04 面白くなってきた(完)
「何。それはまずい」
ゼレットが顔をしかめた。
「ルトフォーンを隔離しておかないと、姉弟で子を作ってしまうぞ」
「捕獲作戦が開始されてます」
真面目な顔でセイミはそう言った。
「閉じ込めておくのも可哀相だが、仕方ない。ううむ、しかしこうなると、いまからでもどちらかの引き取り手を探した方がいいか」
季節のたびに捕獲して隔離では、可哀相だし手間もかかるという訳だ。
「ソーン」
「何でしょう」
「鳥を飼っている者が猫を飼うのは、やはりよくないか」
突然の質問に、ソーンは目をしばたたいた。
「そうですね、あまりよろしくないのでは」
「ううむ」
「お心当たりがあったんですか」
「いや、ないが」
「なら、どうして鳥なんです」
「何となくだ」
いつもながら言動が読めない父親であるな、と息子は思った。
「鳥と言えば」
ふと、ソーンは思い出した。
「先日まで友人が鳥を飼っていたんですが、いなくなったとかで。話をしてみましょうか」
「猫好きか?」
「大丈夫です。カティーラだって手懐けますよ」
「それは、なかなかのものだ」
ゼレットはソーンの言葉をたとえ話として聞いただろう。だが、事実だ。
アリシアの母猫だけあって、カティーラはあまり人に懐かない。いまでこそ比較的おとなしいが、かつては気性が荒く、ゼレットに近づく女は恋敵とばかりに噛みつくこともあったとか。
しかし、ゼレット以外では彼だけが、カティーラを呼んで近くにやってこさせることができたのだと、そういう話を聞いている。
「話をしておいてもらえるか」
「ええ、近い内にまた会いますので」
「カーディルの者だろうな? まさかウェレスまで猫を運ぶ訳にはいかんぞ」
「大丈夫ですよ」
どこに住んでいるのか正確なところは知らないが、魔術師は魔術で猫くらい運べるだろう。そんなふうに考えた。
「何という人物だ? 俺も知っているか」
「いえ……その」
尋ねられると困るなと思っていたことを尋ねられた。
その様子を見てゼレットはにやりとする。
「ははあ。女友達か。猫で気を惹きたいような娘が」
「いえ、違います」
そういう方向に誤解をされても困る。
「レスキルという者です。父上は、ご存知ではないかと」
少なくともこの名前は知らないはずだ。
セイミが「ああ」という顔をしたのに、ソーンは目配せして、何も言わないようにと示した。娘はこくりとうなずいた。
「知らぬな。セイミは知っているのか」
そっとやったつもりの合図は、気づかれていたようだ。
「はい、あの、ええと……少しだけ」
現伯爵と前伯爵に挟まれた気の毒な使用人は、曖昧な回答をすることで、両者の望みを叶えた。
「左様か」
ゼレットはうなずき、それから手を振って、セイミに下がってよいと言った。ほっとしたように彼女は部屋をあとにする。
「ソーン」
「何でしょう」
「なかなかやるな」
「はい?」
何の話になったものだろう。青年は首をかしげた。
「セイミだ。部屋の前でお前たちが話しているところを見て、よい感じだと思ったのだが」
「……はい?」
「キュレイの従妹などと言って、お前の女友達だったのか。いや、実際、キュレイにも似ておるな。彼女を介して出会ったのか」
「違いますよ! さっき、初めて見かけました!」
慌てて彼は手を振った。
「ならば、何故彼女がお前の友人を知っている?」
「それは……その」
何と言ったものか、ソーンは困惑した。
「友人が、さっき、きたからです」
「下手な嘘はやめておくのだな、息子よ」
正直なところを口にしたのだが、ゼレットは嘘と決めつけた。
仕方のないことかもしれない。友人の来訪を告げるのに、躊躇う必要などないはずだからだ。
「そうか、息子よ」
つかつかと歩いてくると、ゼレットは彼の肩にぽんと手を置いた。
「身分違いの恋に悩んでいたのだな」
「違います」
「照れずともよい」
「違うと言ったら違うんです」
彼はセイミがどこの町にいたのかも知らない。ゼレットの指摘は大外れだ。
「だが俺は、お前の望みを尊重すると常々言っている通りだ。地位のない使用人の娘でも、お前たちが愛し合っているのなら、結婚してかまわんぞ」
「そうじゃないんですと何度言ったら」
「頑なだな。オリフェリィ姫の方が、やはりよいのか」
「それも違います」
「否定ばかりではなく、肯定的な話をしろ」
「父上が否定されるようなことばかり仰るからじゃないですか」
「何。俺のせいにする気か」
「少なくともセイミのことに関しては、父上が、存在しない話をでっち上げて勝手に混ぜ返しています」
「そのように真剣に隠さずともよいではないか。父は、本当にかまわんのだぞ」
「早く、勘違いだと気づいてください」
「本当に違うのか?」
「違います」
「ふむ」
ようやく納得したものか、ゼレットは口を曲げた。
「だが、本当によい雰囲気だったぞ、お前とセイミは」
「俺は何を言われてもいいですが、彼女にはやめてくださいね。気の毒だ」
「『よい雰囲気だった』という言葉が傷つけることにでもなると言うのか」
「彼女は仕事にきているんですよ」
「ミレインだって、仕事できているぞ」
「そういう問題ではないです」
ゼレットとミレインのように、公私を挟みながら均衡の取れている関係というのは稀なのだと判ってほしい。
