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名もない冒険の物語  作者: 白雉
第一章
3/75

名前

広いリビングルームは、窓から差し込む光で明るく照らされ、空間全体が温かみを帯びていた。

中央の丸テーブルにアデルと並んで座り、お互いの視線が交錯したまま、静かな沈黙が流れる。


その沈黙を破るように、アデルがにっこりと笑いながら言った。

「きっとこれは、あなたのお名前とお生まれになった日付の記録でしょうね。」


「まるで実感がありません。」


私は答えると、アデルはその言葉に何か確信を持ったように、ゆっくりと説明を始めた。


「私が十二歳で、リルが九歳。あなたが十歳だというのは、ちょうど見た目と一致するのではありませんか?」


「水の月という暦を使っているのは東方の諸国が一般的で、西方では王都と一部の貴族くらいだと思いますが...。」


私は懐疑的な表情を浮かべたが、それを打ち消すように、アデルは笑顔を浮かべて続けた。


「このような短剣をお持ちなのですから、やはり高貴なお家柄に違いないと思うのが自然です。

 私自身、このような美しい短剣を見るのは初めてですし、十歳の年齢でこれだけの知識をお持ちであれば、それなりの教育を受けていたと考えれば納得がいきますわ。」


次々と高貴な家柄を解き明かしていくアデルの言葉に、私は反論する気力を失った。だが、心の中ではどうしても納得できなかった。


「可能性の話ですが、これは他人のもので、私はその人から...」

私が思い切って言いかけると、アデルが初めて私の言葉を遮った。

「その可能性はありませんわ。」


アデルは笑顔を浮かべ、話を続けた。


「あなたの性格がと言っても説得力がありませんから、私の推論を申し上げますと、この短剣ですが、あなたのベルトにぴったり収納できるように作られています。

 そして、そのベルトは、今のあなたの服装に合わせて作られています。さらにその服も、あなたにぴったり合っている。

 おそらく、採寸してあなたのサイズに合わせて作られたものでしょう。」


力強いその言葉に、私は否定することができず、アデルの推論が正しいと感じた。

もう一つの可能性、すなわちポーチについて考えながら、私はそれを机の上にそっと置いた。


「アデル、こちらの方も一緒に見ていただいてよろしいでしょうか?」


「はい、わかりました、拝見いたします。」


「びっくりして大声を上げたりしないでくださいね。」

私は軽く笑いながら前置きした。アデルが見て驚くのではないかと気になり、ポーチを開く前にそれを伝えた。


ポーチを開けると、予想通り、彼女は驚きの表情を浮かべて言葉を失っている様子だった。

私が二度目に見たときは、冷静にコインではなく、ポーチの細部に目を向けていた。

その時、ポーチの布のカバーの裏側に何かが刻まれているのに気がついた。よく見るとそこに『ルヴィ』という文字が書かれていた。


私はその文字をアデルに見せると、アデルはしばらく沈黙してから、表情を改めて言った。


「やはりあなたのお名前はルートヴィヒさんで間違いないようですね。ルヴィという愛称とも一致します。それにしても、私は白金貨というものを初めて拝見いたしましたわ。」


改めて、アデルが私の名前を確認してくれたことに安心し、私は心を決めて言った。


「このまま名無しでは私も困るので、ルートヴィヒという名前を受け入れます。アデル、これからはルヴィと呼んでください。」


「ルヴィ、良いお名前ですね。」


「ありがとうアデル、これで少しですが前に進めた気がします。すべてアデルとリル、そしてマリアさんのお陰です。

 どのように感謝したら良いのか、私にできることがあったら何でも言ってください。」


アデルは微笑みながら、少し照れくさそうに答えた。


「ルヴィは忘れているようですけれど、初めに助けられたのは私とリルなのですよ。このくらいのお手伝いではまるで採算が合いませんわ。

 でも少しでもお役に立てたのならば嬉しいです。」


「少しだなんて、私にとっては人生の再出発です。本当に感謝しています。」


アデルはその後、楽しそうに言った。

「面白い出会いですわね。私たちは人生が終わりかけたところをルヴィに助けられ、私たちはルヴィの人生の再出発に立ち会うことができたのですから。」


ちょうどそのとき、ドアをノックする音が聞こえた。アデルが「どうぞ」と言うと同時にドアが開き、リルが入ってきた。


「わたしがフランツおじさんとつまらない会話をしている間に、二人はずいぶん仲良くなったのね」

「何を言っているのです...」


言葉を詰まらせているアデルに興味を示さず、リルは話を続けた。


「お母さまに昼食の準備ができたから呼んできてって言われてきたの。迷子のお兄さんの分もあるから一緒に食べてね。」


「ありがとうリル、それとこの方は迷子のお兄さんじゃないわよ、ルートヴィヒさんっていうお名前なの。」


「なんか偉そうな名前ね、迷子のお兄さんの方が似合ってると思うわ。」


アデルが私の名前を紹介してくれたが、相変わらずの口調でリルが応じる。


私はリルに向かって言った。

「リル、いろいろありがとう。私のことはルヴィと呼んでください。」


リルはつまらなそうな顔で移動を促す。


「わかったわ、ルヴィ。お姉様も早く食事にしましょう。お母さんの美味しいお料理が冷めてしまうわ。」


「そうねリル。ルヴィも一緒に頂きましょう。」


アデルもルヴィの行動を促した。

私はアデルとリルに導かれ、ダイニングルームへ向かった。


こじんまりとしたダイニングのテーブルの上では、湯気が微かに揺れながら消えていく。

