危険な無人島
朝。
まだ太陽は昇っていなかったが、東の空は薄明るく染まり始め、夜の帳が少しずつ剥がれていくようだった。潮の音は変わらず、優しく耳をくすぐる。
すぐ隣には、毛皮にくるまったままのハウルがいた。私はそっと肩に手を置き、声をかけた。
「ハウル、起きてください。朝ですよ。」
彼はまどろみの中でゆっくり目を開け、少しの間ぼんやりしてから、小さな声で「おはよう。」と言った。
そのまま上半身を起こし、大きく伸びをすると、周囲の様子を確かめながら呟く。
「今日もいい日だね。モンスター討伐日和かな。」
「おはようございます。今日も良い一日になりそうですね。でも、ハウルの冗談はあまり上達しませんね。」
私は苦笑しながらそう返すと、ハウルは照れたように頭をかいて笑った。
やがて少し真剣な声になって、私は彼に話しかける。
「実は、島の中をもう一度見て回って、他にダンジョンの入口がないか確認しておきたいんです。」
するとハウルは、ふっと表情を引き締めて頷いた。
「うん、僕も同じことを考えてた。気になる場所がいくつかあるんだ。一緒に行こう。」
朝の光が柔らかく砂浜を照らし始めた頃、私とハウルが船へ向かうと、ちょうどアデルとリルが甲板から降りてくるところだった。
どうやらソニアは船の点検を続けているらしい。
「やあ!みんな早いね。」
明るい声が響いた。防衛隊副長のケレスが、いつの間にか近くまで来ていた。
「おはようございます、ケレスさん。昨晩は見張りをしてくださって、ありがとうございました。とても気持ちのよい朝を迎えることができました。」
アデルが丁寧にお辞儀しながら感謝を述べると、ケレスもにこやかに返す。
「おはよう、アデルさん。日の下で改めて見ると、アデルさんもアヴリルさんもお美しいですね。
ソニアさんのことを私たちは『船上の女神』と呼んでいたのですが、そういえばルヴィくんとハウルくんも美しい顔立ちですね。
今の人間の方々は皆美しくなっているのでしょうか?」
セイレーンは美的感覚に秀でていると言われている。アデルもリルもソニアも美しいと思っていたが、セイレーン族の眼で見てもそうなのだと改めて実感した。
ハウルは少し照れた様子で後ろ頭をかいた。私も気恥ずかしくなって、話題を変えることにした。
「ケレスさん、朝食の前に島を見回ってみようかと考えているのですが、よろしいでしょうか?」
「良いと思いますよ。ユピテルには私から伝えておきます。ただし、ダンジョンの入り口を見つけたとしても、中には絶対に入らないこと。これは約束ですよ?」
「もちろんです、確認だけですから。」と、ハウルもきっぱり答えた。
すると、リルが話に加わってきた。
「もちろんわたしも一緒に行っていいわよね?お姉様も行きます?」
「もちろんですわ。ソニアはどうするのかしら?」
「船の整備をしたいと言っていたけど、聞いてくるね。」
リルはそう言って船に走っていった。
ハウルがアデルに尋ねる。
「準備、大丈夫?」
「リルには話していませんでしたが、ルヴィが起きたら相談しようと思っていたのです。」
アデルは静かに微笑んだ。
「ってことは、ルヴィと同じことを考えてたわけだね」
ハウルが笑って言うと、アデルは軽く頷いた。
その様子を見ていたケレスが、くすっと笑って言う。
「ふふ、お三方、本当に仲が良いんですね」
そこへリルが戻ってきた。
「ソニアはやっぱり船の整備だって。あら?なんだか楽しそうね?何か面白い話でもしてた?」
「何もありませんよ。では、出発しましょう。ケレスさん、行ってきます。」
ケレスに見送られ、私たち四人は島の探索へと歩き出した。
浜辺から高台へと登り、しばらくその縁をたどって歩いていくと、やがて大きな船の姿が見えてきた。
あれが昨夜、私たちを追い詰めてきた『船のダンジョン』だろう。あまり近づくのは危険だと判断し、私たちは島の頂上を目指して進路を変えることにした。
