船の旅
良く晴れた春の日、ミドルポートの港はまるで新しい命を宿したかのように活気に満ちていた。
透き通るような青空が広がり、穏やかな海は陽光を受けてきらきらと輝いている。
港沿いには色とりどりの花が咲き誇り、白やピンクの花びらが風に乗って舞い上がり、日の光を受けて光の中で踊るように散っていく。
港の荷下ろし場では、馬車から船へと、荷物の積み替え作業が進んでいた。
船に積み込む際は、片側に重い荷が偏らないよう注意が必要だ。カルロ兄さんとニコロ兄さんが、手際よく指示を出しながら作業を進めている。
僕は久々にネフライト号の点検をしていた。しばらく見ていなかったが、リズベック商会の人たちがしっかり管理してくれていたらしく、特に異常はなかった。
本当は今すぐにでも海に出たい。でも、荷の積み込みが終わらなければ出航はできない。
昨年、ルヴィたちとともにパルマスの街に移ってからは、船に乗る機会がめっきり減ってしまった。
街の周囲には川や池はあるけれど、川を遡るのに適した船はない。
いつか、自分で川を走れる船を作ってみたい...そんな思いが、ふと胸をよぎった。
ルヴィたちは交易の準備で忙しくしている。僕にも何か手伝えることがあればいいのだけれど...。
そんな折、街を歩いていると、『ロギンス工房』と書かれた小さな店を見つけた。
扉を開けて中に入ると、魔石のランプや時計、不思議な仕掛けの道具などが所狭しと並んでいた。ほとんどが見たこともない珍しい品ばかりだった。
店の奥には机があり、その前に年配の男性が座っていた。
「おじさん、ここは何を売ってるお店なんですか?」
声をかけると、男性は顔を上げて、少し意地悪そうな目でこちらを見た。
「ほう、何を売ってるかも知らんで入ってきたのか。おまえさん、何か探しとるんか?」
「ううん、別に何かを探してるわけじゃないけど...珍しいものがいっぱい並んでたから、つい気になって」
「冷やかしか?ここは何でも屋じゃよ。道具が必要なら売るし、なければ作る。そういう店だ」
「へぇ。何でも売ってるんだね。ところで、おじさんは何してるの?」
そう聞くと、男性は視線を落としながら言った。
「時計を直してるんじゃよ」
「ふぅん。見ててもいい?」
「邪魔さえせんのなら、勝手にしな」
僕は「はい」と小さく返事して、おじさんの手元をじっと見つめた。
おじさんは器用に、小さな部品を次々と組み立てていく。
声をかけたくなるくらい興味はあったけれど、作業を邪魔してはいけない気がして、僕は黙ったまま、その職人の手元に見入っていた。
しばらくすると、おじさんは手を止めて、顔を上げた。
「このまま、ずっと見ておるのか?よく飽きないもんじゃな。」
「ううん、おじさんって、すごく器用だから。見てて全然飽きないよ。これが完成したら、この時計、また動くようになるの?」
「ふむ。ところで『おじさん、おじさん』って、お前さん、ワシにもちゃんとスフェリアス・ロギンスって名前があるんじゃがな。」
「あっ、そっか。僕も自己紹介してなかったね。僕はソニア・ジュゼッペ。クレス村から来ました。ロギンスさん、よろしくお願いします!」
「よろしくと言われても、ワシは何もせんがな。クレス村とな。お嬢ちゃんは、漁師かの?」
「ううん。お父さんは漁師だけど、僕は魚を獲るのはちょっと苦手で...でも船に乗るのは大好きなんだ。」
「ハハハハ!漁師の子が魚を獲るのが苦手とは...それで、こんなところに何しに来たんじゃ?」
「船で役立ちそうな道具がないかって探してたんだけど、ロギンスさんの仕事、見てたら忘れちゃった。」
「ほう。時計の組み立てが、そんなに面白かったか?」
「うん!すごく面白いよ。船だって、風や波を上手く操らなきゃ速く進まないし、なんか似てる感じがするんだ。」
「ふむ。船のことはよう知らんが...お前さん、いや、ソニアも簡単なものを組み立ててみるか?」
「えっ、いいの?やってみたい!」
ロギンスさんは、机の下から箱と板のような部品を取り出してきた。
「これな、一見ただの木箱じゃが、釘もねじも使っておらん。部品を組むと、互いにかみ合って抜けなくなる仕組みじゃ。試してみい。」
言われた通りに、僕は慎重にパーツを一つひとつ組み合わせていった。段々と木がぴたりと収まり、お互いを押さえ込むように固定されていく。
最後に四角い棒を差し込むと、箱はしっかりと形を保ち、少しの衝撃ではびくともしなかった。
「わぁ、すごい。僕もこんな箱を、一から作れるようになりたいな。」
「ふふふ。それは修行次第じゃな。だが、ソニア、お前さんは器用じゃ。筋が良い。きっといい細工師になれるぞ。」
その日から、僕はロギンスさんの工房に通って、細工の修業を始めることになった
船の上には、ロギンスさんの工房で自分の手で組み立てた箱や樽がいくつも並び、実際の航海で役立っていた。
ネフライト号は、船首から船底にかけて鉄の板で補強され、安定性が増し、操縦も格段にしやすくなっていた。
これも、ロギンスさんの助言による改良のひとつだった。
そして今、ロギンスさんと協力して、新しい船を建造する計画も進みつつある。
もう一人、船の構造に詳しい人物を探していて、ギズモグロウブの街でスタンレーさんに相談しているところだった。
その頃、交易船への荷物の積み込みが完了し、ルヴィたちがネフライト号に乗り込んでくる。
