お姫様と私、求婚される。
「コーネ、好きなんだ。結婚してほしい」
従騎士から騎士になったオンジュのお祝いにユネ家を訪ねたら、そう言って求婚された。
これは、俗にいう玉の輿なのだろうか。
「もちろん今すぐとは言わないよ。コーネが俺をちゃんと好きになってくれるまで待つ。でも、俺がコーネを結婚したいくらい好きだっていうのは覚えておいて」
下級貴族の四男であるオンジュからの求婚は、平民の私からすればもったいない申し出であり、現実的な意味で最も理想的な結婚だといえる。
少なくとも、王太子殿下やら王族と深いつながりのある大貴族のご当主様との惚れた腫れたという御伽噺めいたやりとりなんかよりは、ずっと信じられて幸せになれそうな申し込みだった。
「それで?コーネはオンジュになんて応えてくれたわけ」
その不機嫌さを隠しもせずに、アンジュはこちらにちらりと視線を向ける。
アンジュが仕事に行く前の貴重な時間を潰しているという事実と、オンジュを避けるようにユネ家を訪れている後ろめたさから、ついその視線を避けるように俯いてしまった。
「アンジュ…知ってるでしょ、意地悪言わないでよぅ」
「いや、俺はなんも聞いてないけど?ただ、気づいたらコーネが居なくなっててオンジュがすっごく暗くなってて鬱陶しかったことくらいしか分かんないなー」
「うっ」
アンジュの語るオンジュの様子は、私の罪悪感をめちゃくちゃに刺激して余りあるものだった。
ただでさえしょんぼり落ちていた肩が、さらに下がる。
「別にね、俺はコーネが結婚を承諾するとは思ってなかったよ。でも、あそこまでオンジュを落ち込ませるような断り方もしないと思ってた。だから、正直ちょっとだけ、見当違いかもしれないけど腹が立ってる」
「やっぱり、オンジュ傷つけちゃったよね。わかってる、アンジュが怒るの無理ないもの」
「別に俺が怒るのは筋違いだけどさ。でもそう思ってくれるなら、何て言ったかくらい教えてよ」
私のあからさまな落ち込みっぷりに、アンジュの口調から少し刺がなくなる。
それでも、私は自分のオンジュへの失礼すぎた仕打ちを、同じ顔をしたアンジュに白状するのは抵抗があった。
まぁ結局は、白状するまで許してくれないだろうアンジュからの圧力に屈してしまうのだけれど。
「…言ってないの」
「は?」
「何も言わないで、逃げてきちゃったのよぅ…!」
この意を決した告白に、アンジュは頬を引きつらせた。
私だって十分にわかっている。仮にも貴族の方からされた求婚に、私が平民だからといって沈黙して去るなどという行為は考えられない。たとえ公式の場ではなくとも、それ相応の礼儀作法というものがあるのだ。
「うわー…コーネ、それは酷いね」
先ほどまでの怒りを通りこし、アンジュは呆れたように呟いた。
その静かな呟きは、さっきの詰問よりもずっと私の心に突き刺さる。
「だって!オンジュが急に大人っぽくなって、しかも好きになるまで待つとか言ってくれて、もう何て言えばいいか分かんなくなっちゃったんだもの!…はいともいいえとも言えないの、仕方がないと思わない?」
「ん?」
「待つって言ってくれてるのにダメなんて言えないし、まだ好きじゃないんでしょって言われてるのにハイなんてもっと言えないじゃない!そりゃあ逃げたのはいくらなんでも失礼すぎだったけどっ」
「…コーネ」
「なにっ」
喋っているうちにどんどん興奮してしまい、アンジュの呼びかけについ勢いのついたままの声で答えてしまった。これでは逆上してしまったみたいで、少し恥ずかしい。いや、ある意味において逆切れという状態だったかもしれないが。
「コーネ、オンジュに好きっ言われて嫌じゃなかったんだ」
そんな私の感じの悪い反応にも関わらず、アンジュは嬉しそうにはずんだ声でこう言った。
アンジュの意外なセリフに、一瞬きょとりとしてしまう。
「…は?」
「え、嫌だったの?」
