時代のうねり
王国内にくすぶっていた火種は、実は数十年前から存在していた。その発端は、先々代国王の六男、ヴィレンドルフ王子に遡る。
先代国王が即位した当時、まだ九歳だったヴィレンドルフ王子には、カルツァクライン家の名跡と共に伯爵の爵位が与えられる予定だった。
しかし、若き王子はその申し出を断ったのである。
王族であり、しかも、神童とまで称された少年が爵位を拒否することに、周囲は大いに困惑した。
王をはじめ、側近や重臣たちはこぞって説得を試み、最終的に彼は子爵の爵位と北方の小さな街の領主という立場を受け入れることとなった。
それからというもの、カルツァクライン子爵は王都から離れ、領地に深く根を下ろしていく。
庶民との距離を縮め、貧しい土地の現実と向き合いながら、彼は知略を尽くして領地の経済を活性化させた。
長い歳月を経て、彼の街は今や王国第二の人口を擁する大都市に成長している。
三十年ほど前、カルツァクライン子爵は大胆な提言を行った。奴隷制度の撤廃と、貴族への相続税導入である。
当然のことながら、多くの保守的な貴族たちはこの案に強く反発した。だが一方で、前王と一部の開明派貴族たちはこれを高く評価し、支持を表明した。
長きにわたる王国の歴史のなかで、貴族の多くはすでに実務能力を失い、領地経営が成り立たなくなっている例が目立っていた。
中には民衆の反乱が勃発し、それを武力で鎮圧せざるを得ない事態もあった。
王国の財政は、長年にわたって貴族に領地を割譲してきたこともあり、決して健全とは言えない状況だった。
そんな中、カルツァクライン子爵の提案は思いがけず広く賞賛を受け、特に庶民や若い貴族層の間で注目を集めた。
とはいえ、先代国王が実行に移したのは貴族への相続税徴収のみで、奴隷制度の撤廃には踏み切らなかった。そしてその相続税も、結局は失敗に終わった。
以来、この話題は王宮内で語られることすら避けられるようになっていた。
だが、水面下では変革を求める声が確かに息づいていた。カルツァクライン子爵を中心とする開明派の貴族たちは、改革に向けた準備を静かに進めていたのである。
そして、今年の年初、カルヴァン伯爵が、自らの叔父でもあるカルツァクライン子爵の改革案を支持し、新たに即位した現国王に対して、その案を正式に提示したのだった。
この王国内で進行しつつある改革の動きを、いち早く私たちの耳に届けてくれたのは、レオンだった。
彼の実家であるシュミット子爵家は、カルツァクライン子爵家と縁戚関係にあり、いわゆる開明派に属する家系だ。
年初のある日、レオンはいつものように落ち着いた表情で、この国の変化の兆しを私に語ってくれた。
話によれば、宰相クラウス公爵は保守派に分類されているものの、弟のカルヴァン伯爵に対して激しい敵対心を抱いているわけではないという。
むしろ、国の未来を思えばこそ、現実的で穏やかな改革を模索しており、今回の提案に対しても前向きに検討しているとのことだった。
だが、問題を複雑にしているのは、当のカルヴァン伯爵自身の姿勢である。
彼はクラウス公爵を過去の遺物の象徴として位置づけ、あからさまに批判の矛先を向けていた。
クラウス公爵を支える勢力、ニルウッド公爵家、そして私の実家であるイセリオン公爵家も、保守派に属している。
そんな私に、レオンは包み隠さずすべてを語ってくれた。
それは、たとえ将来的に私たちが政治的に異なる立場に立たされることがあったとしても、この友情だけは揺るがせたくないという、彼なりの誠意だったのだろう。
私もまた、心からそうありたいと感じた。レオンとはどんな立場にあっても、真っ直ぐに語り合える関係でいたいと...。
レオンの話はさらに続く。
今回の改革案について、発案者であるカルツァクライン子爵とクラウス公爵の考え方はほぼ一致している。
