イヴァとギーヴ
昨夜は、黄色い月が昇り、あたり一面、本格的な秋の気配に包まれていた。
今日は朝から曇り空で、恐らく雨になるだろうと思う。
朝の修練を終えると、わたしたちは屋敷のお風呂で汗を流し、それぞれの部屋へ戻った。
わたしは自室で髪をとかしていた。
わたしの髪をお姉様が、お姉様の髪をわたしがとかす、そんな時間が、いつもの習慣になっている。時々、レナの部屋に行って、レナとも髪をとかし合うこともある。
ルヴィたちもお風呂を使えばいいのに、男の子たちは皆、外で水浴びをしていた。
そろそろ、外での水浴びはつらい季節になってきたのではないだろうか。
わたしは、剣の修練と魔法の学習で忙しい日々を送っている。
ハウルのお父様に作っていただいた細身の剣は、とても使いやすい。けれど、思い通りに使いこなせるようになるには、まだまだ修練が必要だと感じている。
組み打ちでは、ルヴィやハウルに相手をしてもらう。ソニアやお姉様では、力の差がありすぎて修練にならない。
レナに至っては、まだ初心者の域を出ていない。
ランスの指導はとてもわかりやすく、わたしの動きの悪いところを余すところなく指摘してくれる。
その無駄な動きが自分でもわかるのに、体が思うように動いてくれないのがもどかしい。
ランスには「毎日一つずつ意識して直していけばいい。」と言われている。
でもわたしは、ついつい欲張ってあれもこれも直そうとしてしまい、結局どれもうまくいかないことが多い。
「今日は雨になりそうですから、早めに買い物に行きましょう。」
お姉様に声をかけられ、わたしはルヴィとハウルを誘って買い物に出かけた。
買い物を終えた帰り道、ポツポツと雨が降り出した。
急いで屋敷に戻り、買ってきたものを整理していると、玄関が、大きな音を立てて開いた。
雨の中、道具屋に行っていたソニアが帰ってきて、玄関で慌ただしく騒いでいた。
「みんな!街の外、祝福の森の外れにグレートウルフがいるんだって!雷で倒れた木に挟まれて、動けなくなってるみたい!」
「道具屋さんで聞いてきたの?」
レナが尋ねると、ソニアは頷きながら続けた。
「うん。雨の中、雷の被害を確認しに行った人たちが見つけたんだって...。」
「グレートウルフとなると危険が伴いますね。簡単に助け出すわけにもいかないでしょうし、私たちも協力しに行きましょうか。」
ランスが言うと、ルヴィもすぐに頷いた。
「そうですね。何かお手伝いできることがあるかもしれません。急いで向かいましょう。」
そう言うなり、ルヴィとランスとソニアは玄関から飛び出していった。
わたしもハウルと一緒に後を追った。
ランスはエクリプスに乗り、ソニアを抱え上げる。ルヴィはリッキにまたがり、わたしとハウルはライズに乗って通りへと駆け出した。
祝福の森に近い北西と北東には、それぞれ小さな門がある。
ランスはソニアの指示に従って、エクリプスを北東の門へと走らせていた。わたしたちもその後を追う。
門を抜けると、すぐに森が広がっていた。遠くに、森の木々が燃えている場所が見えた。
わたしたちはそちらへ向かう。
火のまわりでは、大人たちが数人、遠巻きに様子をうかがっていた。わたしたちは馬を降り、慎重に近づいた。
「あそこに誰かいる...でも...人間だよね?」
ソニアが指さした。
ここからでは、倒木のあたりに何かが動いている程度にしか見えなかったけれど、目の良いソニアにははっきり見えたのだろう。
ただ、ソニアには少し天然なところがあるから、きっと何かと見間違えているに違いない。
雨は小雨になっていて、これから落雷の心配はなさそうだった。
ランスとルヴィが、倒木のほうへと歩き出す。
すると、周りにいた大人たちから声がかかった。
「危ないから、下がってなさい!」
けれど、ルヴィは落ち着いた声で答えた。
「私たちにも、お手伝いできることがあると思います。危ないと判断したら、すぐに下がりますので、どうか少しだけ手伝わせてください。」
大人たちは顔を見合わせ、「無理はするなよ。」と言って、わたしたちを送り出してくれた。
倒木に近づくと、確かに誰かが倒木を押しているのが見えた。そのとき、押していた人影がこちらを鋭く睨んできた。
咄嗟に、ルヴィが大きな声で話しかけた。
