お姫様と私、お茶会日和。
春が盛りを迎えれば、王宮で頻繁になるのはお茶会である。
それは同じ日に複数の会が催されることが珍しくもないほどで、ご当主様は執務のない日でも王宮に通いつめる日々が続いていた。そんな日が続くにつれてご当主様のご機嫌はどんどん悪くなっていくのだが、残念ながら私にそれを食い止める術はない。
そして、そろそろお屋敷の空気が全体的にどんよりしそうになってきた四月の終わり、久しぶりに午後も早い時間にお帰りになったご当主様によってお屋敷の空気は決定的に悪くなった。
「お帰りなさいませ」
ピリピリいらいらした雰囲気を隠しもせずに帰ってこられたご当主様に、何事もないように挨拶できたのは有能と名高い執事さんだけであった。
「コニ?」
ちろりと視線を向けられ、ぴきっと固まっていた体が反射的に腰を折った。
厳しい礼儀作法の特訓が生かされた瞬間である。
「お、お帰りなさいませ!ご当主様っ」
「…はぁ」
遅ればせながらの出迎えの挨拶に返されたのは、呆れ返ったせいというよりも、むしろ私の間抜けな行動に気が抜けたためだろう溜め息だった。よく見れば、機嫌が悪いというよりも顔色が悪い。
こんなことでは、ご当主様付の侍女としては失格である。
「ご当主様?お疲れでしたら、お部屋にお茶の準備をしておりますが…」
「嗚呼、今ばかりはお茶という言葉を聞きたくなかったんだけれど、まぁコニにそんなことを言っても仕方がないね」
「申し訳ありませ」
「謝る必要はないよ。うん、とりあえずベルガモを頼もうかな。ミルクも用意しといて、」
連日のお茶会責めの負担を考えれば、たしかに私の発言は迂闊であった。
間髪入れずに謝罪はつき返されてしまったが、その後に続けられた言葉でご当主様に私を責めるつもりはなかったことが分かる。すこしだけ柔らかくなった声音に、周囲の緊張もいくらか緩んでいくようだった。
「はい、すぐに!」
「コニ、君の分もね」
「…かしこまりました!」
久しぶりの、お茶のお供である。
指示されたとおりに、ベルガモの茶葉と温めたミルクを運ぶ。昼餐の後ということだから、お茶請けはお腹に響かない小ぶりの飴細工とバターを使わないあっさりした焼き菓子にする。
卓上に飾る花瓶には、急いで摘んできたミントを添えさせてもらった。すっきりとした香りが、少しでもご当主様の気分を明るくしてくれれば良いと思う。
「今日、ユクレーヌ様にお会いしたよ。相変わらずのご様子だったけどね」
開け放った窓からは、麗らかな陽射しと心地よい春風がそよいでいる。
そんな長閑そのものの空気も、ご当主様の憂鬱には効果がないようだ。
難しげな表情のまま、珍しくもミルクをたっぷりと注いだ紅茶を嗜まれている。
「そうだったのですか。お元気そうで何よりです」
「…まったくね、元気だからあんなに次から次へと面倒ごとを思いつくのかな。どう思う?」
「えっ…と、何か御下命があったのですか?」
「とんだ御下命もあったものだよ」
ご当主様の不機嫌の原因がようやく判明したものの、だからといって私がどうにかできる問題ではないことには変わらない。
だから、ご当主様が懐の隠しから取り出した封書を私に差し出されても、困るだけなのだ。
「…ご当主様?」
「コニ、君宛だ」
手に取らざるをえなかった封書は、どこか見覚えのある意匠である。
記憶を手繰ればいとも簡単に思い至るが、それが自分宛となると私の記憶違いであってほしいと願ってしまうのは仕方がないことではないだろうか。独特の色合いをもつインクと百合の紋章。
王妃様から、お茶会のご招待である。
「うわぁ…」
春から雨季が始まるまでの初夏にかけて催されるお茶会は、その気候の素晴らしさもあって会場は庭園とされることがほとんどである。それでも、今日のように王宮の五つある庭園それぞれに趣向を凝らした装飾がなされていることは珍しい。
セントリア国の王宮にある五星庭園は、近隣諸国までその美しさで名を馳せている。
