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名もない冒険の物語  作者: 白雉
第三章
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エラムウィンド

エルベ川は穏やかに流れ、その水面には、澄んだ空の青さが映り込んでいる。

右手にその川を見ながら、街道を進む一行。

馬車の御者台にはルヴィとソニアが並んで座り、その横を、アズールに跨ったランスが、エクリプスの手綱を引いて並走していた。


アルヴィアの街を出てから四日目の夕刻。日が西の空へとゆっくり沈みかけるころ、ようやくエラムウィンドの街がその姿を現した。


夕日に照らされた高い石造りの城壁が黄金色に輝き、その美しさに誰もが思わず息を呑む。

街の門をくぐると、すぐに賑やかな市場の喧騒が耳に届いた。

露店がずらりと並び、人々の笑い声や、商人たちの活気ある声が、夕暮れの空気に溶け込むように響いていた


街に一歩足を踏み入れると、いくつもの香りが風に乗って漂ってくる。

香ばしく焼き上げられたパンの匂いに、香辛料がふんだんに使われた料理の刺激的な香り、そして熟れた果物の甘い香りが混ざり合い、歩くだけでこの街の賑わいが肌で感じられる。

その豊かな香りの層の中に、ふと鼻をかすめるのは、焼けた鉄のわずかに乾いた匂い...鍛冶の街としての顔が、静かに自己主張していた。


「ここがエラムウィンドか...。」

馬を降りたランスが、感慨深げに呟いた。


「ここまで、ソニアやランスが加わったり、いろいろなことがありましたわね。」

アデルが、隣で楽しそうにリルの髪を指で梳きながら、優しく言う。


「でも、エラムウィンドに着いたんだから、これからもっと楽しいことがいっぱい待ってるよ!」

リルは無邪気な笑顔で、瞳を輝かせながら応えた。


一行は、母さんから託された紹介状を手に、街の商会へと向かうことになった。


商会の近くに馬車を停めると、オレとリル、それにソニアの三人が馬車を降り、建物へと向かった。

ルヴィとアデル、ランスの三人は、馬たちの世話を買って出てくれた。


重厚な扉をくぐって商会の中へ入ると、受付の女性に訪問の目的と母さんから預かった手紙を差し出す。女性は一礼し、それを受け取ると奥へと消えていった。

代わりに案内されたのは、整った椅子が並ぶ待合室。「しばらくこちらでお待ちください」そう言われて、オレたちは腰を下ろした。


しばらくして、奥へと姿を消していた受付の女性が戻ってきた。柔らかな笑みを浮かべながら、丁寧な口調で言う。


「お連れの方はお二人ですか? 皆さま、そろって奥へご案内するようにとのことです。」


オレはうなずいて答えた。


「馬車のところに三人います。呼んできても大丈夫ですか?」

「ええ、どうぞ。こちらでお待ちしております。」


その返事を聞いて外に向かおうとすると、リルがさっと前に出てオレを制した。


「わたしが呼んでくる。ハウルとソニアはここで待ってて。」

そう言うと、リルは軽やかに駆け出し、外へと向かった。


やがて、ルヴィ、アデル、ランスの三人が戻ってくると、受付の女性に揃ったことを告げると、全員で奥へと案内された。

通されたのは商館の奥深くにある広々とした部屋だった。

壁には重厚な木製の装飾が施され、高価そうな調度品が整然と置かれている。柔らかな絨毯が床を覆い、静かながらも格式の高さを感じさせる空間だ。


女性に促され、左右に並ぶソファへ三人ずつ分かれて腰を下ろす。まもなく扉の向こうから扉をたたく音が聞こえた。


「失礼いたします。」


扉が開き、落ち着いた身なりの男性が二人、静かに部屋へと入ってきた。二人は扉の内側に並んで立ち、オレたちに向かって丁寧に一礼する。

それを見て、オレたちも自然と立ち上がり、彼らの言葉に耳を傾けた。


「はじめまして。私はドルムント商会の代表を務めております、フレデリック・ドルムントと申します。

 こちらにおりますのは、前代表で私の父、ジャン=ロレンツォ・ドルムントです。ハウルくんのお母さま、レベッカは私の姉にあたります。」


フレデリックはにこやかに語りかけながら、手元の手紙に視線を落とした。


「姉の手紙には『何も話していない』と書かれていましたので、自己紹介をさせていただきました。

 手紙によれば、甥のハウル、ルードヴィヒくん、アデルさん、アヴリルさんの四人と書かれていましたが...二人増えているようですね?」


突然の問いに、オレは何と答えたら良いか分からず口を開けたまま固まってしまった。

そんなオレを見て、ルヴィが代わりに一歩前へ出て、落ち着いた声で返してくれる。


「ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。私がルードヴィヒです。ルヴィとお呼びください。こちらがハウル、そして姉妹のアデルとアヴリルです。」

そう言ってルヴィは続ける。

「手紙に記されていなかった二人は、旅の途中で出会い、それぞれの事情により同行することとなった仲間です。こちらがソニア、そちらがランスです。」


紹介を促され、ソニアがやや緊張した様子で一歩前に出た。

「ぼ、僕はクレス村から...えっと、一緒に旅をしています。ど、どうぞよろしくお願いします。」


続いて、ランスが静かに一礼しながら話し始めた。


「私はアルヴィアの街より同行しております、ランスロット・シュヴァルツ・イセリオンと申します。ランスとお呼びください。

 少し込み入った事情があり、ご迷惑をおかけすることがあるかもしれません。

 もしご都合が悪ければ、遠慮なく仰ってください。私は外で待つことも構いませんので。」


すると、ロレンツォが柔らかく口を開いた。

「ランスくん、それには及びません。どのような事情があれ、孫の友人を追い返すような無粋な真似はいたしません。安心なさってください。」


その言葉にランスが頭を下げようとしたとき、ロレンツォはふと表情を引き締めた。

「ところで、イセリオン...ということは、イセリオン伯爵家のご縁者ということでしょうか?

