新しい仲間
昨日、オイラは何もできなかった。
母にのしかかった木を動かすこともできず、そこにやってきた人間たちを追い払おうとしたが、母は人間たちに従うようにとオイラに言った。
だから、オイラはただ黙って見ていることしかできなかった。
何もできないまま、この住処へと連れてこられた。
母は後ろ脚を怪我してしまい、自由に走り回ることができない。
昨日、人間が不思議な力を使って倒木を持ち上げたとき、
そのすき間から出てきた母の後ろ脚は、変な方向にねじれていた。
人間が何かしようと近づいたので、オイラは止めさせようと声をあげた。けれど、母は何も言わず、人間たちにすべてを任せていた。
人間たちは、母の後ろ脚を元の形に戻し、木で作った変なものを脚にくっつけた。
これは人間たちの怪我の直し方なのだろうか?
そのあと、不思議な力を使った人間が、母にもまた別の力を使った。
何が起こったのか、オイラにはわからなかった。
住処に着くと、大きな水たまりのような場所に母と一緒に入れられた。
水はあたたかく、雨で冷えた体には心地よかった。水溜まりから出ると、柔らかい皮のようなものでを拭き取られ、それからこの場所に連れてこられた。
疲れていたオイラは、そのまま眠ってしまったらしい。
目を覚ますと、母はすでに起きていた。怪我した後ろ脚を気にしている様子だった。
オイラは、母に〈そのへんてこな木を取ろうか?〉と尋ねた。けれど、母は首を振って〈その必要はない。〉と答えた。
それから、母はこう言った。
〈ギーヴ、お前はこれからここで暮らすのだ。だから、人間たちと話ができるように、人間の言葉を覚えなさい。〉
オイラは、初めて人間を見たときから、どこか嫌な予感がしていた。オイラの体は、母たちグレートウルフよりも、人間に近い形をしていたからだ。
オイラは...人間なのだろうか。
そのことは、母にも言えなかった。もし母がそれを認めたら、オイラはもう、母と一緒にいられなくなる気がしたから。
けれど、今の母の言葉ですべてがわかった。オイラは人間なのだ。母とは違う種族なのだ。
いずれ、母はここを去り、オイラだけがこの場所に残されるのかもしれない。
以前、街を見に行ったとき、母は言っていた。
〈私たちの知らない世界に行く。そのときは、私も一緒に行く〉と。
この場所が、母の言っていた知らない世界なのだろうか。
母は、本当に、ずっと一緒にいてくれるのだろうか。
次々に疑問が湧いてくる。
少しずつ...母に聞いていこう。
昨日、不思議な力を使った人間と、強い威圧感を放っていた人間がやってきた。たしか、ルヴィとランスと呼ばれていた。
ルヴィと呼ばれる人間は、オイラの前に座ると、静かに集中して不思議な力を使おうとしていた。
すると、頭の中に声が響いてきた。
《私はルヴィと言います。一緒にいる彼はランスと言います。あなたのお名前を教えていただけますか?》
突然のことで、オイラはびっくりしてしまった。けれど、落ち着いて答えることにした。
《オイラはギーヴ。ここにいるグレートウルフの王であり、偉大なる母イヴァの子だ。》
《ギーヴ、君の母は見た目以上に重い傷を負っている。完全に治るには、一ノ月の色が二度変わるほどの時が必要だろう。
その間、私たちが面倒を見るが...ギーヴ君はどうする?》
《オイラは、母にここで暮らすように言われた。母の言葉は絶対だ。でも、オイラは本当にここで暮らせるのか?》
《ギーヴ君は、私たちと同じ人間のようだ。もし君がここで暮らしたいのなら、私たちは歓迎しよう。それに、人間の言葉を学んでみないか?》
《母にも、人間の言葉を覚えろと言われた。教えてくれるなら、オイラは学びたい。》
《では、私が君に教えましょう。...まずは、食事にしましょう。私たちと一緒に食べる?それともこちらで?》
《母と一緒に食べたい。食事は、生肉なら何でもいい。》
《わかりました。すぐに用意します。》
そう言って、ルヴィとランスは去っていった。
オイラは、今の話の内容を母に伝えた。
母は《よかった。》と優しく言ってくれた。
それから母は、こう続けた。
《近いうちに、群れへ戻り、私たちの状況をガルたちに伝えなさい》と。
長く行方不明になっていれば、きっとみんなも心配しているだろう。オイラは、それをルヴィに相談してみることにした。
やがて、食事が運ばれてきた。ルヴィとランスが持ってきてくれた。
ルヴィに話しかけようとすると、また頭の中に声が響いた。
《何か困ったことでもありましたか?》
《今日か明日、群れに戻って、オイラと母のことを伝えたい。この街から出ることはできるだろうか?》
《わかりました。では、明日の朝にしましょう。昨日災難にあった場所まで、私とランスが付き添います。》
ルヴィはあっさりと引き受けてくれた。
食事は、今まで見たこともないものばかりだった。
最初はためらったけれど、母に促されて食べてみると、どれもこれも味わったことのない美味しいものだった。
食事を終えて、のんびりしていると、ルヴィがまたやってきた。
そして、この屋敷に住むみんなを紹介してくれた。
アンフィと紹介された人物が、母の前に座り、ルヴィと同じようにしている。母と、何か話しているのだろうか?
