王都の決闘
謁見の間を出たところで、先ほどグローブを拾うのを止めようとしてくれた武官が歩み寄ってきた。
「私は、カール=ロベルト・フォン・バイエルン子爵です。先年、陛下の御即位に反対し、反乱を起こした王族の末裔にございます。
不肖の身ながら、今回の御決闘に際し、宰相閣下のご許可をいただき、立会人を務めさせていただくこととなりました。」
「よろしくお願いします。」
私はそう短く答えた。が、そのすぐ後、アダムが不敵な笑みを浮かべながら口を開く。
「この小僧を殺したら、次はお前に決闘を申し込む。...よく見ておくことだな。」
空は先ほどと変わらず澄み渡り、どこまでも晴れ上がっていた。星が落ちる気配は、もうどこにもない。
王宮を出た先の広場で空を仰いでいると、アダムの声が響いた。
「ここでいいだろう。」
私が視線をアダムに落とし、次にバイエルン子爵へと移すと、二人の顔には揺るぎない覚悟が宿っていた。
アダムは腰の剣を抜き放つ。私も静かに鞘から剣を引き抜いて軽く構えた。
バイエルン子爵が一歩前に出て、落ち着いた声で言う。
「どうぞ。」
決闘が始まった。
「アダム・ドロテア・ダルムシュタット。」
「ランスロット・シュヴァルツ・イセリオン。」
互いに名乗りを終えると、アダムが間合いを一気に詰めてくる。その勢いは獣のようだった。
まず、鋭く頭上から真下へ切り下げてくる。私は半歩右に身を捻って回避する。
すかさずアダムは右上へと切り上げてくる。私はさらに一歩下がって躱すが、切り上げの途中で軌道を変え、上半身へ突きが放たれた。
いずれも一撃必殺を狙ったものだが、振りが大きく、冷静に見れば見切れぬものではなかった。
突きを左へ捌きつつ前に出る。アダムの脇をすれ違いざま、右腹へと剣を薙いだ。
手応えはあった...が、革の厚い胴着に阻まれ、刃は肉まで届いていない。
位置が入れ替わると、アダムは振り向きざまに右から左へと剣を水平に振り抜いてきた。私は両手で柄を握り、左下から右上に弾き返す。
アダムの右半身が大きく開いた瞬間を逃さず、私は剣を左から右へ大きく薙ぎ払う。
今度は手応えがあり、血が滲んだ。だが致命傷ではなく、筋肉を浅く裂いたにすぎない。
アダムは振り抜いた剣をそのまま頭上に振り上げ、再び打ち下ろしてくる。私は剣の腹でそれを受け流しつつ、間合いを詰め剣の柄でアダムの鳩尾を突いた。
苦悶の表情を浮かべたアダムは一歩退き、蹲る。私はその首筋に剣を突きつけた。
「それで勝ったつもりか?キサマは戦士の決闘を甘く見ているようだな。」
アダムはそう吐き捨てると、地面に転がりながら体勢を立て直す。
そして低い構えから、全身を使って突進してきた。私は咄嗟に右へかわすが、アダムは地を蹴って進行方向を変え、肩からぶつかってくる。
私の左肩に衝撃が走り、体が宙に浮いて地面を転がった。立ち上がったときには、再びアダムが突進してきていた。
私は剣を左に構え、身をひねって右前へと飛び出し、アダムの左脇を狙って剣戟を叩き込む。
アダムも即座に反応し、体勢を低くして方向転換しながら再び体当たりを仕掛けてきた。
だが今度は、私の肩をかすめるだけに終わり、私の剣はしっかりとアダムの左脇腹を捉える。内臓までは届いていないが、分厚い筋肉を深く裂いた手応えがあった。
アダムは右足を軸に回転し、右から左へと横一文字に剣を振る。
私は素早くしゃがみ込み、アダムの振り抜く剣の柄の先に、自分の剣の切っ先を強く突き出した。
アダムの右腕が私の剣に引っかかり、回避できぬまま、その腕を自らの勢いで斬り裂いてしまった。手首から肘まで、深く鋭く切れ込んだ。
私の剣に軽い衝撃が走る。骨をかすめた感触だった。アダムの剣は手から離れ、空を舞って飛んでいった。
彼の右腕から血が激しく噴き出す。その傷では、右手で剣を握ることはもう不可能だろう。
それを見て、バイエルン子爵が制止の声を上げる。
「アダム殿、そこまでだろう。」
