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名もない冒険の物語  作者: 白雉
第二章
32/84

王国の影

樹の月も終わりに近づく蒸し暑い朝、私たちはいつものように早朝の剣の修練に汗を流していた。

ラチェットと対峙するロザーナの動きは冴え、互角に剣を交えている。その技は華やかさよりも実直さが際立ち、武門の家柄に育った者の確かな底力を感じさせる。


一方で、私はレオンと向き合っていたが、彼はなかなか動こうとしない。ただ静かに、こちらの動きを見極めようとしているのが伝わってくる。


そんな時だった。

「大変だ!王国軍とクラウジウス軍が...ついにぶつかったらしい!」


息を弾ませながら走り込んできたのは、年上の弟アークトゥルスだった。その一言で、広場に緊張が走る。皆、動きを止め、思わず顔を見合わせた。


私たちは即座に剣を納め、詳細を確かめるために教官たちの部屋へと向かった。すでに多くの生徒たちが詰めかけており、部屋の空気は重く張りつめていた。


クラウジウス伯爵領の近く、エルベ川を挟んで王国軍と伯爵軍が対峙しているという報せが届いたのは、すでに数か月前のことであった。

対峙はすでに長期化の兆しを見せており、戦端が開かれるのは時間の問題とも言われていた。


王国軍は王国騎士団三千を中核に、諸侯がそれぞれ戦士を率いて加勢し、総勢三万におよぶ大軍を編成。

総指揮を執るのは、王国騎士団長ザモーラ・アイゼン・リヒター伯爵。

彼は現国王の双子の妹、ファティマ妃の夫でもあり、王の義弟として政軍両面で重きをなす人物である。

さらに、私が父ペリノア・シュヴァルツ・イセリオンも千名の兵を率いて従軍しており、参謀として幕僚に名を連ねている。


一方で、クラウジウス伯爵側の陣営の中核を担うのは、前王の子らの血を引く若き貴族たちだ。


亡き第一王子アルダリオンの長子であり、バイエルン子爵の爵位とその領地を継いだ、カール=グスタフ・バイエルン子爵。

また、若くして世を去った第二王子イリシアナの長子で、ドレスデン男爵の爵位が与えられた、フリードリヒ・ドレスデン男爵。


この二人は幼少より兄弟同然のように育ち、今も親密な関係を保っているという。


さらに、アルダリオン王子の三男であるオーリオン・シュヴァルツェンベルガー子爵、今は亡き第三王子カール=アルブレヒト王子の次男シルヴァリア・ミヒャエル子爵、そして昨年世を去った第五王子フェルディナントの長子アウレリオス・ヴァグナー男爵といった前王の孫たちが、反乱軍の中心となっている。


