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名もない冒険の物語  作者: 白雉
第一章
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私たちの船

昼間は太陽の位置を、夜は星々の光を頼りに進路を決める。

さらに、季節ごとの風向きにも規則があるため、風の流れを感じるだけで、おおよその方角を知ることができるという。

この海域で注意すべきは、南方の海賊、そして時折、海中から姿を現す魔物たち、その二つだけだ。

今はちょうど、西北西から吹く季節風が東へ向かう私たちの船を力強く押してくれている。まさに順風満帆というべき航海日和だった。


ただ、帰路では風向きが逆になり、航行は難しくなるかもしれない。

しかし、ソニアの話によれば、内海には左回りの海流があり、それに乗ればスムーズに戻ることができるそうだ。

沖へと出てしばらくすると、風が落ち着き、帆も舵も安定してきた。ソニアはひと息ついて、にっこり笑う。


「これからは、方角だけ気にしていれば大丈夫かな。今の時期、風はほとんど変わらないからね。天気さえ崩れなければ、のんびり進めるよ。」


その言葉に、リルが感嘆の声を漏らす。

「ソニアって器用なのね。両手と足まで使って船を操ってるなんて、見てるだけでびっくりしたわ。」


「このくらいの船ならね。慣れれば簡単だよ。リルもやってみる?」


「ソニアにとっては簡単なのかもしれないけど、わたしは見てるだけで目が回りそうだったわ!」


「アハハ、それは見たかったなぁ。リルの目がくるくるしてるところ。」

「回ってないわよっ、回りそうだっただけよ!」


にぎやかな笑い声が船の上に響く。するとリルが、急にこちらを振り向いて言った。

「ところでルヴィ、しばらく時間あるなら何か教えてよ。せっかくだし、旅の間に色んなことを覚えたいんだ。」


「突然、教えてと言われても、何を教えたら良いのだろうか?」


不意の問いかけに、私は言葉を探しながらも、思わず笑みを浮かべた。


「魔法を教えてくれるって、約束したでしょ?」

リルが不意に言い出した。

「ああ、そうでしたね。」私は頷き、ふと尋ねる。


「ところで、前に渡した魔法の基礎の本、ちゃんと読み進めていますか?」


「少しずつ読んでるけど、途中で眠くなっちゃって、そのまま寝ちゃうの。あれって、そういう魔法なのかしら?」


「アハハハハハ!」

ハウルが大声で笑い出す。

「リルらしいな。でも、それは魔法のせいじゃなくて、ただの睡魔だよ。」


頬をふくらませたリルが「むぅ~」と睨むようにハウルを見る。その表情は、もうすっかり旅の中の定番風景だ。


「でもね、あの本には、魔法を使うために必要な基礎的な知識や、気を付けるべきことが詳しく書かれているんですよ。

 初級から中級、それに一部の上級魔法まで、段階的に覚えられるようになっています。

 真面目に読み進めれば、読み終える頃には、きっとリルにも魔法が扱えるようになりますよ。」


「えっ、そうなの?そういうことは早く教えてくれないと。でも、どうすれば睡魔の魔法をかわすことができるのかしら?」


その言葉に、ソニアがにやりと笑って口を挟む。

「リルはまだ本気で魔法を覚えようって気持ちが足りないんだよ。僕なんか、船を操ってるときは、楽しすぎて眠るのを忘れちゃうよ。」


その一言で、船の上にまた笑い声が広がった。


「確かに、ソニアの言う通りかもしれませんね。」


私は微笑みながらリルに言った。

「本当に魔法を好きになれれば、本を読み進めるのは苦じゃなくなると思いますよ。でも...ひとつ約束してくれたら、簡単な魔法を教えましょう。」


「わかったわ。約束するから早く教えなさいよ!」

リルが目を輝かせて答える。


するとすかさずアデルが口を挟んだ。

「リル!教えていただくのに、その言い方はありませんわ。『教えなさいよ』ではなく、『お教えください』でしょう?」


「う...ごめんなさい。ルヴィ。魔法を、教えてください。」


リルの言葉をアデルがたしなめる、これもいつもの風景だ。まだ出会って数日しか過ぎていないのに、日常の風景があることを新鮮に嬉しく感じる。


「では、改めて。約束です。」


私は静かに、しかし真剣に言葉を続けた。


「あの本にも書かれていることですが、新しい魔法を使うときは、その魔法を扱うための技量が自分にあるかどうか、必ず確認すること。これが何よりも大切です。

 確認を怠ると、マナが尽きて意識を失ったり、ひどい場合は命に関わることすらあります。だから、慣れるまでは、必ず私に一言声をかけてから使ってください。

