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名もない冒険の物語  作者: 白雉
第二章
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都落ち

バイエルン子爵に伴われ、私は王宮の南門へとたどり着いた。

高く聳える城壁の中央にあるその門は、王宮でも最も格式高い門のひとつで、普段は決して開かれることのない厳かな扉だった。


門の左手には近衛兵の詰所があり、王宮への出入りは必ずそこを通ることになっている。

私たちは詰所を抜け、そのまま外の世界へと歩みを進めた。視界の先、王都を南へ貫く大通りが真っ直ぐに延びていた。


「すまない、私はここで見送ることしかできない。」

背後から、バイエルン子爵の柔らかな声が届いた。


「何から何まで、本当にお世話になりました。ありがとうございました。ここから、私の新しい日々が始まるのですね。」


「私が君の歳で同じ境遇に立たされていたら、きっと、こんな風には歩き出せなかったと思う。君は頼もしいな。」


「いえ、そんなことは...正直、これからどうしていいのか、途方に暮れそうです。」


「強がらなくてもいい。君の瞳を見ればわかるよ。...私はこれから陛下のもとに戻り、君の旅立ちの様子をお伝えしなければならない。

 君はなるべく早く王都を離れた方がいい。ダルムシュタット伯爵が、どんな報復を考えているか、予想がつかないからね。」


「はい。これで...失礼します。このご恩はいつか必ず、お返しします。それまで、どうかお元気で。」


「ありがとう。君の旅の無事を心から祈っているよ。では。」


子爵は静かに一礼すると、ゆっくりと王宮の中へと戻っていった。


まず、ニルウッド公爵邸に寄って、父に旅立ちの事情を話しておこう。

私は南の大通りを避け、東へ延びる道を選んで歩き始めた。しばらく進むと、広大な敷地を有するニルウッド公爵邸が見えてくる。

外から見る限り、まさかこの屋敷に星が堕ちたとは到底思えない。建物の正面は整然としており、いつもの静けさを保っているようにも見えた。


通りに面した正門に近づくと、門番が二人、厳めしい面持ちで立っていた。声をかけて名乗り、来訪の目的を告げると、丁重に頷いて門を開いてくれた。

やがて邸内から一人の女性が現れる。


「私は、ニルウッド公爵家の使用人、アイシャと申します。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ。」


アイシャに従って中庭へ出ると、先ほどまでの整然とした外観とは打って変わって、そこには星の落下による爪痕が残されていた。

瓦礫が無残に散らばり、倒壊した柱の名残が辺りに点在している。その中で、黙々と後始末の指揮を執っている父の姿があった。


アイシャに一礼し、私は父のもとへと足を向けた。

父もすぐに私に気づき、足を止めてこちらへと歩み寄ってくる。そして私たちは、中庭の片隅で立ち話をすることになった。


父の話によれば、ダルムシュタット伯爵は頑なな保守派であり、革新派の思想はもちろん、王国の些細な変革すらも受け入れようとしない人物だという。

そのうえ、伯爵は多くの子息の中でもアダムをひときわ溺愛していたらしい。

たとえアダムが決闘を望み、その中で命を落としたとしても、伯爵にとっては逆恨みするに足る理由となるだろう。

それは私個人にとどまらず、我が家、そしてクラウス公爵にまでその矛先が向けられる可能性がある、と懸念していた。


しかも、ダルムシュタット家は王国の国務卿や財務卿など、代々国政の中枢を担ってきた名家でもあり、北西のミストウッド半島を領有している。

その広さは王国全土の一割を超え、王家が単独で保有する領土の実に三倍に相当するのだという。


今後、この内戦はより複雑に、そして長期化するだろう...それが父の予測だった。

私は、クラウス公爵をはじめ、バイエルン子爵や国王陛下から受けた恩義、さらにカルヴァン伯爵夫人の言葉や、その後カルヴァン伯爵が王宮に入ったことなど、一つひとつを報告した。

