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名もない冒険の物語  作者: 白雉
第一章
2/75

パルマスの街の宿屋

街は穏やかで、平和な雰囲気が漂っていた。大人の身長ほどの塀で囲まれ、その街は草原の中にひっそりと佇んでいた。

門は開け放たれていて、出入り自由に街の人々が行き交う様子が見受けられた。


大通りに足を踏み入れると、活気に満ちた景色が広がっていた。

昼食のための食材を求めているのだろう、食品を扱う店々には人々が群がり、賑やかな雰囲気を醸し出している。

進んでいくと、食肉をぶら下げた店が目に入り、さらに人々が集まって何かを買い求めていた。


その店の手前にある路地に入ると、左手に両開きの扉が見えた。どうやら食肉店の裏口のようだ。

リルが先回りして扉を開け、アデルが中に入っていく。私も後に続いて扉をくぐると、リルが静かに扉を閉めた。

リルは元気な声で店の奥に向かって呼びかけた。「フランツおじさーん!」


アデルの合図で、大鹿を床に横たえた。

ここまでほとんど休まずに歩いてきた二人の少女たちを見て、その体力に感心しつつ、温和な顔をした白髪の男性が部屋に入ってきて口を開いた。


「なんじゃ、アデルとじゃじゃ馬じゃないか。それに、見かけない少年が一緒とは珍しいな?」


「この人はね、人生の迷子なの。」


「なんじゃそりゃ。」と笑いながら、フランツは続けた。「それにしても、この忙しい時間に呼び出してと思ったら、立派な得物を仕留めてきたな。」


リルはにこやかに答える。

「リルたちが本気になれば、このくらいの獲物、毎日捕まえてあげるわよ!」


「ガハハハハ!ずいぶんと威勢がいいな。

 まあ、腹をすかせたクマか何かに襲われてたところを、見知らぬ少年に助けられて、その少年に捕まえさせたんじゃろう?」


フランツとリルの軽快な掛け合いが続いていたが、突然リルが目を丸くして黙り込んでしまう。


「なんじゃ、図星か?ガッハッハッハッハ!」


アデルは微笑みながら状況を説明する。

「フランツおじ様ったら、まるでその場にいたかのように言い当てるから、リルも何も言えなくなっちゃいましたね。」


「それにしても、立派な大鹿だな。ほとんど傷もないし、血抜きもしっかりされてる。こりゃあ美味い肉がたくさん取れるぞ。

 高く売れそうだな。これから解体するが、ここで待ってるか?」


「わたしたちは先に家に帰りたいの。」とリルが答え、すぐにアデルも付け加える。「後でこちらに取りに来てもいいかしら?」


フランツは頷きながら答えた。

「そうか、じゃあ解体しておくから、早めに取りに来いよ。新鮮な方が美味いからな。」


「ありがとう、フランツおじ様。私たちは半分もいらないので、残りはおじ様たちが受け取ってくださる?」

「おう、ありがとよ。」


アデルが申し出ると、フランツは嬉しそうに答えた。


「ところで、この鹿はどこに置いたらいいかしら?」


「そのままで構わんよ。ありがとな、じゃあ早めに取りに来いよ。」


「ありがとう、フランツおじ様。」

「ありがと、フランツおじさん!またあとでね。」


アデルとリルが口々に感謝の言葉を述べる。

私も静かにフランツに一礼し、扉を出た。


アデルとリルに導かれながら街を歩き進めると、賑やかな大通りから少し外れた場所にある、一軒の宿屋にたどり着いた。

外観は明るく、綺麗で清潔感があり、ひと目で温かみのある場所だと感じられた。


宿屋の扉を開くと、アデルとリルが中に入りながら元気に声を上げる。


「ただいま、お母様。」

「お母さまー、ただいま!」

まるで帰宅したかのような明るい声が響く。


リルが私を振り返り、笑顔で呼びかける。

「迷子のお兄さんも早く入って!」


私が宿屋に足を踏み入れると、素敵な女性がにこやかに迎えてくれた。その笑顔には温かさと優しさがあふれており、自然に心が和む。彼女は柔らかな声で言った。


「いらっしゃいませ。お客様ではなくて、娘たちのご友人かしら?」


宿屋の中は意外にも明るく、天窓から差し込む柔らかな日の光がロビーを明るく照らしていた。

木材を基調とした内装は、木材の曲線を活かした梁や筋交いが、自然な温もりを感じさせる。


ロビーの中央に立つ女性は、アデルとリルの母親であるようだ。私は彼女に向かって言った。


「初めまして。二人がお世話になりました。事情があり名前を名乗れないのですが、どうかご容赦ください。」


私が少し緊張しながら挨拶すると、彼女は柔らかな微笑みを返し、穏やかな声で言った。


「そうですか。それで娘たちが連れてきたのですね。私はマリア・フェルステルと申します。この宿の主をしております。

 何かと不自由があるかと思いますが、我が家とお思いになって、ゆっくりくつろいでいらしてください。」


「マリアさん、ありがとうございます。」


「ここでは、大事なお話もできないでしょうから、奥のお部屋でお話ししてはいかがかしら?