 いいですね、リル?」


「はい、ルヴィ先生。わかりました!」


「こんな時だけ“先生”呼ばわりか。リルは本当に調子がいいなぁ。」

ハウルが肩をすくめて笑いながら言う。

「そんな風に言ってたら、ルヴィがへそを曲げて、次の魔法は教えてくれなくなっちゃうかもしれないぞ?」


「えっ!?だ、だめよ、ルヴィ先生!ちゃんと真面目に覚えますから、お願いします!」

リルが慌てて手を合わせる。その様子を見て、私はくすっと笑った。


「フフフ、そんなことでへそは曲がりませんよ。」


「魔法は大きく分けて三つに分類されます。」

私は皆の視線が集まったのを確認してから、ゆっくりと語り始めた。


「一つ目は、自然界に存在するマナを利用して、火や水、風や雷といった様々な現象を引き起こす魔法です。私たちが普段使うのは、主にこの系統ですね。」


皆がこくりと頷く。特にリルは、先ほどとは打って変わって真剣な面持ちだ。


「二つ目は『精霊魔法』この世界と隣接する精霊界から力を借り、精霊の特性に応じた魔法を使います。

 契約や親和性が必要ですが、契約した精霊によっては非常に強力な魔法を行使できます。」


「精霊の力って、自然とは違うんですか?」

アデルが静かに問いかける。


「似ているようで違います。精霊は意思を持ち、呼びかけに応じてくれる存在ですから、より繊細な関係性が求められるのです。」


「へえ精霊かぁ、いつか会ってみたいな。」

ソニアが目を輝かせてつぶやいた。


「三つ目が『神聖魔法』これは、神々の加護を受けて行使する魔法で、回復や守護といった奇跡の力が中心です。

 高位の魔法になると、骨を元通りに戻したり、失った手足を再生させることもできます。」


「まるで神話の世界ですわね。」

アデルがそっと手を胸元に当てて呟いた。


「私たちが使う魔法では、最も大切なのはマナの扱い方です。繊細な操作と、絶え間ない訓練が必要になります。

 これだけは覚えておいてください。魔法は感覚で使うのではなく、積み重ねで扱えるようになるものです。」


私は話を続けた。


「魔法は、自分のマナ、あるいは周囲に存在するマナをコントロールして発動します。初心者は自分のマナを使うことが多いですね。

 そして、魔法を効率よく、安定して発動するために『詠唱』が必要になります。ここは海の上ですから、波を起こすスペルを教えましょう。」


リルはまるで吸い込まれるように私の言葉に集中していた。

その隣では、ソニアが船の舵から手を放し、ひざを抱えるようにしてこちらをじっと見つめていた。

アデルは静かに微笑みながら私の言葉を聞いていた。


一方でハウルは、遠くに目を向けているふりをしていたが、風に揺れる耳の向きがしっかりこちらに向いていた。


何度も繰り返し唱え方を教え、皆が呪文を覚えられるよう根気よく指導した。

アデルは驚くほど早く、一度聞いただけで詠唱を覚え、小さな波を海面に立たせてみせた。


皆も暗唱できるようになると、それぞれ海に向かって詠唱を試みたが、集中が足りなかったり、マナの流れをうまくつかめなかったりと、波のかけらも生じない。

それでも、アデルはすぐに少し大きめの波まで自在に起こせるようになっていた。


「アデルは本当にすごいですね。一度で覚えただけでなく、ここまで自然に操れるなんて。」


私が感嘆の声を漏らすと、アデルは少し恥ずかしそうにうつむきながら明かした。

「実は、リルが毎晩本を開いたまま眠ってしまうので、こっそり続きを読んでいたんですの。」


「お姉様、それってずるい!盗み読みなんて、ひどいわ!」


「リルも寝ないでちゃんと読んでたら、今ごろもっと波を上手く起こせてたんじゃないかな?」

ソニアが茶化すように笑って言うと、リルは反論できず、ふくれっ面のまま黙ってしまった。


「リル、気持ちを集中させないと、スペルを唱えただけでは魔法は使えませんよ。リルが集中できるよう、みんなで静かに見守りましょう。」


「...逆に集中できないから、普通にしててくれる?」


皆が思い思いにくつろぐ中、リルは一人、集中して詠唱を繰り返した。

やがて、海面に小さなさざ波がふわりと立つ。リルの目がぱっと輝く。彼女はそのまま、もう一度、深呼吸をして呪文を唱えた。波は再び、確かに応えて揺れた。


そのとき、西の空が深い紅に染まり、太陽が静かに水平線へと沈もうとしていた。

あまりの迫力に、誰もが言葉を飲む。その光景に目を奪われていたその瞬間、沈む直前の太陽が、一閃の翠の光を放った。


「わぁ...すごい!グリーンフラッシュだよ!この旅、きっといい旅になるって、空が祝ってくれてるんだね。」


「今のがグリーンフラッシュですか。本当に綺麗な輝きでした。」