父は終始冷静に耳を傾けていた。そして、ニルウッド邸の復旧が一段落した後には、自ら王宮に出向き、武官のひとりとして今後の対応に加わるつもりだと語った。


「それにしても、先に自邸に戻らずここに来たのは賢明だったな。恐らく我が家は既に見張られているだろう。

 何もしてやれず、すまないが、このまま王都を離れ、しばらく遠方に身を隠すのがよかろう。イゾルデには、落ち着いたら手紙を送ってやってくれ。」


私は背に携えたミスリルの剣を抜き取り、鞘ごと父に差し出した。

「この剣を、お祖父様にお返しください。」


「それは父上が、お前に託した剣だ。持って行け。お祖父様だと思って、大切に使うのだぞ。」


そのとき、邸内の者が足早にやってきて父に耳打ちをした。話が終わると、父は私に視線を戻して言った。


「ダルムシュタット伯爵家の人間が、ここにも集まり始めたようだ。裏口から出ると良い。

 今後どうなるかは分からぬが、お前はイセリオン家の男ということを、決して忘れるな。では、行け。」


父の言葉に送り出されると、アイシャが再び姿を現し、「こちらです」と小声で案内してくれた。

通されたのは、使用人用と思しき小さな門だった。門の外では見張り役らしき者が周囲の様子をうかがっていたが、やがてこちらに頷いて言った。

「今のうちです。急いで。」


私はアイシャと見張り役に短く礼を述べ、静かに路地裏へと足を踏み出した。


路地をいくつも曲がる、やがて広めの通りに出た。この道は見覚えがある、貴族街の外へと続く道だ。

そのまま南門を目指して歩き出す。貴族街を抜けた途端、通りは人でごった返していた。

だが、今の私にはむしろ好都合だ。人混みに紛れれば、追跡の目からも逃れやすい。


人の波を縫うように進み、南門の前にたどり着いたとき、視線の隅に、門の左隅で立っているひとりの女性の姿が入った。

深くフードを被り、その面影は分からなかったが、なぜか引き寄せられるように、私は彼女の隣に並んだ。


「ランス、成長しましたね。このまま別れたくありませんでしたので、ここで待っておりました。」


耳に沁みる声...母だった。


「母上...申し訳ありません。この不幸者を、どうかお許しください。私は急ぎ、ここを離れなければなりません。」


「謝ることなど、何もありません。私にとっては、あなたがこうして立っていてくれるだけで、誇りなのです。

 去っていくことは、もちろん悲しいですが...あなたが、イセリオン家や王家の鎖を抜け、大きく飛躍する時を得たのだと、私は信じています。」


「しかし...どうして、私がここに来ると?」


「私はあなたの母ですよ。ほんの少しですが、これを持って行きなさい。」


そう言って母は、フード付きの上着と短剣、そしてタッシェ付きのベルトを手渡してくれた。

その仕草には、静かな決意と、深い愛情が込められていた。


「どうか、体には気をつけるのですよ。」


「母上...王都を出る前にお会いできて、私は幸せ者です。母上も、どうかご壮健でありますように。」


別れの言葉を告げて、私は振り返ることなく南門を抜けた。



南門を越え、母から受け取ったフード付きのローブを羽織り、ベルトを締める。

タッシェが、思った以上にずっしりと重い。その重みに、母の想いが込められている気がした。


門を抜けても、建物は途切れることなく立ち並んでいた。中には立派な石造りの屋敷も見える。だが、その背後に広がる空気は、王都の内側とはどこか違っていた。


ここには、王都の民になれなかった者たちや、正式な商売の権利を持たない者たちが集まり、王都に出入りする者を相手に生計を立てているのだ。

王都の中で商売を行うには、五大商会のいずれかに多額の報酬を支払い、権利を買わねばならない。

そして、王都の戸籍を得るためにも、相応の納税義務があると聞いた。


しかし、生まれながらに貴族である者や、古くからの都民は、その義務とは無縁だ。