この島は外周が数百メルテ程度の小さな島で、南北に二つの小高い丘がある。
丘の頂はそれぞれ北と南に位置し、間はわずか十メルテほどの低い尾根でつながっていた。
尾根の西側はなだらかな傾斜で、私たちが登ってきた高台と繋がっているが、そこから外れると急斜面となっていた。
東側は断崖絶壁になっており、少し下に降りた場所には開けた平地のようなものが見える。
その断崖の南寄り、中腹あたりにぽっかりと開いた洞窟のような暗がりがあった。あれが、ダンジョンの入り口に違いないだろう。
ただ、そこへたどり着くには空を飛ぶか、大がかりな梯子でも使わなければ難しそうだ。
島の東側をぐるりと回り、北の海岸まで戻ってみたが、他にダンジョンの入り口らしきものは見つからなかった。
砂浜に戻ると、ソニアがちょうど船の整備を終え、朝食の準備に取りかかろうとしていた。私たちはソニアを手伝い、一緒に朝食の準備をした。
やがて、ユピテルたちも集まり、簡素ながら温かい朝食を囲みながら、今後の方針について情報を共有することとなった。
ユピテルたちもまた島を海上から調査しており、私たちと同じように、確認できたダンジョンの出入り口は断崖中腹の一箇所だけだという。
作戦は当初の計画通り進められることとなった。第一段階としては、東海岸に散乱する瓦礫の撤去。
第二段階で船型ダンジョンの破壊、そして最終的には断崖のダンジョンの入り口を塞ぐ、というものだ。
朝食を終えると、すぐに作業に取りかかることになった。私たちはネフライト号に乗り込み、島の東側へとゆっくり回り込む。
船の上から見下ろすと、海面には折れたマストや板材、壊れた木箱などが浮かび、まるで海そのものが傷を負っているかのように見えた。
リルとハウルは風と水の魔法を駆使し、海面に散らばった瓦礫を、渦を巻くように一か所へと集めていく。
私とアデルは、集められた瓦礫に火の魔法で火を点けていく。だが、長く海水に浸かっていた木々は湿気を含み、なかなか燃え上がらず、苦労が続いた。
潮風に混じって、焦げた木のにおいが鼻をつく。さらに、船に使われていた油や塗料が焼ける匂いも混ざり合い、独特の刺激臭となって立ちのぼる。
「リル、ハウル。燃えている瓦礫が一か所にまとまるように、魔法で少し調整してもらえますか?」
私がそう呼びかけると、リルが軽く頷いて応じた。
「いいわよ。でも...ほんと、なかなか燃えないわね。」
その言葉にソニアが肩をすくめながら答えた。
「塩水に長く浸かってたからね。乾いてない木は火がつきにくいんだ。」
「一つ、試してみたい魔法があるんです。もしうまくいけば、燃やす作業は私が引き受けます。」
そう言い、私は立ち上がり、瓦礫に向かって左手を掲げた。すると、掌から一直線に光の線が輝き、瞬く間に瓦礫は真っ赤な炎の玉に包まれ、爆発した。
瓦礫は跡形も無くなり、木材の焼け焦げた匂いだけが漂っている。
「何よ今の?ルヴィ、そんなことできるなら最初からやってよね!」
リルが思わず叫ぶと、アデルがそっと肩を押さえながら微笑んだ。
「リル、燃やすのはルヴィに任せましょう。私たちは瓦礫を集めた方が効率が良いですわ。三人でやれば、もっと早く終わります。」
「うまくいってよかったです。ありがとう、アデル。では、そのようにしましょう。」
私が礼を述べると、船の舵を取っていたソニアが「移動するよ。」と声をかけてきた。
瓦礫の処理は順調に進み、私たちは二度ほど場所を変えては、集められた破片を魔法で焼却していった。
すると、様子を見に来たユピテルがこちらを見て目を丸くした。
「驚いたな、ルヴィ君...そんな上位魔法を、しかも無詠唱で...君のような魔法使いが、あの島にいたとは聞いたことがなかったが...一体、君は何者なんだ?」
「昨日はお話しできませんでしたが、実は私は記憶を失っておりまして...詳しいことは、後ほど改めてお話しします。」
私がそう返すと、ユピテルは少し頷いて、真剣な顔つきになった。
