8 取捨選択
悠哉がことの顛末を知ったのは、食事を終えて少ししてからだった。
「なるほど……」
彩音が壊れそうになった。告げられた事実を噛み締める。
「それで、悠哉に家に戻って欲しいんだって…」
「それは、どこの家だ?」
奥歯が砕けるほど強い感情。怒りとも悲しさとも言いがたい、気持ちが悪いほど暴力的な無力感。それを感じながら、まるで死刑執行を待つ囚人のように、静かに悠哉は継羽の言葉を待った。
喉元に刃が突き刺さることは無かった。その代わり、安堵と痛い苦しみが心を裂いた。
もういっそのこと殺してくれ。
そんな願いすら叶わない。
悠哉は呆然としながらも、継羽に礼を言って家を出た。
時間は夜の11時目前で、あまり褒められた外出ではない。
だが、そうやって逃げていないと、継羽の視線に殺される気がした。殺されることを願っていながら笑えることに、死にたくないという気持ちも同居していた。
矛盾によって疲れた言葉が、夜の雲に吸われていく。
「どうすればいいんだよ。俺は」
月は暗雲に隠れてしまって、冷たい機械的な街灯だけが一定間隔で並んでいた。何度も通ったはずの、よく知っているはずの道が酷く不気味に思えた。
仕方ないか。もう仕方ないんだ。
悠哉は自分にそう言い聞かせて、歩きだした。
◇
「意外と眠れるものだな」
半年離れていたというのに、自室のベッドは安心した。
自分が離れた後、洗濯されていたのだろう。
「俺は……本当にダメだな」
ベッドから起き上がり、寝巻きのままにリビングのソファーにだらしなく座る。
「ハッ。バカかよ」
悠哉は自分の無意識の行動を嘲笑する。そして斜に構えたまま、家のなかをぐるりと見回した。
4人で遊ぶためのエアベッド。VRゲームの視点を見れるようにしている大きなモニター。どれもこれも、懐かしさと痛みを思い出させる。
全部台無しにした。最高だ。
「ハッ」
もう一度悠哉は笑った。
そうしてなにもしないまま、ただ家のなかでバラバラになっていると、インターホンの音がなった。
その音にビクリと反射的に飛び上がり、恐る恐るカメラを覗いた。
『なんだ。啓司か。待ってろ』
安堵しながらも、悠哉はその来訪に恐怖を覚えていた。
俺は友達になんて感情を持っているだろうな。
グロい感情を抱えたまま、悠哉はドアを開ける。
握り拳がノータイムで腹にめり込んだ。
「痛っっ────つ」
「おい。俺は非常にキレている。理由は分かるな?」
かなり本気の一撃で、信じられないほど手加減がなく、恐ろしいほど綺麗にみぞおちに入った拳に、悠哉は笑みを浮かべて気合いで耐える。
「彩音だろ?」
「なんで笑っている?」
「お前が手加減しないからな。笑ってないと痛すぎる」
「笑うなよ」
「そりゃ無理だ」
「そうか。家に上がるぞ」
啓司は悠哉の返事も聞かずにリビングまで侵入して、ソファーで足を組んだ。
「おい。飲み物」
なんて奴だ。家主に拳を入れてから、そんな言動を抜かすなんて信じられない。
「なにがあるか分からんな」
「そうだな。それで?」
「分かったよ。怒るなって」
適当に選んだ炭酸飲料のペットボトルを、悠哉は投げて渡すという暴挙に出た。
啓司はそれを空中で受けると、そのまま机の上に開けずに置いた。
「これで話の用意は済んだな。座れ」
「せめて開けろよ」
「座れ」
本気で怒ると恐ろしい。それを思い出しながら、悠哉は対面に座った
「彩音はプロ辞めたいんだと」
「そうか……」
「なにかないのかよ」
「彩音の選択だろ?」
先ほど投げたペットボトルが顔面に帰ってきた。
「痛った! おい! マナーが悪すぎるぞ!」
「お前、いい加減にしろ。彩音に謝って帰ってこい。いつまでダラダラ拗ねてる?」
「うるさいな……別に俺がいなくても彩音はやっていけるだろ」
「昨日の話をちゃんと聞いたのか?」
継羽に言われたことをそのまま伝えると、啓司は頭を抱えた。
「壊れかけたんじゃない。壊れてたんだ。ボロボロ泣き出してな! お前が継羽に甘やかされてた頃! 彩音は死んでたんだよ!」
悠哉は言葉が出てこなった。俺だって、苦しかった。だが、彩音が泣き出して壊れた事実がその気持ちを叩き潰す。
「じゃあどうしろってんだ……分かってる。間違っていることは分かってる。じゃあなんだよ! 俺は、何一つ勝てるところもないまま、彩音の隣で俯かないといかないのかよ……。それが俺のやるべきことなのかよ……」
しばらくの無言が、悠哉の情けなさをより強くする。
そして、続いた言葉は残酷だった。
「夢を彩音に投げ捨てたお前にはお似合いだ」
なにかが吹っ切れた。
「よし、分かった。今から謝ってくるよ。俺は機械的に見ない振りして生きていく」
そう言って立ち上がる瞬間。またしても悠哉の顔に物体が直撃した。
「方法が無い訳じゃない。全てを丸く治めてハッピーエンド。お前の得意な方法がまだ残っている」
投げつけられた物体を、悠哉はただ呆然と眺めていた。
「プロになれ。そして彩音に勝て。自分は悲劇のヒロインですって顔するのは辞めろ。気色悪い」
「お前が持ってたのか」
「全部諦めて、落胆されるか。今、全部を拾うか。選べよ」
机の上に着地したVRヘッドギアを悠哉は眺めていた。
「それが出来るなら────」
続く言葉を飲み込んだ。出来る出来ないではない。やるか、やらないかの話だ。
悠哉は知らない。自分の行動をちゃんと覚えていない。当たり前に喧嘩を始める乱暴者は、喧嘩をしたという事実と、喧嘩を始める理由しか覚えていない。自分の根底にあるものを知らない。
迷いと不安を、自己中心的な衝動で叩き潰した。
「やるか。そうだ。やるんだよ。やりたかったんだよ」
夢を見た。そう子供の頃に見た夢を、もう一度。
悠哉は手に取った。
夢を捨てることを彩音のせいにして、自分が壊れるのを恐れて夢を掴む。
最低だと分かっていた。そんな資格があるのか、許されていいのか、全く分からない。
だが、ずっと待っていた。悠哉はずっと待っていた。情けなくて笑い転げるほどに、ずっと待っていた。
「ありがとう啓司」
「期間は1年。ブランクあり、弱キャラ使い。それで世界王者に勝つ。冗談みたいな冗談だ。なんとかならないか?」
その言葉に悠哉は、軽薄そうな、人を舐めた笑顔を作った。
「なんとかする。今までみたいに」