お姫様と私、新たな日々。
サーベルト家のお屋敷に勤める使用人には、十日に一回お休みがある。
これは、他のお屋敷にはほとんどない制度で、セントリア国においてかなり珍しい制度であった。なぜなら大抵の使用人は住み込みで働いており、仕事場にいる限りはどうしたって働かないわけにはいかないという意識が根強くある。もちろん体調が悪いとか怪我をしているとか、そういう場合は休ませてもらえるが、それはお給料が減るということでもある。
サーベルト家のお休みが画期的なのは、休んでもお給料が減らない点なのだ。
日帰りなら実家に帰っても良いし、買い物に出かけても良い。もちろん、ごろごろと寝坊したり自分の部屋で読書したり、お屋敷のお庭を散策することもできるのである。
これを発案したのは今のご当主様であり、その恩恵に与っていた私はとっても感謝していた。
しかし。
最近は、そのお休みの使い方に自由がなくなりつつある気がして仕方がない。
「子犬ちゃん、今日はレモーネ・ケーキを持ってきたよ」
「いつもありがとうございます…」
「コニ、紅茶を淹れてくれないかな?」
「ローレル。せっかくの休みにまで働かせるのは、どうかと思うよ?」
「たしかに、せっかく一緒に過ごしているのだから美味しい紅茶を飲みたいというのは私の我がままですが…コニが淹れたくないなら僕だって無理強いはしないよ」
「いえ!美味しいと言って頂けるのでしたら、もちろん私が淹れたいです」
私は、みんなが言うほど鈍くはない。むしろ自己評価としては聡い方ではないかと思っている。
だから、殿下やご当主様が私をめぐってなんとなく険悪な空気になる要因として、私に対する独占欲のようなものが考えられるということも気づいている。むしろ、私が気づいていないと思うのが、どのような先入観からなのかの方がわからない。
しかしながら、果たしてそれが殿下の宣言されたような恋に関わるあれこれかと言われると、それはまた違うのではないだろうかとも思うのだ。
「そう?ありがとう。…というわけですよ、殿下」
「まったくその笑顔で無理強いしていないとは、驚かされるよ。毎回毎回、俺と子犬ちゃんの邪魔ばかりして」
「毎回毎回、コニの休みを潰しにいらっしゃる殿下には負けますよ。王族としてのお勤めをようやく自覚してきたと伺っていたのですが…珍しくレイチェルが見誤ったのでしょうか?」
特にこの二人に関しては、根っから馬が合わないというか同属嫌悪というか、私などを挟まなくとも似たような状況になるのではないかと思う。今だって、いつの間にか話題は私の休みのことから王族の心構え云々といった方向へ移行していっている。
いっそ楽しげとさえ思える殿下とご当主様の様子は、大変微笑ましいものではあるけれど。
「やるべきことはやってるさ。だから、こんなところに居るんじゃないか」
「やるべきこと以上はやっていないと思われますよ」
とりあえず、今日用意されているダージリナ茶の春摘みはとても貴重で美味しいと評判の紅茶である。手早く淹れることで、その新鮮な美味しさが引き立つのだとミスリルさんに教えていただいてからは、私が最も上手に淹れられる紅茶のうちのひとつとなった。
爽やかな香りとこくのある苦味がお姫様のお気に入りであったものだが、今ごろ王宮でお姫様もこの紅茶を飲んでいるのだろうか。手紙で聞く分には、そこそこ楽しくやっているようであったが。
少しだけ、心配である。
「子犬ちゃんを王宮に返してくれれば、もっと働くんだけどな」
「おや、コニを返してきたのはそちらですよ」
応接間に戻れば、また私の話題に戻っていた。
しかも、王妃様の一件について話されているようであり、少し居心地の悪い気持ちは否定できない。
「…まぁ、その件に関してはこちらの分が悪いね。まったく色々とローレルを見くびってたよ」
「ふふ、人聞きの悪い」
「………あのぅ」
「ああ、子犬ちゃん。おかえり」
声を掛ければ、殿下の蕩けるような微笑みに出迎えられた。
この殿下のあふれんばかりの好意を感じる表情は、実はいまだに少し苦手である。それは、殿下の第一印象のせいかもしれないし、ただたんに私が慣れていないだけなのかもしれない。だが、あまりに優しくされすぎると意識できないどこかで違和感のようなものが燻ぶるのを感じるのだ。
それは、なにか「気をつけなければ」という警戒にも似ていた。
「ダージリナ茶の春摘みです。お砂糖はいりますか?」
「いや、せっかくだからそのまま頂こうかな」
「ご当主様はどうしましょう?」
「僕もそのままで」
「はい」
