ビアンカ・リズベック
黒と深紅を基調とした落ち着いた装いに、背筋の通った姿勢。目元には品のある厳しさがありながらも、口元には穏やかな微笑みが浮かんでいる。
彼女の足取りはゆるやかでありながら、どこか芯の通った確かさを感じさせた。
「皆さま、お待たせいたしました。リズベック商会の代表を務めております、ビアンカ・リズベックと申します。
私たちの招きに快く応じてくださり、感謝いたします。」
彼女は優雅に挨拶をする。
その声はよく通り、しかしどこか柔らかい響きがあった。
私たちが思わず立ち上がろうとすると、ビアンカは手を軽く挙げて制した。
「どうぞ、お気になさらず。そのままで構いません。」
一礼をしてから彼女は、私たちの正面のソファに腰を下ろした。
彼女の動きは一つひとつが洗練されており、あたりの空気までも整えてしまうような、不思議な存在感をまとっていた。
「今日、執務中に、十歳前後の男女五名が海を渡ってきて、私の商会で馬車を借り、旅を続ける……という話を耳にしましてね。」
ビアンカがそう語り始めたとき、私は自然と頷いた。
「なるほど、それは私たちのことですね。」
彼女は微笑を浮かべて続ける。
「今この街にはおりませんが、私の娘は十一歳、息子は今年で十歳になります。皆さまと同じ年頃ですので...思わず興味が湧いてしまいましたの。
もし差し支えなければ、旅のお話をお聞かせ願えないかと思いまして。」
「そうでしたか。こちらこそ、ぜひお話しさせていただきます。私たちも商会の運営について、お伺いしてみたいことがありましたから。」
ビアンカは少し目を細め、考えるような仕草をした後、こう言った。
「ところで、皆さん。今夜の宿はもうお決まりですか?」
「いえ、まだこれから探そうと考えておりました。」
「それでしたら、こちらにお泊まりになってはいかがでしょう?
宿泊設備も整えてありますし、馬車もそのままお預かりできます。無理に外で探されるより、安心かと思いますよ。」
私たちは一度顔を見合わせて相談し、ビアンカの提案をありがたく受けることにした。
その後、彼女は少し柔らかい口調になり、家族のことを話してくれた。
娘と息子は現在、王都で学校に通いながら、王都支部の商館で仕事を手伝っているという。三年後には、このミドルポートに戻ってくる予定なのだと。
話の流れで、私たちもこれまでの旅の経緯や、各地での出来事を語った。
そして、ビアンカからは商会の運営にまつわる具体的な話もいくつか聞くことができた。
売買契約の組み方、信用の積み上げ方、そして、人を見る目の重要性。どれも実感のこもった言葉で、聞き入らずにはいられなかった。
会話がひと段落し、部屋に静けさが戻った頃。ビアンカが、ふいに真顔になって私に問いかけてきた。
「ルヴィ君、あなたは、商会を作りたいと考えているのですか?」
私は少し言葉を選びながら答えた。
「今の私は、何者でもありません。だからこそ、商いを通して、自分の在り方を見つけられたらと思っています。」
「そうですか...記憶がないというのは、大変なことですね。」
ビアンカは少しだけ目を伏せてから、真剣な表情で言った。
「リズベック商会としても、あなたのことを少し調べてみましょう。何かわかったことがあれば、必ずご連絡いたします。」
「ありがとうございます。」
静かに頭を下げると、彼女は小さく頷き、再び背筋を伸ばした。
「これからの旅に際して、ひとつだけ警告をさせてください。ミドルポートから先、陸路には盗賊が多く出没します。
何度か討伐されているのですが、減るどころか、むしろ増えているような状況です。どうか、十分に注意して進んでくださいね。」
「ご忠告、ありがとうございます。盗賊の存在は予想していましたが...改めて、細心の注意を払って進みます。」
そう返すと、ビアンカはやわらかく微笑みながら、そっと手元の紅茶に手を伸ばした。
最後にビアンカは、静かに微笑みながら言った。
「今日はとても有意義な時間を過ごせました。娘と息子がこちらに戻ってまいりましたら、ぜひ皆さまとお友達になっていただきたいですわ。」
その言葉に、私は丁寧に一礼して応えた。
「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました。この街を訪れた際には、必ずリズベック商会に立ち寄らせていただきます。」
ビアンカは優しく頷き、扉の外に控えていたエリオットを呼んだ。
「エリオット、皆さまを寝所までお連れして差し上げて。」
その言葉に、ソニアが少し緊張した面持ちで口を開いた。
「あの...このあと、エリオットさんとお話しさせていただいてもいいですか?」
「もちろんですわ。」
ビアンカは快く頷き、上品な笑みを残して応接室を後にした。
その後、私たちはエリオットを囲むようにして、小さな、礼儀作法の学習会を始めた。堅苦しいものではなく、むしろ和やかで、どこか楽しい時間だった。
エリオットは一つひとつを丁寧に、まるで物語を語るように教えてくれた。
最初はつまらなさそうにしていたリルも、やがて誰よりも真剣な顔つきで質問を重ねていた。
そして夜も更けた頃、私たちはエリオットに案内され、それぞれの寝所へ向かった。
廊下の窓からは、ミドルポートの街を見下ろすように、静かな灯りがいくつも瞬いていた。
◇◇◇
