お姫様と私、大切にしたいこと。
久しぶりに来た、いつものお庭はすでにどこか懐かしい。
一年中その青さを保つ芝生と生垣のほかには、ドレス以外の彩りはない。ただ、まるい花びらの白いカメリアが咲き乱れた生垣の一部は私のお気に入りで、高く澄んだ空はどこまでもうすく青い。
冬の名残の冷たい風を除けば、なかなかのお茶会日和だ。
「コニ、寒くはない?」
「私は大丈夫。レイチーこそ、指の先が白くなってるよ」
薄くなめした毛皮のブランケットは、私にとっては十分すぎる防寒具だ。似たような素材の外套を羽織っているお姫様は寒そうだけれど、王宮の部屋や廊下の暖房設備を考えればそれも頷ける。
「ふふ。昔はこれくらいで寒いなんて思わなかったのに、」
「…お姫様がたくましいのって、変だもの」
私がそう言うと、一瞬きょとんと目を見開いたお姫様は、一拍おいて破顔した。
「あは!それもそうね」
くすくすと笑い続けながら、お姫様はお茶の準備を進めていく。
今日のお茶は東方の伝統的な粉茶らしく、見慣れない細々とした道具を次々と並べていく様は、まるで高級なおままごとのようで私の心をくすぐった。私も一通りの粉茶の点て方は教わったが、このような外で楽しむための作法までは修めていなかった。お姫様の流れるような所作に見惚れていれば、その比較的時間のかかる工程はまたたくまに感じた。
小さな盆の上に用意されたお茶一式は、深い漆の黒と淡い緑が美しい。添えられたカメリアの花を模した白い練り菓子は、美味しそうに輝いている。
まずお菓子をつまめば、ほろりと優しい甘さがひろがった。
「最近はちゃんとお休み使ってるのかしら?」
久しぶりの贅沢にうっとりしていれば、お姫様は思い出したようにそう尋ねる。
濃くのある苦味に舌鼓を打っていたコニは、一瞬何のことか考え、ひと月ほど前のお姫様ご立腹事件を思い出した。その時のお姫様の剣幕まで思い返しつつ、こくりと頷いた。
「ああ、うん。あれから二回は実家に行けたし、」
「二回?今日はここに来てもらったけれど、残りの一回は帰らなかったの?私が一緒に行ったときのシシィの様子じゃあ、毎回戻ることになりそうだと思っていたわ」
たしかに、久しぶりの帰省となったあの時は、シシィがくっついたまま離れなくて大変であった。あの時のシシィを目の前にしたレイチーがそう思うのも無理はないが、さすがに毎回実家に戻ることを無理に約束させるほど子供ではない。もっとも、毎回帰ってきて欲しいとお願いはされたが、それはシシィの名誉のためにここでは言わないでおこうと思う。
それに、前回はやむにやまれぬ事情もあったのだ。
「十日前は久しぶりに殿下がいらっしゃったから、お屋敷にいたの。ご当主様がいらっしゃらなかったから、どなたにも会わずに帰らせてしまってはさすがに失礼でしょ」
そう、前回の休みも実家に帰ろうとはしていた。
だが、タイミングが良かったのか悪かったのか帰る準備をしている時に、殿下の訪問が知らされたのだ。いつもならご当主様にまず通されるその知らせは、ご当主様と大旦那様が不在だったために大奥様のもとに届けられた。しかし、その知らせの封書の中にはなぜか私の名前が記されており、素直な大奥様はご当主様が居ないという知らせと共に私のところへやってきて下さったのである。
すでに実家に帰っていたのならともかくも、せっかく名指しまでされた殿下の訪問を断るのも忍びなかった私だが、お屋敷の主がいないのに応接間に通すこともできなかった。
そこで、その旨を伝えるためにも面会だけしようと思ったはずが、話しているうちに結局は殿下をおもてなしする役目を担うことになってしまったのである。いま考えても、なぜそういった流れになったのかは分からない。
しかしながら、こうして私は殿下と二人でお屋敷の犬と戯れる休日を過ごしたのだった。
「あらっ…じゃあ、コニは殿下と二人きりで過ごしたってことかしら?コニったら、ずいぶん殿下と仲良くなったのねぇ」
「えぇ?そんなんじゃないわ。だって、」
お姫様の言い様では、まるで私が殿下と親しい関係のように聞こえる。
二人で過ごしたという事実は変わらないが、何か微妙な食い違いを感じる言い方である。
