お姫様と私、反対の意味。
深夜、王宮からお帰りになったご当主様を出迎えた。
着替えを手伝いながら、殿下とリアさんの訪問を報告する。もちろん執事さんからのご報告もあるのだが、ご当主様付きでありおもてなしをさせていただいた私からご当主様に報告することも大事な仕事のひとつだ。
「ああ、殿下を呼び戻したのは僕だからね」
「そうだったのですか」
「それにしても疲れた。お茶の準備をしておいてくれる?コニの分もね」
ご当主様のお茶のお相伴にあずかることも、最近では珍しくなくなった。
それもこれも、殿下を交えたお茶会が日常化したせいだった。
いや、それだけではないのかもしれない。
お屋敷に戻ってからは、以前お屋敷で働いていた時よりもずっとご当主様との距離が近い。それは、ご当主様付きの侍女になったせいだけとは言い切れない、どこかにあった高い壁が反対側を見通せるくらい低くなったかのようであった。その壁を築いていたのがご当主様だったのか、それとも私自身であったのかは分からない。
それでも、今のこの距離を私が好ましいと感じていることは確かなのだ。
「あと、人払いしといて」
「かしこまりました」
ご当主様から指示されたとおりに、ご当主様の私室と続きの間になっている応接室にお茶の準備をする。夕食からはかなり時間が経っていたので、お菓子だけではなく少しつまめるように調理した肉や卵をはさんだパンも用意した。
ちなみに、王宮ではあまり食べるという行為をしないと聞いていたからこそであり、ご当主様が大食漢であるということではない。
あまり機嫌が良くはなさそうであったので、ご当主様の好きなベルガモのお茶を用意する。
これにミルクをたっぷり入れたものは私も大好きなのだが、あくまでご当主様の好みを優先した結果の選択である。ミルクを用意することを忘れたりはしないが。
準備が整いそうになったところで、ご当主様が入って来た。
素晴らしいタイミングの良さである。
いつもより少しくだけた服装のご当主様は年相応というか、少しだけ幼く見える。寛いだ様子に、最近の忙しそうな生活を知っている私はすこしだけほっとした。
ご当主様が自己管理できない方だとは微塵も思っていないが、不機嫌さを隠すことができないくらいには疲れているのだ。この場くらいでは、ゆっくりとして欲しいと思ったのである。
少しくらいの嫌味なら、我慢しようと思う。
やや乱暴に長椅子に座ったご当主様に促され、その正面の椅子に腰掛けた。
「ところで、コニ。僕に隠してることを話しなさい」
「えっ」
しかしながら、開口一番にお茶に口もつけず私を尋問するとは予想外である。
思わず聞かれたことに答えないで声を上げるくらいには、驚いた。
「誰に会って、何を言われたか。誤魔化したりしないよね?」
普段にこやかでも怖い方が無表情だと、さらに怖いということを実感した。
これはもう、今年に入って言われたことをすべて言うしかない。どれについてご当主様が興味を持たれていて知りたいと考えているのか予測がつかないのだから、言い漏らして怒りを買うよりは要らないことを言って呆れられるほうがマシである。
「殿下に子犬を一匹欲しいと言われました。オンジュネルア・ユネ様に結婚して欲しいと言われました。ミスリル・ユネ様に王宮へ復職するように言われました。あと、弟に実家へ帰るように言われました」
「それで、今まで僕に秘密にしていた理由は?」
「えっ」
再びの予想外の切り返しである。
秘密にしようという考えがあって言わなかったわけではない。特に、言う必要もないと思ったのだ。なぜなら、どれもわざわざご当主様に何かをして頂こうとか指示が必要とかいうものではない。
「どれも僕の判断が必要なものだろう」
「あの、」
「まぁ僕がさっき聞きたかったことは、二つ目だけだったけど。犬の持ち主もコニの雇用主も僕だからね、僕を通さないなら断っておこうかな。実家へは休日に戻っているだろう?仕事を辞めてまで帰るのは賢いとはいえない。それでは、本題だ」
「は…はい」
犬についてはわざわざご当主様の指示を仰がなくとも飼育係の管轄ではないかということや、仕事を替わろうと思っていたわけではないのだからご当主様を通すとか通さないという話ではないということ、弟の話はただのいつもの我がままでしかないということなんだと言い訳できる雰囲気ではなかった。
本題だ、とおっしゃったご当主様の目が光ったのは気のせいだろうか。
「コニ。君はサーベルト家の預かりという身分であるということを、もちろん忘れたわけではないよね?」
「もちろんです!」
とりあえず、ここで首を振ることなどできるはずがない。
こくこくと首を縦に揺らせば、かぶせるようにして言葉が続けられる。
「ということは、コニの結婚には僕の許可が必要だとは思わない?」
「でも、まだ受けようと決めたわけでもなかったですし」
「ふぅん」
「あの、でも報告はしようと思っていたんですが…少し混乱していて、えっと。申し訳ありません」
どうにか弁解しようとしていた意思も、ご当主様の鋭いばかりの眼光の前では無力である。