東に位置するのは、東宮という別名を持たれる王太子殿下、シェリア様の庭園である。
朝陽に照らされる暁にもっとも美しいと言われ、輝くばかりの華やかさがご令嬢の間で評判だ。
北にあるのが、北の方とも称される王妃様の庭園である。
夜、特に冬の星明かりの下で咲く花々は神秘的で、遠くの学者の間では伝説のように語られている。
南と西は、それぞれ王子と姫の庭園である。
それぞれ、夏の庭と宵の庭として国内の貴族、特に若い貴族の社交場として常に華やいでいる庭である。現在はシェリア様の弟のユーシス殿下の庭とされている。すでに降嫁されているアメリア様は王族の籍ではいらっしゃらないので、西の庭園は空の庭となっていた。今回は、ここを大公閣下が主催するお茶会の場とすることで、久しぶりにその庭園が開放されたということである。
そして、秘密の花園がある中央の庭園こそ、王の庭であった。
他の庭園が王宮の建物を囲むようにしてあるなかで、ここは王宮の内、王宮の建物に囲まれるようにして存在していた。五つの庭園のなかで最も開かれ、そして最も閉ざされた庭園といわれている。
その意味するところは、王宮の様々な場所から入ることができるにもかかわらず、その全容は王以外には決して明かされることがないということである。
だからこそ、お姫様の「花園」は秘され続けているにもかかわらず、周知されているという矛盾が生じるのだ。
そんなそれぞれに有名かつ特殊な庭園であるが、私が今ぽかんと見惚れているのは北の庭園である。
冬の夜が名高いとはいえ、春の陽に輝く庭園は文句なしに美しい。
「ふふ、コニったらそんな無防備にしていてはだめじゃない」
「うっ…ごめん。外庭は初めてだったから、あんまり豪奢でびっくりしちゃったの」
隣のお姫様に指摘されて、慌てて薄く開いていた口を閉じた。
会場に入る前とはいえ、人目がないわけではないのだ。あまり無作法な行いは慎まなければ、一緒に居るお姫様にまで迷惑がかかりかねない。
私の知る限りにおいて、王妃様のお茶会に招待されたのは私とお姫様だけであったため、今日ばかりはお姫様に完全に付きっ切りの予定である。
「たしかに、陛下の庭園とは趣が違うけれど…それでも今日は特別ね」
そう、今日のお茶会は特別なのだ。
五星庭園すべてにおいて、王族の方々が主催されるお茶会が同時に開催されるなど前代未聞である。
王族主催のお茶会がある日は、原則として貴族はお茶会を開くことはない。なぜなら、それが王族からの招待があればいつでも馳せ参じるという意思表示として慣例となっているからである。王家の前では、内実はどうあれ貴族の派閥争いなど無視されるのだ。
このような背景があるからこそ、今回のお茶会の招待状は絶対である。
どんなに他のお茶会に参加したくとも、招待状が二通届くことはないのだ。
「他のお庭もこんなに煌びやかなのかな?」
「どうかしら。趣向はそれぞれ凝らされているとは思うけれど…後で殿下やお義兄さまに聞いてみましょうね。お二人とも、こちらが気になってそれどころではないだろうけど」
「はは」
不本意そうなご当主様の表情や、オンジュとシェリア様の不満が溢れた手紙を思い出す。
ご当主様は王様、オンジュはシェリア様、大旦那様たちは大行閣下にそれぞれ招待されている。ちなみにリアさんは近衛お仕事で大忙しとのことである。
たしかに、ご当主様の考えているような王妃様による意図が垣間見れる招待の内訳であった。
「レイチェル、ご機嫌いかが?」
恙なくお茶会が始まり、だんだんと形式ばった空気がほぐれてきた頃である。
ついに、王妃様が私たちの卓にいらっしゃった。
「本日はお招き頂いて大変光栄ですわ。王妃様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
「ふふ。そうね、今日はとっても気分が良くってよ。お久しぶりね、コーネリア」
