【幕間】彼女の初恋。
彼女はとても恋愛が好きだ。
なのに彼女の恋愛は、なかなか実らない。
「たぶん、とっても趣味が変だからだと思うの」
「ふーん」
私の画期的かつずっと心に秘めていた見解を披露したのに、シシィは冷たい反応しか返してくれない。さみしい。
いくら貴族嫌いとはいえ、シシィだって昔はレイチーのこと好きだったんだから興味くらいはもってくれても良いと思うのだが。いや、好きだったからこそ今のお姫様の恋愛を聞きたくないのかもしれない。初恋は実らなくとも色あせないという噂もある。
「ごめん、無神経だったわ」
「いや、なんでそうなるの!別に興味なかっただけで、もしコニ姉が話したいなら聞くよ、もちろん」
「シシィ…」
にっこり笑うシシィは最近急に背が伸びてしまったとはいえ、まだまだ天使のような可愛らしさを残している。私よりも少しくせの強い飴色の巻毛もぱっちり澄んだ翡翠の瞳も、たまに擦り傷を作ってくる滑らかな頬だって可愛いままだ。
どんどん口が達者になって生意気な態度に姉の威厳が陰りはじめたような気がするのは、気のせいに違いない。
「せっかく帰ってきたのにレイチーの話題ばっかりで面白くなかっただけだから。でもコニ姉の恋愛話よりずっとマシだし、聞かせて?」
ところどころ気になる発言はあるものの、とりあえず私の主張を聞いてくれることになったようだ。
ぎゅ、と腕にしがみつかれると、小さい頃に戻ったみたいでくすぐったい。
「うん」
私の知っているかぎりでは、レイチーの初恋は十二歳のときだ。
たしか、相手は諸国をめぐって古い物語を集めている若い学者だった。
出会いはレイチーの生家であるルノワ亭、そこで長期逗留しているお客さんの一人である。
「どこが好きなのって聞いたら、顔って言ってたわ。やっぱりレイチーといえども十二歳じゃあ見た目が大事なんだったんだなって思うでしょ?」
だって、十二歳くらいの女の子ならちょっと格好良い大人のひとに夢中になるなんて当たり前のことだ。同い年の男の子なんかてんで子供よねって近所の女の子が噂してたのを覚えてる。大人の男のひとが女の子にいつも優しいことより、同い年の男の子のたまにある優しさのほうがずっと嬉しいということを知る前の女の子たちだったけど。
私はどっちかって言うと年下の子と遊ぶのが好きだったから、そんな女の子たちにはよくコーネはまだまだお子ちゃまなのねってからかわれたものだ。
今となっては懐かしくも微笑ましい思い出である。
「いや、あんときすでにレイチーはレイチーだった気がするけど」
「そうなの!やっぱりシシィはレイチーをよく見てたんだねぇ」
ぽつりとこぼされた相槌は、まさに正鵠を射たもので、シシィのレイチー観察眼の鋭さには感心してしまう。喧嘩友達というだけではない相互理解が、やっぱり二人の間にはあると思うのはこんな時だ。
頑なに認めようとはしないところも、そっくりである。
「敵の攻略はまず観察からだったし」
「もう、照れちゃって!シシィかわいい」
「…」
「ふふ!でね、その学者さんってすっごく普通の顔立ちで背だけひょろひょろ高い、優しそうだなぁって印象のひとだったの。顔が好きって聞いたからじっくり顔を見たはずなのに、覚えてるのは遠くからぽつんと立ってる姿だけ。しかも優しそうなだけで、優しかったわけじゃないのよ」
「逆に珍しいね。コニ姉、人の顔覚えるの苦手じゃないのに」
そう言われると、確かにある意味で珍しかったかもしれない。
でも大人にあこがれる女の子たちでさえ、どこが素敵なのかわからないと陰口を言っているのを聞いたことがあるくらい、愛想のない普通の人だった。
そんな中で、レイチーだけはよく彼に話しかけていたものだ。
すでに聡明な美少女として名を馳せていたレイチーだったが、彼が嬉しそうにしている姿は記憶にない。面倒だとも思っていなかったようだが、どちらかといえば戸惑っていたのだと今なら分かる。
彼がよく口にしているセリフには、どうして、なぜ、なんのために、から始まって疑問符で終わるような言葉が多かった。
「でもレイチーのセリフは覚えてるんだ。あの顔で血みどろの歴史研究に溺れてるなんて可愛いよね、よ」
「物語って歴史物語の研究だったんだ」
「重要なのはそこじゃないの!十二歳で自分の倍以上に年上の男のひとを可愛いって言っちゃうレイチーの感性とかそういうとこ、今と全然変わってないってことなの。もうこれって一生そうだと思わない?」
私はレイチーが男のひとを可愛い、と言うたびに少し心配になるのだ。
