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14 運命に跳躍する

 快感。勝利者だけが味わえる圧倒的な視線の数が、悠哉に強い満足感と達成感を与える。快感。自分が大きくなったような快感。


 勝利した後、舞台の上でなにをどうしたのか、悠哉はよくよく覚えていない。気づけば、ただ強い余韻だけを胸にして控え室に向かっていた。


「あーー。最高だぁ」


 口角が歪む。笑い声を上げることはなかったが、笑ってはいた。


 最高の気分で、控え室のドアを押し開く。居るであろう啓司へ自慢し、称賛されるための言葉を用意して、上機嫌なまま部屋の中に目を向ける。


 それがドアの音で振り返った。


 それと目が合う。赤色のそれと、目が合う。


 興奮した心に冷や水をかけられる。どうして彩音がここにいるのか、そんな疑問がグルグルと回り続け、エラーを吐いた。


 言葉が出てこない。なにを言うべきか、それが見つからない。


 何も言えずにしばらく目を合わせていたが、やがて彩音が悲しそうに、辛そうに、顔を下へ落とした。


 鋭い刃物に心臓を貫かれたようだった。


 その衝撃が悠哉に自分を思い出させる。


 なにを言うべきか、ではなく、言いたい言葉を言うべきだという考えが思考よりも先に口から溢れ出た。


「彩音……俺は……まだ謝れない。だから、待っていて欲しい」


 彩音の顔が再び悠哉へ向いた。しばらく黙っていたが、ゆっくりと首を縦に振る。


「わかった。待ってるね」


 彩音は穏やかに笑って悠哉の前まで歩き、立ち止まる。


「悠、今日は格好良かったよ」


 それだけを言うと、彩音はそのまま悠哉の横を素通りして控え室を出ていった。


 悠哉はなんとも言えない気恥ずかしさから頭をかいた。


「お前の方が綺麗だって……」


 彩音の価値は値千金のダイヤモンドでも比較として役不足。遥か彼方、空を突き破った先にある太陽と同じだと悠哉は思った。自分は地球に転がる名も無き石ころに過ぎないとも。


「あぁ。クソッ」


 まだ、1歩目。その事実が悠哉の胸を焦がす。その焦燥は炎に変わり、浮かれていた心を咎める。


 次だ。次はどれだ。早く戦わせろ。


 1歩目を深く踏み込んだ。次は、より強く前へ飛び出すだけ。そのための熱量は既に悠哉の中で燃えていた。




 ◇




 天神悠哉にとって、華道彩音は特別な存在である。


 そんな事実はとっくに分かっていた。


 華道彩音にとっても、天神悠哉は特別な人である。


 そんな事実は、何度も見せつけられてきた。


 継羽は帰ってきた彩音の顔に、その答えを見ていながらも、それでもその事実を確認した。


「悠哉とは、話せたの?」


「えぇ、待っていてって言われた」


 どこか遠くを微笑みながら告げられた言葉に、継羽は痛みを覚えた。


「それだけ…?」


「それだけで十分すぎる」


 その言葉が事実であることは継羽も理解している。悠哉という人物が、1度やると決めたことを、徹底的にやりきることは分かりきっている。


 だからといって、その一言に全ての納得と信頼を乗せることが出来るだろうか。あそこまで取り乱しておきながら、それでも信じることが出来るだろうか。


「そう、だね」


「私はただ待っていれば良い。どうせ話は聞かないからね」


 茶化して笑う彩音が酷く眩しくて、羨ましかった。


 待っているだけで良い。待っていて欲しい。悠哉はいつもそうだ。自分が彩音の隣にいることを当然のことのように考えている節がある。


 いや、考えてすらいないのだろう。自然に、当たり前に、傍にいることを疑問にすら思ってはいない。


「それじゃ帰ろう。ここに長居すると悠と顔を会わせてしまうかもしれない」


 痛みを振りきるようにして、継羽は彩音と帰路へついた。


 大会という非日常も、過ぎ去れば日常に押し流されていく。


 4月が終わり、5月を迎える。その5月が流れていくようにして6月、気付けば7月に差し掛かり、教師が夏休みが明けた後の話をしていた。


 悠哉はこの3ヶ月でもう1つ大会に出ていた。


 流石に公式の大会より規模は劣るが、賞金の出る大会で、しっかりとしたスポンサーがついている物だった。当たり前のように優勝を勝ち取っていた。


 彩音は身体の中心に一本の鉄心が入ったようで、その姿からは疲労感や倦怠感というものが全て消え去っていた。


 元々彩音の顔立ちは、可愛いというよりは凛々しさを感じさせるものであり、そこに高身長とスタイルの良さが付いてくる。他とは一線を画す、芸能人のオーラとでもいうような、なにもせずとも視線と意識を奪う圧倒的な気配を持っていて、それを取り戻した。