王都にはまだ人の住んでいない区画がいくつもあるにもかかわらず、都民たちは自らの地位を守ろうと、外から来る者たちを遠ざける。


私は、そんなことさえ、知らずに生きてきた。それが甘さというものなのだろう。生きるために必死になることもなく、ただ守られてきた日々。

けれど、レオンたちと出会い、そして今日の出来事でようやく気付いた...自分がどれほど無知だったか。どれほど狭い世界に閉じこもっていたかを。


王都の外へと続く道。家並みが少しずつ途切れ、やがて畑が広がる。そこにまっすぐ一本、街道が伸びている。


私は一度、大きく伸びをした。首を左右に回しながら、深く息を吸い込む。

さて。これから、どこへ向かおうか。


来年になれば、ヘリオドールはエルミオン大森林にあるエルフの王国へ戻るはずだ。だが、それまでにはまだ一年近い時間がある。


ふと思い出し、母から受け取ったタッシェの中を確かめると、中には三つの小さな巾着袋が入っていた。


一つ目には白金貨五枚と金貨十枚。二つ目には銀貨が二十枚。そして三つ目には銅貨が二十枚、どれも丁寧に分けられていた。

母上らしい気配りに、思わず口元が緩んだ。


少し、気持ちが軽くなる。


せっかく自由の身となった今、海を見に行ってみたい。

王都の西を流れるエルベ川を下って行けば、いつか海へ辿り着けるはずだ。川は王都の南で向きを西に変える。まずは南へ向かい、川を渡ってから西を目指そう。


南に延びる街道を歩いていると、やがて右前方に森が見えてきた。王都の西側に広がる広大な森、レオンたちと共にレイスと戦った、あの湖もこの中にある。



右に森を見ながら歩いていると、不意に気配を感じた。敵意はない。だが、確かにこちらを見ている気配がある。

森の気配に意識を向けながら歩を進めていたその瞬間、空気が一変した。気配が殺気へと変わったのだ。


同時に、右前方と右後方から数十本の矢が飛んでくる。どれも胸より下を狙っていた。

命を奪う意図はない。生け捕りにするつもりだ。矢は私の間合いを計算し尽くしたかのように、美しく配置されていた。


だが、飛んで避けたら相手の思う壺だ。


私は迷わずミスリルの剣を抜き、迫る矢を叩き落とすと、すぐさま街道を南へ向かって駆け出した。

二の矢が飛んでくるが、先ほどより精度が甘い。必要な矢だけを弾き落としながら前進を続ける。


三の矢が来るより早く、私は右手の森へと飛び込んだ。


木々の間には、弓を構える兵たちの姿があった。私は即座に三人を斬り伏せると、そのまま森の奥へ走り、一本の木の影に身を潜める。


息を潜めながら茂み越しに様子を伺う。見えるだけで十三名。先ほど倒した三人を合わせて十六名...北側にも同じくらいの兵が配されていると見て間違いない。


森の中には、剣や弓を携えた十三名の兵が私を探し回っていた。さらに街道を駆けてくる足音、北側の部隊か、あるいは予備の兵か。

この森で三十名近い兵士と正面から戦うのは無謀すぎる。


木陰から木陰へ、気配を消しながら南西へと静かに移動する。追っ手との距離を確実に取り、深く入り込みすぎないよう注意する。

兵たちの焦りが伝わってくる。動きが粗く、気配に棘がある。私はそこからさらに距離を取り、一気に方向を転じて北へ、王都の方角へ戻り始めた。


森の縁まで出ると、気配は感じない。街道の様子を窺い、警戒を強めながら東へと身体を滑らせていく。

岩陰を伝い、慎重に進むと、やがて開けた視界の先にエルベ川があった。


この辺りは流れが緩やかだが、川幅が広く、とても泳いで渡れる距離ではない。私は川沿いに王都側へ歩を進めながら、渡河の手段を探った。


記憶を辿る。王都の南西、川沿いに小さな漁村があったはずだ。そこで舟が手に入るかもしれない。


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