「ソニア、準備はいいですか?」
「うん、準備はばっちり。みんなを待ってたところなんだ。」
笑顔で答えながら、僕はネフライト号を港の周囲に一周させて安全を確認した。問題はなさそうだ。
リズベック商会のエリオットさんたちに挨拶を済ませると、交易船に出航の合図を出す。
それに応じて、二艘の交易船が静かに港を離れ、ネフライト号の後に続いていく。
この季節、ミドルポートからギズモグロウヴへは風を使えない。
中海を大きく左回りに進む海流に乗って北上するのが、現実的な航路だった。
もちろん、艪を使ってまっすぐギズモグロウヴを目指すという案もあった。
だが、それには三倍以上の船乗りを雇わなければならず、今回は初めての本格的な交易ということもあり、コストを抑えるため海流を利用することになった。
将来的に資金と人手に余裕ができれば、艪を活用した短距離直進の航路も視野に入ると、ルヴィは話していた。
改良を施したネフライト号は、これまで以上に扱いやすく、僕は気持ちよく海の上を奔ることができた。
港を離れると、艪を使ってしばらく沖へ進む。やがて、北へ流れる海流を見つけると、僕は合図を出し、カルロ兄さんとニコロ兄さんの交易船を誘導した。
交易船が海流に乗ったことを確認し、あとは進路を調整しながら、潮の流れに任せてゆっくりと進んでいった。
暇を持て余していたのか、リルが声をかけてきた。
「ソニア、帆は張らないの? レナとハウルと競争してみたくてさ。」
「今は潮の流れに乗って進んでるから、帆は張らないよ。しかも風は向かい風だしね。」
「そうなんだ? 風なんて感じないけど、ソニアには風が見えるの?。」
「直接見えるわけじゃないけどね。これを使えば、どっちに吹いてるか分かるよ。」
そう言って、僕は細長い棒の先に薄い布を括りつけた簡易の風見を取り出し、立ててみせた。すると、布がゆるやかに後方へ流れていく。
「本当だ...ソニア、道具屋さんでそんなのまで作ってたの?」
「これはね、昔から船に乗るときによく使われてた道具なんだ。風向きを知るためにね。」
「船には、色々なものが置いてあるのは知ってたけど、それぞれ役割があるのね。」
海流に乗って順調に三日ほど北上したころ、僕は南西に向かう流れを探すために、ネフライト号を西へ進めた。
カルロ兄さんとニコロ兄さんにも合図を送り、交易船が艪を使ってついてくる。
海流を探していたそのとき、風の変化に気づいた。今まで吹いていた西北西の風が、いつの間にか東風に変わっていたのだ。
すぐに布を括った棒を立てて確認すると、布は前方へ流れている。どうやらカルロ兄さんたちも気づいたらしく、こちらに合図を送ってきた。
合図を返し、僕はネフライト号の帆を張り、舵を南西へ切った。風はやや強めで、帆が大きく膨らみ、船体が風を受けて静かに加速していく。
交易船の船乗りたちも甲板で慌ただしく動き、ロープを調整しながら帆を効率よく風に当てていく。
一定の風を帆がしっかりと捉えたとき、船はまるで水面を滑るように、軽やかに進みはじめた。
僕は、このことを、日記に書き足した。
家を出るとき、父さんと母さんに言われて毎日書き続けている日記だ。その中でも、海や船に関する大切なことだけは、別のノートにまとめて残してある。
ルヴィが声をかけてきた。
「この時期には、珍しい風ですね。」
さすがのルヴィでも、この風のことは知らなかったらしい。
「うん。僕も、今日初めて出会った風だよ。」
そのやりとりを聞いていたハウルが、興味深そうに言った。
「ルヴィとソニアが揃って知らないってことは、相当珍しい風なんだな。」
たしかに、この風がもし特定の時期に吹くものなら、交易のタイミングを合わせれば、船の運航をずっと効率よくできる。
でも、あの海域には何度も行ったことがあるし、海域特有の風ではなさそうだ。
時期的なものなら、これから継続して確認する必要があるだろう。この付近の漁師たちなら、何か知っているかもしれない。
風はその後も三日間、一定の強さで吹き続け、三日目の日中になると、ふっと止んだ。そして何事もなかったように、もとの西北西の風が戻ってきた。
この追い風のおかげで航海は大幅に短縮され、予定より二日ほど早く進めたと思う。
今の位置はたぶん、クレス村の北東あたりだ。順調にいけば、明後日にはギズモグロウブの港に着けるだろう。
港に到着すると、みんなが荷物を下ろしている横で、僕は気になっていた風のことを周囲の漁師に尋ねて回った。
すると、ひとりの初老の漁師が、あの風を知っていると言ってくれた。
「それは『迷い風』って呼ばれててな。吹いたのは、十何年ぶりじゃろうな。」
「定期的に吹く風じゃないんですか?」
「さっぱり分からん。何が原因で吹くのか、いつ吹くのかも。気まぐれな風よ。だから『迷い風』って呼ぶんじゃ。」
「この間は三日間吹いてたんですけど、以前も同じくらいでしたか?」
「そうじゃな。わしの記憶じゃ、いつも三日程度の間だけ吹くようじゃな。」
「教えてくれて、ありがとう。すごく助かったよ。」
「海には、まだまだ分からんことが多いからのう。気をつけるんじゃぞ。」
「うん。ありがとう。」
気まぐれな風じゃ、交易には使えそうにない。ルヴィとハウルにこの話をしたら、きっとがっかりするだろう。
海には、不思議なことがたくさんある。その一つを知ることができたのだから、僕は嬉しかった。




