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南春抄  作者: 一枝 唯
中編
12/16

06 主演男優は

「もし作戦なら、さすがゼレット様のご子息と申し上げねばならんですな。そこだけ訊いておきましょう」

「作戦だって? 何がだ?」

「賊に襲わせたのが」

「そんなはずがあるか!」

 憤然とソーンが叫べば、ガルファーは手を振った。

「とは言いませんよ、いくら何でも前伯爵だってそういう方向の策略家じゃなかった」

 間を置かずにガルファーは言い、ソーンは脱力した。

「それじゃ、何が俺の作戦なんだ?」

「悪漢から劇的に姫を救っておきながら、そこで敢えて踵を返すこと、です」

「何を言っているのか判らない、執務官」

 ソーンは顔をしかめた。

「判りませんか。ではやはりあなたはゼレット様ではなくソーン閣下のようですな」

 したり顔で男は当たり前のことを言った。

「最高級に気を惹く、でしょうが」

 その言葉にソーンは目をしばたたいた。

「いったい、何がだ? 彼女を護衛に任せて帰ることか?」

 彼は皮肉のつもりだったのだが、執務官は大いにうなずいた。

「劇的に救った、そこまではいいですか」

 確認するようにガルファーは言った。

「撃退しただけで別に劇的じゃない」

「荒事知らずのお姫様には戦争級の荒事ですよ。それを軽々と治めてしまった英雄、カーディル伯爵」

「おいおい」

「冗談を言ってるんじゃありません。ここであなたが彼女を抱き上げ、アシェア邸に送り届けでもしていたら、姫の心は八割以上、閣下のものです」

「それは間違いだよ、ガルファー」

「何故ですか」

「街路に突き飛ばされて嬉しい女性がいるか?」

「危急の際じゃありませんか」

「それに加えて、腰を抜かすなんて、誇り高い姫君にはかなり恥ずかしいことなんじゃないかな。俺は、それくらい当然と言うか、失礼ながら陛下……はともかく、王妃殿下がそうした状態に陥る想定などもして訓練を受けた経験があるんだし、おかしなことだとは思わないけど」

「成程。つまり、『恥ずべきことではございません、姫』とやる機会も特に拾ってこなかった訳ですね」

「そうだな、落としてきた」

 肩をすくめて、若き伯爵は答えた。

「成程」

 ガルファーはまた言って、またうなずいた。

「それじゃますます、オリフェリィ姫は閣下の虜になり得ますよ」

「どうしてそうなるんだ。お前、人の話を聞いてないのか?」

「それはこちらの台詞ですね、閣下」

 またしても執務官は鼻を鳴らした。

「目を(みは)るような退治劇。恥ずかしいところを観察し続けることなく、さっと去った紳士。なおかつ、まるで姫様を異性として気にかけてなどいないかのごとく、護衛に託してその場をあとに。これが恋愛芝居なら『せめてお名前を』というところです」

 もちろん互いの名前なんか知っている訳だが、言いたいことは判る。

「熱烈な恋のはじまりだとでも?」

「判ってるじゃありませんか」

「……熱烈な恋だって?」

 ソーンはぽかんと口を開けた。

「自分で仰ったんじゃありませんか」

 呆れた口調でガルファーは言った。

「いや、そんなことはないさ。彼女は俺にちょっとした刺激を求めただけで」

「それならなおさらじゃないですか?」

「いや、まさか」

「まあ、そんな話は冗談ですが」

「ガルファー!」

 ソーンは悲鳴のような声を上げたが、ガルファーはどこ吹く風だった。

「実話になり得るというのは、理解してください。ここはカーディルじゃない。あなたが伯爵として守るべき者たちばかりの場所ではないし、台詞ひとつでも曲解されて伝わっていけば、誤りであると触れを出す訳にもいかない」

「判っているが……」

「お判りじゃないですね。どうして私が『冗談です』と言ったとお思いに?」

「冗談は、冗談だろう」

「この場合は、幸いにしてと言うんですかね。そうはならないという根拠があるんですよ」

 そう言ってガルファーは、あとにしてきた小道をちらりと振り返った。

「私が〈白雲と虹〉亭に出向いたのは前閣下の意向ですがね、暇なんで同じように待機をしていた連中と雑談をしていた訳です」

 そこでヤクレーンと言葉を交わしたのだと言う。

「一応、申し訳程度に隠しちゃいましたけど、見る者が見ればアシェア公爵家の馬車だってことはすぐに判りましたからね」

 ガルファーの方でも身元を名乗り、今後よろしくとなるのか、向こうが彼を警戒するか、見ておこうと思ったらしい。

 護衛の態度は特に好意的でも敵対的でもなく、たまたま居合わせた雇われ人同士という程度の様子で、淡々と世間話に応じてきた。護衛剣士は決して深い話をしなかったが、世慣れた執務官には判ることも多数あったのだとか。