 私は昼食の準備をいたしますので、準備が整いましたらお呼びいたしますわ。」


マリアはにこやかに言い、アデルに目配せをした。


アデルに案内された部屋は、ただの一室ではなく、寝所に加えてリビングルームがある、特別な部屋のようだった。

部屋を見渡していると、リルが自信満々に話しかけてきた。


「すごいでしょ、ここは偉い方たちが宿泊するための部屋なの。」


「そんな部屋を私が使うわけには...。」

困惑しながら言うと、リルがさらに続けた。


「そんなことないわ。わたしが生まれてから一度も使われたところを見たことがないの。

 それなのにわたしたちは毎日念入りにお掃除してるんだから、誰かに使ってもらわないとやり甲斐がないわ。」


アデルも続けて言った。

「リルの言うことはともかく、空いているお部屋ですし、ゆっくりくつろげるお部屋の方が、お話もしやすいでしょう。

 母もそう言っているので気兼ねなくお使いください。」


アデルにまで言われると、この部屋に泊まるわけではないし、少しだけでもリラックスできる場所として使わせてもらおうと自分に言い聞かせた。


リビングの中央にある丸テーブルの椅子に座り、アデルに勧められた場所に落ち着く。

アデルは左斜め前に座り、その奥にはリルが座った。会話が始まると、アデルが真剣な表情で話し始めた。


「分かっている事を整理しておきましょう。ここは大陸の南西に位置する群島の一つ、デネリフェ島です。デネリフェ島はお分かりになりますか?」


「はい、分かります。ここはデネリフェ島だったのですか。一年が四つの季節に分かれ、群島の中で一番過ごしやすい島と記憶しています。」


アデルが嬉しそうに頷きながら続けた。

「よくご存知なのですね。この街はデネリフェ島の南にあるパルマスという街ですわ。」


「なるほど、では先ほどの森は祝福の森でしょうか?」


「本当によくご存知なのですね。」


アデルが感心した様子で答える。すると、そのやり取りを見ていたリルが、突然口を挟んできた。


「自分のこと以外は何でも知ってるのね。」

「リル!」


アデルがたしなめる。姉妹のやり取りは、微笑ましくも心地よく、思わずほっこりしてしまう。


リルが急に立ち上がり、舌を出して言った。

「あっ!お肉を取りに行かなきゃ。後の話はお姉様に任せるわね。」


そう言いながら、部屋を出て行ってしまった。


「リルったら...それではお話を戻しましょう。今が王国歴1161年ということは、おわかりになりますか?」


「今日がいつなのかは覚えていないのですが、王国歴については分かります。

 1159年に先王が逝去し、新王が即位されたことや、1161年に王国の貴族が保守派と革新派に分かれて騒乱が起こったことも記憶しています。」


アデルは驚いた表情を浮かべ、少し息を呑んでから言った。


「新王が即位したことは知っていましたが、騒乱のことはまだ伝わってきていません。大陸の方では、そのような大変な事態が起きているのですね。」


「驚かせてしまって申し訳ありません。私の記憶にあるだけで、事実かどうかは自信がありません。」


アデルは優しく手を振りながら微笑み、心配そうに言った。


「謝らないでください。あなたの記憶に間違いがないことは、今までのお話で十分に分かりました。

 ただ、この話は私たち以外にはお話にならない方が良いかもしれません。」


私はその言葉に深く頷き、心から感謝の気持ちを抱いた。

「その通りですね。最初に聞いてくださったのが、あなたで良かった。」


アデルは少し考えるように眉を寄せながら、さらに尋ねてきた。

「これまでのお話から考えると、王都かその近くの街にお住まいだったのではないかと思うのですが、何かお気づきになったことはありませんか?」


「王都やその周辺の街については記憶としてはあるのですが...。」


アデルは少しがっかりした表情を浮かべ、静かに答えた。


「そうですか...私たちの情報では、はっきりとしたことは分からないようですね。では、所持品などを確認した方が良いかもしれません。

 私は少し席を外しますので、どうぞごゆっくりご確認ください。何かありましたら、いつでも声をかけてくださって結構ですので...。」

アデルは微笑んでそう告げ、立ち上がろうとした。しかし、私は思い切ってその手を引き止めた。


「もしよろしければ、アデルさんも一緒に所持品を見ていただけますか?」


アデルは一瞬驚いたように目を見開き、そして柔らかな笑顔で言った。

「あなたの大切な品物でしょうから、お一人で確認された方がよろしいのではないでしょうか?」


「お気遣いありがとうございます。ただ、一人では判断がつかないと思うのです。ですので、どうか一緒に見ていただけないでしょうか?」


アデルはしばらく考え込むように俯き、そして静かに頷いた。

「そこまでおっしゃるのなら、分かりました。一緒に確認させていただきます。それから敬称は不要です。アデルとお呼びください。」


「ありがとうございます。もしよろしければ、こちらに。」


私は左隣に手をかざした。アデルは立ち上がり、私の左隣に椅子を運んで座り直す。


「では、こちらから。」と言って、私は草原で確認し損ねた短剣を取り出した。

短剣はその本来の機能を損なうほど華美な宝飾が施されており、装飾はまるで目を引くように、豪華で繊細だ。それを机の上に静かに置いた。


その瞬間、鞘の部分に不自然な隙間があることに気づいた。アデルもその違和感に気づいた様子で、私たちは静かにその部分を見つめた。

私は短剣を手に取り、不自然な部分を上に向けて、アデルと共に詳しく観察した。


そこだけ装飾がなく、金色の地金がむき出しになっていた。その部分は不自然に抉れており、まるで意図的に削られたように見えた。

その端に、何かの文字が刻まれているのを私たちは発見した。抉れた部分の反対側から、その文字を読み上げてみる。


「1151年二番目の水の月七日風、暁、ルートヴィヒ...。」


私たちは顔を上げ、互いに見つめ合う。言葉にできない重みがその場に漂い、私はふと呟いた。


「こ・これは...。」


その瞬間、時間が止まったように感じ、沈黙が私たちの間に広がった。


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