王都の再開
部屋の内装は、宰相の私邸とは思えぬほど簡素だった。貴族らしい華美な装飾や高価な置物は一切なく、磨き上げられた木製の家具が静かに佇んでいるのみである。
「ランスロット君、どうぞこちらへ。...さきほど、ヴァンドレル殿と互角に渡り合っていたと聞いたよ。」
クラウス公爵は穏やかな口調でそう言い、左側のソファを手で示した。私は一礼して腰を下ろし、言葉を返した。
「過分なお言葉です。あれは、ヴァンドレル殿が手加減してくださった結果にすぎません。」
「ふむ、君がそう言うならそうなのだろう。...だが、見ていた者たちの話はまた別のようだよ。」
公爵は目を細めて微笑んだあと、右隣の二人へと視線を移した。
「さて、こちらのお二人はご存じだね?」
「もちろんです。お久しぶりです、クリスタ、スピネル。ですが、公爵様、どうして二人がここに?」
私が問い返すと、公爵は懐かしむように頷いた。
「スピネル君の父君、イリュミラス殿とは、古い友人でね。今回の騒動を耳にし、二人が助力に来てくれたというわけだ。
ちょうど、用件を伺おうと思っていたところだ。ランスロット君も一緒に聞いていってくれ。」
「そういうことでしたら、ご一緒させて頂きます。」
公爵が頷き、視線をスピネルとクリスタへ向ける。
「ではスピネル君、クリスタさん。早速、用向きを聞かせていただこうか。」
スピネルが姿勢を正し、静かに口を開いた。
「公爵閣下、お心遣いありがとうございます。
私たちがこちらへ参った理由ですが、父・イリュミラスより、クリスタと共に閣下の警護に当たるよう命じられております。」
それを聞いたクラウス公爵は、わずかに眉を動かしながら、低く呟いた。
「そうか...しかしイリュミラスも、息子たちを寄こすとは随分と白状になったものだな。」
軽く愚痴をこぼしつつも、そこには古い友への親しみが滲んでいた。
スピネルは続ける。
「父は、公爵閣下の邸の警備をランスロット殿が任されると聞き、私たちを派遣するのが最も自然で信頼できる形と判断したようです。
あわせて、伝言を預かっております。」
スピネルの表情が少し引き締まる。
「『今回の件は、そう簡単に収束するものではない。王都を起点に、王国全体を巻き込むような内乱へと発展する可能性がある。』と父は、そう申しておりました。
閣下におかれても、万全の備えをお願いしたいと。」
言葉を聞き終えたクラウス公爵は、静かに右手を顎に当て、しばし黙考した後、小さく息をついた。
「...あのイリュミラスが、そこまで言い切るとは。何か決定的な兆候でも掴んでいるのか。」
「まだ確証には至っていないそうです。ただ、王都近郊に集まる魔力の流れが不自然であることは、私自身も感じています。
普段ではあり得ない数の魔法使いが、王都近郊に集まっているようです。」
スピネルの言葉に、公爵はさらに深く眉をひそめた。
「マキシミリアンたちに、スクルドと深く通じた者がいるとも思えん。ましてや、ヴィレンドルフ殿が戦乱を望んでいるとも思えない。
...やはり、別の勢力が絡んでいるということか。」
マキシミリアンとは、公爵の弟であるカルヴァン伯爵のことである。
そしてヴィレンドルフとは、公爵と伯爵の叔父であり、王国の改革案を提唱した開明派の中心人物...カルツァクライン子爵の名で知られる人物である。
しかし、内乱などという事態は尋常ではない。カルツァクライン子爵はもちろん、カルヴァン伯爵でさえ、そこまでの事態を望んでいるとは考えにくい。
やはり、公爵の言うように、第三の勢力が何らかの意図をもって暗躍している可能性が高いのだろう。
「公爵閣下、父に伝令を走らせてもよろしいでしょうか?」
私の申し出に、公爵はすぐに頷いたが、言葉には慎重さが滲んでいた。