「貴様もわかっていないようだな。戦士の決闘が、終わったときに二つの命が残っていてはならんのだよ。」
そう言って、彼は左手で剣を拾い上げ、軽く試すように一振りする。
私はバイエルン子爵に視線をやる。彼は何かを悟ったように、静かに頷いた。その頷きに私も答えを返し、心を決める。
アダムに視線を移すと、彼は左手で剣を構え突進してきた。
もう、後には引けない。
変化を求めてこの決闘を受けたのだ。この程度の覚悟も持てずして、何を変えられるというのか。
アダムの言う通り、私は甘い。それならば、ここでその甘さに決着をつけよう。
アダムの剣先が私の身体を貫こうとする直前、私は右に跳び、すぐさま前に出ながら身をひねり、振り返る。
私の動きに視線が追いつかなかったのか、アダムは目で私の姿を探すように振り返った...その刹那、私の剣が彼の口元に吸い込まれる。
鋭く突き出した刃は頭蓋を貫き、後頭部から剣先が覗いた。
彼には何が起こったのか、考える間もなかっただろう。痛みすら感じる間もなく、彼の命は消えた。
私は剣をすばやく引き抜き、後方へ跳ぶ。次の瞬間、アダムの体が音もなく崩れ落ちた。
左肩が地面に当たると、ゆっくりとうつ伏せに転がる。その首は不自然な角度で右を向いていた。
バイエルン子爵が静かに近づき、アダムの首に手を添えて脈を確かめた。
「ランスロット君、君の勝ちだ。」
そう言って、彼は静かに勝ち名乗りを上げた。
王宮の下男たちが忙しく動き始める。アダムの死体を運び出し、決闘の場所を元の通りに直すのだろう。
私はバイエルン子爵に促され、再び王宮の謁見の間へと戻った。
陛下と宰相閣下、そして文官・武官の面々は、事の成り行きを静かに見守っていた。
バイエルン子爵が丁寧に経緯を報告する中、それぞれの顔には、複雑な思いが静かに浮かんでいた。
報告が終わると、クラウス公爵が静かに口を開いた。
「...こうなってしまっては、ランスロット君、しばらく身を潜めていた方が良いだろう。
正式な決闘の結果とはいえ、あのダルムシュタット伯爵が素直に納得するとは思えん。どのような手段であれ、君に危害を加えてくる可能性は否定できない。」
アダムの実家であるダルムシュタット伯爵家...その背後には、宰相閣下ですら配慮を必要とする何かがあるようだった。
私は、ここに来るまでに心の中で形にしていた思いを、思い切って口に出すことにした。
「宰相閣下、ご配慮に深く感謝いたします。ですが...アダム殿の言葉にもあった通り、私はまだ、この場にふさわしい者とは言えません。
私が世情に疎いことは、自分自身が一番よく理解しております。そして、私の行動が災いを呼ぶ可能性も...。
この決闘を経て、私は思いました。今のままでは、私の未熟さが、いずれ我が家にも災いをもたらすかもしれない。
ですから...私は、家名を捨てて、旅に出ようと考えています。」
「ランスロット君...君はそこまで考えたうえで、あの決闘を受けたのか?」
「いえ、決闘を受けたときには、まだそこまでの覚悟は持っていませんでした。ただ、自分の未熟さを変えるきっかけになれば、と思ったのです。
ですが、戦いを終え、私はようやく気づいたのです。自分を取り巻く環境に、あまりに多くの問題を残してしまったということに。
それら対する一つの答えとして、旅に出ようと思い至ったのです。」
クラウス公爵は、わずかに眉を下げながら言った。
「私は君の成長を見たいがために、かえって無用な枷を与えてしまったのかもしれないな...。」
「いいえ、宰相閣下のご厚意には、感謝してもしきれません。この道は、私の無知ゆえに選ぶものであり、閣下のお心遣いに背くつもりはありません。
ただ、どうか...。」
その時、謁見の間に大きな声が響いた。
「宰相殿、ランスロット、バイエルン卿...すまぬ。余の不徳が、すべての災いを招いた。