「そんなっ…もちろん嬉しかったよ!え、もしかしてオンジュったら私が嫌がって逃げたと思ってるの?そんなはずないって、普通わかるわよね?」
「いやー、あの落ち込みようからして思ってるんじゃないのー?」
「えぇっ」
まさか、根は真面目だとはいえいつも飄々としているオンジュがそんな考えに至っているとは考えもつかなかった。私の失礼な行動に怒って傷ついているだろうとは思っていたが、まさか私が嫌がってると誤解しているとは。
王宮で働き始めてからずっと仲良くしてくれてたオンジュに、好きだって言われて嫌だと思うはずがない。生意気な弟みたいだと思っていたから、急に大人びて見えて驚いて、少しだけ淋しいとは思ってしまったが。
それでも、結婚したいくらいに好きだと思われて、嬉しくないはずがない。
「うわぁ、どうしよう。オンジュに会うのちょっと恥ずかしいんだけど、でもそんな勘違いさせてるなんて思わなかったわ…ほんとだよ?アンジュから言って、もらうわけにもいかないし、」
「ふーん」
「もう、どうしよう?さすがに王宮にまで行くわけにはいかないし、手紙でっていうのも会いたくないってまた勘違いさせるかもしれないよね」
「…コーネ、オンジュにコーネが会いたがってたって伝えてあげようか?」
「え、本当に?」
にやにやと面白そうに笑うばかりだったアンジュから、思いがけず協力の提案をされて驚いた。
てっきり、自分でどうにかしろって言われるかと思っていた。自業自得だし。
「うん。どうやら、俺の心配は杞憂だったみたいだし」
「心配?」
「てっきり、コーネはオンジュと会いたくないのかと思ってた。もしコーネがそんなんだったら、オンジュに直接会いに行かせるのは酷だと思ってたんだけど、うん。そうだよね、コーネだもんねー。心配して損しちゃったよ。次のコーネの休みって、いつ?」
アンジュはひとり納得したように、にこりと微笑む。
その悪戯っぽい笑顔に、少し警戒する気持ちが頭をもたげたが、ここは素直に答えるしかない。
「えっと、十日後だよ」
「十日後か、ちょっと遠いなー…あ。今日はこの後、時間ある?」
「うん。え、まさか」
思わずこくりと頷いてから、話の流れを思い出して慌てる。
緊張に胸がどきりと鳴ったのが、自分でもわかった。
「今日はオンジュも夕方にはこっち帰ってくるから、待ってなよ」
「心の準備が、」
「まだしばらくあるでしょ。俺はこれから仕事あるし、適当に寛いでてよ」
「え」
「じゃ、オンジュによろしくね」
時計をちらりと見てから、アンジュはさっさと長椅子から立ち上がった。
あまりにも唐突な展開に呆気にとられている間に、アンジュは扉から出て行ってしまう。
そして、アンジュに指示されたのだろうユネ家の執事さんが新しいお茶を用意して下さるのを呆然と眺めながら、私はぐるぐるとオンジュのことを考え始めた。
甘いミルクがたっぷり入った紅茶は、緊張にこわばった体を優しく温めてくれる。
ぼんやりと、オンジュに会ったら一番初めに何を言おうかと考える。言いたいことは沢山あるはずなのに、一番に伝えたいことが何かははっきりしない。
まず、ありがとう。それから、ごめんなさい。でも、まだよくわからない。
そんな気持ちが一緒くたになっていて、どれもオンジュに伝えたいことなのだ。
冷静になりたくて、ポットからお茶のおかわりをもらう。美味しいものは、どんな時でも私をとても優しく甘やかしてくれる。
ほわりとした湯気に頬がゆるんだとき、廊下を走る足音が聞こえた。
「コーネ!?」
「あ」
「ココココーネ?本物?え、何でっ…イタッ」
おそらくアンジュが執事さんか誰かに私のことをオンジュに伝えるよう言付けていってのだろう。
私の名前を呼びながら部屋に入ってきたオンジュは、慌てたそぶりを隠しきれずに、応接室の大きな花瓶に膝をぶつけながらも走り寄ってきた。ゴツという音から、かなりの衝撃が予想できる。
「わっ…大丈夫?」
「うん、いや痛いけど…え、本当にコーネ?」
