お姫様と私、貴族のお茶会。
私は、大変な状況に陥っている。
これは悪夢の再来、いやそれ以上の不幸である。
「コニ、こちらのクッキーもお食べなさいな」
「ハハ、ハイ」
「コニ、紅茶が冷めてしまってよ?」
「しゅ、すみません!あつ!」
「あらあら、お水いる?」
「だいじょうぶです…」
以上、お茶会におけるお姫様と私の会話である。
いつもと似ても似つかない状況だということは歴然としているし、その要因が私たちを取り囲む貴族様連中だということも分かり切っているだろう。
不自然なほどに静まり返った周囲と、お姫様の朗らかさの温度差はこれいかに。
そして、すべての元凶が不在とはどういうことだ。
「もう、なんで今日はこんなに静かなのかしら」
それは、私という不審者もしくは異分子が部屋のど真ん中に居るからである。
確実に皆様方の眼は「テメェ何者だ」とおっしゃっている。当然である。私だって、何故自分がここに居なくてはいけないのかききたい。私は、ただ廊下を歩いていただけなのだ。
お姫様も、わざと分からないフリをして焦燥感を煽りたてるのはやめて頂きたい。今の発言で、今度は誰が先に言葉を発するかで牽制し合う雰囲気になってしまったではないか。
部屋に満ちてる空気のピリピリ度合いが、どんどん増していく。
そんな中、先触れの声とともに扉が開かれた。
「やぁ、レイチェル今日も麗しいな。子犬ちゃんは久しぶりだね。ご機嫌いかが?」
天の助けか、地獄の鐘か。
満を持して登場されたのは、今日この場の諸悪の根源であるシェリア王太子殿下その人である。
「殿下、ご機嫌麗しいようで何よりですわ。お会いできて、とっても嬉しいです」
「御機嫌よう」
派手な登場は主役に相応しく、その微笑みは大輪の薔薇という陳腐な例えがぴったりな胡散臭さである。もちろん、それに応えた我らがお姫様の笑顔も勝るとも劣らない、氷点下における水の柱のような煌びやかさである。
つまり、ものすごい御機嫌と不機嫌の対決だ。
レイチーのお気に入りだけあって、勘の良い信者様たちの顔色は蒼白である。やはりレイチーはお姫様になっても恐ろしく、恐ろしくとも魅力的で美しくあるのだと感心しきりだ。
こんな風に思考を巡らせるのは現実逃避でしかない。
私の直面する現実とは、このお茶会をめぐるお姫様と殿下のめんどくさい嫌味の応酬を止める人間が自分しかいないというものである。私より身分の高い人は居るが、その人たちの顔を見ればそんなことを頼めるような精神状態ではなさそうだ。顔色が悪いままである。
一人は、まだ若い少年ぽさの残るミシェル様。育ちの良さが滲み出ているが、少し我がままで甘ったれな部分がありそうだ。お姫様がかわゆい子猫と呼んでいたのは、彼かもしれない。
もう一人は、やや線の細い美青年のスーリル様。真面目そうではあるものの少し神経質っぽいから、我に返ったら嫌味のひとつでも吐かれそうだ。だって気は強そうだもの。
最後の一人は、何だか庶民っぽいマーカス様。でもこういう方こそ大貴族だったりするから油断はできない。珍しい赤毛のせいか熱血漢に見えるけど、三人の中では一番冷静かもしれない。ちょっと目が合ってしまった。
何にしても、この三人の中に殿下とお姫様を諌められる身分の貴族様はいらっしゃらないということか。
ここはひとつ、私が根性を見せるしかない。
「レイチー、紅茶が冷めてしまいますよ?」
私に視線が集中するのは分かっていたことなので、スルーさせて頂きたい。
お姫様の申し訳なさそうな視線も、殿下の面白がるような視線も、ありえないものをみるような三人の視線も総無視したいところである。
「あぁ、ごめんなさい。つい無責任な笑顔に我を忘れてしまいましたわ」
「誰でも好きなことには夢中になってしまいますから…」
「そんな子犬ちゃんの好きなケーキ、持ってきたよ」
殿下は何故こうも得意気なのだろうか。
もしや、私が「レモーネ・ケーキの君」などと噂されていることをこの場で知らしめ、自分が発見したことを披歴したいという魂胆か。ああ、そう考えたらすべて辻褄が合ってしまう。
そんなことのために、私はこのお茶会に招待という名の拉致をされたのか。
そのお詫びと証拠の品がそのケーキなのだろうか。
ということは。
「……ありがとうございます」
案の定、レモーネ・ケーキである。
たしかにこのケーキは大好物であるのだが、こんなにも面倒事を運んでくるとなると考えものである。
