リルが欲しいもの
楽しい昼食が終わり、私は後片付けを手伝っていた。すると、リルが近づいてきて声をかける。
「お兄さん、この後はどうするの?」
「少し街を散策しようと思っています。」
その答えを待っていたかのように、リルが即座に言った。
「それじゃあ、お兄さんが迷子にならないように、街を案内してあげる!」
「リルは午後の掃除をサボりたいだけではなくて?」
アデルがリルの意図を見抜いたように言うと、リルは少し言葉に詰まりながらも口をとがらせた。
「案内するのは構いませんが、ご迷惑にならないように気をつけるのですよ。」
マリアが優しく諭すと、リルは喜んでアデルに向かって得意げに舌を出した。
私はマリアにお願いがあることを思い出し、口を開いた。
「マリアさん、短剣や白金貨を預かっていただけないでしょうか?あまり目立つものを身につけるべきではないでしょうし、大金を持ち歩くのも良くないと思います。」
その言葉に、リルがすぐさま反応する。
「お兄さんって、大金持ちなの?」
リルの問いに、アデルもマリアもあえて反応しなかった。
すると、マリアが落ち着いた声で提案する。
「先ほどのお部屋に金庫がございますので、そちらにお入れになったらいかがですか?」
「ですが、あのような特別なお部屋をお借りするわけにはいきません。宿には泊まらせていただきたいと思っていますが、もう少し身の丈に合った部屋のほうが...。」
マリアは私の遠慮を受け止めつつ、柔らかく微笑んだ。
「どうしてもというのなら別のお部屋をご用意いたしますが、よろしければ今のお部屋をお使いいただきたいのです。
リルも、誰も使わない部屋を掃除するのは嫌だと言っていましたし、それにルヴィさんは私たちにとって特別な方ですから、どうかお気になさらずお使いください。」
アデルもすぐに同意する。
「ルヴィは、そのお家柄からしても、あの部屋に滞在すべきだと思いますわ。
もし関係者がここを訪れた際に、別のお部屋を使っていたら、私たちが叱られてしまうかもしれませんし。それに、あの部屋なら、いつでもゆっくりお話しできますし...。」
「お姉さまは、ルヴィとお話ししたいだけなんじゃないの?」
今度はリルがアデルの意図を指摘した。
「そんなことはありませんわ…!」
アデルは少し頬を染めながら否定したが、歯切れが悪い。そして開き直ったように、
「リル、ルヴィが迷わないように、しっかり道案内をしてあげるのよ。」
そう言い残し、アデルは仕事に向かっていった。
リルは笑顔で私の袖を引っ張りかねない勢いで言う。
「それじゃあ、行きましょう!最初はどこに行きたい?」
私は苦笑しながら、それを制した。
「一度荷物を置いてきますので、少し待っていていただけますか?」
「それじゃあ、ロビーで待ってるね!」
リルは明るく答え、軽やかに駆けて行った。
私は一度部屋に戻り、隅にある金庫を見つけると、短剣や白金貨など、すぐに使わないものを収め、しっかりと鍵をかけた。
部屋を出ると、廊下で掃除をしているアデルの姿が目に入る。
「アデル、行ってきます。」
「ルヴィ、気をつけて行ってらっしゃいね。」
アデルは優しく微笑みながら送り出してくれた。
ロビーへ向かうと、既にリルが待ち構えていた。
「さあ、行きましょう!」
元気いっぱいの声に促され、私たちはパルマスの街へと歩き出す。
最初に訪れたのは、鹿の肉で世話になったフランツの店だった。大通りに面した店先では、お昼の販売を終えた様子で、店主たちは一息ついているようだった。
店の中を覗くと、フランツが二人の男性と共にエールを片手に談笑していた。こちらに気づくと、にこやかに声をかけてくる。
「おっ!さっきの兄ちゃんか。なんだ、また良い肉を持ってきてくれたのか?」
