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南春抄  作者: 一枝 唯
前編
6/16

06 釣り合いません

「……はあ」

 現伯爵は、困惑する。

「気のない返事をするな、気のない返事を」

「気がない訳じゃないです。ただ、もういっそ、父上に書いていただこうかと」

「馬鹿者。恋文の代筆を親に頼む奴があるか。そういうのはせいぜい、友人までだ」

「友人ならいいんですか?」

 非難の意味はなく、息子はただ疑問に思って尋ねた。父は肩をすくめた。

「あまり、よくはない。そういうのはいずればれる。案外、早くばれる。そうすると、ご婦人は代筆をした男の方に気が向いてしまったりする」

「ご経験があるんですね」

「ある」

「振られたんですか」

「とんでもない。差分はすぐに取り戻した。そうなれば、目的地に先に着くのがどちらであるか、明白というもの」

 ふふん、と勝者は鼻を鳴らした。ソーンは呆れる。女性を競ったり、「目的地」に着いて終わりとする感覚は、ソーンには納得の行かぬものだ。

「俺が過去に陥とせなかったのは、三人だけだ」

「はあ」

 ソーンも同じくらいだ。

 もちろん、経歴年数と趣味思考と対象とする性別の数が違うため、分母(・・)の数に比較にならないほどの差がある訳だが。

「でも、どうしてなんでしょう」

 空の封筒を握り締めたままで、ソーンは途方に暮れた声を出した。

「姫は、俺にどうしろと」

「完璧になってもらいたいんだろう」

 にやにやと父は言った。

「だが、お前は無理をする必要はない。爪先立ちをしてみせたって、長続きしないのだからな。お前が手の届かないところに飛び上がろうとするのではなく、姫の理想を現実に近づけさせろ。完璧を追わせず、お前を追わせるんだ」

 はあ、としか言いようがない。

 気がない訳では断じてないが、甘い言葉だの恋の駆け引きだの、どうにもぴんとこないのだ。

「公爵令嬢には、公爵令嬢への礼儀が要るものだ。オリフェリィ殿がオリフェリィ殿である以上、そうした前提に基づいて接するしかない」

「それは、判ります」

 町の給仕娘と同じような口を利く訳にもいかないだろう。いくら何でもそれくらいは判っている。

「いや、『儀礼』の問題だけではないのだぞ、ソーン」

「どういう意味ですか?」

 ソーンは首をひねった。ゼレットは少し黙り、それから立ち上がった。卓を回って、立ったままでいるソーンの前までくると、手紙を返そうとするように差し出してくる。

 息子がそれを何気なく受け取ったその瞬間、力強い抱擁がやってきた。

「ち、父上、何ですかいきなり」

 青年は泡を食った。

 ゼレットは老若男女を問わず、やたらとひっつき(・・・・)たがる傾向がある。隣を女性が歩けば、腕を組むのは礼儀だと言う様子があり、男であればさすがに滅多なことでは抱き寄せないものの、肩を叩いたり頭を撫でたりする頻度は高い。

 はじめの内はソーンも焦ったものだが、最近は、父親の呼吸が読めるようになったと思っていた。

 だがそれは勘違いであったか、或いはこのときのゼレットが普段らしからぬ行動を取ったのか、どちらにせよ、このときの抱擁はソーンの予測の外だった。

「なあ、ソーン」

 そのままの態勢で、父は息子に話しかけた。

「俺は近頃、お前をけしかけるのが仕事のように思っておるが」

「そんな仕事がありますか!」

 数年前まで彼の父だった男――いまでも実父は実父だが――は、息子にこんなふうにしたことはなかった。母ならばそういうこともあったが、子供の頃の話だ。触れ合うことで示される愛情には、あまり慣れていない。

 ソーンが逃れようと抵抗すれば、ゼレットもしつこくはしなかった。

「うむ。ないな」

 素直に彼を放して、ゼレットはうなずいた。

「ともあれ、つまり、俺はけしかけている(・・・・・・・)だけだ。右か左か、お前が決めなくてはならないとき、俺は右とも左とも言わん。その代わり、俺の好みにかかわらず、お前に必要な材料を公正に提供しようと思う」

「有難いと思っています」

 本当のところを言った。

 ゼレットが決めてくれれば、何でも楽だ。彼はただ、はいはいと聞いていればいい。

 しかしそれでは、息子の――領主の成長にならないと、父は口出しを控えている。

 ここでソーンが「やれるのならやってくれればいいのに」と拗ねるような性格であれば、ゼレットも容易に引退を決めなかっただろう。与えられた課題に正面から取り組む若者であったからこそ、彼はカーディルをソーンに任せた。