たしかに、こんがりキツネ色に焼けたバターの香りにほのかに混じるレモーネの爽やかさがたまらないものではあるのだが。しかも今日はホイップされた真っ白のミルクが添えられているという素晴らしさなのだが。あいも変わらずの美味しそうなケーキなのだ、が。
なぜ殿下はそのケーキの乗った皿をご自分で持って離さないのだろうか。せめて取り分けさせて頂きたい。いや、なんとなく、いや確実に、私の視線が離れないのが面白いのだろうが。
いい加減、そのお皿を上下左右に揺らすのは止めて欲しいものである。
「殿下、あまりコニで遊ばないで頂けますか?」
「ふは!ごめんごめん、あんまりにも無邪気で可愛いから」
まるで犬猫に餌をやるときのような台詞に仕草である。これで頭や喉を撫でないだけ、ご当主様よりはマシなのかもしれないが、比べる相手が悪すぎる。
「あら、殿下もコニの可愛さがおわかりになりますの?…意外ですわ」
「そうかな?この前、ローレルがあんまりにも楽しそうだったから、影響されたのかもね」
あ、まずい。
この前の里帰りの一件は、まだお姫様に報告していないのだ。
私が「レモーネ・ケーキの君」であることはバレてしまったが、しかし同性愛疑惑は払拭されたのだから急いで報告する必要もないと思ったのだ。
内緒にしていたわけではないが、気分を害してしまっただろうか。気分を害すだけなら問題ないが、傷つけたりしたいわけではない。
「義兄上…?もしかして、サーベルトの屋敷にいらっしゃいましたの?」
「あれ、子犬ちゃんから聞いてないのか。へぇ。俺と子犬ちゃんの秘密ってのも良いね」
下手に放置すると、このようなめんどくさい出来事が起こるということを学んだ。
やはり、報告連絡相談は大切である。
「コニ!どういうことですの!?」
「いや、里帰りから戻ってまだ七日ですし…」
言い訳になっているのかなっていないのかは微妙だが、いつものお庭でティー・パーティをしない私たちに連絡手段などないのだ。報告しようと思ったらお屋敷に手紙を出さなくてはいけないし、そこまでする必要性はなかったと思ったのだが。
「そういう問題ではございませんわ!苛められませんでしたか?義兄上と殿下とコニだなんて、猟師の間に子犬を放り込むようなものですもの、無事なのが不思議なくらいですわ」
「え…?」
お姫様まで、子犬扱いするとは一体全体どういうことか。
お茶に何か変なモノでも入っていたのだろうか。
「酷いなぁレイチェル、せめて狼の群に子羊って言わなきゃ」
「ふふ、義兄上や殿下を無垢な動物に喩えるなんてできませんもの」
「褒められてるのかな?」
「ふふふ」
「ははは」
「…」
何、この二人。
許嫁って砂糖菓子より甘いものだって噂は嘘だったのか。
いや、でも殿下はこの上なく楽しそうなご様子でいらっしゃるから、これは愛ゆえなのだろう。恋愛って複雑怪奇なものなのだな、まだまだ私には理解が及ばない境地である。
そんなことを思っていると、ようやく思考を取り戻した信者様に絡まれた。
「ねぇねぇ、君ってレイチェル様の友達なの?」
「いやむしろ侍女かなんかじゃねーのか」
「バカですか、さっき愛称で呼んでいたの聞いたでしょう。お友達…というより、この方が噂のレモーネ・ケーキの君とみて間違いないでしょう」
やはり、スーリル様は毒舌なのか。しかし予想よりもずっと怜悧な印象だ。ミシェル様は予想以上に子供っぽく、マーカス様は想像通りの粗野っぷりである。
私の観察眼も、お姫様に鍛えられただけあってなかなか鋭いのではないだろうか。
「えー!?女の子だよぉ」
「なんだ、ライバルってわけじゃなかったのか?その割に、殿下が絡んでるみてぇだけど…」
「ライバルかどうかってのは保留ですね」
「えー?なんでぇ?こんな可愛い子犬ちゃんなんか、僕たちに刃向えないと思うけど」
あれ、思いのほかミシェル様が冷酷というか腹黒い雰囲気。そしてスーリル様は天然なのか、ライバルかどうか保留っておかしいだろうに。
「…でもさっきの冷戦止めたの、このお譲ちゃんだったじゃねぇか」
「あ!そっかぁ…じゃあ、君も」
「恐れ多くも、ただの友達です」
なんて物騒な方々なのか。じとりとした視線に、慌てて友達である旨を主張した。
やはり信者は身分の高低に関わらず厄介な人たちばかりである。
その筆頭が殿下であり、今回の拉致の顛末を考えると、完全に私の素性はばれたと考えて良いだろう。これから私はどうなってしまうのか。
そして、私のレモーネ・ケーキはいつになったら食べられるのか。
遠まわしで終わりの見えない会話の応酬を眺めながら、ひっそりと息を吐く。
結局ケーキを食べられたのはホイップが崩れかけた頃であった。
やはり高貴な方々は、めんどくさい。