「ふふふ、仲良くなってるわ。…気づいてる?サーベルト家やユネ家以外の王宮の人間で、コニが自分から同じ時間を過ごそうなんて思うひと、初めてよ」
「あ、う…そうだけど、でもお屋敷の人たちやユネ家の人たちは優しくて、最近は殿下もとっても良くしてくれたから、で。ご当主様とだって仲良く、とか…そんなの恐れ多いもの。だから、殿下ともそんなんじゃないと思うわ」
私の言葉は途切れがちだったが、しかし、こんなサーベルト家やユネ家との関係を否定するようなことを言いたいわけではなかったのだ。お姫様の言ったことへの違和感から否定してしまったが、こんなことを言いたかったわけではない。
だが、何を言いたかったのかといえば、またそれもわからなかった。
しどろもどろな私を、レイチーはじっと見つめて、それからぽつりと洩らす。
「…コニにとって、お義兄さまは特別じゃなかったの?」
「えっ」
レイチーの、予想外に真剣な声に驚く。
まるで、ずっと信じていたことを初めて否定されたかのような声だった。
「私はずっと、お義兄さまはコニにとって特別なんだと思ってたわ。もちろん恋愛とかそういうのではなく、もちろんそうだったとしても良いのだけれど。…だって、コニが私と一緒にお屋敷に来てくれたのは私のためだけど、お義兄さまが説得しに行ったからこそ決心してくれたのでしょう?」
「…それは、確かにそうだけど」
レイチーの言葉に、初めて会ったときにご当主様を思い出す。
美麗で意地悪で怖い、レイチーのことを真摯に考えている高貴なひとだった。一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、意地悪で怖いという印象が強くなっていったものだ。苦手だと思うまでに。
それでも、その真摯さを忘れることはなかった。
「しかも、コニったらお義兄さまにコニって呼ばれてるじゃない。しかも全然、違和感がないみたいに。コニって呼ぶのは、私の特権だったのに」
「あぁ、それは私も最近気づいた。でも、いつの間にって思ったよ?」
「だから、それが特別ってことじゃないの?コニにとって、お義兄さまは家族とか私とかと同じくらい親しんでる唯一の貴族だわ」
「…」
お姫様の断言に、思わず私は絶句してしまった。
そして、あながち的外れでもない指摘だと思ってしまったのだ。
「だから、私は殿下がコニに近づくのあまり歓迎してなかったわ」
「…なんで?」
「ふふ、だっていつかコニはお義兄さまのところに嫁いで欲しいと思ってたんだもの」
「はぁっ!?」
お姫様の悪戯っぽい笑顔はとても魅力的だったが、その発言の突飛さに気を取られて見とれる余裕はなかった。その冗談めいた表情に反して、声が本気っぽく聞こえたのだ。
「はじめはそうでもなかったけれど、お義兄さまがどんどんコニを気に入ってくのは気づいたわ。コニだって、怯えるわりにはお義兄さまのこと信頼していたでしょ?」
「うん…怖いけど、もしものときは助けてくれるひとだろうなぁと思ってる」
複雑な思考が停止したままの私は、お姫様に聞かれたことだけに素直に返した。
同時に、他のことを考えるのを放棄したともいえる。
「もちろんコニが嫌がるならそんなことさせないわ。でも、最近は少しずつコニも怯えないようになったし、お義兄さまも意地悪しないようになってたじゃない?だから、そろそろ本気でコニを捕まえようとしてるのかしらって思っていたの」
「いやいやいや!それはちょっと深読みしすぎじゃないかなぁ、」
ようやく動きはじめた思考が、お姫様による再びの突飛な発言のせいで空回る。それでも、お姫様の突飛に過ぎる分析だけは否定したかったのか、口が勝手に動いた。
「そうかしら?コニだって、好かれてるのは分かっているでしょう」
「…そりゃあ、気に入って頂けてるとは思うわよ。恐れ多いけれど。でも、なんというか…レイチーが言うような気持ちとは違うんじゃないかなぁ」
「なぜそう思うのか、聞いても良いかしら?」
「うん…」
ようやくお姫様の猛攻が止んで、私の意見を聞く体勢になった。
そのことで空転していた思考が少し落ち着き、さらにじっくり考えるために冷えてしまったお茶を口に含む。こくのある苦味が、少しだけ私の混乱を鎮めてくれた。