その時、マリアがキッチンから顔を出し、最後の料理をテーブルに並べると、

「さあ、みんな、揃いましたね。椅子に座ってくださいね。」と、マリアが温かく声をかけた。


私は改めてマリアに挨拶をした。

「マリアさん、先ほどは失礼しました。私はルートヴィヒという名前のようです。ルヴィとお呼びください。」


マリアは肉を切り分けながら、優しい笑顔を浮かべて答えた。

「問題が少し解決できたようですわね。」


「マリアさん、アデルもリルも、私のような素性もわからぬ者にこんなにも良くしてくださって、本当に感謝の言葉もありません。」


「ルヴィさん、私は長年宿屋の主人をしているのです。その人がどんな方なのか、なんとなく分かることがあるんですよ。

 あなたを一目見たとき、何かお困りのことがあると感じましたし、ご挨拶を聞いて、尋常ではない境遇にいるのではないかと思いました。

 その時、勝手ながらあなたを助けようと決めたのです。娘たちも私の血を引いていますから、きっと同じような思いであなたをこの宿に導いたのでしょう。

 私たちが勝手に決めたことですから、ルヴィさんは気に病むことは何もありません。」


マリアの言葉には、深い決意と優しさが込められていて、心に深く響いた。


私はアデルに促され、長方形のダイニングテーブルにアデルと並んで座る。それを見たリルが少し困った顔で言った。


「そこはわたしの席だけど、お母さまの横に座らせるわけにはいかないから、今日は譲ってあげるわ。」

「リル!」


とアデルがたしなめる。

私の正面にはリルが座った。


テーブルの上には、焼き立ての香りが立ち込める肉、たっぷりと野菜が入ったスープ、そして温かいパンが並べられていた。


マリアが肉を取り分け終えると、椅子に座り、にっこりと皆に声をかけた。


「では、いただきましょう。」


その言葉に、アデルがパンを盛った皿から一切れを取って、私の皿に置いてくれた。


「ありがとう。」

私はアデルに感謝を述べながら、パンに手を伸ばした。


「スープもおかわりがありますので、たくさん召し上がってくださいね。」

マリアがにこやかに勧めてくれた。私は素直に頷いた。


食事をしながら、リルが嬉しそうに私のことをマリアに話し始めた。


「ねぇ、お母様、ルヴィはね、魔法が使えるんだよ!

 わたしたちがグリズリーに襲われそうになったとき、突然火の玉が飛んできて、グリズリーの顔に当たったの!

 その後、グリズリーが火の玉が飛んできた方を向いて走って行ったら、その先にルヴィがいて、ルヴィが両手を上げた瞬間、グリズリーの前に壁が現れて、そのままグリズリーが壁にぶつかって倒れたの!」


「リルはグリズリーのお肉が欲しくて戦うつもりではなかったのかしら?」


アデルが冗談を交えて茶化すが、リルは気にせずにさらに話を続けた。


「そんなことどうでもいいじゃない。それより、なんであそこに鹿の群れがいるって分かったの?」


「実は、近くに獣道が見えていて、それが鹿の群れのものだと分かりました。それで、その道を進んでいったら、鹿の気配が感じられたので。」


「ふーん、そうだったんだ。でも、鹿の道が分かるなんて、実は猟師さんじゃないの?」


リルの疑問に、今度はアデルが答えた。

「魔法使いの猟師さんなんて居るのかしら?」


「それもそうね...で、ルヴィはどこから来たのか分かったの?」


リルの問いかけに、私は少し顔を下げて答えた。


「それは、まだ分かりません。」


それを受けて、アデルが自分の推論を話した。


「でも、おそらく大陸から来たのは間違いないと思うわ。それに、貴族のような高貴なお家柄のご出身なのは確実だと思うけれども...


その話を聞いたマリアが提案をしてくれた。


「そういうことでしたら、そのような家柄のご子息が行方不明となれば、近いうちにその情報がこの島にも伝わってくると思いますわ。

 それまでこの宿でゆっくり過ごされたらよろしいのではないかしら?」


「そうですわ、情報が届くのを待てば、自然に状況も変わるでしょうから、ルヴィ、どうかしら?」


アデルも賛成の意を示す。


「でも、これ以上ご迷惑をおかけするわけには...」


私が困惑しながら言いかけたその時、リルがすかさず言った。


「もう、お兄さんったら、何度言ったら分かるのかしら。『ご迷惑』って思っているのはお兄さんだけよ。

 もしそんな気持ちがあるなら、わたしに魔法を教えてくれるとか、時々わたしを鹿狩りに連れて行ってくれるとか、前向きに考えてくれればいいんだから。」


「前向きに考えることは素晴らしいけれど、リルばかりが良い思いをしているんじゃないかしら?」


アデルが冗談めかしてリルを指摘すると、リルは少し照れたように答えた。


「そうね、もちろん宿屋の仕事も手伝ってもらうわ。」


すると、マリアが優しく注意をした。


「リル、ルヴィさんは今、大変な状況なのよ。気晴らしなら良いけれど、迷惑にならないように気をつけなさい。

 宿屋の仕事は、アデルとリルがしっかりとやるので、ルヴィさんはゆっくり過ごしてくださいね。」


「お母様まで...」


リルが少し拗ねている様子に、私は微笑みながら言った。

「マリアさん、ありがとうございます。リルの明るさには本当に助けられています。素敵なご姉妹ですね。」


するとアデルも微笑みながら言った。

「リルの明るさだけは、この街で一番ですからね。」


こうして、楽しい会話が続き、明るい昼食の時間が過ぎていった。


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