「うむ、しかし君の家が動けば目立つ。こちらからぺリノア殿とヴィルヘルム殿に伝令を送ろう。
...君の勇姿を見たくて無理を言った私の我が儘が、かえって君を渦中に引き入れてしまった。本当にすまない。」
クラウス公爵は深々と頭を下げた。隣にいたクリスタとスピネルも、思わず目を見開いていた。
「公爵様、どうか頭をお上げください。まだ何が起きたわけでもありません。むしろ、こうして備えの機会を与えていただけたことに、感謝しております。」
「...そうだな。今は、目の前の務めを果たすとしよう。私はこれより王宮へ向かい、陛下と話をしてくる。
ヴィルヘルム殿は既に出立しているだろうが、何事もなければ途中で引き返すことも可能だ。今日すぐに事が起こるとも思えん。
君たちはこの邸でゆっくり過ごしてくれ。」
「公爵様のお心遣いに感謝いたします。」
そう言って私が一礼すると、公爵は静かに席を立ち、部屋を後にした。
部屋に静けさが戻ると、私は二人の顔を見て問いかけた。
「サファイヤやヘリオドールたちはどうしてるんだい?」
問いに応えたのはクリスタだった。
「みんな、ランスに会いたがってたわ。でも、サファイヤやシンディは貴族だからね。
ヘリオドールも、あれでもエルミオン大森林の要人よ。こんなとこに顔を出したら、大問題になっちゃうわよ。」
「...それも、そうですね。でも、こうして二人が来てくれて、本当に心強いよ。」
「私たちも驚いたわよ。師匠に『お前たち二人で行け』って言われた時は...でも、ランスが指揮してるって聞いて安心したの。」
そのやり取りに思わず頬が緩む。だが、スピネルはすぐに話題を変えてきた。
「ところで、ランスの隊には、かなりの実力者がいるようだね。あのマナの揺らぎは、久々に驚かされたよ。後で紹介してもらえないかな?」
「クラウディアのことだね。うん、今から会いに行こうか。ちょうどいい機会だし、他の隊の仲間たちも紹介したい。」
私はそう言って立ち上がると、クリスタとスピネルを伴い、部屋を後にした。
クラウディアを見つけて、スピネルとクリスタを紹介すると、彼女は柔らかな笑みを浮かべて応じた。
「クリスタさん、スピネルさん、初めまして。お二人のお噂はかねがね伺っておりますわ。ランスロット様を支え、見事なご活躍だったとか。」
思いがけない言葉に、スピネルとクリスタが目を丸くする。そして...私が一番、驚いた。
「そ、そのような話が...どうしてクラウディアさんがご存じなのですか?」
問いかけた私に、クラウディアはくすっと笑って答えた。
「知らないのは、きっとランスロット様だけですわね。イセリオン家の方々、皆さん御前試合を観戦に行っておられましたもの。
エイレンなど、自分の仕事を誰かに押し付けてまで出かけて行ったとか。そしてヴァンドレルは、まるで自分の英雄譚のように皆に話していますもの。」
私は、言葉を失った。
そこへマルセルがヴァンドレルとエイレンを伴って姿を現した。三人をクリスタとスピネルに紹介すると、クリスタはクスクスと笑っていた。
「な、何かおかしいかな?」とヴァンドレルが不思議そうな顔をして問いかけてきたが、私はただ黙って肩をすくめるしかなかった。
◇◇◇
それから二日が静かに過ぎた。
そろそろ、ニルウッド公爵の軍がクロムウェル子爵軍と接触する時期だ。王都で何かが起きるとすれば、今日か、遅くとも明日。
隊の誰もがそれを感じ取っているのだろう。今朝は皆の表情に、張り詰めたような緊張の色が浮かんでいた。
昼にはまだ早い時刻、クリスタとスピネルが険しい表情で私のもとへ駆け寄ってきた。私は頷くだけで、即座に周囲の兵に指示を飛ばした。
「公爵邸の周囲にいる住民を、すぐに避難させろ。」