「私たちは手伝いに来たのです!グレートウルフを助けたいのです!どうか、手伝わせてください!」
すると、人影は低く唸り出した。
人間ではないのかもしれない。
ランスが数歩前に出る。その姿に、人影の唸り声はぴたりと止まった。
「もう大丈夫でしょう。グレートウルフを助け出しましょう。」
ランスがそう言うと、ルヴィとハウルは倒木に向かって歩き出し、わたしとソニアもそれに続いた。
近づいてみると、人影は少年だった。体には毛皮を巻き付けている。言葉は通じない。遠い国から来たのだろうか。
グレートウルフの後ろ脚が、倒れた木に挟まっていた。
その体はとても大きく、熊よりも大きいように見える。
「魔法で倒木を持ち上げます。その間に、後ろ脚を引っ張り出してください。」
ルヴィがそう指示すると、倒木が魔法で少しずつ浮き始めた。
その隙に、ハウルが力いっぱいグレートウルフの足を引き出す。
足が抜けたのを確認して、ルヴィは倒木をゆっくり元の場所に戻した。
けれど、グレートウルフの後ろ脚は、不自然な角度に曲がっていた。きっと骨が折れているのだろう。
「みんな、グレートウルフの体を押さえてくれないか?足の骨を戻したい。」
ランスの声に、わたしたちはすぐにグレートウルフの体を押さえた。
少年はまた唸り声をあげていたけれど、ランスの圧におされて、手も足も出せずにいるだけだった。
ランスはグレートウルフの後ろ脚を持ち上げ、慎重に引っ張りながら、元の形に戻した。
それから倒木を切り出して添え木を作り、骨折した脚に添え、ツタでしっかりと縛り上げた。
今度はルヴィが、骨折した足に魔法をかけている。
「完治させることはできませんが、痛みを和らげて、回復を促すくらいはできます。これで、自然に治るのを待ちましょう。
ただ、完治するまでここに置いておくわけにもいきませんし...私たちの屋敷で保護しましょうか。この少年のことも気になりますからね。」
「わたしたち、食べられたりしないかしら?」
冗談まじりにそう言うと、ハウルが真面目な顔で返してきた。
「グレートウルフは賢い種族だから、むやみに人を襲ったりしないよ。リルは口が悪いから分からないけど。」
「なによ、それって口の悪い人は食べられるってこと?そもそも、言葉が通じるのかしら?」
「賢い種族だって言ったでしょ。ハハハハハ!」
そんな軽口を叩き合っていると、ルヴィが何かに気づいたのか、別の倒木の根元に歩いていった。
「こちらにも保護が必要なものがいました。...鳥の雛ですが、なんの雛でしょうね?」
「まあ、雨もだいぶ落ち着いてきましたし、今のうちに帰りましょうか。」
わたしたちは近くにいた大人たちに、屋敷へ連れて帰ることの了解を取りつけると、みんなで帰途についた。
グレートウルフは、大人しく骨折した脚をかばいながらついてくる。その後ろを、毛皮をまとった謎の少年が、とぼとぼとついてきた。
屋敷に戻ると、まずグレートウルフと少年をお風呂に入れ、冷えた体を温めてやった。
それからタオルで丁寧に拭き、客間に布団を敷いて休ませた。二人はすぐに横になり、静かに眠りについた。
翌朝。
いつものように朝の修練を終え、わたしはお姉様と一緒に朝食の用意をしていた。そこへルヴィが、自室から降りてきた。
昨日、ルヴィとランスが連れてきたグレートウルフと少年。少年はまだ唸るだけで、人間の言葉を話さない。
「ルヴィ、あの大きな狼さんと小さな子、何を食べるのかしら?生肉なら少しはあるけど、量はそんなにないわよ。」
わたしが尋ねると、ルヴィは少し考えてから答えた。
「ランスが降りてきたら、試したいことがあるんです。上手くいけば、言葉が通じるかもしれません。」
「ルヴィでも、狼さんは怖いのね。」
「リル!」
わたしがつい余計なことを口にしてしまうと、すぐにお姉様にたしなめられる。
けれど、わたしはそれを余計なことだとは思っていない。聞かなければ分からないことだって、きっとたくさんあるのだ。たぶん、問題なのは言い方なのだろう。
でも...それを直そうとは、あまり思っていない。
「怖いですよ。グレートウルフを見るのも初めてですし。...ランスが平気でいられることの方が不思議なくらいです。」
「試したいというのは、どのような方法なのですか?」
