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南春抄  作者: 一枝 唯
中編
11/16

05 思わぬ幕切れ

「し……死んだのですか」

「は? ああ、いや、まさか。落としただけです。つまり、飛んでいる……ええと、気を失っているだけ」

 一定の場所を少し押さえるだけで、人間は簡単に意識を失うものだ。もう少し長く続ければ死ぬだろうが、そこまでやる必要もない。

「外套が……」

「え? ああ、本当だ。破れてしまいました」

 ですがそれだけです、とソーンは苦笑した。賊の刃が彼の外套をかすめていたのだ。皮膚にまでは至らなかったが、上等な一枚を台無しにしてしまったようだ。

「こうしたことは町憲兵隊(レドキアータ)に任せたいものですが、なかなか彼らも、いてほしいときにすぐ近くにはいてくれませんから」

 何もソーンは、ウェレスの町憲兵隊を貶めるつもりではない。近衛隊と違い、町憲兵隊は特定の誰かだけを守るのではないのだから、仕方のないことだ。

「お怪我はありませんでしたか、姫」

 ソーンは手を差し出した。

 とっさのこととは言え、女性に乱暴なことをしてしまった。

 もっとも、近衛であれば、当然だ。彼らは王陛下だって、守るために突き飛ばす必要があれば、そうする。それで王がちょっとばかり怪我をしたって、咎められることはない。罰を怖れる近衛兵が萎縮したために王が暗殺されるなど、悲劇を通り越して喜劇、いや、とてもではないが笑えない。

 しかしソーンはいまや兵士ではなく伯爵であり、オリフェリィは暗殺の標的になどはならないだろう公爵令嬢だ。驚かせたことは否めない。

「け、怪我はありませんが」

 オリフェリィは戸惑うようだった。

「た……立てません」

 恐怖のあまり腰が抜けたのだろうか。ソーンは目をしばたたき、どうしたものかと思った。

 背負いでもして、大通りへ出て馬車でも拾うのがいいだろうか。それとも、抱きかかえて別邸まで運ぶとか。

(しかしそういう訳にもいかないだろう)

 人目の少ない夜とは言え、そんなことをすれば目立つ。噂になることは避けたいという段階であるのだ。

 だが幸いにしてと言うのか、彼はそのどちらもしないで済むことになった。

「――オリフェリィ様!」

「ソーン閣下!」

 ふたつの声が聞こえた。後者の方は、聞き覚えがある。

「ガルファー?」

 驚いて彼は振り返った。見れば、彼の執務官が見知らぬ剣士らしき男と駆け寄ってくるところだ。

「どうしたんだ、こんなところで」

「これは偶然ですね、とでも言うと思いますか? 店の外でお待ちしてたって言うのに」

 三十代後半ほどの黒髪をした男は、まずそう答えた。

「お前が? 俺を?」

「まあ、私は閣下をですけどね。彼は姫様をです」

 ガルファーは答えになっているようななっていないようなことを言った。

「あれは誰だ?」

「ヤクレーン。アシェア公爵家の護衛ですよ」

「成程」

 当然だなと思った。ソーンが姫をひとりで帰すとは思っていなかっただろうが、令嬢に何かあってはと、帰途の足とともに護衛が用意されていたのだろう。

 オリフェリィはそれを知らなかったか、知っていても無視しようとしたのか、ソーンと歩くという選択をした。それに気づかぬまま、彼らは裏で待ちぼうけを食らっていたのだろう。遅いのではと店内に確認をし、ふたりが出て行ったと聞いて慌てたのに違いない。

「どうされました、オリフェリィ様」

 ヤクレーンと言うらしい護衛がオリフェリィに声をかけている。

「た、立てないのよ」

 白い肌をわずかに頬を紅潮させているのは、思うようにいかない身体を動かそうと懸命になっているためか、それともこのような状況は姫として恥であると思うためか。

「では、失礼して」

 と、三十半ばほどの剣士は、オリフェリィに背を向けてしゃがみ込んだ。

「どうぞ」

「おぶされと言うの? 子供でもあるまいし」

 オリフェリィは困ったような声を出した。

「しかし、私が姫様を抱きかかえる訳にも」

 ソーンが迷ったようなことを護衛も迷っているようだった。

「でも」

 ちらりと彼女がソーンを見た。背負われるには両足を開くことになるから、どうにもはしたないとでも思うのだろう。

「あー、オリフェリィ姫」

 こほん、と彼は咳払いをした。

「思わぬ幕切れとなりましたが、お迎えがきたようですので、私はこれで。また、夜会で偶然お会いすることを楽しみにしています。ガルファー、町憲兵を見つけに行こう。この狼藉者を罰してもらわなければ」