未来ある若き戦士がこの国を離れること、悔やんでも悔やみきれぬことだ。だが、それが其方の未来に繋がる道であるならば...余は受け入れよう。
いずれ、成長した姿を見せてくれ。
その時、余が其方に見合う王となれていたならば...友になってくれぬか。」
...王の言葉に、謁見の間が静寂に包まれた。
誰もが言葉を失い、まるで時間が止まったかのような空気が漂う。
その静寂を破ったのは、扉の音だった。
重く、威厳を帯びた扉がゆっくりと開かれた先に立っていたのは、カルヴァン伯爵と、その夫人だった。
「すまぬ、ランスロット。...宰相殿、ランスロットのことを、どうか宜しく頼む。」
陛下の言葉に、クラウス公爵は深々と一礼し、
「バイエルン卿、後のことをお願いできるだろうか?」
「承知いたしました、宰相閣下。」
そう応じたバイエルン子爵は、ゆっくりと私の方へと視線を向け、穏やかに声をかけてきた。
「では、ランスロット殿、参りましょう。」
私はバイエルン子爵に連れられ、武官の待機室と思われる部屋に入った。子爵の一言で、侍従たちがてきぱきと動き始める。
「ランスロット君、バッグは持っているかい?」
そう言われて、私はハッとする。身の回りのものを詰めたバッグは、クラウス公爵邸に置きっぱなしだった。いや、そもそも今も形を留めているだろうか?
「持っていません。...今日の昼前に、跡形もなくなってしまいました。」
「そうか。君はあの邸にいたのか。いやはや、今日は災難続きだったな。」
まさにその通りだ。警護対象の命は守れたが、屋敷は木っ端微塵。気がつけば決闘を申し込まれ、生まれて初めて、人の命を奪ってしまった。
なんて日だっ! と大声で叫んでしまっても、誰も咎めないのではないかと思えてくる。
「これなんかどうだろう?それと、これも持って行くといい。」
子爵はそう言って、机の上にバックパックと金貨を十八枚、並べてみせた。
「持って行くといっても、そんなもの受け取れません。」
「持って行ってもらわなければ、私が困る。これは陛下と宰相殿から託されたものだ。国王陛下からの下賜品と思って、ありがたく受け取ることだよ。」
「そう言われても...。」
「今日からは、イセリオン家も、幼年学校も君の面倒を見てはくれない。一人で生きていかなければならないのだ。」
「そう...ですね。わかりました。」
私はようやく納得し、両手でそれらを受け取った。すると、バイエルン子爵は今度は、奥から一振りの大きな剣を取り出してきた。
「このツヴァイヘンダーは、王家から独立し爵位を賜った際に、拝領したものなのだが、我が家に飾っておくより、君に使ってもらった方が剣も本望だろう。」
バイエルン子爵は、そっとその大剣に手を添えた。漆黒の鞘には、古風な意匠の刻印。どこか荘厳な気配をまとっている。
「今では滅多に目にすることもないアダマンタイトという鉱石で作られたと伝えられている。古のドワーフの名工が鍛えた一振りだ。」
「...そのような貴重な品を、私が頂くわけにはいきません。」
思わず口をついて出た言葉に、子爵は肩をすくめ、少し茶目っ気を交えた笑みを浮かべた。
「君が受け取ってくれたら、我が家が危急に陥ったときに助けに来てくれるだろう...そんな打算もあるんだけどね。」
「...。」
「まあ、冗談はともかくとして、この剣を振るえる者は、そう多くない。だから、私は君に託したいんだ。」
子爵は剣を軽く持ち上げると、真剣な眼差しで続けた。
「君がもう少し成長すれば、きっと見事に使いこなすことだろう。もし合わなければ、その時返してくれればいい。」
「...では、頂くのではなく、お預かりいたします。」
そう答えた私の手に、ツヴァイヘンダーの重みがずしりと伝わってくる。その重さには、剣そのものの質量だけではない、想いと責任が宿っていた。
その後もバイエルン子爵の采配で、着替えや食料、地図、護身用のナイフなど、次々とバックパックに詰め込まれていった。