「ふは!そう、この前はありがとう。逃げちゃってごめんね。おかえり、オンジュ」
緊張感や緊迫感などが台無しになるようなオンジュの登場に、肩の力がすっと抜けるのを感じた。
ゆっくりした時間や美味しい紅茶よりも、オンジュの少し間の抜けたセリフが私を安心させる。ぐるぐると頭の中で渦巻いていた言いたかったことが、するりと言葉になった。
「た、ただいま」
「…オンジュ、誤解なの」
「ぇ」
「あのね!アンジュに、オンジュが誤解してるかもって聞いて…私、オンジュに結婚申し込まれたのが嫌だったから逃げたわけじゃないの」
「本当?」
「うん。好きって言ってくれて、嬉しかったわ」
「…そっか、良かった」
私の嬉しかったという言葉に、オンジュは目を伏せたままかすかに微笑んだ。
頬にうつる睫毛の影を見つめながら、私はオンジュの容姿がとても綺麗なことを思い出した。
「でもオンジュのこと結婚したいくらい好きかって言われると、困る。正直、やっぱり弟みたいに思ってたから、」
「はは、俺が弟なの?俺はコーネを妹みたいだって思ってたよ。もちろん、今は違うけど」
今は違うと言ったオンジュの声が、あまりにも真剣ですこし息がつまる。
そして、本当に好きだと思ってくれているのだと実感した。切ないほどに、静かで真剣な声だった。
「え、あ。うん」
「そっかー弟かぁ…」
「あの、オンジュ」
「それなら、コーネが俺を好きになる可能性もあるよね!」
突然、何かを吹っ切ったようにオンジュは顔を上げた。
その満面の笑みに、私はついていけずにぱちりと目を見開いた。
「え?そりゃあ、」
「だってさ!俺は妹みたいだって思ってたコーネを好きになったんだから、俺を弟みたいだって思ってるコーネが俺を好きになることだってあるんじゃないかなって思うんだ」
「う、うん?」
「わかった!俺、コーネに逃げられて待つって言ったけど諦めなきゃないけないのかなって思ってたんだよねー。ライバルも多いしさ!でも、なんだ、そっか脈がまったくないわけじゃないってことだね」
「えっと、オンジュ?」
オンジュの言葉の一部に少し疑問があったのだが、勢いに乗ったオンジュのセリフは止まらない。まるで、先ほどアンジュに捲くしたてた自分を見るようである。
もちろん、オンジュは逆切れしているわけではないが。
「最近、シェリア殿下とかリア兄とかジノア隊長とか、コーネの周りが五月蝿くなってて焦ってたんだ、俺。だから騎士になって、ようやく一人前だって名乗れるようになって、すぐコーネに言わなきゃって思っちゃったんだよね。だって、あの人たちってもう大人じゃん?コーネをとられたくなかったんだ」
「いや、誤解だと思うよ?特にジノア隊長とかは、本当に私もとばっちりだったというか」
そういえば、リアさんやジノア隊長と噂になったことがあったのだった。すっかり忘れていた。
たしかにリアさんには夜会にも一緒に出席してもらったし、そういう誤解が生じるのも仕方がないかもしれない。しかし、殿下の告白まがいな言葉を知らないにもかかわらず、オンジュが殿下の名前を出すとは思わなかった。いくらお姫様との繋がりや王妃様のお茶会でのやりとりがあったとはいえ、オンジュの勘繰りも侮れない。もしかしたら内政府で働くアンジュがより理知的で老獪なかわりに、騎士であるオンジュのほうが勘が鋭いのかもしれない。
「そうなの?まぁ、今は事実なんてどうでもいいんだって。それに、俺が負けなければ良いわけだし」
「え」
「つまり、これから俺はコーネにもっと好きになってもらえるように頑張るってこと!」
そう言って笑ったオンジュは、私の知ってる子供っぽいオンジュでもあり、私を緊張させる大人びたオンジュでもあった。そんなオンジュを見て、結局オンジュはオンジュでしかないことに気づく。
私には、そんなオンジュがとっても素敵に見えた。
いつ恋になるのかは、まだわからないけれど。
一部改稿。