それからクラウス公爵の居場所を確認し、急ぎ足で向かう。公爵はこちらの顔を見るなり、何も言わず使用人たちに避難の準備を命じていた。
公爵を伴って邸宅を出ると、私たちの隊はすでに予定の配置についており、緊張した面持ちで状況を見守っている。
私は隊の中から五名を選び、邸内の最終確認にあたらせた。
その矢先、斥候からの報告が届く、王都の南にて火の手が上がったという。陽動だ。
地図を思い浮かべながら、王都の構造を頭の中で再確認する。
王都は南北に長い楕円形のような形をしており、全体が堅牢な城壁で囲まれている。東西南北にそれぞれ巨大な門が設けられている。
南門と北門の傍には王国騎士団の詰め所があり、東門近くには王立魔法学校、西門近くには王立幼年学校がある。
王宮は王都のほぼ中央にあり、その周囲には高位貴族の屋敷が輪を描くように並んでいる。
この貴族街もまた独立した城壁で囲まれており、複数の小門によって出入りが可能だ。
その堅固さは守備のためというよりも、庶民との隔絶を象徴する壁でもあった。
王宮自体も城壁で囲まれてはいるが、高さは成人二人分ほどで、それほど高いものではない。
王宮の主門は南側に一つ。他にはごく限られた貴族たちのための専用門がいくつかあるに過ぎない。
内部の守りは近衛騎士団が固めているため、王宮自体の安全はまだ保たれているだろう。
だが、問題は別にある...今回は外敵ではなく、貴族同士の争いだ。敵がすでにこの貴族街のどこかの邸宅に潜み、機を伺っている可能性があるのだ。
北門へと続く通りがざわめき始めた。
私はすぐに斥候のマイルズ、アビゲイル、ブエノを北へ送り出し、同時にマルコ、ボンガ、クリスタブス、ウンベルト、ブリスキー、モモプ、ミリ、ブラッド、モーティ...三組の斥候を南・西・東の大通りへと走らせた。
ほどなくしてアビゲイルが駆け戻ってきた。
「北の通りから、庶民たちが大勢こちらに向かっています!」
報告を終えると、アビゲイルは再び北へ引き返していった。おそらくマイルズとブエノの援護に回るのだろう。彼女らしい判断だった。
それから少しして、マイルズが戻り、息を整えながら告げた。
「庶民たちは、『今日から内戦が始まるので、宰相邸とニルウッド邸に避難するように』と、街区の区長から指示されたそうです。」
もちろん、そんな指示は出していない。おそらくカルヴァン伯爵派の区長が庶民を煽動しているのだろう。
「彼らには王立魔法学校へ向かうよう誘導を頼む。混乱を最小限に抑えてくれ。」
次に戻ってきたのは西の大通りを見に行っていたモモプだった。顔色は緊張で強ばっている。
「庶民が西から押し寄せています。ですが、その群衆の中に何者かが紛れています。ウンベルトが魔法で負傷し、ブリスキー殿が彼を支えて戻ってきています!」
報告を聞きクラウディアに目を向け、声をかけた。
「クラウディアさん、西は頼めますか?」
「承知しました。五名ほど同行させてください。住民を幼年学校へ案内しつつ、防衛にあたります。」
彼女は即座に判断し、的確に必要な人員を伝えてくる。
「五名はあなたに任せます。くれぐれも気をつけて。」
クラウディアは笑みを浮かべ、部隊から五名を呼び出すと、颯爽と西の通りへ駆けていった。
その直後、南の大通りへ向かっていたボンガが戻ってきた。
「庶民が集まってきています。」
「ヴァンドレルさん南の誘導を。群衆は幼年学校へ案内してください。」
さらに、エイレンには東に向かった三名の斥候と共に、こちらに向かってきているであろう庶民たちを王立魔法学校に誘導するよう依頼する。
そのときだった。空が、一瞬、まばゆく光ったように感じた。
「星が堕ちてくる。」
スピネルの静かな声が、ざわつく空気を切り裂いた。




