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南春抄  作者: 一枝 唯
前編
5/16

05 どうしてこんなことが

 ぐったりと卓に突っ伏している(あるじ)を青年執務官は同情の視線で見た。

「あー……ご無事ですか、ソーン様」

「タルカス」

 誰かが入ってきたことに気づきもしなかったソーンは、慌てて身を起こした。

「聞くところによりますと」

 執務官は書類の束を置くと、両腕を組んだ。

「見事に撃沈されたそうで」

「仕方ない」

 ソーンは息を吐いた。

「俺はちっとも、完璧じゃなかったから」

「完璧な人間なんていませんよ。いたら気持ちが悪い」

 タルカスは首を振って顔をしかめた。

「でも」

 ソーンは知らず、嘆息した。

「『完璧な男』を望まれたら、どうすればいい?」

「何をして完璧と言うかにも、よるかもしれませんねえ」

 うーんと彼はうなったが、考えても無駄だとばかりに、また首を振った。

「若く美しき公爵令嬢となりゃ、選り取り見取りですからね。少しでもいい男をと思ってそんなことを言うんじゃないですか。でも、ゼレット様じゃないですが、これこれこういうのが望みであると伝えられてるってことは、脈有りですよ」

「そうなんだろうか。いや……でも俺は、台無しにしたような」

「何をやらかしたんです?」

 興味津々という様子でタルカスは問うた。ソーンは息を吐いた。

「〈リリエの白羊〉と〈青い猫が入った箱〉を間違えた」

「は?」

「王城で姫君方に人気の、お伽話だ。聞いたことがあると思って白羊の話を続けたら、猫だった」

「はあ」

 それが何だ、という口調でタルカスは言った。

「まさか、それっぱかしで『完璧じゃない』と?」

「少なくとも完璧じゃないだろう」

「ウェレスで行われる芸事(トランティエ)の全てを把握してるのが完璧な男なんですか?」

「だから、してなかったら少なくとも、完璧じゃないだろうと」

「物語を間違えたから駄目だと言われたんですか」

「そうは言われなかったが」

「じゃあ、どういうふうに」

「……それは」

『――完璧な男性が好きですと、そう申し上げましたわよね』

 どこがどう悪かったと具体的に採点をされた訳ではないが、明らかな失点では、あったはずだ。

「でも、踊ったんでしょう?」

「一曲だけ」

 ソーンは息を吐いた。

「ステップは間違えなかったが、そこに気を使うあまり、会話が滞った。何を話したか覚えていないくらいだが、とんちんかんな返答をしたような気もする」

 ゼレットの命令――死ぬ気で口説け――を果たす段階になど、足もかけられなかったという辺りだ。父は、大丈夫、あの態度ならば脈はあると言うのだが、慰めだろう。いや、彼は途中でどこかのご婦人と消えてしまったのだから、ソーンの様子をずっと見ていた訳でもないはずだ。

「せっかく足を運んだのに、言葉ひとつ交わせなかったのもいるって聞きましたよ。一曲だろうと踊れたのなら、大活躍じゃないですか」

「あああああ」

 ソーンはまたしても卓に突っ伏した。

「いっそ、話しかけなければよかった!」

「まあまあ」

 その間、タルカスの顔にはにやにや笑いが浮かんでいたが、幸か不幸かソーンはそれを見なかった。

「ひと仕事終わったら、また手合わせでもやりますか。もっと勘を取り戻して、そうですね、城内の大会にでも出て優勝したら、完璧な男に近づくんじゃありません?」

「無茶だ」

「まあ、そうですね」

 簡単にタルカスは、その案を取り下げた。毎日訓練を続けている現役近衛兵に敵うはずもないのである。

「でも、つき合ってもらえるなら、少し頼んでもいいか」

 身体を動かして発散するという提案は、悩める青年伯爵にとって魅力的だった。

「もちろんです。俺も勘を取り戻しつつありますからね、そうそう負けませんぜ」

「よし。じゃあ、まずは仕事だ」

 前向きにソーンは書類に取りかかった。

 オリフェリィ姫にまつわるどんな話をするより、いまや書類束の方が心を落ち着かせてくれた。


 ほら見ろ、とゼレットは言った。

「俺の言う通りだったろう」

「何かの間違いじゃないでしょうか」

 ソーンは顔をしかめた。

「俺には、そうとしか思えない」

「どこをどう間違えたら、ソーン・クラス=カーディル様と書かれた手紙がお前宛でないことになると?」

「たとえば」

 青年伯爵は肩をすくめた。

「封筒を間違えたとか」

「中身にだって、しっかりお前の名前が書かれているじゃないか」

「ええと、侍女が代筆をする際、教わっていた誰かの名前と取り違えたというのは有り得ませんか」

「有り得ないに決まっておろう」

 きっぱりとゼレットは言う。

「どうした、ソーン。お前はそこまで、自分に自信がないのか。それでも俺の息子か」

「卑下している訳じゃないですよ。ただ、どうしてこんなことが起こり得るのかと思ってるだけです」

「何をたわけたことを言っている。お前、オリフェリィ姫ばかりを見て、お前を見ている姫君たちのことにちっとも気づいておらんのか」

「はい?」

「お前に声をかけられることを待っている娘たちは、たんといたぞ」

「何をたわけたことを言っているんですか」

 思わずソーンは返した。

「いませんよ、そんな変わり者の姫は」

「何。父の言うことを信じないのか」

「世辞や慰めでなければ、欲目ひいき目の類としか思えません」

「何と」

 ゼレットはがっかりした顔をした。

「近頃は、よく言い返すようになったものだな。以前は、俺が何を言っても右往左往していたと言うのに」

「おかげさまで、鍛えられました」

 息子は感謝の仕草などした。

「しかし、何にせよ、有り得ませんよ」

 彼は話を戻した。

 ゼレットのところへきたのは、自慢でもなければ、喜んでもらおうという親孝行精神でもない。何かの間違いであると、そう判定してもらうためだった。

 オリフェリィ・アシェアからの私的な手紙は、ソーン・クラス=カーディル個人に向けられ、歌劇鑑賞の同伴を求めていているようだった。

 ソーンにはそう読めたが、何かほかに解釈がないかと指南をもらいたかったのだ。

 だが生憎と言うのか、「女の言葉をそのまま信じるな」と教える師匠(・・)も、この手紙はそのままだと言う。

「いったい、どうしたら……」

 ソーンは眉間にしわを寄せた。

(ふみ)のやり取りをしたことがないのか?」

「友人と近況を報告し合うくらいしか」

 女性とはない、と答えた。それも、近況報告ならともかく、逢い引き(ラウン)の誘いへの返答だ。

 そんなことは自分で考えるべきだと言われたらそれまでだが、普通ならソーンだってそうする。しかし、オリフェリィは公爵令嬢なのだ。

「ふむ。そうだな。まずは手紙の礼から。いいか、手紙の(・・・)礼だぞ」

 父親は念を押した。

「それから、用事ができたので、姫の指定した日にちを含む数日間、ウェレスへ向かうことになったと書く」

「用事のついでとするんですか? 機嫌を損ねないでしょうか」

「まあ待て」

 ゼレットは片手を上げてソーンの疑念を抑えた。

「用事の内容は、件の芝居のあと、近くのよい料亭で、ご婦人と食事をすることだ。相手が決まっていないので、ご一緒していただけませんかと」

 どうだ、と口ひげを撫でながら前伯爵は言った。


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