし、やりすぎは却って印象を悪くするから要注意であると、そんな忠告もついた。
「あら、その仰いようはおかしいですわ。少し前まで、ソーン様はウェレスにお住まいだったじゃありませんか」
その通りである。養子話が降って湧くまで、彼は王城都市に住んでいた。それも、物事の中心たる王城にいた。「田舎者」はちょっと失敗だったようだ。
「私が以前にどうしていたのか、ご存知なんですね」
そこで彼は話題をすり替えた。
「ええ。有名ですもの」
「有名ですって?」
「もちろんでしょう」
一近衛が伯爵の後継者に。それだけでも充分すぎるほど話題性があるのに、それは何と儀式長官の息子。それも、縁組先は宮廷切っての伊達男。モーレン・クラスとゼレット・カーディルは特に仲がいい訳でもなく、いったい何ごとが起きたものかと、宮廷は当時、影ながら騒然となったのだ。
ソーンとゼレットが連れ立つようになれば、真実の一端は、ふたりの相似性から自ずと知れた。だが、王城で出会うような品ある――ということになっている――人々は、そこを際立てて話題にしたり、関係者たちに真偽を問い質したりはしなかった。
もっとも、公然の秘密という類である。
誰も何も言わないから誰も何も噂をしていないなどはソーンの勘違いもいいところだった。
噂は、当人のいないところでやるものだ。
ということが瞬時に理解された。
成程、「姫君たちがソーンに注目していた」と父が言ったのは、あながち嘘や身びいきでもないのかもしれない。
「驚きですね」
彼は言った。
「自覚がおありではなかったんですの?」
「ありませんでした」
彼は正直に言った。
「でも、驚いたのはそのためだけではありません。貴女が噂を気にするような方だとは思っていませんでしたので」
「まあ」
オリフェリィは少し笑った。
「女という生き物は、噂話が大好きですのよ」
そのタイミングで、王城の使用人並みに上質の制服を着た初老の給仕が酒の注文を取りにきた。
「葡萄酒でかまいませんか」
彼は丁寧に、彼女に尋ねた。
「何か、お好みは」
「ソーン様にお任せいたしますわ」
姫君は笑んで答えた。
何を選ぶものかで彼のセンスを判定してやろう、という辺りか。
(いかんいかん)
(素直に取れ、ソーン)
自らに言い聞かせながらソーンは、女性の好みそうな軽口のものを一本選んだ。
「素敵なお店ですわね」
オリフェリィは言った。
「知りませんでしたわ、このような店のこと」
いや実は俺も知らなかったんだよ、などとは言わない方がいいだろう。
「貴女のために、必死で探したのです」
執務官のガルファーが、とは言うところでもない。
劇場の近くで食事を――という計画は父の案をそのまま借り受けた。
もっとも、そう都合のいい店などソーンは知らない。早めにウェレスを訪れ、王城都市でカーディル伯爵の補佐をする役割を担っているガルファーに探してもらった。
前伯爵が頻繁に行った、業務と関係のないそうした要望にきっちりと答え続けてきた執務官は、ソーンに対してもその能力をいかんなく発揮した。あまり有名ではないが、ガルファー自身で訪れたことがあり、「閣下方をきちんともてなすことができる」と判断した店を推薦してきたのだ。
結果、いまのところは、好評だ。
少なくとも、明らかなる失態はない。
もし、実はこの〈白雲と虹〉亭がオリフェリィの行き着けであったとか、逆に彼女が嫌う店であったりすれば大失点だが、ガルファーはよい店を見つけてくれたようだ。
「そのようなことを仰いますけれど、これまでたくさんの女性を誘っていらしたのではなくて?」
「とんでもない」
ソーンは首を振った。
「養父の評判は、何と言いますか、いろいろですが、私は女性を誘うようなことは苦手で」
外見上は似通っているものの、考え方にはだいぶ違いがある。だが周りにはそう見えないのかもしれない。
「そうでしょうか。ご返書は、慣れていらっしゃるようでしたけれど」
「とんでもない」
彼はまた言った。
「実のところを言えば、養父に教わりました」
「まあ」
これは本当に可笑しかったと見えて、オリフェリィは自然な笑みを見せた。
だが、笑わせたと言うよりは、笑われたという感じもある。
(余計なことを言ったかな)
父親に逢い引きの指導を受けるなど、とても「完璧」とは思えない。
(でも)
と、ソーンは思った。
(今日のオリフェリィ姫は、これまでよりも好感触のような)
手を放してすっと去る、という芸当ができないためかもしれないが、巧く話を続けることができている――ような気がする。
先ほどの給仕が戻ってきて、かすかに黄色く色づいた液体を玻璃の杯に注ぐ。ふたりは杯を手にし、掲げるようにした。
「素敵な夜に」
オリフェリィが言った。
「――身分違いの恋に」
ソーンは言った。
見てきたばかりの戯曲に掛けたのだが、公爵令嬢は、彼が自分たちのことになぞらえたと考えただろうか。
どちらにせよ、オリフェリィはかすかに笑った。