 もし差し支えなければ、事情をお話しいただければ幸いです。この街での滞在が問題にならぬよう、私どもでできる限り取り計らいます。」


ランスが静かに頷き、簡潔に事情を説明すると、ロレンツォは一瞬目を見開き、次いで深くうなずいた。

「なるほど...イセリオン伯爵のご子息でいらっしゃいましたか。これは大変失礼をいたしました。

 しかしそのような経緯であれば、街中で名を名乗るのは控えた方が賢明でしょう。もちろん、私たちの口から漏れることは一切ありません。」


彼は重々しく言い添えた。

「そして、もし街で何か問題が起こりましたら、近くのドルムント商会を訪ねてください。対処できるよう、事前に通達を出しておきます。」


その言葉に、ランスだけでなく、オレたち全員が安堵の息をついた。


その話に驚いたランスは、ふと疑問を口にした。

「失礼な物言いになるかもしれませんが...出会って間もない私に、なぜそこまで親身になってくださるのですか?」


ロレンツォは、穏やかな笑みを浮かべて答えた。

「私の娘...レベッカには、不思議な力がありましてね。あの子は今まで一度たりとも、誤ったことを言ったことがないのです。私は今もそれを信じています。

 その娘の手紙に、『ルードヴィヒくんの行動に間違いはない』と書かれていたのです。...おわかりいただけますでしょうか?」


その言葉に、今度はルヴィが目を見開いた。

手紙の内容に驚いたハウルは、思わず声に出してしまう。

「母さんの手紙に...そのようなことが書かれていたのですか...」


そこへ、フレデリックが静かに口を開いた。

「ハウル、君のことも、お兄さんや妹さんのことも、姉からの手紙には詳しく書かれていました。

 君のお父さん...デニスも、今も変わらず良い仕事をしているようですね。あとで、その品を見せていただけますか?」


「父さんのこともご存知なんですね...よかった。品物...はい、馬車に積んであります。見てください。」


すると、フレデリックは少し寂しげな表情を浮かべて言った。

「実は、君のお父さんには...ずっと申し訳ないと思っていることがあるのです。」


「父さんと、何かあったんですか?」


オレの問いに、フレデリックはうなずきながら、柔らかく言った。

「座って話しましょう。...少し、長くなるかもしれません。」


彼の手がソファを勧める仕草を見せると、皆は静かに席についた。

これまで、ヴァレノ村こそが自分たち家族のすべてだと思っていた。

だが今、遠く離れたこのエラムウィンドの街に、知らなかった家族のつながりが存在していたことに、オレは静かな衝撃を受けていた。


父さんは元々、孤児として工房で育てられたと聞いていた。だが、母さんの家族については、これまで何も話されたことがなかった。

母さんがこの街の出身であり、父さんもまたこの街の工房で育ったのなら、今から語られる話はきっと二人にまつわる過去なのだろう。


ロレンツォとフレデリックも、それぞれ席に腰を下ろすと、フレデリックが静かに口を開いた。


「今から十八年ほど前になるでしょうか、その頃、このエラムウィンドの街で起きたことを、お話しさせていただきましょう。」



◇◇◇



十八年前、エラムウィンドの街は大きな転換期を迎えていた。

領主が変わったことで、街の様相は一変した。人口は急激に増え、鉄工房が並ぶ静かな町並みは、あっという間に賑やかな都市へと変貌していった。


しかし、その急成長には影が伴った。

特に深刻だったのが、鉄製品の不足だった。新たに流入してきた多くの住民たちは、生活に不可欠な道具を必要としていたのだ。


そこで、街の主要な商会は、急増する鉄製品の需要に応えるべく、製品の量産化へと舵を切る決断を下した。

この方針は多くの商人たちに支持され、街全体が効率と供給を重視した大量生産の方向へと進んでいった。


元々、この地方では良質な鉄鉱石が豊富に採れ、工房同士が技と誇りをかけてしのぎを削っていた。

王国の中でも、エラムウィンドの鉄製品は一目置かれる存在になりつつあった。


そんな中、二年前、新たに領主となったフィオレッラ・フォン・クラウジウス伯爵は、三十歳という若さながらも仁政を旨とし、民の信頼を着実に集めていった。

エラムウィンドにおいても、職人たちがその技を十分に発揮できるよう、労働環境の整備や制度の見直しといった多様な施策が実施された。

これらの取り組みは広く領民に支持され、街の人口は三年のうちにおよそ八倍にまで膨れ上がることとなっていた。


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