お姉様が問いかけると、ルヴィは少しだけ胸を張った。
「念話という魔法を試してみようと思うのです。
知能の高い動物とは、魔法で会話できるのですよ...と言っても彼は人間ですから、恐らく問題なく会話ができるはずです。」
「やっぱりルヴィって、動物と話せるんだ。」
「いえ、今まで試みたことはありませんから、うまくできるかどうかは...。」
「でも、リッキやライズとは話してたじゃない。」
「リッキたちは、念話を使わなくても、意志が自然に伝わるんです。」
そんな話をしていると、ランスとハウル、ソニア、それにレナも自室から降りてきた。アンフィは、いつものように食事の準備ができるまで部屋から出てこない。
「ランス、あの二人と話ができるか試してみたいんです。一緒に来てもらえますか?」
「ルヴィ一人だと怖いんですって。」
「流石のルヴィでも二対一では分が悪いですからね、わかりました。一緒に行きましょう。」
ランスはそう言って、ルヴィと一緒にグレートウルフと少年が休む客間へ向かっていった。
「ルヴィにも怖いものがあるのかな?」
「さっき、狼さんのこと怖いって言ってたわよ。」
「それは、リルが余計なことを言ったから、話を合わせただけじゃないかな?」
「余計なことって、なによ、ハウル!」
「ははは、朝からリルとハウルは元気だね。僕もグレートウルフは怖いけど、あのきれいな毛並みには触ってみたいな。」
「ソニアは勇気があるな。」
「ルヴィが仲良くなったら、あの狼さん、わたしのこと乗せてくれないかしら?」
そんなふうにおしゃべりしながら手を動かしていたけれど、気づけばわたしの手は止まっていた。
アデルお姉様の声が飛ぶ。
「リル、手が動いていないわよ。ソニアもハウルも、手伝ってくださると嬉しいのですけれど...。」
「アデル、ごめんなさい!僕、何をすればいいかな?」
「ソニアとハウルは、テーブルをきれいにしてもらえますか?」
そうしているうちに、ルヴィとランスが戻ってきた。
「二人とも、生肉でいいそうです。ただ、客間で食べたいと言っているのですが...アデル、準備できますか?」
「もちろん大丈夫ですよ。でも生肉だけじゃ寂しいでしょうから、私たちの朝食と同じものも一緒にお出ししましょうか?」
「そうですね。アデルにお任せします。私とランスで運びますから。」
「ちゃんと会話できたのね。狼さんは、なんて言ってたのかしら?」
「残念ながら、会話ができたのは少年のほうだけです。彼の名前はギーヴと言うそうです。狼さんは彼の母で、名前はイヴァだそうです。」
「へぇ、不思議な家族ね。ルヴィが拾った二羽の雛も、狼さんのお子さんだったりして。」
「リル、また手が止まっていますよ。」
お姉様にまた叱られてしまった。
その間に、ルヴィとランスは料理をキッチンワゴンに載せ、客間へと運んでいった。
入れ替わりに、アンフィが自室から降りてきた。
「少し早かったかの。まあ、客人が優先じゃから、仕方ないのう。」
「アンフィは、あのグレートウルフが怖くないの?」
ハウルが尋ねると、アンフィはあっさりと答えた。
「グレートウルフは賢いからの。ここでわらわを襲えば、その後どうなるか、きちんと考えられる生き物じゃ。
むしろ、警戒すべきはあの少年よ。何をしでかすかわからぬからな。」
「アンフィは、ルヴィより冷静に物事を判断できるのかな?」
「ハウルよ、わらわが何年生きておると思っておるのじゃ?ルヴィは、あの若さであれだけ冷静な判断ができるのは、見事なものじゃよ。」
そんな話をしていると、ルヴィとランスが客間から戻ってきた。
朝食を食べ終えると、ルヴィが皆をギーヴとイヴァに紹介したいと言ったので、わたしたちはそろって客間へ向かうことにした。
客間では、ルヴィが無言で集中していた。
どうやら、ギーヴかイヴァと魔法で話をしているらしい。その静けさが、かえって空気を張りつめさせていた。
やがてルヴィが顔を上げて、みんなに向かって言った。
「皆さん、ありがとうございます。」
そして、静かに引き揚げようとしたが、アンフィだけがその場に残った。
イヴァと真正面から向き合い、無言のままじっと見つめ合っている。どうやら、アンフィも魔法でイヴァと話をしているようだった。