いや、第一、セイミとは本当に会ったばかりだ。
「迷惑でしょう」
「伯爵に想われて迷惑な娘がいるか」
「想ってません! それに、恋人だっているかもしれないでしょうが」
「気になるのだな。よし、俺がそれとなく訊いておいてやろう」
「父上っ」
「何だ」
「どうしてそんなに楽しそうなんですか」
「楽しいからだ」
にっこりと父親は笑んだ。
「公爵令嬢でも、使用人でも、俺はお前が幸せになるならそれでいい。だが、ただ見守っているだけではつまらん。次の話も進めるが、セイミとの仲も取り持ってやろう」
「心の底からけっこうですっ」
ソーンは慌てて言った。
「だいたい、俺も何度も言っているように、複数の女性と同時に話を進めるような流れは俺向きじゃありません」
「ならばオリフェリィ姫かセイミか、どちらかだな」
「セイミは、違いますってば」
「では姫か」
「姫の恋を邪魔するつもりはありません」
「うむ、相判った。つまりこうだな」
「違います」
「まだ何も言っておらん」
「すみません、つい」
勢いで、先に言ってしまった。ソーンは謝罪の仕草をする。
「つまり」
めげずにゼレットは指を一本立てた。
「オリフェリィ姫はお前の選択肢に入っていない。しかし姫の方がお前になびいているのか、それともやはりヤクレーンとやらの気を惹く作戦の一環なのか、どちらかを見極める必要はある」
「前者は、ないと思いますが。大筋ではそうなりますね」
「セイミのことは、まだこれからだと言うのならば、徐々に育てていけばよい」
「そんなに彼女が気に入ったんですか?」
使用人の娘にこだわる父親に、ソーンは困惑した。
「俺ではない。お前が気に入っているように見える」
「気のせいです。会ったばかりで、何も知らないのに」
「こういうのは直感だ。お前はあの娘をいい娘だと思っただろう」
「まあ、思います。でも世の中、会った瞬間に悪い女だと思う女性も少ないのでは」
「屁理屈を言うな」
「父上のお言葉の方が理屈になっていません」
ソーンは嘆息した。
「面白くなってきた」
ゼレットはにやにやした。
「これまでは、具体的な名前が挙がらなかったからな。いまやふたりだ。もっと増やそう」
「増やさないでくださいっ」
「俺が増やすのではない、お前が増やすのだ」
「ですから、俺は増やしませんよ」
「そうは言っていられなくなるぞ」
「何故ですか」
げんなりとソーンが問えば、ゼレットは嬉しそうに続けた。
「美しき公爵令嬢の話題に、いまではもれなくソーン・カーディルの名前がくっついてくるからだ。あのオリフェリィ姫と逢い引きをした若き伯爵。その目を自分に向けさせることができれば、評判も上がる。そう考える姫君方が、手を替え品を替えて、お前に寄ってくるだろう」
「そんなのはご免です」
顔をしかめてソーンは言った。
「ならば、それらを上手にさばく方法を身につけるのだ。そうすれば、自然、男が上がる。そうすれば、自然、噂や評判ではなく、ソーンという人物に惹かれる姫が現れる」
ぱちん、とゼレットは指を弾いた。
「そこで恋のはじまりだ。いやはや、楽しいな、ソーン」
「……いや、頭が痛くなりそうなんですが」
「あら」
と、そのタイミングで戸が叩かれ、姿を見せた女性執務官は、父子のやり取りに片眉を上げた。
「ゼレット様。閣下の心労を増やすことはおやめくださいませ」
「何。心労とな。恋の話は心労か」
「ある意味では、そうですわね」
ミレインは肩をすくめた。
「さあ、ゼレット様は邪魔ですので出て行ってください。ご判断が必要なことがあれば、あとでうかがいますから」
「判った判った。時間を取らせてすまなかったな、ソーン」
「いえ。重要なお話を聞かせていただきました」
オリフェリィ姫との噂話など、とんでもない的外れだが、彼は知っていなくてはならないことだ。
「いまの件では、また相談に乗っていただきたいです」
「何でもしよう」
ゼレットは片手を上げ、すれ違いざまにミレインに口づけをした。
「今夜は、どうだ」
「資料室の整理をする予定でしたが」
「そんなものは明日にしろ。若者たちの恋の話をしていたら、俺も気分が盛り上がってきた」
「ゼレット様の気分は、たいていにおいて上向きじゃありませんか」
「返事は」
「では、業務を早めに切り上げて、お伺いいたします」
「うむ。それでよい」
機嫌良く、前伯爵は部屋を出て行った。ミレインはそれを見送り、扉を閉める。
「頭を切り換えてくださいね、閣下。恋のお話もよいですが、ショルス村の畑に猪の被害があった件を片づけてからにしていただきたいですわ」
「何。すぐ隣ではないか。怪我人は」
もちろんソーンは、ミレインにまで恋の話などしない。と言うより、はなから、ゼレットにもしていない。父親が進めたのみだ。
「ありません。ですけれど、猟師が不在で退治できなかったとか。それから、新芽が荒らされた畑は、収穫が見込めないかもしれません」
「まずは猟と、罠の設置だな。それから――」
一転、困惑する青年から領主の顔になって、ソーンは真剣に考えはじめた。
窓から入る冬の陽射しは、弱い。
だが、厳しい時季を終えたあとの春の喜びは、南の民が大いに知るところだ。
ソーン・カーディルにはまだそうした実感はなかったが、彼が春の喜びを覚えるのも、そう遠いことではない。
「南春抄」
―了―