1 山積みの不幸の上
舞台の上で輝くプロの選手にスポットライトを当てるため、多くの人が腰掛ける観客席には薄い闇が広がっている。
当然だが、そこにいる人の全てが目には悪いと分かっている。
それでも目を離すことが出来ずにいた。
プロゲーマーと呼ばれる職業。娯楽から生まれた仕事という点においては、スポーツ選手と同じ起源を持つもの。
しかしそれは同じプロと言えども明確に一線引かれていた。ほんの20年前までは。
中央の舞台を囲うように作られたドーム。演者を魅力的に映すための様々の技術が湯水のように注ぎ込まれた閉ざされた世界。
音楽、映像、実況と解説の語り。観客席にいる傍観者たちの視線。それらの全てがたった1つに集約されている。それは舞台の上、光によって作られたVR対戦アクションゲームの映像だ。
そうVRゲームである。とある天才的な脳科学者が機械を用いた脳に対するアプローチを考え、それをプログラミングして作り上げた仮想現実。
それは単なるゲームとして扱うには余りにも魅力的過ぎた。やがてプロゲーマーという職業の社会的な地位は、プロスポーツ選手に比肩するほどになった。
つまり2100年の現在、ゲームの大会というものはスポーツのリーグ戦と同じものとして人々に認知されている。
しかし野球やサッカーとは異なり、大会の規模がゲームタイトルのブランドや出来映えで変わるため、同じプロゲーマーと言えどプレイするゲームのタイトルとジャンルによって収入や名声に差がある。
日本、両国国技館。国の名前を持つドームで大会を開く。それは間違いなく、目の前で繰り広げられるそのゲームがトップクラスの知名度とプレイ人口を持っていることの証明だった。
天神悠哉はただ、その映像に心を奪われていた。
その舞台上に父親が立っていて、それがそのゲームの世界一を決める世界大会であることも理由にあるが、しかしそんな理屈よりも、純粋な憧れによって悠哉は瞬きを忘れ去っていた。
関係者席という特等席にて、誰よりも強く影響を受ける場所で、悠哉はプロゲーマーという在り方に、その光に魂を焼かれていた。
格好良かった。ただ格好良かった。
一挙手一投足が数えるのも馬鹿らしいほどの人に見られている。それなのに対戦相手しか見ていないその姿が、決して立ち入れない領域となっている。それは神聖さすらあった。神々しかった。
言葉としてその素晴らしさを形容することは、10歳を迎えたばかりの少年にはあまりにも重いもので、悠哉は言葉を捨てた。
ただ、その戦いに目と心を奪われる。
剣と剣がぶつかり合う。魔法とさえ言えるような炎を言葉1つで呼び出してぶつけ合う。自動車すら追い越すような速度で走り、地球すらも称賛するような持久力を見せ、宇宙に飛び立つロケットのように空中へ飛び上がる。
仮想現実の中で、そのような異常を当たり前のように使いこなし、目の前の相手を打倒せんと殺し合いをしている。
「あっ」
それは一瞬の出来事だった。父が操作している男の侍が、相手選手の操作する貴族のような男のレイピアに突き刺されて後ろへぶっ飛んだ。
会場がざわめく。
悠哉も同じように心がざわめく。
ここから父はどうするのか、相手はどう動くのか、この試合はどちらが勝つのか。
大将戦の最終ラウンド。父も、相手の選手も、お互いの体力は3割を下回っている激戦。緊張感も、期待も、不安も、高まりに高まって吐き気すら覚えるほどだ。
相手の選手は吹き飛んだ父に向けて、リソースを使う強力な攻撃で追撃を行った。
黄金色の風を纏ったレイピアが、高速で父の操作する侍に迫る。
会場が揺れた。先ほどのざわめきとは比較にならないほどの衝撃が会場を揺らした。信じられないほどの大歓声と熱狂が、父のプレイによって引き起こされた。
視認することすら難しいほどの高速で迫る刺突を、避けるでも、受けるでもなく、刀の切っ先で受け流したのだ。そして突進してきた相手選手の首に向けて、カウンターを叩き込んだ。
最小限の動きによる最高の反撃。針の糸を通すような絶技が、このタイミングで放たれた。
会場は揺れる。戦いの決着はあまりにも現実離れしており、その熱量は消えない。
父は舞台上に設置されているベッド型のフルダイブシステムから出てくると、最高に輝かしい笑顔で腕を天へ向けて持ち上げ、人差し指を突き立てた。
会場が揺れた。
そこにいた大勢の人々の心を、父はたった1人でワガママに自由に突き動かした。
たった1つのアクションで、なにも言わずにただ腕と指を上へ向けただけで、沸き起こる大歓声をシャワーのように浴びていた。
司会進行の言葉は、悠哉には届いていなかった。
ただ、その光景に心奪われた。
全ての音が遠退いていく中で、悠哉は子供らしく、憧れた。
ああなりたい。あんな風になりたい。プロゲーマーになりたい。
その情動だけが全てだった。
◇
そうやって全てを奪われていた悠哉の右側で、同い年の少女が同じように1つのものに目と心を奪われていた。
