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お姫様と私。  作者: kemuri
転章<告白編>
35/36

お姫様と私、ひとめぐり。

 都合の悪いことは忘れやすいけれど、忘れたていたことがその帳尻を合わせる段階になってプラスに働くことはほとんどないといって良いだろう。

 少なくとも、私が今とても後悔しているということは事実である。


「さぁ、ユクレーヌ様にこんな手紙を頂いてしまうような事態について、僕に早く説明してくれないかな?」


 ご当主様の白い指先にひらりと挟まれた封書は、お目にかかるのもすでに三回目とあっては間違えるはずもない王妃様からのものであった。すでに開封されているところをみると、その宛先はご当主様であることも間違いないが、その内容に私が関わっていることも、ご当主様のご様子から火を見るより明らかだろう。

 にっこりと麗しく微笑んでいるご当主様であるが、その機嫌が麗しさとは対極にあることは分かりきっている。そうでなくては、この冷え切った空気の説明がまったくつかない。

 こくり、と喉が鳴った。


「説明、というと…?」


 手紙の内容については様々な予測が立てられるが、しかしどれもありそうで気ばかりが焦ってしまう。

 シェリア様と呼ばわっている件か、それとも私の初恋疑惑だろうか。嗚呼、もしくはそれから発展していく王宮勤めへの再勧誘かもしれない。

 そのどれもが、ご当主様のご機嫌を損ねるには十分なものだということくらいは理解できる。


「この、コニを貰うのも時間の問題だという内容の根拠を簡潔に述べよってことだね」

「もら…えっ時間?問題、へ!?」


 まさかの飛躍に、思考が追いつかない。

 取り乱した思考のままに、口からは言葉にならないままに音が発されてしまった。おそらく私の目は大きく見開いたまま、瞬きも忘れているだろう。

 それは、全く曖昧に暈かすこともしていない、私を娶る宣言であった。

 しかも、その宣言する相手が現在の許嫁を後見しているサーベルト家のご当主様なのだ。どう考えても戯れを通り越して、喧嘩を売っているとしか考えられないものだろう。

 これが個人的に親しいご関係であるとお見受けするお二人のやりとりでなければ、私は卒倒していたかもしれない。

 何と言っても、そこに自分が深く関わっているのだ。


「落ち着いて、時間はたっぷりあるんだから。ああ、そういえば…昨日のレイチェルがものすごい剣幕でやってきた件についてもまだ聞いていなかったし」

「ふわ!」


 呆れたようなご当主様の声に我に返り、その後に続けられた言葉に再び意識が遠のく。

 一瞬の間に目の前に迫った端正なお顔に思わずじりりと後ずさった私の指に、ご当主様のそれが絡んだ。


「コニ、」


 さらりとした指の思いがけない温かさに気を取られていれば、きゅっとその指に力が込められて、つい窺うように視線を上げてしまう。

 そして、後悔した。


「逃がさないよ」

「!」


 熱くて深い視線だ。

 単純な感情でさえ見誤ったり見過ごしてしまう私に、その内実を正確に推し量ることなどできない。

 それでも、その視線に溺れてしまったように、だんだんと近づいてくるご当主様から逃れることはできなかった。逃れようと思うことができなかった。

 ふっと唇の上を掠めた熱は、左の耳朶に落とされる。


「ぁ、」


 かくりと膝から力が抜け、ご当主様の腕に抱きとめられた。普段ならばそんな恐れ多い事態からは全力で逃げ出すのであるが、今回ばかりはそんなことに思い至る隙もない。


「コニ、良い子だから全部話しなさい」


 その言葉に、私が抗えるはずもない。

 この時の私には、沸騰したような頭に響くご当主様の声に、こくこくと首を縦に振ることしかできなかったのだ。


「好きになってしまったのかもしれません」


 ふかふかの布が張られた長椅子に、ご当主様と至近距離で向かい合うように座らされた。

 右隣に座るご当主様は珍しくも行儀悪く左足を椅子の上へ乗り上げ、右手で私の指をゆるく拘束している。そんなことをしなくても、すでに私は逃げたり誤魔化したりするような気力はないのだが。しかし、そのことを主張しようと考えるような思考の余裕も、この時の私にはなかった。少しひねった上半身に窮屈さを感じることさえなかったのだから、正しく恐慌状態にあったと言えるだろう。

 そして少し目を伏せたまま、私は殿下やレイチー、それに王妃様とのやりとりを話した。

 気づいてしまった自分の変化、それに伴う感情とか状況のありよう、そんなことを話した。

 ぽつりぽつりとではあったが、私なりに正確にありのままを言葉にしたつもりである。こうして言葉にする前には怖かったご当主様への告白であったが、いざ話し出せば言葉はするすると口から零れていく。まるで、聞いてもらうのを待っていたかのように、私の告白は饒舌ではないが滞ることもない。

