おいらは山犬なのだ
オイラは山犬である。名前はまだない。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗い木陰で泣いていた事だけは記憶している。
オイラはここで始めて山犬というものを見た。
しかもあとで聞くとそれはグレートウルフという山犬の中で最も高貴な種族であったそうだ。
このグレートウルフというのは森の生物の頂点に立ち他の動物を捕つかまえて食うという話である。
しかしその当時は何も考えていなかったからから別段恐しいとも思わなかった。
ただ彼女の口にくわえられスーと持ち上げられた時、何だかフワフワした心地よい感じがあったばかりである。
くわえられたままグレートウルフの巣の運ばれた、そこには一、二、三、四頭の小さなグレートウルフが眠っていた。
薄暗い巣の中で少し落ちついてグレートウルフの顔を見たのがいわゆるグレートウルフというものの見始みはじめであろう。
この時、水面に移るオイラの姿を妙なものだと思った感じが今でも残っている。
第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるして、手足は短い、こんな手足で狩りができるのだろうか?
その後、グレートウルフの兄たちと育ったがこんなちんちくりんには出くわした事がない。
のみならず顔の真中があまりに突起している。
そしてその穴の中から時々ぷうぷうと風船を膨らますと兄たちに聞いた。
時々オイラをここに連れてきたグレートウルフがオイラを背中に乗せて走り回る。
兄たちは遅れてもついてくるのだが、オイラはいつも遅れてしまう、そこで背中に乗せられるようになった。
あるとき、オイラをここに連れてきたグレートウルフが母親というものだと分かった。
そして母親の背中に乗せられ森の中を奔りついたのが、今までのところとまるで異なる開けた場所だった。
そこは無暗に明るい。眼を明いていられないくらいだ。
はてな何でも容子がおかしいと、母親の背中から這い降りる、転げ落ちてしまい非常に痛い。
母は大きな岩の上に立っていたのだ。
オイラは、ようやくの思いで岩場から這い出すと草原の向こうに大きな池がある。
そして岩場の周りには無数のグレートウルフが集まっていたのだ。
オイラは岩の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見た。別にこれという分別も出ない。
しばらくして、泣いたら母親がまた背中に乗せてくれるかと考え付いた。
ワー、ワーと試みにやって見たが周りのグレートウルフがグァルルルルと威嚇してきた。
そのうち草原をさらさらと風が渡って日が暮れかかる。
腹が非常に減って来た。
泣きたくても声が出ない。
仕方がない、池のところまで這って行って水でも飲もうと決心をしてそろりそろりと池へと進み始めた。
すると途中で母親にくわえられ元居た岩のところはまで連れて戻されてしまった。
しかしそこには、沢山の果実や獣の肉がオイラの体よりはるかに高く、積まれていた。
その中から果実を取り出し吸いつき始めた。
オイラは兄たちと違い歯が短い、その上鋭くないので肉などは母が柔らかくしたものしか食べられない。
そんなオイラを母は愛してくれる、兄たちより劣ったオイラを見捨てるでもなく手助けしてくれる。
腹いっぱい果実を食べると母が、今日ここへ来た理由を教えてくれた。
今ここにいるグレートウルフの群れはすべて母が率いているのだそうだ。
その群れのリーダーである母はイヴァと呼ばれていた。イヴァの息子として名前を付けてくれるというのだ。
兄や姉にはすでに名前があった。
兄は上からイギィとギリィとガル、姉のツィギィ。
この群れの集まりで、オイラの名前はギーヴと決まった。
母も兄も姉も、群れの誰よりも祝福してくれた。
それから、どれほどの季節を過ごしただろう。
兄や姉は母の様に強くたくましく育った。しかしオイラはちんちくちんのまま、体は少し大きくなったが、体毛も牙もない。
兄たちは自ら得物を捕まえてくるが、オイラは得物を捕まえたことが一度もない。
走ってもジャンプしても兄たちに追い付かない。
それでも母は暖かく見守ってくれた。
しかし、兄たちのオイラを見る目は、変わってきていた。
イギィとツィギィは母と同様に温かく見守ってくれているのだが、ギリィはオイラを見る眼が厳しい。嫌われているのだろうか?
ガルは、オイラを見守るのではなく対等に扱い本気で戦ってくれる。
いつしかガルと一緒にいることが多くなった。
オイラが初めて得物を仕留めた時もガルと一緒だった。
ガルは大きな得物を捕まえていたが、オイラは比較にならないほど小さな得物だった。
しかしガルは、オイラの初めての獲物を喜んでくれた。
ある日、母は捕らえた熊の肉を食べた後、熊の皮を起用にそぎ取りオイラの体に巻き付けてくれた。
体毛のないオイラは寒い季節が来ると動けなくなる、そのことを気に駆けてくれていたのだろう。
それからオイラは熊の毛皮を身にまとい生活するようになった。
ほどなくイギィとツィギィそしてギリィは母の群れの中から妻や夫を娶り、家族で生活するようになった。
ガルは相変わらずでオイラと一緒にいてくれた。
ツィギィの子が生まれたとき、オイラは心から祝福をした。その後、イギィの妻も子を産んだ、ツィギィの時の様に祝福をした。
しかし、ギリィはオイラを家族に近づけようとしない。
母にはオイラたち以外にもたくさんの子供がいて、そのほとんどが群れを率いている。
イギィやツィギィそれにギリィもいずれ群れを率いるのだろうか?