 息子だから、というのではなく、ソーンという男を信頼したのだ。

 そのことは、新しい伯爵にきちんと伝わっていた。

「だからこそ俺の思うところを告げよう、ソーン」

 ゼレットは真剣な顔でソーンを見つめた。

「アシェア公爵家とのつながりは、カーディルに大きな影響を与える。多くは、よい影響だ。もし俺がいまだ伯爵位にあり、この街のためだけを思うのであれば、俺は全力でお前とオリフェリィ姫の婚約までこぎ着ける」

「ち、父上?」

 思いがけない言葉に、ソーンは目をしばたたいた。

「だが父親として、お前の幸せも考えたい。姫との結婚が本当にお前のためになるのかは判らない。いまはお前も彼女の美しさに惹かれているし、結ばれれば幸せだと思うだろう。だが――」

「仰ることは、判るようです」

 躊躇いがちにソーンは続けた。

「俺と彼女では、釣り合わない。いえ、違います。卑下をしているんじゃない。地位の問題はありますが、身分違いでどうしようもないと言うほどではないでしょう。でも……」

 釣り合いませんとソーンは言った。

「俺が彼女の『完璧』を満たせないからじゃない。何て言うのか、姫と話していると、ちぐはぐで……」

「そう、そこだ」

 ゼレットはうなずいた。

「彼女は公爵令嬢だ。お前が彼女を娶れば、お前は彼女に仕える騎士(コーレス)のごとく、彼女の望みを最優先しなければならなくなるだろう。そうすることで公爵家の興を買い、カーディルが安泰であるとしても、お前の心が安泰でいられるか、父はそれが心配だ」

「――考えすぎです、父上」

 ソーンは苦笑した。

「手紙は、姫のお遊びみたいなものですよ。近衛上がりをからかってやろうと言うんじゃないかな。俺は、何度も言っているように、オリフェリィ姫を美しいとは思いますが、彼女を女性として好きかと言うと、判りません。婚約だの結婚だのなんていうところまでは、ちっとも考えていない」

「そう、そこだ」

 ゼレットはまた言った。

「お前はそう考える。だが姫は? アシェア公爵は? カーディルの町とつながりを持っても、公爵にうまみがあるとは思えない。しかし生憎と、俺にはいろいろと人脈があってな。彼がそれを欲しいと思えば、彼の方でお前と姫の婚約を考えることもある」

「そんな……それじゃ、姫の気持ちはどうなるんですか」

 まるで政略結婚だ。

 いや、貴族の姫の嫁ぎ先など、多かれ少なかれ、父親の野望と絡んで決められるものだ。それはソーンも判っているが、「そういうものなのだから当然だ」と冷めた考えは持てずにいた。

「二の次というやつだな。そんな顔をするな、俺の考えではない」

「判っています。でも」

「もっとも、アシェア殿もそう急ぎもすまい。これまでオリフェリィ姫が独りなのは、父親が真剣かつ慎重だった証拠だ。一度の逢い引き(ラウン)で、即婚約というようなことにはならんだろう。いまはまだ、それほど深刻に考えずともよい」

 いまはな、と父親は繰り返した。

「ただ、アシェア殿だって娘を可愛く思っているはずだ。姫が嫌だと言うものを強引に話を進めることはないだろう。つまり、彼の利益と娘の気持ちが一致する相手を探しているはず」

 と、ゼレットはソーンを指した。ソーンは目をしばたたく。

「オリフェリィ姫が、俺を?」

「だからそうだと、最初から言っているだろう」

「いや、ですから、何かの間違いですと、俺は言ってます」

「完璧な男、か」

 ゼレットそこで、いつもの表情を取り戻した。にやりとしたのである。

「言ったろう。それは要望だ、ソーン。願いだよ。お前に完璧になってほしい、とのな」

「無理です。いろいろと」

 だいたい、と青年伯爵は息を吐いた。

「どっちなんですか、父上は」

「うん?」

「父上は――」

 ソーンがオリフェリィ姫と結ばれてほしいのか、そうではないのか。問いかけそうになって、彼は言葉を飲み込んだ。

 その答えは既に出されている。決断をするのは、ソーンであると。

「さて」

 面白そうにゼレットは言った。

「返書はどうする? カーディル伯爵閣下」

 父の親切と意地の悪さは紙一重だな、とソーンは嘆息した。


(中編へつづく)


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