しかし、カルヴァン伯爵の嫉妬心が、この問題を複雑化させる要因になっているという。
開明派のなかにもいくつかの立場があり、カルヴァン伯爵は急進的な立場を取っている一方、叔父であるカルツァクライン子爵は穏やかな改革を志向する穏健派だとされている。
また、アイヴァンの実家であるツィンマーマン公爵家は、急進派であるカルヴァン伯爵を支持している。
対照的に、アルフレッドの養父であるバルトルディ男爵は穏健派のカルツァクライン子爵に近い立場にある。
カルヴァン伯爵が保守派のクラウス公爵を名指しで糾弾したことにより、改革に反発する貴族たちは自然とクラウス公爵の陣営へと結集していった。
カルツァクライン子爵もクラウス公爵も、無用な混乱を避けようと努め、周囲の貴族たちには自制を促していたが...そんな矢先、事件が起きる。
王都にある開明派、ブラウン男爵の邸宅が、保守派に属するターキュロン男爵の私兵によって焼き討ちされたのだ。
当主のマルコビッチ・ブラウン男爵は自領にいたため無事だったが、邸に残っていた使用人ら二十余名が死傷するという惨事となった。
この暴挙にいち早く反応したのがカルヴァン伯爵である。
彼は急進派に属するルグラン・クロムウェル子爵に命じ、ターキュロン男爵邸への報復攻撃を即座に実行させた。
クロムウェル子爵は王国屈指の戦士として名を馳せる女性であり、彼女の部隊は邸宅を瞬く間に制圧した。
男爵自身は取り巻きだけを連れて逃げ出しており、残された使用人たちは彼女によって保護された。
クロムウェル子爵はこの卑劣な逃亡を強く非難し、開明派の理念の正当性を改めて訴えた上で、カルヴァン伯爵の許可を得て追撃を開始する。
その勢いは凄まじく、ターキュロン男爵が籠るタキュロンドの街を短期間で陥落させ、さらに隣接するロコアウラの街へと侵攻した。
だが、このロコアウラは保守派の要、ニルウッド公爵の領地であったため、保守派の貴族たちは即座に奪還作戦を立案し始める。
こうして、長く燻っていた王国の対立はついに決壊し、内戦という名の現実となって姿を現した。
その夜、ランスとレオンは夕暮れの空を見上げながら、共にため息をついていた。
その一言に、隣にいた仲間たちが次々と集まり、静かに、しかし真剣な表情でこれからのことを語り合い始めたのだった。
レオンは、かねてより語っていたとおり、自身の家が開明派に属していることを改めて明かした。
ロザーナ、ヴォルカノス、ラチェット、アークトゥルス、レオニス、ペトルセフ、キファイの家は保守派に連なり、ポルックスとカストルの兄弟は開明派。
アイヴァンとレオヴィルもまた開明派に属しており、魔法学校のサファイアとシンディも同様であった。
仲間たちの立場が次第に明らかになる中、レオンが静かに言葉を口にした。
「私たちはまだ、幼年学校の生徒に過ぎない。戦場に立つことは無いかもしれない。
だが、内戦がこのまま長引けば、いずれは立場の違いが敵味方に分かれる日を招くだろう。
しかし、この戦いには本質的な意味がない。無意味な争いで、大切な命が失われることのないよう、どうか心に留めてほしい。」
レオンの言葉に、アイヴァンがやや鋭い口調で問い返した。
「意味がないとは、どういうことなのか?」
レオンは少し頷くと、静かに説明を続けた。
「確かに言葉が足りませんでした。今回の改革案、国王陛下も、そしてクラウス公爵も基本的に賛成の立場にあります。
論点は、改革をどのように進めるかという手順にあったのです。だが、カルヴァン伯爵は兄であるクラウス公爵に対抗心を燃やし、彼の立場を誤解して糾弾した。
その結果、保守派に失望した者たちがカルヴァン伯に従い、一方で、真意を理解していた者たちがクラウス公爵に集った。
つまり、今回の内戦は『誤解』と『感情』によって火が付いたにすぎないのです。」