「そうか。それなら今は作業を進めよう。君たちの魔法なら、瓦礫の処理は私たちより早いようだ。悪いが、東側が片付いたら西側の方も手伝ってくれるかな?」
「もちろんです。こちらが片付いたら、向かいます。」
「助かるよ。よろしく頼む。」
そう言い残すと、ユピテルは海面をすべるようにして離れていった。
東側の片付けを終えた私たちは、ネフライト号で島の西海岸へと移動し、同じように瓦礫の処理を続けた。
すべての瓦礫を燃やし尽くした頃には、太陽はすでに中天を過ぎ、島の影がわずかに伸びはじめていた。
大きな船型ダンジョンの西側に全員が集結すると、事前に打ち合わせていた通りの陣形が静かに組まれていった。
最前線には、格闘や槍などの武器に長けたセイレーンの戦士たちがずらりと並んでいる。
バックス、ケレス、ミネルヴァ、三人の指揮官たちが前線に立ち、武器を構えていた。
彼らの背後には、回復や補助魔法を得意とするセイレーンたちが配置され、マーキュリー、ウェスタ、オケアニスが並んでそれぞれ前衛の動きを見守っている。
さらにその後方、私たちネフライト号の周囲には、攻撃魔法の行使に優れた魔導士たちが陣取っていた。
その中心には、全体の指揮をとるユピテルとプロセルピーナが控えている。二人の視線は常に全体を捉えており、戦況を見逃す気配はない。
ネフライト号の甲板では、ソニアが船体の操作を担当し、リルとハウルがその補助に就いている。
戦闘がこちらまで及ぶことはないだろうが、念のため彼らも武器を用意していた。
私はアデルと共に、魔法が得意なセイレーンたちと一緒に魔法攻撃を担当することになっていた。
「アデル、無理はなさらないでください。何かあったらすぐに伝えてくださいね。」
「ありがとう、ルヴィ。でも私は大丈夫ですわ。」
アデルは軽く微笑み、真剣な目を私に向けた。
「準備完了だ。ルヴィ君、始めてくれ。」
ユピテルの力強い声が響いた。
「わかりました、では。」
私は左手を掲げる。大きな船の船首、あの不気味な触手が姿を現した場所を狙って、集中力を最大限に高めた。
空気が震え、手から解き放たれた光の玉は瞬く間に紅蓮の火球へと変わり、船首に直撃すると、爆音とともに激しく爆ぜた。
火炎が舞い、木片が四散する。その衝撃に続くように、私たち全員が一斉に魔法を放ち、船首を完全に破壊しにかかる。
すると、炎に包まれた船体の中から、黒く蠢く影が海へ逃れ、こちらに向かって迫ってきた。
「来るぞ!」
バックスの声と同時に、前衛のセイレーンたちが一斉に構える。
巨大なカニのような甲殻を持つモンスターに、うねるように這い出す蛇型の魔獣、そして空からはコウモリのような影が羽ばたきながら襲いかかってくる。
私は空に向けて雷の矢を放ち、飛行するモンスターを撃ち落としていく。
大きな船は、船首からじわじわと崩れ始めていた。
炎に包まれた木材が弾けるたび、乾いた破裂音が空に響き、あたりには焼け焦げた木と油の混じった重たい匂いが漂っている。
「順調に燃えてるね...。」
誰かがそう呟いた、その直後だった。
バキッ!
まるで巨木を割ったような鋭い音が、海の静けさを裂いた。
「ルヴィ、今の音、聞こえたか?」
ハウルが顔を強ばらせて私に問いかけてきた。
「はい。恐らく、ハウルの考えている通りです。」
私もすぐに異変を察知していた。これは、ただの崩壊音ではない。
私は周囲に向かって声を張り上げた。
「何かが来ます!気をつけてください!」
木を裂くような音が連続して響き始めた。船体の深部から、まるで内部で何かが蠢いているような、低くくぐもった震えが伝わってくる。
炎に包まれた船腹の奥から、巨大な白い影が突如として姿を現し、ずるりと海へと滑り落ちた。水面が跳ね、しぶきが高く舞い上がる。
それは海の中で自在に動き始めた。前衛で戦っていたセイレーンたちから驚きの声が上がった。
1メルテ=1メートル