「まず、我が伯爵閣下、お気の毒ですけど、アシェア公爵令嬢の眼中に、あなたはないですね」

「それだって判ってる」

「そうですか? 利用されたと、本当に理解しておいでなら、私に言うことはありませんが」

「利用だって?」

 伯爵は目を見開いた。

「どういう意味でそんな言い方をするんだ」

「ですから、ソーン閣下は当て馬なんです。オリフェリィ姫様が本当に好きな男の気を惹くための、ね」

「何だって?」

 ソーンが呆然とすれば、ガルファーはやはり鼻を鳴らして、ほらお判りでない、などと言った。

「身分違いの恋。エリファランの主演男優はあなたじゃない。ヤクレーンなんですよ」

「……は」

 彼はぽかんと口を開けた。姫より十五歳は年上のように見えた、あの護衛が。

「ヤクレーンはそんなふうに言いませんでしたがね、いろいろ伝わってくる話というのはあるもんだ」

 ガルファーは肩をすくめた。

「かの姫君は、身分違いの云々という物語や歌にこだわるだとか、姫の気に入りは家来のなかにいるとか、ご令嬢にいちばん近い独身男が怪しいだとか。この件について私が調べはじめてからと言うもの、出てきた話が何であるのか少し前まで判りませんでしたが、何のことはない。符号はみんな、ヤクレーンを指していただけ」

 もっとも、と執務官は続けた。

「ヤクレーンの方で姫様をどう思っているんだかは、判りません。首を切られずに護衛を続けているということは、少なくとも手は出していないんでしょう。それにこの場合、男の方の気持ちは関係ありません。身分あるのは、姫様の方なんですからね」

「身分違い」

 そう、公爵家にはほど遠いとは言え、伯爵なら十二分に地位がある。

 その対象はソーン・カーディルではなく、身分なき剣士。

「ですから我が閣下、あなたは当て馬、〈通過札〉として使われていたということですよ」

 ある種の札遊戯で、親が既に場に見せた札は効力を持たないという決まりがある。その札は、遊戯者たちの手と場の山を通過し続けるだけで、力を持たない。

 それを通過札と呼んだ。はったりには使えるが、最終的な役にはならぬもの。

 この場合、間違っても裏工作をしたり、強引な手段に出たりして、女を窮地に追いやることのない男、という意味合いだ。

「は」

 ソーンはまた言った。

「つまり俺はとんだ道化か?」

「先ほどまではね」

 執務官は肩をすくめる。

「一気に得点を上げましたから。本気で惚れ込まれる可能性もありますよ」

「馬鹿を言うな」

 青年伯爵は唇を歪める。

「お前の言っていることは滅茶苦茶じゃないか。姫はヤクレーンを好いていると言った舌の根も乾かない内に、俺になびくとか」

「女心なんて判らないものです」

「なら、父上にでも指導を受けたらいい」

「お受けして、閣下はお判りになるようになった訳ですか」

 その返しには明らかなる皮肉が混じっていた。判らないくせに、という訳だ。その通りだが。

「真偽はどうあれ、ゼレット様の判定が楽しみですよ。――ああ、いました」

 とガルファーが指したのはもちろんゼレットではなく、彼らが探していた町憲兵である。

「私が話します。閣下は、後ろで偉そうにしていてください。これ以上、寒空の下をうろつきたくないんで」

「判ったよ」

 概要と道順だけ伝えて、さっさと宿まで戻ろうという魂胆だろう。カーディルであればともかく、余所の街、それも王城都市で他者とやり取りをするのに慣れているのは執務官だ。名を名乗る必要があるかどうかといった判断も任せようと考え、ソーンは両腕など組んで、ガルファーの行動を見守った。

(妙な一夜だったが、どうやら終わりそうだな)

 ゼレットに報告という仕事は残っているようだが、そのためにソーンが困ることはあっても、新たに問題が発生することはないはずだ。

(そうだ、終わりだ)

 オリフェリィ・アシェアとの、最初で最後の逢い引き。

 きれいに終わることができなかったという感もあるが、ガルファーの言う通りならば、彼女が望む相手に引き渡して終わった訳であり、おそらく問題はない。

(――そうか)

 ふと気づいて、彼は苦笑を浮かべた。

 エリファラン。身分違いの恋を描いた、先ほどの芝居。

(俺は、あの登場人物たちのなかで、姫と若者の間に立つ王子の位置づけをやらされた訳だ)

 身分不相応――文字通り――というところだが、本気で恐縮をしなければならないほどの考えでもない。

(〈エリファラン〉は不幸な結末を迎えるが、そこまでのことにはならないだろう)

 正直、ふたりが結ばれるのは難しいと思うが、彼に何かできるならば手を貸すのも一興かもしれない。

(もしや)

(オリフェリィ姫が望んだのは、それなのかな)

 それ故の芝居鑑賞だったのだとすれば、なかなかどうして、策士の姫君だ。

 ソーンは何だか可笑しくなり、真面目な顔を保つのにいささか苦労した。


(後編へつづく)



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