「いえ、先ほどはご挨拶もせずに申し訳ありませんでした。私はルードヴィヒと申します。ルヴィとお呼びください。しばらくマリアさんの宿にお世話になることになりました。」
「おう!そうか。何か事情があるようだが、マリアのところなら安心だな。さっきの大鹿、いい肉だったぜ。おかげで今日は稼がせてもらったよ。少しお小遣いでも持っていくか?」
フランツの気前の良い申し出に、私はやんわりと首を振る。
「ありがとうございます。でも、私は大丈夫ですので、リルに渡してあげてください。」
「おお、そうかい!気前がいいねぇ。それじゃ、じゃじゃ馬、これを持っていけ!」
フランツは銀貨の入った小さな皮袋をリルに手渡した。
「ありがとう、フランツおじさん!今度はグリズリーを仕留めてくるね!」
リルは満面の笑みで礼を言いながら、次の獲物を予告する。
「グリズリーより鹿の方がよく売れるんだがな。」
「じゃあ、また鹿にするね!」
フランツのアドバイスにあっさり前言を撤回するリルを横目に、私は言った。
「では、また獲物を仕留めた際には持ってきますので、よろしくお願いします。」
「じゃあ、またね、フランツおじさん!」
「おう!じゃじゃ馬、またな。ルヴィも時々遊びに来いよ。」
フランツの言葉に笑顔で応え、私たちは店を後にした。
歩きながら、私はリルに声をかけた。
「リル、良かったですね。何か買いたいものはありますか?」
「ありがとう、ルヴィ。そうねぇ...しっかりした武器が欲しいかな。武器屋さんに行ってみる?」
「それはいいですね。行きましょう。」
リルの提案を受け、私たちは大通りへと足を向けた。通りには大小さまざまな店が軒を連ね、広い路地では露店が賑わいを見せている。
昼前ほどの混雑はないが、それでも活気に満ちた街並みが広がっていた。
改めて周囲を見渡すと、この街には実に多様な種族が暮らしていることに気づく。エルフ族、ドワーフ族、巨人族、さらにはバフォメット族の姿まであった。
エルフは長命で、人間に似ているが、シャープな容姿と均整の取れた体格を持ち、特徴的な尖った耳をしている。
ドワーフはエルフほどの長寿ではないが、それでも人間よりは寿命が長い。小柄な体格のため、大人のドワーフでも人間の十歳ほどの子供と同じくらいの背丈だ。
巨人族はその名の通り体が大きく、大きい者では人間やエルフの大人の二倍近い身長に達する。
バフォメット族は獣人とも呼ばれ、人間と動物が融合したような姿を持つ。猫や犬、虎、熊など、さまざまな動物の特徴を持つ者がいる。
かつて魔法使いが人間や他の種族と動物を掛け合わせて生み出したと言われている。
さらに、見た目は人間と変わらないが、スクルド族と呼ばれる特別な種族もいる。彼らは豊富な魔力を持ち、多彩な魔法を操る。
特に特徴的なのは『魔眼』と呼ばれる特殊な目で、これによってマナを見ることができる。
マナは自然界の至るところに存在し、その濃度や属性によって力の強さや性質を判別できる。
このようにさまざまな種族が共存するパルマスの街は、活気に満ち、穏やかで住みやすい場所だ。
パルマスが位置するデネリフェ島は温暖な気候に恵まれ、魔物の脅威もほとんどない。だからこそ、多種多様な人々が集まり、安心して暮らしているのだろう。
デネリフェ島は、大陸の南西に位置する群島の一つであり、パルマスはその中で三番目に大きな街だ。同じ島には、群島最大の都市であるカナリアも存在する。
群島全体で見ると、二番目に大きな街は、灰色の島にあるシルヴァリアで、中海の重要な通航点として知られている。
中海は北と南に分かれており、南には魔物が全く生息しておらず、北にもほとんど姿を見せない。
そのため、この穏やかな海域では群島と大陸の間で活発な交易が行われている。