「本日はお招きありがとうございます。お会いできて光栄です、王妃様」
お姫様がいるせいか、私に王妃様がお声をかけても、そこまであからさまな視線は向けられない。ある程度の注目を浴びてしまうのは、レイチーがいるのだから当然である。
貴族の礼儀作法に則った挨拶でしかなかったのだが、王妃様は親しげかつ楽しげな笑みを浮かべられた。
思わず身構えるのは、条件反射のようなものだろう。
「シェリーからお話は良く聞いていてよ。とっても喜ばしいわ」
「は、はい…ありがとうござ、います?」
なんと返して良いか迷う言葉である。
周囲に聞こえるような音量ではないが、仮にも許婚であるお姫様を前にして公の場で話しては問題になりそうな内容である。
王妃様のいたって朗らかなご様子と、ぴしりと冷えたお姫様の空気は対照的だった。間に挟まれている私としては、もう黙るという選択以外思いつかない。
「王妃様、お戯れがすぎますわ。サーベルト家にまで聞こえてしまいましてよ」
「あら。まだシェリーは御めがねに適わないの?最近はずいぶんと頑張っているようだったのに」
「たしかに最近の殿下は素晴らしいですわ。私の手などすでに離れてしまっているように感じるほどですもの」
「それなら、ローレルに聞こえてしまっても問題ないお話じゃないかしら」
「あら、それはどうでしょう?義兄上がどう思われるかは私にはわかりかねますわ。ねぇ、コーネリア?」
「……ご当主様もシェリア様も、とっても良くして下さいます」
どう答えても角の立つ話題には、曖昧かつ丁寧な謝意を述べるのが最も適切だというのは真理だろう。この場合も、私には意見を述べるような状況ではないのだから、返答はごく無難なものである。
しかし、この私の発言に対する反応は、私の予測の斜め上であった。
「え?」
「あら?」
「…えっ?」
驚いたように声を発したのはお姫様で、意外そうにそれでいて嬉しげな声を上げたのは王妃様である。
私は、二人の予想外に大きな反応に戸惑わざるをえない。
「コニ、いま…」
「いつの間に、シェリーの名前を呼ぶような関係になったんですの?もう、シェリーったら私にわざと内緒にしていたに違いないですわ!でも素敵、シェリーったら恋をしてるのね」
「あっ…あああのですね、」
まさかの失態と想像だにしなかった王妃様の反応に、私は冷や汗を背中に感じつつも弁解の言葉さえ思いつかなかった。お姫様の視線が痛い。
確かに、許婚であるお姫様でさえ殿下と呼ばわっているところを、私がぽろっとお名前で呼んでしまったのだから、勘繰られても無理はない。ここまで大げさに反応されるとも認識していなかったのは、私の考えが足りなかったとしかいえない。
「コーネリア、何も遠慮することはありませんわ。レイチェルやローレルが反対したって、私は大賛成ですもの!ほほほ、ローレルの悔しがるお顔が早く見たいものですわ」
もう、私の及びもつかないところまで先走っていらっしゃる王妃様に、私などが何を言えるはずもない。きらきらした陽射しのなかで、私の口は凍りついたように絶句してしまったのだった。
「…」
「…コニ」
そんな私の硬直を救ったのは、久しぶりに聞くレイチーの唸るような声であった。
しかし、それは正しく怒りがこもったものであり、まったく助かっていないことを一瞬にして悟らされたのだった。
かちりと合ったお姫様の眼は、触れなば切らんとする鋭利さである。
「レイ、」
「あとで、じっくり、聞かせていただきますわ…ねっ!」
「!」
こくこく無言で頷けば、お姫様の鋭い眼光がようやく外された。
もっとも、お姫様のその強い視線は決して弱まったわけではなく、鋭いままの視線は楽しそうに笑う王妃様に向けられたのだった。
「あぁ、本当に愉快で素敵なお茶会日和ですわ」
ただし、そんなお姫様の視線も、ご機嫌麗しい王妃様にとっては春のそよ風と同じようなものなのかもしれない。
これからのことを思えば、私の溜め息は重くなるばかりであるが。