母は楽しそうだった。母は、このアンフィという人を気に入ったのかもしれない。
長い間、母とアンフィは静かに語り合っていたようだった。
アンフィが去ったあと、母は教えてくれた。あの者は人間ではなく、エルフという種族なのだと。
エルフは、人間よりもはるかに長い時間、この世界に生きる存在だという。オイラには、よくわからなかった。
けれど、母がアンフィのことを気に入ったことだけは、オイラにもわかった。
翌日、ルヴィとランスに連れられ、街の外へ出た。
街の中は何かと騒がしかったけれど、森に入ると、その静けさに心が落ち着いた。
ルヴィとランスは、ここでオイラを待っていてくれるという。オイラは急いで、群れのいる場所へ向かった。
群れの集まっている場所に着くと、ガル、イギィ、ツィギィ、そしてギリィがオイラを待っていてくれた。
これまでの経緯をみんなに話すと、ガルが人間に捕まったわけではないのだなと、念を押すように確認してきた。
オイラは、捕まったのではなく、母の指示で自らついていったのだと、改めて説明した。
人間の話では、月が二度色を変えるまで、母の怪我は治らないらしい。
その間、オイラも人間の住処で暮らすことになった、と告げると、ギリィは納得いかない顔をした。
けれど、ガルが頷くと、不承不承ながらギリィも納得してくれた。
他の兄弟たちへの説明は、ガルがしてくれることになった。時々、街の近くで合図をするので、様子を聞かせてほしいとガルに頼まれた。
話がまとまると、オイラはその場をあとにし、急いでルヴィとランスの待つ街外れへと戻った。
母の元に戻ると、群れと兄弟たちの様子を伝えた。母は満足そうにうなずいてくれた。
その日から、オイラの人間の言葉の学習が始まった。
人間の言葉は複雑で難しかったけれど、ルヴィが丁寧に少しずつ教えてくれたおかげで、数日でみんなと簡単な会話ができるようになった。
それから、オイラが落雷のとき助けたかった大カラスの雛を、ルヴィが保護してくれていることも知った。
残念ながら、一羽は見つけたときにはもう命を落としていたらしい。けれど、二羽は元気に育っていて、ふわふわの体毛も生えそろっていた。
このことを知って、オイラはルヴィのことがますます好きになった。
ルヴィは、人間の言葉だけでなく、生活のこと、街のこと、島のこと、大陸のことまで教えてくれた。
オイラたちが暮らしているこの場所は、小さな島で、西にはもっと大きな大陸があるという。
オイラには、まだよくわからなかった。
けれど、ルヴィは、いつか他の街や大陸にも連れて行く、と言ってくれた。
この話を母にすると、母は心から喜び、ルヴィに感謝するようにとオイラに言った。
時々、街の外からガルの遠吠えが聞こえてきた。返事をしようとすると、母に止められた。
人間たちは、グレートウルフを理解しようとせず、ただ恐れるだけの者も多いのだ。と母は言った。
だから、遠吠えが聞こえたときは、ルヴィやランスに街を案内してもらい、街外れの森でガルたちと落ち合った。ガルとは互いに近況を伝え合った。
とくにガルが心配しているのは、オイラの健康と、母の怪我のことだった。
人間たちと暮らしていると、グレートウルフとは違うことがたくさんあると気づいた。
この住処は『屋敷』と呼ばれるらしい。
前足ではなく腕と手、雄雌ではなく男女と呼ぶ。二足歩行も、人間たちの自然な歩き方を学んだ。
そして、毎朝ランスを中心に戦闘訓練が行われていることを知った。オイラも、次の日から訓練に参加することになった。
人間たちは器用な手で武器というものを持って戦う。ランスはオイラに、動きの邪魔にならないよう小さな剣を二つ持たせてくれた。
訓練では木でできた剣を使い、本当に戦わねばならない時だけ本物の剣を使うのだという。
ランスは、とんでもなく強かった。
オイラは兄弟たちの中では落ちこぼれだったけれど、最近ではイギィやツィギィ、ギリィたちとは互角に戦えるようになっていた。
少しは強くなったと思っていた。
けれど、ランスが剣を構えた瞬間、オイラはまるで何もできなかった。
いろいろな方法で襲いかかってみても、簡単に交わされ、そして木の剣で叩かれてしまう。
「これが本物の剣だったら、ギーヴは死んでいますよ。」
ランスには、何度もそう言われた。
ガルとランス、どちらが強いのだろうか...そんなことを、オイラはつい考えてしまった。
母は、たびたびアンフィと話をしているようだった。
母は、アンフィから聞いた人間たちの習慣を、オイラにも教えてくれた。
そんなある日、ルヴィとランスが母のもとにやってきた。
母の怪我した左後ろ脚に取り付けてあった木の添え木を、外すのだという。
ランスは丁寧に添え木を外してから、オイラに言った。
「まだ完全に治ったわけではないから、無理をさせないように。母上に伝えてくれ。」
「分かった。」
オイラはしっかりと答えた。すると今度は、ルヴィが「二人とも、ついてきてください。」と声をかけてきた。
案内されるまま、オイラと母はルヴィの後についていった。
すると、ルヴィは言った。
この屋敷に住む者として、オイラと母のために部屋を用意してくれたのだという。けれど、オイラにはその部屋の使い方がまったく分からなかった。
「使い方は少しずつ教えます。この部屋で生活してください。」
ルヴィは優しくそう言ってくれた。
人間の生活を覚えていくこと――
オイラには、それがとても楽しく思えてきていた。