この森には多くのグレートウルフの群れが住んでいると母は言った。そして、その群れの全てが、母に従っている。
オイラ達が生活しているここは、豊かな森なのだと母が教えてくれた。
今まで食べるものに困ったことは無い。
木々が、様々な動物がこの森の恩恵に与っている。
しかし母は、オイラにいずれこの森を離れ、行かなければならないところがあるといつも言っている。
オイラには分からないことだが、オイラは、母と兄や姉たちと今の様に暮らしていければそれでいいと思っている。
森が騒がしい。暑い日々が過ぎ、過ごしやすくなった頃のことだった。
この頃、ガルが母から群れの長を継いだ。ガルは長になることを証明しなければならないと言っていた。
オイラは母に連れられて森の外れに出た。
母はこれから行く場所を、私たちの知らない世界だ、しかし私も一緒に行くのだから怖がることは無い...と言ってくれた。
母はオイラを背に乗せると風のような速さで走り出した。
しばらくすると長い崖が続く場所に出た。崖の高さは高くないが、森から草原に向けてずーっと続いている。
母がアレは崖ではなく城壁で、城壁の中に人間が暮らす街があるのだと教えてくれた。
街の中にはオイラ達グレートウルフよりはるかに多くの人間たちが住んでいると言われた、しかしオイラにはその数が想像つかない。
それから母はオイラを連れて三日に一度は街を見に行くようになった。
その日は曇天で少し肌寒い日だった、いつもの様に母と人間の街を見に行き、城壁を遠くから見ながら歩いていると、雨が降ってきた。
母と二人、森に入り雨を凌いでいたのだが、雨のやむ気配はなく、ますますひどくなっていった。
遠くで雷の音が聞こえる、オイラは雷が苦手だ。突然光ったと思うと耳をつんざくような轟音がとどろき、一瞬天地が逆さまになったような感覚になる。
以前、近くの木に雷が落ちたことがある、目もくらむような光と同時に轟音が鳴ったと思ったら、目の前の木は裂け真っ赤な炎に包まれていた。
その抗いようのない巨大な力に恐怖した。母は恐怖を抱くことは悪いことではないと言った。
抗えない巨大な力があることを知り、抗うのではなくその力を知り共存していくことが大事なのだと教えてくれた。
それから恐ろしいものは身近にたくさんあることを知った。
今、こうして母と雨を避け木陰で休んでいるが、雨も長く身をさらすと体力を削られる。
この木陰を作っている木でさえも倒れてくるところにぶつかると死んでしまうかもしれない。
しかし、そのさまざまな事象を知り対処していくことで恐怖を克服できる。理解を示さず恐れていることが最も愚かなことだと母は言った。
雨が激しくなり雷鳴も少しづつこちらに近づいてくる。
近くの洞穴を探そうかと考えたが、母はそこを動かなかった。
すると、目の前の木に大きな鳥が飛んできた。大カラスだろう。目の前の木に巣があるようだ。母はそれを気にしていたのだろうか?
雨はますます激しくなる、大カラスが空に舞ったように見えた...次の瞬間、世界が真っ白になり轟音がとどろいた。
我に返ると目の前の木が裂けている。炎は上がってないが木の裂けめがくすぶっている。
地面に目を移すと大きな鳥の巣らしきものが、裂けた木の近くに転がっている。母は状態を低くし注意深く当たりの気配を探っている。
オイラは雨の中に飛び出し鳥の巣に近寄った、巣の中には三羽の雛がいた、しかし一羽はぐったりとしている。
大カラスの親鳥は雷が巣に当たらない様、自らを犠牲にするため舞い上がったのだろうか?
オイラは大きな巣の端をくわえ、引っ張って雨の当たらない木陰に巣を非難させた。オイラにはこれ以上どうすることも出来ない。
巣に残された雛を見守っていると脇に衝撃を感じた、見ると母がオイラを弾き飛ばしたのだ、何故と考えた瞬間、また世界が真っ白になり轟音がとどろいた。
地面にたたきつけられた衝撃で我に返り、母を見ると、母の後ろ脚が倒木に挟まれている。
オイラは母の元に駆け寄り挟まれた母の後ろ脚を引き出そうと懸命に引っ張った。母の後ろ脚に乗っている木を押してもビクともしない。
母は、一人で逃げろと言ったがオイラにはできない。オイラのために母は今この木に挟まれているのだ。
冷静に周りを見る。二度目の落雷で火の手が上がっている。しかし、この付近には湿った木しかない。燃え広がることは恐らくない。
しかし、がむしゃらに母の後ろ脚にのしかかった木を押すことしかオイラにはできなかった。
雨が小降りになってきた。
人間たちがやってくる。
母がそう言った。