翌朝、目を覚ますと、珍しくハウルがすでに起きていた。背筋を伸ばし、静かに身支度を整えるその姿に、昨晩のエリオットの話を思い出す。
おそらく、教わった礼儀作法を早速実践しているのだろう。ハウルらしい、素直でまっすぐな反応だった。
昨夜は遅くまで過ごしたため、部屋の細部には気が回らなかったが、目覚めてみるとその設備の良さに改めて驚かされる。
しっかりとした寝具は身体を優しく支え、心地よい疲労すら感じさせないほど熟睡できていた。旅の疲れが、まるで何日分も癒えたような気さえした。
「おはよう、ハウル。」
「おはよう、ルヴィ。なんか、今日からまた頑張れそうだ。」
互いに挨拶を交わし、身支度を整えると、私たちはアデルたちの部屋へ向かい、扉を軽くノックした。
扉が開くと、出てきたのは意外にもリルだった。
寝ぼけ顔かと思いきや、すでに身なりを整え、表情もどこか引き締まっている。
「おはよう、ルヴィ。もう準備は終わってるわよ。」
彼女の口調に、昨夜の学びが少し影響しているのかもしれないと感じて、思わず笑みがこぼれた。
エリオットを探してお礼を伝えると、彼は変わらぬ穏やかな笑みで答えてくれた。
「ビアンカ様も、皆さまとお見送りしたいとおっしゃっていましたが...朝はどうしてもお忙しく、私が代わりを務めさせていただきます。」
「エリオットさん、そしてビアンカさんにも、本当にお世話になりました。どれほど感謝してもしきれません。また、必ずこの街に立ち寄らせていただきます。」
私たちはそれぞれ、言葉と心を尽くして挨拶を交わした。
昨日までの海上の旅とは異なり、今日からは陸路を馬車で進むことになる。馬車の車輪が石畳を鳴らしながら、ゆっくりとミドルポートの街を後にする。
街を出ると、整備された大きな街道が北と西へと延びており、さらに南へ向かう小さな道も見える。
私たちの目的地、エラムウィンドは南西の方角にあるため、しばらくは西の街道を進むことになる。
◇◇◇
好天に恵まれた旅は、何事もなく順調に過ぎていった。
陽が西の空に大きく傾き、周囲が金色に染まりはじめた頃、昼過ぎに交代した私は御者台で手綱を握っていた。
そろそろ野営の場所を探そうかと、馬の脚を緩めたその瞬間だった。
ひゅっ、ひゅっ、と風を裂く音。
次の瞬間、数本の矢が私たちの馬車をめがけて降り注いだ。
「っ!」
私はとっさに隣に座るアデルを庇い、右手を振るう。空中に展開された簡易魔法陣から放たれた風の盾が、飛来する矢を弾き落とす。
「ルヴィ、どうした?何かあったのか?」
馬車の中から、ハウルの声が飛んでくる。
「どうやら、盗賊のようです。ハウル、馬車の中でリルとソニアを守ってください。」
私の声に、馬車の中が緊張に包まれるのがわかった。
その間にも、また矢が数本、間を空けて飛んできた。けれど、どれも狙いは甘く、魔法で難なく落とすことができた。
私は目を細め、敵の動きを探る。
視線の先、街道脇の岩陰から、次々と人影が立ち上がる。...姿を現した盗賊たち。ざっと見て十六名。
矢の攻撃とは裏腹に、彼らは自信ありげに笑みを浮かべていた。
「少年たちよ、無駄な抵抗はやめて降伏するんだ。我々は大人で、しかも人数はお前たちの倍以上いるんだぞ。」
私は落ち着いた声で応じた。
「今の弓矢の応酬を見れば、私たちにとってあなた方が脅威ではないことは、ご理解いただけたはずです。できるなら、このまま引いていただきたい。」
その言葉に、盗賊たちの顔がさっと険しくなった。
「な、なんだと...!」
「生意気なガキめ!」
「なめやがって!」
「少し魔法が使えるからっていい気になりやがって!」
「お頭!やっちまいましょうぜ!」
罵声が飛び交い、空気が一気に荒々しくなる。彼らはすでに、交渉の余地すら捨てていた。
盗賊たちの罵声が飛び交う中、一人の男が静かに前に出てきた。先ほど命令を下していた男とは違い、冷静で言葉を選ぶ口調だった。
「このままでは、君たち全員を殺してしまいかねない。積み荷と金品を置いて、街へ戻ってもらうというのはどうだろう?」
脅しにしては、少し丁寧すぎる提案。これが、最後の警告のつもりなのかもしれない。
「確かに争いは好みませんが、先ほども申したように、あなた方は私たちにとって脅威ではありません。したがって、積み荷を渡す理由は見当たりません。」
男の眉がわずかに動いた。
「交渉は、不成立か。ガキども、どうなっても後悔するなよ。」
そして、声の調子を一気に上げた。
「お前ら、作戦を忘れるなよ!逆らうガキは殺しても構わん!だが、できるだけ生け捕りにしろ!多少傷つけてもかまわん、やれ!」
首領らしき男の号令と同時に、盗賊たちが一斉に動き出す。
その瞬間、私はアデルに声をかけた。
「アデル。おそらく彼らは、まず馬を狙ってきます。私はそれを阻止します。私も攻撃に出ますが、アデルは落ち着いて、一人ずつ確実に動けなくしてください。」
「はい、わかりました。」
アデルは短く頷き、すでに集中を高めているようだった。
続いて、馬車の中に声を投げかける。
「ハウル、リル、ソニア。馬車の中から馬車を守りつつ、視界に入った盗賊を優先して攻撃してください。」
「わかった。でも皆、自分の安全を最優先にな。」
ハウルの返答には、いつも通りの落ち着きと、仲間を思う強さが込められていた。その一言に、私たちは自然と頷き合った。




