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お姫様と私。  作者: kemuri
承章<変心編>
24/36

【幕間】彼女の魅力。

 レイチェル・サーベルトというお姫様がいる。

 彼女は、レイチェル・ルノワという女の子でもあった。


「さすが、ルノワ亭のレイチェルだね」


 こんな風にレイチーが言われるようになったのは、正確な時期は忘れてしまったけれど、十歳になる頃にはすでによく耳にするものだった。可愛く美しい、聡明な看板娘。

 街でも有数の大きな宿屋のひとり娘である。

 そんなレイチーの評判がさらに高まったのは、私たちが十二歳の秋のことだ。


「レイチー!」

「コニ、どうしたの?」


 息も絶え絶えにルノワ亭にたどりつけば、レイチーが慌てて走りよってきた。

 レイチーのお祖父さんは隣町に住んでいて、その体調が悪くなると両親そろって宿屋の留守をレイチーに任せて出かけてしまうことがよくあった。大きな宿屋で従業員がいるとはいえ、まだ小さなレイチーに任せてしまうのだから、いくらレイチーを信頼てたとしても少し変わり者というのが適当な人たちだ。

 そのときも、そんな良くある日のうちの一日だった。


「大変なの、セシーが橋から落ちたって!これから運ばれてくるから、」

「一階の部屋をすぐ空けるわ。コニは厨房でお水をコップで沢山もらってきてちょうだい」

「わかった!」


 その水が何に使われるのかも分からないまま、私が厨房に走っていった後で、レイチーはすぐさま部屋を整えありったけの清潔な布と食堂にあったお酒を部屋に運び込んでいた。


「ルノワさん!部屋はあるかい!?」

「おじさん、こっちに運んで!コニから聞いてる。怪我は?息はしてる?」

「息はしてるけど、足と頭が血だらけだ」

「これ綺麗なタオル、早く拭いてあげて!あと、うちで一番強いお酒。消毒に使えるかしら?」

「あ、ああ!」

「お医者様が着いたって!」

「この椅子を使ってください。みなさん、コニが運んでくれたお水をどうぞ」


 なるほど、このために水を頼んだのか。

 沸騰させないでそのまま飲める綺麗な水は、走って汗をかいた人たちが最も欲しいものだ。

 大勢を見誤らないだけではなく、些事を見落とすこともない。レイチーの優しさはとってもささやかだけど、私は大好きだ。


「…うん。アルコールで傷を拭いたみたいだし、化膿止めさえ飲んでいれば大丈夫だろう」


 にこ、と笑顔になったお医者様の言葉に、その場にいた人たちはみんな安堵の息をついた。

 私もほっとして座り込んでしまった。さっきまでは緊張していて気づかなかったが、同じ年頃の女の子が血だらけで倒れる姿にかなり衝撃を覚えていたのだろう。今ごろになって足が震えている。


「よかったぁ、」

「コニ」

「レイチー?」

「お水飲んだ?コニが一番早く走ったんだから」


 隣にかがんだレイチーの手には、新しく汲んできたのだろう水が入ったコップがあった。


「レイチーは?」

「私は喉が渇くようなことしてないもの」


 でも、レイチーの働きのおかげで最悪の事態にはならなかったのだ。

 主が居ないからと部屋を空けるのに手間取ったり、綺麗な布や整えたベッドがなかったり、消毒しないまま感染症になってしまったり、そんなことにならなかったのは小さなレイチーのおかげだった。

 この事件の顛末は、レイチーの美少女っぷり以上にその機転や聡明さが評判になった。

 綺麗なだけではないのだ、という噂は瞬く間に広がって、ついには貴族様にまで届くことになる。もちろんこのときは、まさか大貴族の養女にならないかという打診が来るほどまでとは予想もしていなかったが。

 しかし、この日からしばらくの間、レイチーがふとした瞬間に何かを考えているのを良く目にするようになった。

 今だからこそ分かるが、たぶんレイチーの夢が形になりはじめたのが、この日だったのだろう。

 王宮に上がった時はもう確かな形になっていた夢が、私が知らぬ間に芽吹いた時だったに違いない。


「私、サーベルト家の養女になるわ」


 当時は、そんなレイチーの宣言に驚いたものである。


「はぁー…お姫様だねぇ」


 でも驚いたのと同時に、さすがレイチーだと納得する気持ちもあって、私の反応はかなり間の抜けたものになったのである。友達が貴族のお姫様になるという話はあまり聞かないから、適当な反応というものも思いつかないのだけれど。