目前で行われた光景によって呆然としながらも、それを強く渇望しているような、不思議で魅力的な輝いた眼差し。
自分自身を含めた全てを忘れ去っているその姿を、華道彩音はじっと見つめていた。
左目の無くした視力では、その顔をよく見ることが出来なかったから、顔ごと悠哉に向けて、右目でそれを見ていた。
彩音の狭まった視界には、会場も、舞台上のプロも入っていなかった。
「プロに……なりたい」
ポロリと悠哉が本当に小さな声でそう口にした。
それは無意識で溢れた願いだった。口にした悠哉自身、その言葉を聞き取れておらず、そう口にしたことすら分かっていない。
熱狂に支配された空間で、それを聞き取れたのは彩音だけだった。
それを知ったのは彩音だけだった。
彩音は視界を悠哉から外して、舞台に向ける。
悠哉の父親。彩音にとっての伯父に、悠哉を重ねる。
あぁ、きっと綺麗で格好良いんだろうな。
彩音は悠哉がプロとして会場を揺らす姿を幻視した。
その夢が叶うことを願った。心から願った。
それから6年後。
東京ドームの中央にて、その光を浴びていたのは彩音だった。
隣に悠哉はいない。関係者席にもおらず、もちろん目の前に広がる大勢の人々の中にもいない。居てくれたら嬉しいと思うも、そんなことはないのだと彩音は理解していた。
受け入れることはしたくなかったが、理解はしていた。
『エルガレイオン・オーバードーズの、初代王者が、今、ここに生まれたァァ!!』
司会進行の声が、ドームを揺らす。観客席の熱狂とスポットライトの光が体に当たる。
だが、彩音の心にはなにも響かなかった。
なにも、嬉しくなどなかった。
大切な人の、大切な夢を奪っておいて、なにが嬉しいものだろうか。
彩音は唯一見える右目で客席を見渡した。
そうして称賛と栄光。それが自分に向けられていることを自覚してなお、満ち足りることはなかった。
やはり自分には悠哉が必要なのだと虚しさを覚え、その虚しさを抱えたまま彩音は家に帰った。そこに悠哉がいるといいなと思いながら。
「おめでとう! いや~世界一か…16で世界一かぁ……」
伯父さんが本当に嬉しそうに机の上のケーキを見ながら笑っていた。
「ごめんね。彩音。悠はいないの」
「いいえ、伯母さん。大丈夫です。私が悪いですから……いないことはなんとなく分かっていました」
お祝いごとをする空気が急激に萎れていく。
重い空気を伯父さんが口を開いて前へ進めた。
「うーん。一緒に暮らさせるのは失敗だったな。家を別けて文字通りに独り暮らしさせた方が良かった」
「それは結局、悠哉が私の家に住み始めるので変わらないと思います」
伯父さんが彩音の意見に首をすくめて同意した。
「それで、その……悠はここに帰ってきていますか?」
その質問に伯母さんが返事を返す。
「たまに帰ってきてるよ。今は…継羽ちゃんの家に居候してるみたい。全く迷惑を掛けて……。無理やりにでも連れ戻したいのだけど」
「それはやめなさい母さん。アレは自分が納得するまで意見を変えない。下手をすれば路上生活を始めかねない」
「悠は元気でしたか?」
「会っていないのか?」
「そう言うわけではないですけど……心配で」
伯父さんは黙り込み、伯母へ視線を向けた。
「元気ではないね。疲れてる。それと機嫌も悪い」
「ああ、最悪の役満だな。ドラ乗って三倍満」
「茶化さない」
「悪い」
伯母さんはため息を1つ溢す。
「誰が悪いとは言えないから困るね」
「ん? いや悠哉が悪いぞ。男がヘソ曲げてるだけだ」
伯父さんが厳しい言葉を吐くと、その言葉に対して伯母さんが静かに圧力をかけた。
「小さい頃からの夢をへし折られて、それではい、次。なんて言える子供はいる?!」
「ごめん」
「すみません」
「あぁ、彩音には怒ってないよ」
「俺には怒ってるのね」
伯父さんの言葉を無視した伯母さんはここにいない悠哉に対しての憂慮を吐露した。
「どうしたら良いのか……」
伯母さんがまたタメ息を溢し、伯父さんが彩音に問いかける。
「彩音はどうしたいんだ?」
「どう?」
「悠哉とまた一緒に暮らしたいのか?」
「けど、どうしたら良いのか分かりません」
「うーん。悠哉にそこまで執着しなくても良いと思うぞ。アイツよりも良い男は沢山いる。それこそ今、彩音は世界一になったんだ。男なんて選びたい放題だ。イケメンで素直で優しくて、世話好きで面白い男、なんて厳しい条件でも何件かヒットすると思うぞ」
伯父さんが軽い調子でそう口にした。それに対して、彩音は視線を下に落としながら、絞り出すように弱々しく言葉を紡いだ。
「でも……それは悠哉じゃありません」
好きな人に変わりはいない。
「あ~どーするかなぁ…時間が解決する問題だが、肝心な時間が足りない。あーあの馬鹿は、継羽君の家でゴロゴロしてるんだろうな。本当の馬鹿が」
優勝祝いはいつの間にか家族会議にすり変わり、何も進展しないまま日が沈んだ。