そしてこの若い貴族たちを支えているのが、前王の長女にしてクラウジウス伯爵夫人であるマリー・クラウジウスだ。

彼女はアルダリオン王子、イリシアナ王子と母が同じこともあり、幼き頃より固い絆で結ばれていたという。


伯爵夫人が甥たちに肩入れするのは、むしろ自然なことなのかもしれない。だが、それが今、王国に深い亀裂を生んでいるのもまた事実であった。


その伯爵夫人に深く心を寄せたマッティア・クラウジウス伯爵もまた、王子の子らを支援し続けてきた。

今回の反乱に際しては、王子の子たちが治める領地を中心に戦士を招集し、およそ二万に迫る軍勢を組織したという。


年初から両陣営は対峙を続け、王国側は幾度となく降伏を勧告する使者を送っていたが、長らく膠着状態が続いていた。

しかしその均衡は、ある一夜の動きによって破られることとなる。


主戦派とされるバイエルン子爵とドレスデン男爵が、三千の兵を率いて王国軍に対し夜襲を仕掛けたのである。

だがこの作戦は完全に失敗に終わり、王国軍の被害が百人未満だったのに対し、反乱軍側は千人を超える損害を出したとされる。

この動きを契機として、王国軍はエルベ川を渡り、本格的な攻勢に出た。


さらに南方では、クラウジウス伯爵領と接するヴァルデマール・レーマン伯爵が二千の兵を率いて反乱軍の背後を突く形となった。

レーマン伯爵は南方から兵を進めてきたため参戦が遅れていたが、結果的に最良のタイミングでの攻撃となった。

これに呼応して王国軍も全面攻勢に転じたことで、クラウジウス伯爵軍はついに総崩れとなる。


この戦いで、バイエルン子爵とミヒャエル子爵は戦死。ドレスデン男爵は逃走を試みたが、レーマン伯爵の軍に捕らえられた。

戦の損害は王国軍側が戦死者百九十六名、重傷者千四百七十九名。対して、クラウジウス伯爵軍は戦死者二千を超え、重傷者は七千人以上に及んだという。


戦いの後、王国軍は追撃に移ることなく、レーマン伯爵を伴って王都への帰還を選んだ。


これは後日談となるが、クラウジウス伯爵は敗戦の報を聞いた後、自領へと逃れ、夫人と共に自ら命を絶ったという。

シュヴァルツェンベルガー子爵は領地に逃げ延びたが、兄バイエルン子爵の死を知ると姿を消し、以後行方不明となった。

ヴァグナー男爵は一度領地に戻ったものの、従兄たちの死とクラウジウス伯爵夫妻の最期を聞き、静かに王都へ出頭した。

捕虜となったドレスデン男爵には後日、厳しい裁きが下り、処刑された。

出頭したヴァグナー男爵は命こそ救われたものの、爵位と全ての特権を剥奪され、平民として釈放されるに至った。


王都では勝利を祝う論功行賞が執り行われ、第一の功績として、レーマン伯爵に五つの街を与える決定がなされた。

だがレーマン伯爵は、参戦が遅れたことを理由に辞退し、最終的に一つの街のみを新たな領地とすることになった。


今、王都は凱旋する王国軍を迎える準備で活気にあふれている。幼年学校でも授業は取りやめとなり、今日は勝利を祝う一日と定められた。

アークトゥルスは、騎士団の行進を見に行こうと騒ぎ立てていた。


私はレオンとロザーナの方へ視線を向けると、ロザーナが明るく言った。


「せっかくのお祝いだし、みんなで行きましょうよ。ランスのお父様も、騎士団と一緒に戻られるんでしょ?」


「うん、そうだね。レオンやロザーナのご家族も、従軍していたのかな?」


私の問いに、レオンが静かに頷いた。

「私の父は病に臥せっている。代わりに叔父が戦士を率いて参戦していたはずだ。」


ロザーナも、少し不安そうな表情で続ける。

「私の父と兄も出征したって、手紙に書いてあったわ。無事に戻ってきてくれるといいんだけど...。」


「今回は、大規模な戦にはならなかったみたいだし...きっと、みんな無事だと思うよ。」

私はそう答えながらも、心のどこかで、戦の持つ残酷さがぬぐえずにいた。


レオンの予想通り、戦は大規模な衝突に至らず、最悪の事態は避けられたのだろうか。

「それじゃあ、みんなで迎えに行こうか。」

私がそう声をかけると、アークトゥルスはもちろん、周囲の生徒たちも嬉しそうに頷き、私たちは連れ立って王都の門へと向かった。


城門前に辿り着くと、すでに人の波で埋め尽くされていた。ざわめきが徐々に高まり、やがて歓声へと変わる。その瞬間、王国軍の先陣が門をくぐって姿を現した。


先頭に現れたのは、単騎で馬を駆る私の父、ペリノア・シュヴァルツ・イセリオン公爵。陽光を受けて、銀と青の装飾が施された鎧が鈍く輝いている。

その後ろには各地の貴族たちが率いた戦士たちが続き、整然とした列を成して行進する。


続いて現れたのは、馬車に乗せられた負傷者たちの姿だった。

静かに揺れる幌馬車の中には、包帯を巻かれた兵士たち、そして、白布に覆われた遺体も混ざっていた。

勝利の凱旋であるはずの行進に、確かに戦の影が差していた。


最後に姿を現したのは、王国騎士団。先頭にはリヒター伯爵が馬上に凛然と立ち、その背後には王国の紋章が刻まれた銀の鎧を身にまとった騎士たちが列を成す。

その中には、昨年幼年学校を卒業していった先輩たちの姿もあった。しかし彼らの顔には、戦いを終えた者たちの厳しい表情が刻まれていた。



◇◇◇



翌日の授業で、模擬戦闘が実施されることになった。想定されるケースは多岐にわたるが、今回は十五対十五のチーム戦。

指揮官にはレオンが立候補したが、彼は私たちの対戦相手側に回った。

しかも彼は、チームメンバーにロザーナ、アークトゥルス、トーマス、そして私の年上の弟の中からポルックスとカストルの双子を指名していた。


最近、彼ら六人が一緒に行動することが増えていたので、何か計画しているとは思っていたが、それがこの模擬戦闘のための布石だったのだろう。

レオンがどのような戦術を展開するのか。対峙することになる私としては、期待と警戒が入り混じった複雑な感情を抱えていた。


一方、こちらの指揮を執るのは、私の年上の弟の一人で戦術に秀でたレオニス。彼の指揮ぶりにも信頼が置ける。


模擬戦は、『遭遇戦』の設定で行われる。互いに準備のない状態で接敵した、という状況を想定しており、勝利条件は以下のいずれか。

・敵の指揮官を倒す

・敵を全滅させる

・自陣の伝令が校内の味方を呼び戻し、合流に成功すること


練兵場の中央には大きな幕が張られ、両軍の姿が互いに見えないように工夫されている。

レオンたちがどんな布陣を組み、どのような動きを見せるのか。こちらからも情報を探りたいところだが、今回は、遭遇戦。装備の準備時間しか与えられていない。


そのぶん、即応力と連携、そして指揮官の判断力が勝敗を左右するだろう。


伝令を走らせ、援軍が到着するまで戦線を維持する。それがこの模擬戦における、最も一般的で、かつ確実な戦法だろう。


練兵場の幕が下ろされ、いよいよ模擬戦が開始された。指揮官のレオニスは、迷いなく三人の伝令を走らせるよう指示を出す。


だが、敵陣の動きは予想外だった。

伝令を送る様子は見られず、代わりに重装備の戦士五名が、先陣を切って前に出てくる。あれは、間違いなく私への対策だ。


だが、こちらにも重装備に対する対応策は用意してある。それを承知で仕掛けてくるのであれば、レオンの狙いは別にあるはず...

私はすぐにレオニスのもとへ駆け寄り、問いかけた。


「...あの部隊編成、どう見てる?」


レオニスは眉をひそめながら、敵陣を見つめたまま答えた。


「ランス対策であるのは間違いない。だが...狙いが読めないな。」


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