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名もない冒険の物語  作者: 白雉
第一章
20/84

ユピテルの作戦

穏やかな海の上に、ぽつんと浮かぶ小島。その岸壁から生えた巨大な船は、今や炎に包まれ、黒煙を上げていた。

炎に包まれた船体から滑り落ちた白いものが、海の中で不気味に動いていた。


前線に構えたセイレーンの戦士たちは、海中へと身を沈め、水面下で激しい戦闘を繰り広げているようだった。

白く蠢く触手が、海面に現れてはすぐに姿を消し、目にも止まらぬ速さで動き回るその様は、魔法で狙うにはあまりに厄介だ。

崩れかけた船体からは、なおも小型のモンスターが次々と落下し、海面を騒がせていた。


「一度、船への攻撃は中止だ。海中のモンスターの殲滅に集中しよう!」

ユピテルの声が全体に響き渡る。

水中では確かに激しい戦闘が行われているはずだが、海面にはさざ波が揺れるだけで、不気味なほど静まり返っている。


焦れたように前に出ようとしたソニアの動きに、ユピテルが手を伸ばして制止した。

「ソニアさん、焦らずに。まだです...ルヴィ君、炎の魔法を準備してくれ!」


「はい!」と答え、私は戦士たちが戦っている方向へ右腕を上げ、意識を集中する。


呼吸を十回ほど重ねただろうか。静寂を切り裂くように、海面が音もなく盛り上がり始めた。


盛り上がった水面は、まるで鏡のように滑らかだった。やがてゆっくりと上下左右に裂けていき、裂け目から、白く、巨大な影が、少しずつその姿を現してくる。


クラーケンに違いない。この内海で目撃されたことはなかったが、ダンジョン内に潜んでいた個体が、ついに外へ姿を現したのだろう。

もし、ここで取り逃がせば、セイレーンたちが長年かけて築いてきた防衛の努力が、すべて無に帰してしまう。


私は静かに右手を構え、海面にゆっくりと浮かび上がる巨体を睨みつけた。だが、奴の急所は、もっと水面下にあるはずだ。


水面下でセイレーンたちが激しく動いているのが、水のゆらめきでわかる。連携して奴を押し上げてくれているのだろう。

海面にぬるりと姿を現したのは、恐ろしく巨大な目。その瞬間、視線が交差する。


私は一気に魔力を集中し、右手から強烈な光を放つ。

光の矢がクラーケンの眉間を下方から貫いた瞬間、それは閃光から炎へと姿を変え、巨大な頭部を業火で包んだ。

肉とも魚ともつかない焦げた臭いが風に乗って周囲に広がっていく。


クラーケンは最後のあがきで暴れまわった。触手が空を裂き、水を弾き、海を叩いたが、それを迎え撃つ者はいなかった。誰もが黙してその最期を見守っていた。


やがて、巨体が重たげに海面に崩れ落ちた。触手はしばらく痙攣のように動いていたが、やがて静まり返る。


私は緊張と魔力消費から来る倦怠感に身を任せ、その場に膝をついた。


「ルヴィ君!」


ウェスタの声が響いたかと思うと、小さなガラス瓶が空を切って飛んできた。私はそれを受け取り、中をのぞく。

薄い赤色に透き通った液体が、瓶の中で静かに揺れていた。


「それは、私たちの血液をマナで薄めたものよ。君には、まだまだ活躍してもらわないといけないからね。」


ウェスタが冗談めかして笑う。

セイレーンの生き血。それは、世界でも数少ない完全回復の霊薬として知られている。

折れた骨を繋ぎ、切断された手足を蘇らせ、瀕死の者すら一瓶飲んだだけで元通りになる、奇跡の液体だ。


「こんな貴重なものを、私などがいただいても良いのでしょうか?」


私は思わず問い返すと、ウェスタは肩をすくめ、片目でウィンクした。


「もちろんよ。その代わり、しっかり働いてもらうからね。」


私は小瓶の栓を静かに抜き、薄い赤色の液体を一口含んだ。

ひんやりとした感触が舌に広がり、喉を通って体の奥に染みわたっていく。

次の瞬間、まるで乾いた大地に水が流れ込むように、体の隅々まで力が満ちていくのを感じた。


マナが戻る感覚、それに伴って倦怠感も霧のように消え去った。指先にまで力が宿り、視界が鮮やかに広がっていく。まるで体が目覚め直したかのようだった。


「ウェスタさん...ありがとうございます。これほどの効果があるとは...知識として理解していたつもりでしたが、実際に体験すると、自分の想像力の乏しさを思い知らされますね。」