「ソニアとルヴィはご存じだったのですね。あんなに美しく緑に輝くなんて...驚きました。」


「オレも見とれてたよ。あれはまるで、オレたちの旅を祝福する光だったな。」


リルはというと、ぽかんと口を開けたまま、まるで時間が止まってしまったかのように固まっていた。


私はゆっくりと頷いた。


「知識としては知っていましたが、実物は、想像を遥かに超えていました。この世界には、きっとまだまだ知らない美しさがある。

 それを、旅の中で一つずつ、自分の目で確かめていきたい、そんな気持ちが、今ふつふつと湧いてきました。」


「...ルヴィ、素敵ですわね。その旅、わたしもご一緒させていただきたいですわ。」

アデルが、やや伏し目がちにそう言う。


「な、なにお姉様!こんなところでルヴィにプロポーズなんかして!」

リルが突然叫んで、場が凍りつく。


「ち、ちがいますわ!そういう意味ではありませんっ!」

アデルが真っ赤になって必死に否定する。私まで思わず顔が熱くなるのを感じた。


「ルヴィまで赤くなっちゃってさ。でも、アデルには悪いけど、その旅にはオレもついて行くからな。」

ハウルが茶目っ気たっぷりに笑って言う。


「ハウルまでそんなことを仰るなんて、リルの話し方に似てきたのではないですか?」


「わぁー!楽しそう!じゃあ僕も行く!いや、行くって今、決めた!」

ソニアが手を挙げて、元気よく宣言した。妙な空気になりかけた話題は、ソニアの一言でうまく旅の話に戻った。


気がつけば、西の空には薄明かりが残るばかりで、東の空からは美しいニノ月が顔を出し始めていた。

やがて、空全体に星々が瞬き始め、静かに夜の帷が世界を包んでいった。


「そうだ!緑の宝石、この船の名前、ネフライト号にしない?」

リルが、空を見上げていたかと思うと突然声を上げた。


「ネフライト...」

私はその響きを口の中で転がす。あのグリーンフラッシュの光を思い出しながら。


「そういえば、船の名前ってまだ決めてなかったね。」

ソニアがリルの言葉に目を輝かせてうなずく。

「出航のあとに、あんな綺麗なグリーンフラッシュが見られたんだし、ぴったりの名前だと思うな。僕は賛成!」


「緑の宝石か...意味も音も、悪くない。オレもいいと思う」

ハウルが頷くと、アデルも微笑みながら頷いた。


皆が口を揃えて賛同し、船の名は自然と決まった。


海の上で迎える初めての夜、その静けさは不思議な緊張感をはらんでいた。

昼間の海はあれほど輝いていたのに、今は漆黒の闇に塗りつぶされ、波の音すら深淵の呼吸のように思える。


「これからは交代で休もう。最初はオレが見張ってるから、みんな休んでくれ」

「僕も起きてるよ。途中で誰かに交代してもらうつもりだけどね」


「ありがとうございます。それでは私とリルとルヴィは、先に休ませていただきますね」


「夜は冷えるだろうから、アデルとリルは楼の中で休んでください。私は毛皮をかぶって横になります」

私は船縁の少し離れたところに腰を下ろし、毛皮をかけながら言った。


「ありがとう、ルヴィ。じゃあ、お姉様と楼を使わせてもらうわね」

リルが素直に返事をしてアデルと一緒に楼へ向かう。


「ハウル、ソニア、よろしく頼みます。何かあったら、すぐ声かけてくださいね」

私はそう言い残して毛皮を肩まで引き上げ、静かに横になった。


見上げた空には、星々が降るように瞬いていた。

やがて、船の上での初めての眠りに、私は身を委ねた。



◇◇◇



ハウルにそっと肩を揺すられて目を覚ますと、天頂には半分欠けた二ノ月が、銀の光をたたえて静かに浮かんでいた。

ソニアに声をかけられ、アデルとリルも眠たげな顔をしながら起きてくる。


「僕はまだまだ平気だけど、せっかく人数もいるから交代してもらうね。

 舵の使い方と帆の操り方は、昼間教えた通りだけど、うまくいかなかったら起こしてね。それと進む方向だけど...」


そう言いながら、ソニアは夜空の一点を指差した。


「北三角星ですね。あの三つ並んだ星を左手に見ながら進めばいいんですね。」


「さすがルヴィ。僕が言うまでもなかったね。きっと朝まで何も起こらないと思うけど、よろしくね。」


「わかりました。ソニアもハウルも、しっかり休んでください。」


ソニアは楼へと入り、ハウルは私が使っていた毛皮を引き寄せ、船体の傍で体を横たえた。


「ルヴィ、後ろはわたしが見るから、お姉様と一緒に前を見張ってて。」

まるで当然のように決めてしまい、振り返りもせずに船尾を陣取る。


素直にアデルと並んで船首へと向かい、夜の海を見つめた。


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