 さらっとしすぎるほどさらっと言って、ソーンはオリフェリィの返事を待たず、彼女に背を向けた。

 これで、彼の「前」ではなくなる訳だ。

「……いったい、何があったんです?」

 すたすたと歩みはじめた主に続きながら、執務官は小声で問うた。

「いい獲物に見えたんだろう。襲われたんだよ」

「成程ね。腕を活かして撃退なさった訳だ」

 ガルファーはうなずいて、それから首を振った。

「ですが閣下、私はそれを訊いたんじゃない」

「なら、何だ」

「姫様ですよ。出かける寸前までうじうじしてたのに、あっさりと分かれを告げて」

 言われてソーンは顔をしかめた。

「誰が、うじうじなんかしてたと言うんだ」

「あなた以外に誰かいましたか?」

 年上の前伯爵を相手にも容赦のなかったガルファーは、彼より年若いソーンにはもちろん、容赦なかった。

「緊張をしていただけだ」

 むっつりとソーンは答えた。

「だが、意味のない緊張だったと判った」

「へえ」

 ガルファーはじろじろとソーンを見た。

「まあ、詳細はあとでいいです」

「あとだと?」

「ゼレット様に、詳細を語らずに済むはずがないですから」

「うん?」

「相変わらず妙なところで行動力のある人ですよ、我らが前伯爵は」

「……きていらっしゃるのか?」

 ソーンは口を開けた。

「見物にいらっしゃらないとでも思いました?」

 執務官は肩をすくめた。

「ついでにタジャスまで、ギーセス閣下のお顔を見に行くんだそうで。何がどう何のついでなのか、判りませんけども」

 ギーセス・タジャスはゼレットの友人だが、身体が弱くてあまりウェレスまで出てこない。ましてや、カーディルを訪れるなどは難しい。そこでゼレットが出向くのだが、彼は口さがなく、死んでいたら笑ってやるために出向くのだなどと言う。

 しかし真には友人を案じていること、ゼレットを知る者はみな知っている。

 つまりこの場合ゼレットは、ソーンとギーセスと両方を案じることにした、という辺りだ。

「とっとと町憲兵に案件を押しつけて、暖かいところへ行きましょう。お話にはかなり興味もありますし」

「俺もある」

 ソーンは言った。ガルファーは片眉を上げる。

「ガルファー。ヤクレーンと言ったか、さっきの護衛は、どんな男だ?」

「どんなって、アシェア家の護衛ですよ」

「もちろん、姫も認めていたのだから、それを疑う訳ではないが」

「少し話をしましたが、責任感のある男です。自分の任を果たすでしょう。それに、何か穿ちすぎて公爵閣下に妙な告げ口をしそうな雰囲気もありません」

 一見したところでは、ソーンがオリフェリィをそそのかして連れ出したとでも見える。だがヤクレーンはぺらぺらとそんなことを公爵に話さないだろうと、ガルファーはそう言っているらしかった。

「そういうことを疑っているのでも、ないのだが」

「では、何ですか」

「いや。きちんとした護衛ならいいんだ」

「だからそう申し上げているじゃありませんか」

 熟練の執務官は鼻を鳴らした。

 三代に渡るカーディル伯爵に仕えた老マルドが、体力の低下を覚えて伯爵の補佐役たる執務官の地位から引退したのはこの前の冬であった。

 ゼレットに仕えた四人のなかに身分的な上下はなかったが、最も経歴が長く、最も年嵩であったマルドは、執務長のようなものだった。そうした人物が退いたからと言ってぐだぐだになるような情けないところは残りの三人に皆無だったものの、いまではガルファーが最年長ということになる。

 ガルファーはウェレスに詰め続けだが、何もゼレットと仲が悪いのではない。交渉ごとに長け、人間関係の刷新等に敏感で、ゼレットに届かぬ話を素早く仕入れるなど、高い能力を買われているのだ。

 実はソーンが、近衛時代に唯一言葉を交わしたカーディル関係者がガルファーであった。

 一度だけゼレットも話しかけてきたが、それは別とする。父伯爵の場合は、ソーンがどんな若者であるか――クラスがどう育てたか、気になって仕方なかったのに違いないからだ。

 対してガルファーは、おそらく偶然だろう。当時、ゼレットとソーンに何らかの関わりありと知っていたのは、ゼレットとソーンの母ティセアと、あとはやはりもしかしたらモーレン・クラスと、それだけだったはずだ。

 ソーンの方ではガルファーを何者だとも知らなかったが、歯に衣着せぬ物言いに少し驚き、少し面白く思ったことを覚えている。

 まさかその毒舌が自分に向けられようとは、思ってもいなかったが。


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