 強さを取り戻して、自信に溢れていく2人。


 彩音はただ、流されるように彩音の隣を守っていた。


 その日も同じように彩音の左側をケアして家まで送り、自分の家へ帰る。


「ふぅ…」


 鞄をソファーに放る。半年前に帰っていった悠哉はそこにいない。そしてちょうど1年ほど前に共同生活を始めたことを思い出す。


 たった半年間の共同生活に、胸に穴が空いたような喪失感を覚えてしまう。


 好きな人が自分の方を向かないことを分かっているのに、一時の幸せに手を伸ばした。


 自分が喜びを感じる代償は、彩音が子供のように取り乱すというものだった。


 自分の浅慮に吐き気がした。なにも考えず、目を背けていた結果、彩音は勿論、悠哉自身もダメになっていっただけだった。


 そして継羽自身、悠哉に感謝はされるが、求められたことは1度もなかった。


 一緒に暮らせて楽しかった。それと同じぐらい虚しかった。


 この気持ちに意味なんてない。


 スマホが一件のメッセージを受信した。


『もうそろで夏休みなんだが、彩音のこと頼んでもいいか?』


 彩音は強い。1人でも余裕で生きていける。継羽など必要はない。


『わかった。いいよ』


「都合がいいなぁ……私」


 ずっとそうだった。彩音のサポートを頼まれて、それを引き受ける。


 彩音のことは嫌いじゃない。嫉妬すら沸かないほどに綺麗で、敬遠するには余りにも長い時間を共に過ごした。


 八方塞がりの生き地獄。ここから逃れる術は、この気持ちを殺しきること。


『助かるよ。俺は、今、彩音とは会いにくくてさ』


 まだ死にたくないと願ってしまう。


 それから夏季休暇が始まる前日。先生方のありがたい長話によって、継羽は学校に大事なプリントを忘れてしまった。休みが始まってから取りに行くのは面倒で、渋々放課後の学校に戻った。


 プリントを回収し、教室の鍵を返した所で、職員室の窓の外に悠哉の姿を見かけた。


 大会に出始めてから即時帰宅を徹底していたはずの悠哉が学校にいる。その不思議に首をかしげた。


 迷いなく、どこか急ぎ足で、学校の中でも人気のない場所に向かっていく。


 なにがしたいのか、気になった継羽は後をつけた。


 夏前に業者による草刈りが行われた校舎裏。聞き覚えのない女性の声が、覗こうとした継羽の足を止めた。


「来てくれてありがとうございます」


「君が餅原さんか? それで、用件はなんだ?」


「はい。以前、ナンパから助けてくれたことを覚えていますか?」


 聞き耳を立てている背徳感と罪悪感。それらが継羽の動きを止める。


「覚えてないな」


「本屋のアルバイトのレジです」


「……あー。あの邪魔な奴を退かした時か。それで、それがなんだ?」


「格好良かったです。天神先輩、付き合って下さい」


 息が、詰まった。


 無音になったように、全ての音が死んだ。


 長すぎる一瞬、それがゆっくりと経過してから悠哉が言葉を発した。


「ありがとう。気持ちは……悪いけど、俺にはやるべきことがある。餅原さんの気持ちには向き合えない。他を当たってくれ」


 継羽は、その場所から直ぐに逃げ出した。


 最低だ。最低だ。最低だ。最低だ。最低だ。最低だ。


 付き合わなかったことに安心を覚えて、そして自分とその子を重ねてしまった。


 継羽は急ぎ足で学校の門を抜けて、家に向けて俯きながら歩きだした。


 その道中で、肩を叩かれた。


「おい。聞こえてるか?」


「え?」


 驚いて顔を上げると、そこに悠哉がいた。心配した顔で覗き込んでくる。


「話しかけても無視されっから…大丈夫か?」


「え、あ。これ忘れてて、取りに戻っただけだよ」


「あ? あぁそう。…暇だから家まで送ってく」


 心を空っぽに、告白される現場を見ていたなんて、悟られないように、心を空っぽに。継羽は感情を抑えこんだつもりだった。


 沈黙は重く、足取りはどこか空回り。


「悠哉は、彩音のことをどう思ってるの?」


「なんだ突然どうした?」


「あ、いや。なんでもない」


 異を決したはずの質問も、このざま。継羽は自分のことが憎くて、辛くなった。


「……大切で大事な人だよ」


「それは、好きってこと?」


「あー、うーん。なんだろうな。違うような?」


 大切で大事。だけど好きとは違う。その言葉の意味に継羽が頭をひねる。


 悠哉が言葉を続けた。


「傍にいてくれると嬉しい?」


「家族愛?」


「あーー。なんだろうな。特別? 難しすぎるな」


「もし、彩音に彼氏が出来たら、どう?」


 その質問をした瞬間、悠哉の歩く足が止まった。訝しげに継羽は悠哉の顔を見る。


 能面のような真顔。見たことのない表情を浮かべていた。


「あーー、なるほど、そう言うことか」


 固まってから1分。悠哉は笑った。呆れるような、それでいて、何かから解放されたような、そんな眩しい笑顔を見せる。


 継羽は言葉を失って、ただ呆然とその顔を見ていた。


 そして、理解した。


「あぁ、彩音の彼氏は、俺が認めることが出来る奴じゃないとダメだね」


 挑戦的な笑顔、見方を変えれば相手を舐めているような嘲笑を浮かべた。


 それは何かと戦うときの顔で、何かを決めたときの顔だ。


「そっか」


 分かってしまった。分かっていた。天神悠哉にとって、華道彩音は特別な存在である。なんてことは、とっくに分かっていた。


 私って本当に────嫌になる。


 言葉に出来ない自己嫌悪。罵詈雑言が集まって、言葉にならない痛みになる。


「私は大丈夫だから、悠哉は早く帰った方がいいよ。また大会があるんでしょ?」


「それはそうだけどさ。友達と話しちゃ悪いか?」


「大事な大会だって啓司から聞いてる。後悔して欲しくないな」


「いや、後悔はしないけどさ」


「あー、もう帰りなよ。別に1人でいいからさ!」


 半ば無理やり悠哉を遠ざけて、継羽は1人、自宅へ向かった。


 家のドアを開けて、ソファーに倒れ込む。目を閉じて、気付けば夜になっていた。


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