それまでとは打って変わり、二人は静かに私が用意をするのを見る。それは張りつめたというよりも、むしろ弛緩した空気が作り出す穏やかな沈黙だった。
茶器が鳴らないように、そっとテーブルをすべらせる。
その沈黙を、不用意に壊さないために。
しかしながら、いっとき訪れたこの静かな時間は、予期せぬ人間によってあっけなく終わってしまったが。
「殿下!こちらにいらしてるのは分かっておりましてよっ!」
バンッと勢いよく扉を開け放ったのは、久しぶりに見るお姫様であった。
開け放たれた扉の外には、困惑顔の同僚と近衛の人たちが見える。
お姫様の現在の状況を考えれば王宮の外に貴族を訪問する際には先触れなり事前の予告なりを必要としているのであろうが、実家でもあるこのお屋敷ではそこまで格式ばってお姫様を突っぱねることもしにくかったに違いない。それでも殿下のこともあって止めようとした痕跡が外で控える人々の表情からは読み取れるが、そんなものを蹴散らしたのだろうこともお姫様の勢いからは読み取れるのだった。
「レイチェル、」
少し苦い声音でお姫様を呼んだのは、ご当主様であった。
しかし、残念なことにそんな声を無視してしまうだけの勢いが今日のお姫様にはあった。
「…あぁ!コニ、本物?今日は実家に帰ってしまっているかと思ったけど、殿下に足止めされたのね。まったく迷惑も顧みずに困ったものですけれど、私はコニに会えて嬉しいですわ」
「わ、私も会いたかったよ」
一目散といっても過言ではないレイチーに、私もどもりつつ応える。
久しぶりに会えて嬉しいのは、私も同じなのだ。
「今日はこれからシュミット家に行くのかしら?私も久しぶりにシシィの嫌味が聞きたいですわ」
「レイチェル、君は俺を連れ戻しに来たのんじゃないの?」
ようやく我にかえった殿下は、先ほどのご当主様に輪をかけて苦々しい表情でお姫様に声を掛けた。そんな殿下の様子も、お姫様にとってはどこ吹く風やらわからない程度のものでしかないようであるが。
ころころと鈴を転がしたように笑いながらも、そのお姫様の視線は強い。
「あら殿下、ご機嫌麗しゅう。連れ戻される必要があるのは殿下だけですもの、私はコニの家に寄ってからゆっくりと戻りますわ」
「今日までの謁見も決済も終わらせたはずだけど」
「さぁ?陛下のご決済を手伝うようにとしか私は伺っておりませんもの」
「父上が…?」
眉を顰めた殿下に、ようやくお姫様は笑うのをやめた。
ますます恐ろしい雰囲気である。
「殿下は最近、勝手が過ぎるのではありませんか?陛下としっかりとお話し合いをされるべきですわね」
「人聞きが悪い言い方だな」
「恋に浮かれるばかりでは、コニは手に入りませんわよ?」
「あぁ、やっぱり俺は浮かれてるように見えるんだねぇ」
「当たり前ですわ。ねぇ、コニ?」
「えええ、」
急に水を向けられても、私に何が言えるはずもない。
しかし、少なくとも浮かれているようには見えないのだが、私の気のせいなのだろうか。それだけでも言ってみようと一拍おいて口を開けば、声が出る一瞬前にご当主様の声に遮られた。
「レイチェル、殿下を連れて行かれなくていいのかい?」
「義兄上、私はシュミット家に行きますの。ですから、お暇な義兄上が殿下をお連れして頂こうと思いますわ」
「今は、」
いつの間にかお姫様連れで実家へ帰ることが決まっていたが、もちろん私に否があるはずもない。
お屋敷に戻ったにもかかわらずなかなか帰らない私に、そろそろシシィの機嫌が最低になりそうだと父からの手紙にも書かれていた。ここは、お姫様にあやかるしかない。
「私が寂しく手紙だけで我慢していた間、ずっとコニを独り占めなさっていた義兄上には私とコニの久しぶりの再会を邪魔する権利はありませんわ。たしかに王妃様の件では義兄上のおかげで助かったと思ったからこそ今まで我慢しておりましたけれど、それも今日までですわ!覚悟なさって下さいな」
「レ、レイチー?覚悟って…」
「コニ、私がこれからはちゃんと実家に帰れるように見張っておきますわ。まったく、私が居ないとコニに好き勝手ばかりして、許せないったら…!」
まるで私の保護者のような言い分であるが、まぁ興奮しているレイチーには何を言っても無駄である。
それに、素直に助けてくれようとしていることには感謝したい。
「うん?あ、ありがとう」
とりあえず、今日からまた私は実家に行くことができることになったようである。
美味しい紅茶やお菓子に囲まれる休日も嫌いではなかったけれど、如何せん高貴な人にまで囲まれていては休まるものも休まらない日々でもあった。
この日、やっぱり私の特別な味方はお姫様なのだと実感したものである。
一部の一人称を改稿。