レイチーが男のひとを可愛いと思うようにレイチーを可愛いって思うひとは、果たして現れるのだろうか。そんなひとが、いつかお姫様だっていうのも無視してレイチーを攫ってくれればいいとさえ思う。
それが、レイチーの幸せかどうかは措いておくとしても。
「…で、結局その初恋?それってどうなったのさ」
「たしか告白して、生きてる間にまた会えたら結婚しようって言われたみたい。十二歳の女の子に言うセリフじゃないわ」
「というか、それ本気だったの?」
「さぁ?でも冗談が言えそうなひとじゃなかったけどね」
「俺は、子供にそんなこと本気で言う大人ってのが一番性質が悪いと思う」
「優しくなかったって言ったでしょ?…それに、相手はレイチーだもの」
「それもそうか」
したり顔で頷くシシィは大人っぽいのに、やっぱりどこか昔を思い出す。
レイチーに張り合って大人ぶった言葉遣いをしようと頑張っていた姿を思い出すからかもしれない。
「その後も何人か好きな人はいたみたいだけど、お付き合いはしてなかったと思う。レイチーったら追いかけられるよりも追いかけたいんだって告白されても断りまくってたもの。今は追いかけられるのも楽しいって言ってるけど、」
恋愛観って変わるものよ、と笑ったレイチーを思い出す。
追いかけられるのも楽しいと言いはじめたのは実は最近のことなのだ。私はひっそりと、その楽しみを知ったのはもしかしたらガーランド殿下のせいなのではないかと思っている。ジノア隊長のことはまだまだ好きなのだろうけれど、少しずつガーランド殿下の話題が増えてきた気がするのだ。関わりが増えたというだけでは説明のつかないような内容で。
お姫様の恋も、少しずつ変化しているのだろうか。
「近所のガキに興味なかったんだろ。あの頃からコニ姉にかまってばっかだったし」
「ふふ、そうかな」
レイチーに言い負かされて、泣きながら私のスカートにしがみついた弟を思い出す。
「それに、俺はレイチーって恋を楽しんでるけど大事にはしてないと思う」
「私やシシィが知らないところで悩んでるのかもしれなくても?」
「だって、レイチーは昔も今も変わらないじゃん」
「それがレイチーの魅力だと思うけど、」
「それって恋愛なんかより大事なものがあるからだと思うよ。たとえば、コニ姉と縁を切ってまで守りたい恋愛なんか今までしたことないはずだよ」
「…なんでみんな、レイチーの恋と私を同じくくりで話すのかな。全然同じじゃないのに」
むっとして言い返せば、シシィは少し考えるように目を伏せる。
その横顔に射す明かりがオレンジがかっているのを見て、そろそろ夕方なのに気づいた。店じまいにはまだ早いが、お得意様への配達の時間が迫っているに違いない。つい話し込んでしまったようだ。
「同じとかじゃなくて、優先順位だよ。もし本当にレイチーが恋を大事にするなら、その学者?だっけ、その初恋の相手について国を捨てたんじゃないの」
「子供がそんなこと無理でしょ」
「コニ姉が言ったんだよ、レイチーは今も昔も変わらないって。十二歳だって、レイチーなんだからしようと思えばできたはずじゃないかな」
「うぅ、でも」
「何?」
「好きなひとの話をしてるレイチーって、すっごく可愛いんだもの」
だからこそ、恋を大事にしていないなんて言われると反発したくなる。
でも、たしかにシシィの言うこともわかるのだ。レイチーの夢は、きっと恋愛には左右されないほど大事にしているものに違いないのだ。
「じゃあ、コニ姉は信じてやればいいんじゃない?それだけでレイチーも今は満足なんだろうし」
「…いつかレイチーが全部捨てても良いって思う人かぁ」
レイチーが持っていたものを捨ててまでなったお姫様、そんなお姫様であることを捨てられるほどレイチーが好きになるひとは、きっとレイチーを可愛いと思ってくれるに違いない。
「一生無理な気がするけど」
「もう!シシィったら意地悪ね」
「俺だって似たようなもんだし」
「え?」
「なんでもない。じゃ、そろそろ配達あるから!」
ぱたぱたと店に向かって走って行くシシィは、昔のシシィとは違う。
そんな風にレイチーも変わっているのだと思っていたけれど、本当の変化はまだなのかもしれない。
「私にも、そんな人ができるかなぁ」
レイチーのような恋愛はちょっと難しい。
変わることは怖いけど、ほんのりとした期待もないわけではない。
私の恋愛は、どんなものになるのだろう。
レイチーとふたり、少しずつ変わっていくことを楽しみたいと思った。
夜会などのごたごたがある前の秋ごろ、実家に戻ったときの話。