 ご当主様の指は、さらりと温かいまま私の手に重ねられていた。


「でも結局は、ずっと一緒に居たい、そう言って頂けたことがとても嬉しかったのだと思います」

「…ふぅん」


 言うべきことを全て話して、ようやくご当主様を見上げれば、案の定そのご機嫌は傾いたままであった。だがそれも、心の中に渦巻いていたもやもやを吐き出した後の私にはそこまで恐れるものではないように感じられていた。

 ただ単に後は野となれ山となれ、という気分に近かっただけかもしれないが。


「ずっと一緒に、ね…」

「あの、」


 ふと呟かれた声が、何故か淋しげで思わず声を上げてしまった。

 何も言うべきことは残っていなかったのに。

 しかし、それに続ける言葉が思いつかずに焦る前に、ご当主様の言葉が耳に届く。


「それなら、僕はどうなるのかな?」

「…え?」

「コニは、僕とずっと一緒に居たじゃないか」


 透明な光を湛えた藍色の瞳が、真っすぐに私に向けられていた。

 子供が不思議なことを両親に尋ねるときのような、ご当主様にはとても珍しいだろう何の含みもない、言葉通りの感情しか含まない視線だった。少なくとも、私にはそう見えた。

 きゅっと心臓が苦しくなる。

 これは、初めて会った時に感じた身の竦むような畏れとは真逆の感情だ。


「殿下とお会いしてコニは変わったと言うけど、その変化は本当に殿下だけのせいなの?僕と一緒に過ごしてきた時間が、コニを全く変えることはできなかったなんて思いたくはないな」

「ご当主様、」

「だって、一緒に居たのは僕なんだから」


 そう、確かにご当主様が私を全く変えることがなかったはずはない。

 ご当主様は、お姫様だって気づいていた私の特別なのだ。最もそれは、お姫様が考えていたような特別だったりご当主様が望むような特別ではなかったかもしれない。それでも、ご当主様が私にとって始まりのきっかけであったことは疑うべくもないのだ。

 それこそ、コニという呼称に違和感がない存在であるくらいには、特別だ。

 この特別は、ご当主様の言うように一緒に居たことで形作られたものだろう。ということは、私が一緒に居たいと意識するまでもなく一緒に居たご当主様を、私は無意識の内にでも特別好きになっていたのだろうか。

 いわゆる、初恋という意味で。

 …いや、まさかそんなはずはない。でも良く分からなくなってきてしまった。

 それなら、私とシェリア様の関係はどうなるのだろう。あの体温の上がるような感情が、錯覚だったはずはないのだ。

 私は、縋るようにご当主様を見てしまったのかもしれない。ご当主様にその答え、その解決を求めることはひどく情けないことなのは分かっていたのだが、私の手には余る問題だった。

 ふっとご当主様の視線がゆるむ。


「もちろん、殿下との関係を否定しているわけじゃないよ。でも、もしそこにコニの確かな気持ちがまだないなら、殿下だけが特別だと決めてしまわないで欲しい。もしその特別が動かせないのなら、せめて、そこに僕も入れるべきじゃないかな?」


 私の思考を読んだみたいなご当主様の言葉に、ぽかんと呆ける。

 もちろん、そんな曖昧な結論でご当主様が納得するとは思わなかったというのもあるが。


「え、」

「コニ?」

「はい!」


 きらきらとした、いつものご当主様の微笑みに思わず背筋が伸びた。

 対峙した者に有無を言わせない、美しい笑顔である。


「入れてくれるよね」

「はぃ…」


 そんな平常を取り戻したご当主様の言葉に、私が逆らえるわけもない。

 でも、その平常に安堵している私が居ることにも気づいている。混乱から掬いあげて、いつもの私を思い出させてくれるものなのだ。ご当主様の圧力は、私から選択肢を奪うという以上にその答えに負うべき責任を肩代わりして下さるものである。

 それは、ひどく分かりにくい甘やかしだ。

 肯定を強制されることで、私は許されている。自分の答えを保留させてもらっている。

 そして、甘やかすご当主様に甘えているのは、私なのだ。 

 甘い空気に頬が熱くなる。


「ふふ、真っ赤だね」

「うぅ」


 恋って、難しい。

 ようやく知ったと思ってみたら、やっぱり良く分からなくなる。少しだけ分かったかもしれないと思ったら、やっぱり特別を確かなものとすることはできなくて。

 恋に向かっていたはずが、ぐるっとひと巡りして元の場所に戻ってきてしまったみたいだ。


 私の恋は、どうなってるんだろう?

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