レオンは周囲を見回し、一人ひとりの顔に視線を送る。
「もちろん、カルヴァン伯爵が意図的に、形骸化した貴族の淘汰を狙っている可能性はあります。
しかし、これからの時代を作る私たちは、ここで倒れるべきではないということです。」
アイヴァンは静かに頷くと、少し意外な提案を口にした。
「それならいっそ、我々が代表となって、保守派や開明派の対立を学校に持ち込まないよう、学長に直訴してみないか。」
その言葉に、場にいた全員が迷いなく頷いた。保守派と開明派に属する十四名の生徒たちが一つにまとまり、共に学長室を訪れることとなった。
コーデリア学長はその訪問を快く迎え、皆の話に耳を傾けると、柔らかく微笑んで言った。
「あなた方が自ら答えを導き、この部屋まで来てくださったこと、私はとても誇りに思います。すぐに全校生徒に通達を出しましょう。」
学長の快諾により、学校内では政治的な対立を避けるための新たな取り組みが始まった。日々の生活は再び穏やかな、学生らしい時間を取り戻していった。
しかし、私には、その平穏な日々が許されないようだった。父からすぐに家に戻るようにという連絡がきたのだ。
私は皆にしばしの別れを告げ、学長や教官たちへも挨拶を済ませた。部屋で荷物をまとめていると、レオンがいつの間にか背後に立っていた。
「すぐ戻るさ」と言って荷物を背負おうとしたそのとき、レオンが小さく、しかしはっきりと声をかけてくれた。
「ランス...大人たちの都合に振り回されるな。無事に帰ってくるのを、楽しみに待っているよ。」
校門へと歩いていくと、そこにはロザーナが立っていた。
「ロザーナ、ちょっと行ってくるよ。晩ごはんまでには帰ってくるから。」
冗談めかして言うと、ロザーナは泣き出しそうな顔で私を強く抱きしめてきた。
「...気をつけてね。レオンたちと一緒に、とびっきり美味しい晩ごはん、用意して待ってるから。」
無理に笑みを作りながらも、その瞳は揺れていた。
自宅に戻ると、門の中でオブストが待っていた。父が書斎にいると告げられ、荷物を預けてすぐに向かう。
数年ぶりに立つ書斎の前で「ランスロットです。」と声をかけると、「入れ。」中から父の声が返ってきた。
書斎には、父のほかに祖父もいた。ソファに腰掛け、静かにこちらを見ている。
「お久しぶりです、お祖父様、父上。」
返礼もそこそこに、父が本題を切り出した。
「ランスロット、クロムウェル子爵の件は知っているな。」
「はい、知っております。」
ニルウッド公爵が領有するロコアウラの街をクロムウェル子爵が制圧した。
奪還のため、ニルウッド公爵が自ら二万の軍勢を率いて出陣し、我が家からは五千を祖父が率いて従軍するという。
「二万五千の軍勢ですか、随分と大規模なのですね。」
祖父が口を開く。
「わしらは『呼び水』じゃ。これだけの兵が動けば、王都で開明派の跳ねっかえりどもが騒ぎ出す。保守派も開明派も、戦がしたいだけの馬鹿貴族ばかりじゃ。」
「私はどちらの派閥にも所属した覚えはありません。王国と王都の平安を守るのが職責と思っています。」
父はそう答えた。
「お堅い奴だ。」
そして、父が本題を告げる。
「ランスロット、お前には王都の治安維持にあたってもらう。我が家の兵三百を率い、クラウス公爵邸の警護に就け。」
祖父が苦笑しながら言う。
「これでは、我々は保守派だと主張しているようなものだがな。クラウス殿に警護を申し出たら、『是非ランスロットにお願いしたい』と言われてしまってな。」
レオンの言っていた『大人の道具になるな』という忠告が、現実味を帯びてくる。
「明日、郊外の別邸で部隊を編成し、クラウス公爵邸に向かうように。今夜はゆっくり休め。」
「わかりました。」
短く返事をすると、私は静かに書斎を後にした。