レイチーが、静かに私の言葉を待っているのがわかる。
「あのね」
「えぇ」
「私にとって恋ってすごく未知なものだから、違うかもしれないんだけれど…恋って、可愛いなって思って胸が高鳴ったり自分だけのものにしたいと思ったり、幸せになって欲しいと思ったりするってみんな言ってるわ。私も、ぼんやりとだけど、きっとそうなんだろうなって思うの」
昔から、いまいち自分の恋とは縁遠い私であったが、その代わり友達の恋の話はよく聞かされた。
その最たるものがレイチーであったが、他の女の子たちや男の子だって、そんな風に言っていたものだ。それが間違ってるなんて思わないし、そんな気持ちが味わえる恋ってすごいとも思うのだ。
「でも、私は一緒に居て気持ち良いのが大切だと思う」
いつか私が恋をするなら、誰かに恋されることがあるのなら、一緒に居て心地良い関係でありたいと思うのだ。誰よりも、お互いが気持ち良いと思える関係が、素敵で理想だと思うのだ。
「たしかにコニがお義兄さまと一緒に居て心地よいとは思わないけど、お義兄さまはコニと居て楽しいと思ってるわよ?」
「うん…それは分かる」
レイチーの、少しだけ納得がいかないという表情に苦笑する。
「でも、楽しいって気持ちと気持ち良いっていうのは、違うでしょ?私ね、ご当主様だけじゃなくて殿下だって、私と居て楽しいって気持ちはもってくださってると思うの。だって、二人とも私をからかうとき、すごく楽しそうだもの」
この二人以外にも、私と居て楽しそうにしてくれるひとは居るのだ。たとえばオンジュやアンジュ、リアさんだって楽しそうにからかってくる。でも、それって恋なのだろうか。
「そうね。さすがのコニも気づくわよね」
「レイチー…私、別に鈍くはないと思うの。いつも勘違いされるけど」
「…」
「レイチー?」
黙りこんだお姫様に、今度は私が納得できなくて不満そうな声になった。
そんな私に、お姫様はひとつため息をこぼして頷いた。
「そうね。ある意味においては、たしかにコニはとっても聡いと思うわよ。でも、そうじゃないこともあるっていうのは知っておいたほうがコニのためにも良いわ」
「…う、うん」
「ふふふ。それで?コニは、あの二人に恋みたいな感情は芽生えてないって思ってるのね?」
「恋みたいな、感情…かどうかは知らないけれど、私とずっと一緒に居たいとは思ってないと思うわ」
私は、楽しいだけの恋人にはなれないと思うのだ。それならば、それを期待させるような関係だと思いたくはない。たとえそれが本当は恋っていうものから目を背けているだけだとしても、今の関係が楽しいものなら構わないと思うのだ。
「ふぅん」
「レイチーはそう思わないの?」
「…いいえ、そうね。たしかに、まだそんな風には思ってないと思うわ。でも、」
「でも?」
言いよどむように、というよりは何を言うべきか考えるかのように、お姫様は言葉を切った。
その先を促せば、首を傾げたままゆっくりと口をひらく。
「コニのいう気持ちって、恋っていうより…」
「なに?」
「…ううん。なんでもないわ」
「?」
「ふふ!まだ、コニの一番は譲れないもの。あの二人、だけかどうかは知らないけど、殿方にはもう少しお待ち頂くわ。もう少しだけ、コニにはそうやってのんびりしていてもらいたい気もするし」
楽しげに笑うお姫様に、それまであった追求するような空気は微塵も残っていなかった。
しかし、年頃の娘が二人してのんびり恋なんてまだ良いと言っているのもどうかと思う。何より、結婚適齢期というものに、すでに差し掛かっているのだ。まだまだ恋人が現れないだろうという気持ちは本当だけれども、少し焦っているというのも嘘ではない。
少なくとも、お姫様には好きな人も許婚もいるのだ。
「のんびりしていて大丈夫かなぁ」
「私だってまだ両想いになったことないんだもの!もう少しくらい、二人でのんびりしてましょう?」
「あは、そうだね」
お姫様のセリフに、ちょっぴり焦る気持ちがするりと溶ける。
そんな私の気持ちに応えるように、ふわりとカメリアの花びらが舞った
誤用していた単語を改めるにあたり、一部セリフを変更しました。