しょんぼりと項垂れれば、頭の上にひとつため息が落とされた。
「はじめから素直にそう謝っていればいいんだよ、まったく」
「はい…」
「アールメリアから聞いたときには、まさかと思っていたけれど…事実だったとはね」
「私も驚きました。嬉しいとは思うのですが、考えてもみないことだったので」
「もちろん、殿下にも言っていないんだね?」
問いかけるような言葉であるが、その調子はただの確認である。
王宮で殿下にお会いする機会もあるだろうから、私が殿下に何も言っていないのをすでに聞き及んでいるのかもしれない。いや、むしろリアさんから聞いたともおっしゃっているし、リアさんが何か言ったのかもしれない。
ご当主様ならば、もやもやと迷っていたことの答えを教えてくれるだろうか。
「リアさんにも言われました。やっぱり…あの、必要ですよね。お会いしてないので、」
「ふふ、必要ではないね。そう、言ってないんだ…それなら、そのまま言わなくて良い」
「え?」
帰宅されてから初めて、ようやくご当主様の顔に笑顔が戻った。
ご当主様の言葉の内容よりも、なぜこの話の流れで笑顔が戻られたのかを不思議に思う。それまでの不機嫌そうな空気まで一掃されてしまい、さらに疑問は深まるばかりである。
そのせいで意図せずして、怪訝そうな声を上げてしまった。
「僕はアールメリアほど殿下贔屓じゃあないからね。殿下がコニのことでいくら悩もうと、王太子としての責務をしっかり全うされるなら問題は感じないよ」
しかし、私の声はご当主様には問い返すように聞こえたらしく、言わなくて良いと判断された内実について説明して下さった。なるほど、と思いつつも気になる部分が多すぎる。
「えっと。悩まれているかどうかは分かりませんけれど、もし私のことで煩わされていらっしゃるなら、報告するのは構わないんですが」
「それがきっかけで、殿下に愛を告白されてもかい?」
「えっ」
今日は、ご当主様の言葉に驚かされるというか、私の予想を超えるご当主様の言葉が多すぎる。
ばかみたいな反応ばかりをする私に、いい加減にご当主様も呆れてしまうのではないかと心配になるほどである。まぁ、とりあえず今はそんな様子は見られないけれど。
「良い機会だから、はっきり言おうか。僕は、ユネ家だろうと王家だろうと賛成つもりはないよ」
「えっと、それは貴族には関わるなということですか?」
そうだとすれば、先日リアさんに言われたこととは真逆のことを言われていることになる。
貴族の社会に対する私の姿勢を良く知っているご当主様なのだから、当然のご意見なのかもしれない。しかし、殿下の訪問に慣れてしまいオンジュの真剣な気持ちを知ってリアさんに指摘された甘えを自覚してしまった私は、そんなご当主様の言葉に素直に頷くことができない。
ここで、ご当主様の言葉を受け入れてしまえば、とても楽であることは分かっているのだ。
それでも、誰かに責任を押し付けてまで、もう逃げたいとは思えない。レイチーほどではないにしても、彼らが私の日常に入り込んでしまった事実は今さらなかったことにはならないのだ。
すべてに、目を瞑ってしまわない限りは。
「そうだね。コニ、僕はこれでも貴族に染まらないその気質を好ましく思っている。こんなにも貴族に染まりそうな境遇で、それでもささやかな暮らしを尊ぶ姿は美しい」
私の拒絶を、ご当主様がどのように受け取ったのかは分からない。
しかし、ご当主様から初めてかけられた私を称する言葉はあまりにも清らかで、自分のことを言っているとは思えなかった。
地味で平和な生活が良いと思うだけの庶民根性が、志高く厳しいひとの眼にそう映っていたことにただただ驚くばかりである。
「それは、あのレイチェルにだってない美質だ。まぁ、だからレイチェルが劣るというわけではないけど」
「そんな、当たり前です!」
ご当主様の言葉が冗談めいたものなのは気づいたが、つい反射的に言葉を返してしまった。
しまった、と思ったが、ご当主様は機嫌良さそうに笑っただけだったので、ほっとする。
「ふふ。そういうところも、僕は非常に好ましいと思うよ」
「え、」
こんなにも真正面から好意を向けられることには、慣れていない。
ましてや、あの恐ろしく厳しい、私には特別に意地悪なご当主様が相手である。オンジュや殿下に好意を向けられるのとは、違和感や驚きが桁違いなのだ。
目を見開いたまま固まっている私に、ご当主様はふんわりと優しげな笑みを浮かべた。
見慣れない表情に、かちりと固まった。
「もし貴族や王族以外へ嫁ぐなら、僕は祝福するよ」
「はい、」
ありがとうございます、と続くはずだった言葉は、ご当主様による次の言葉によって遮られた。
先ほどまでの優しげな笑みはどこへ行ってしまったのか、見たこともないほど艶やかな表情のご当主様にぱちりと一度目をまばたく。
乾いていた目に、うっすら潤いが戻る。
「でも、そうじゃないなら僕のものになるべきだよね」
にっこり微笑んだご当主様は、それはそれは美しく輝いていた。
まさかの発言に、私が涙目のまま絶句したのは言うまでもない。