「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいわ。じゃあ、頼れる若き大魔法使いさん、引き続き船の破壊、お願いね?」


ウェスタは冗談めかした口調で言葉を投げかけてきた。

私は笑みを返し、軽く頭を下げてから立ち上がる。背筋が自然に伸び、体が軽く感じられる。魔法を再び使えるという自信が、私の中にしっかりと根を張っていた。


その後、船の破壊作業は驚くほど順調に進んだ。

クラーケンの脅威が去ったことで、周囲の空気には落ち着きが戻り、誰もが集中して役割をこなしていた。


夕暮れ前には、もはや『船』と呼べる形はどこにもなかった。

焦げた木材の一部が海面に浮かんでいたが、それさえも徐々に魔法の炎に包まれて灰となり、波にさらわれていった。


船と島とを繋いでいたのは、巨大な貝柱のような構造だったと、ユピテルはそう説明してくれた。

確かに、船尾の方が妙に燃えにくかったのは、この構造が炎を遮っていたためだろう。


この部分の完全な破壊は、翌日へ持ち越されることとなった。

今はひとまず、ダンジョンの出入り口に巨大な岩を組んで塞ぎ、夜の間の安全を確保する。


その夜、焚き火の明かりがちらちらと揺れる中、ミネルヴァがそっと近づいてきた。

彼女の手には、拳ほどの大きさの魔石が握られていた。青白く鈍く光るその魔石は、今日倒したクラーケンから摘出されたものだという。


「これはあなたが受け取ってくださらないかしら?これはあなた方への正当な報酬と思ってくださいね。」

ミネルヴァはそう優しく言いながら、その魔石を私の手にそっと乗せた。


続いてケレスが現れ、丁寧に袋詰めされた小さな魔石を、私たちの人数分手渡してくれた。

もちろん、大きな魔石とは比べ物にならない価値だが、それ以上に彼女たちの心遣いが胸に染みた。


疲れ果てていた私たちは、温かな夕食を囲みながら小さな喜びを分かち合い、やがて砂の上に身を横たえ、深い眠りに落ちていった。



◇◇◇



翌朝、柔らかな陽光が空から降り注ぐ中、目を覚ますと、すでにハウルの姿が見当たらなかった。

私は浜辺を歩いて船の方へ向かうと、ソニアとハウルが並んで作業をしていた。二人は甲板のロープを点検しながら、穏やかに笑い合っている。


「おはようございます、ハウル、ソニア。今日は随分早いですね。」


声をかけると、ハウルが顔を上げ、柔らかい笑みを返した。

「おはよう、ルヴィ。昨日は君たちが活躍してくれたからね。アデルとリルも、まだ休んでるみたいだよ。」


その横でソニアも手を止めて言葉を続ける。

「昨日はさすがにみんな疲れてたからね。少しくらい朝寝坊させてあげてもいいかなって思って。僕は気分転換も兼ねて、整備してたんだ。」


「ソニアも昨日は、疲れたのではないですか?ほとんど船の揺れを感じませんでしたよ。」


そう言うと、ソニアは照れたように笑いながら首を傾けた。

「まあ、これが僕の役目だからね。でも...うん、ちょっとは疲れたかな。」


「それにしても、ソニアは本当に頼りになるよな。昨日もそうだけど、あんな状況で船をきっちり操れるなんてさ。」

ハウルが感心したように言うと、ソニアは肩を軽くすくめて微笑んだ。


「ありがとう。でも、ルヴィたちがあのクラーケンを倒してくれたおかげで、僕も落ち着いて操船できたんだ。」


「ハウルも見事な魔法の使いっぷりでしたよ。あれでも結構、体力を消耗するんです。」

私がそう言うと、ハウルは少し首をひねって考え込みながら答えた。


「そうだったのかな?確かに昨日の夜は話す元気もなかったけど...朝はすっきり起きられたし、むしろ元気になってる気がするなあ。」


「ふふ、それは意外です。もしかしたら、ハウルには魔法の才能があるのかもしれませんね。」


そう冗談めかして言うと、ソニアとハウルは顔を見合わせ、こらえきれずに吹き出した。


「おはよう、ルヴィ君、ハウル君、ソニアさん。朝からずいぶん楽しそうだね。」