北と南の中海を結ぶ航路は、セントラル島を挟んで東西に分かれている。
しかし、東側の航路には大小さまざまな島が点在し、その影に海賊が潜んでいるため、航行には危険が伴う。
一方、西側の航路にはシルヴァリアがあり、二十隻の軍船が厳重に警備を行っている。このため、安全性が高く、多くの船がこのルートを利用する。
ただし、西の航路を通るには通行税が必要だ。しかし、その額は良心的であり、多くの商人や船乗りが喜んで支払っている。
通行税によって繁栄したシルヴァリアには、各地から人々が集まり、活気に満ちた街へと成長を遂げていた。
「お兄さん、武器屋に着いたよ!」
リルの声で我に返ると、大通りに面した大きな武具店の前に立っていた。店内には、剣や斧、槍などの武器が整然と陳列されており、奥には鎧や盾も揃っている。
リルとともに短剣が並ぶ棚へ向かうと、彼女の目が輝いているのが分かった。
しかし、並んでいるのはどれも大人向けのものばかりで、短剣ですらリルには大きすぎるように見える。
試しに一本の短剣を手に取ったリルだったが、グリップが太く、握りにくそうにしていた。
「大人向けの武具ばかりですね。これでは扱いにくいのではありませんか?」
私がそう尋ねると、リルは不満げに頬を膨らませた。
「わたしに合う武器はないのかしら...?」
私は少し考えた後、リルに尋ねる。
「今持っている短剣ではダメなのですか?」
その問いに、リルは少しうつむき、静かに答えた。
「この短剣は、お父様の大事な形見なの。だから、本当は使いたくないの。」
「それは...失礼なことを聞いてしまいましたね。」
リルの気持ちを思いやりながら、店内を見回すが、やはり彼女に合う武器は見つからない。
「外に露店もあるようですし、そちらを見に行きませんか?」
そう提案すると、リルは少し元気を取り戻したように頷いた。
大通りの一角に露店が並んでいたのを思い出し、そこなら彼女に合った武器が見つかるかもしれないと考え、店を後にした。
リルと並んで路地を覗きながら歩いていると、彼女がぽつりと話し始めた。
「二年くらい前にね、大陸側の島から魔物がこの島に渡ってきそうになったことがあったの。その時、デネリフェ島の大人たちが力を合わせて魔物と戦ったの...。」
リルの声には、懐かしさと悲しみが入り混じっていた。
「でも、その戦いでお父様は大きな傷を負ってしまって...街に運ばれたけど、すぐに死んじゃったの。その時、お父様が子供のころに使っていた剣をわたしにくれたの...。」
リルは胸に手を当て、そっと握りしめるようにして続けた。
「だから、わたしは強くなりたいの。魔物を倒して、この島を守りたいの!」
彼女の真っ直ぐな想いに心を打たれながら、私は尋ねた。
「それで、魔法を覚えたいのですね?剣を買いたいのも、そのためなんですね。」
リルは素直に「うん。」と頷いた。
私はさらに問いかける。
「リルは、お父様の仇を討ちたいのですか?」
リルは首を横に振り、はっきりと答えた。
「ううん。お父様みたいに、この島を守るために戦いたいの。お父様がわたしたちのために戦ってくれたように...。」
その言葉を聞いて、私は静かに頷いた。
「わかりました。魔法を覚えるのはとても大変だと思いますが、少しずつ学んでいきましょう。わたしも剣を多少は扱えますから、一緒に修練を積みましょう。」
リルの強い意志に、私の心も動かされたのかもしれない。
ちょうどその時、ふと視線を向けた路地の先に、小さな露店があるのが目に入った。狭い路地に鉄製の武具が並べられていた。
リルに声をかけ、露店へと向かうと、店主らしき赤髪の少年が椅子に座っていた。私と同じくらいの年齢に見える。