穏やかな声とともに、船のそばにユピテルとプロセルピーナが現れた。二人とも柔らかな笑顔を浮かべている。


「あ、ユピテルさん!昨日は魔石をたくさんいただいて、ありがとうございました。僕まで貰ってよかったんですか?」


ソニアが少し恐縮したように尋ねると、ユピテルは大げさに肩をすくめて笑ってみせた。

「私はね、ソニアさんこそが昨日の一番の功労者だと思ってるんだ。どう思う、ルヴィ君、ハウル君?」


「ちょうど今、その話をしていたところです。私が魔法をあれだけ正確に扱えたのは、船が揺れず、安定していたおかげですよ。」


ルヴィが言うと、ユピテルは満足そうに頷き、目を細めた。


「さすがだね。君たちがそれを理解しているなら、もう子供とは言えないな。

 昨日、ミネルヴァに、『彼らはもう立派な冒険者だから、正当な報酬を与えるべきだ』って怒られてしまったよ。」


その言葉に、ユピテル自身が笑い出し、つられてみんなも笑った。

そこへマーキュリー、ミネルヴァ、ケレス、バックスも加わり、あっという間に和やかな朝の空気が広がっていった。


やがて、ゆったりとした足取りでアデルとリルが姿を見せた。リルはまだ眠そうに目をこすりながら、アデルの腕にしがみついている。


「おはようございます。皆さん、朝からとても楽しそうですわね。私たちも仲間に入れていただけますか?」


「おはよう、アデル。こっちは昨日の話で盛り上がっていたんだよ。アデルとリルも聞いたら、きっと楽しくなると思うよ。」


ルヴィが微笑みかけると、アデルは柔らかく微笑んで、ちらりとリルを見た。


「ありがとう、ルヴィ。では...リルが昨夜、寝言でどんなことを呟いていたか、私がこっそり教えて差し上げましょうか?」

「お姉様っ!」


突然の反応に場がさらに和み、笑いが浜辺に広がった。朝の光が皆の表情を優しく照らしていた。


そこへ、ウェスタとオケアニスが昨日合流した数名のセイレーンを伴って姿を現した。

「ルヴィ君たちに紹介したい子たちを連れてきたんだ。オケアニスはもう知ってるよね。で、こっちは彼の奥さんで、ユピテル将軍の娘でもあるジュノだよ。」


「へぇ~、オケアニスさんって結婚してたんだぁ...。」


ソニアがぽつりと呟くと、頬がほんのり紅くなる。視線を受けたオケアニスも、さらに真っ赤になりながら照れ笑いを浮かべた。

「あ、あはは...まあ、僕ももういい大人だから、結婚くらいするよ。」


ジュノも照れたように微笑み、夫婦で揃って顔を赤らめている様子に、場の空気がふんわりと和らいだ。


「この子はユピテル将軍の次女、ベスタ。そしてこっちは私の子、ディアナとヘルメス。双子なの。年頃としてはソニアさんと同じくらいかしらね。」


ウェスタが紹介を続けると、最後に並んでいた少年が一歩前へ出てきた。

「俺はアレス。マーキュリーとミネルヴァの息子だ。よろしくな。昨日、君たちの戦いを見てたけど...正直、同年代だなんて思えなかったよ。」


やや憮然とした口調ながらも、素直な感心が滲む声。続いてベスタが、尊敬のまなざしでこちらを見つめながら口を開いた。


「本当に...あんな高位の魔法を、詠唱なしで使えるなんて。驚きました。」

アレスとベスタの真剣な声に、一瞬場が静まり返るが、その静寂を破るように、リルがさらっと一言。


「でも、ルヴィってただの迷子なのよ。」


誰かが止める前に放たれたその言葉に、新しく紹介された面々は一斉にきょとんとした顔でルヴィを見つめた。

アデルとハウル、そしてソニアだけが笑いを堪えきれず、くすくすと笑っていた。


「よく分からないが...」

ユピテルが微笑みながら口を開く。


「そろそろ皆で食事にしよう。腹ごしらえをしてから、残りの作業に取りかかろうじゃないか。」

その一言で場が一気に動き出す。


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