「ふふ!コニならもっと驚くかと思ったのに、うちの両親と似たり寄ったりだわ」

「えぇ?ルノワさんたちと?」

「うん。二人もそっかぁお姫様になるのかって言ってたわ」

「でも、それ以外になんて言えばいいのか分かんないもの」


 だって、まさかそんなこと有りえないとか羨ましいとか、そんな風には思わない。

 レイチーの夢を知らなかった私は、少しだけ何故か不思議には感じたけれど。


「それでね?」

「うん、」

「コニも一緒にサーベルトのお屋敷に上がってほしいの」


 だからこそ、レイチーがお姫様になることよりも、このレイチーの提案の方に私は言葉を失うほど驚いたのだった。

 今となっては、巻き込まれ人生の序の口だったのだなぁと懐かしい気持ちになるが。


「一緒に行くわ」


 この言葉をレイチーに伝えるまでに紆余曲折があったとは言え、そう応えたのは私の意志である。

 そして、その応えに嬉しそうに笑ったレイチーは、忘れられないくらいとっても綺麗だった。

 美しい貴族のご令嬢たちの群れの中でも、それは埋もれることがないと信じられるほどに、綺麗だったのだ。


「レイチー、お手紙とお茶会の招待状と花束が三つ届いてるわよ。あと、ご当主様からも晩餐会に同伴するようにって」


 私のその確信は、貴族生活が始まっていくらも経たないうちに裏付けられていった。

 

「ミケルダ子爵の晩餐会ね、たしか二十になるご子息がいらっしゃるのだっけ…」

「あ、ミケルダ子爵からの手紙もあったはずよ」

「本当だわ。御伴するしかないわね」

「ふふふ…その方って、うちの侍女の間でも有名な浮気者でいらっしゃるみたいなの。気をつけてね?」

「あら、臨むところよ?」


 夜会でお披露目された後は、様々なお茶会の誘いが引きも切らない状態が続いたものだ。

 確かに生まれが低いことで侮られることはあったが、礼儀作法や教養などで付け入る隙のないお姫様に面と向かって謗るほどサーベルト家の名は安くはなかった。むしろ、多少の隙があっても問題ないほどに名家であったから、美しく年頃のサーベルト家のお姫様は家柄を重視する貴族としても魅力的であったのだ。

 ましてや、珍しくも艶やかな黒髪に黒曜石と謳われたきらめく瞳の美少女は、社交界の華として確かな地位を確立していた。レイチーの参加する夜会には、年頃の貴族がこぞって参加を熱望するほどであった。ご令嬢からは嫉妬を、青年貴族からは憧憬を。

 ただただ注目を集めるお姫様の傍らで、私はその本当のすごさを知らないで嫉妬するご令嬢や美しさを誉めそやすだけの青年貴族によく呆れたものである。


「レイチー、よく毎日そんなに酸っぱい薬が飲めるねぇ」

「だって夜更かしすることが多いもの。甘いものばかり食べていられないわ」

「その本も、私はまだ良く分からなかったし」

「先生に聞けば教えてくれるわよ」


 自堕落な貴族のご令嬢には真似できないほど、お姫様の生活は約束事の多い規律に満ちたものだ。

 それは今でも変わらない。


「レイチーがどんなにすごいか、みんな早く気づけばいいのに」


 その美しさで名を知られれば知られるほど、美しいだけのお姫様、そう侮られていた時期だってもちろんあった。それくらいお姫様の綺麗さは、社交界においても強烈な印象を与えたのだ。

 でも、それもいつまでも続いたわけじゃない。


「レイチェル様、いま王宮で最も美しいといわれている薔薇をお持ちしました」

「まぁ、ありがとうございます。本当に綺麗ですわ…国中で見ることができれば、どんなに素晴らしいでしょうね」


 美しい八重の薔薇は、当時の王宮でしか栽培に成功しなかったことから、王宮の星と呼ばれてもてはやされた花であった。深い紅の花びらは艶やかで、しかもその芳香は観賞用の薔薇には珍しく強く薫った。さらに、切りとっても長い時間水々しさを保つその特性も貴重であった。


「レイチェル様、しかしこの薔薇が王宮の星たる所以をご存知でしょう?我が領地でも試行錯誤しておりますが、一向に上手くいきません」


 このとき薔薇を持参した貴族は、夜会でお姫様の美しさに釘付けとなった多くの貴族青年の内の一人だ。お姫様と交わす会話は、煌びやかな噂や華やかな流行についてばかりであった。この時も、お姫様の発言について困ったように笑って流そうとしていたものだ。

 しかし、そんな彼がお姫様の信者になるきっかけこそ、この薔薇であった。


「それならば王宮と同じ環境を作り出す努力はなさいましたか?土や水、温度や湿度も植物にとってそれは大切なのだとうかがっておりますわ」

「土や水、ですか…そうですね、庭師に伝えてみましょうか。ところで、この薔薇を使った髪飾りもお持ちしたのですが、」

「まぁ、嬉しいですわ」


 この時点では、彼はまだまだお姫様の容貌にうっとりしていただけに過ぎなかっただろう。

 髪飾りをつけたお姫様を蕩けそうな表情でご覧になっている姿からは、すでに先ほどの薔薇の栽培に関する話題など吹き飛んでしまっているように見えたものである。そしてこれで終わりであったならば、お姫様も彼を信者のひとりとして扱ったりはしないままであっただろう。

 変化は、私がそんな話題も忘れかけた頃にやってきた。


「私の荘園で先日お見せした薔薇を育てることに成功しました。レイチェル様のおっしゃっていたように、王宮の土を少し加えただけで!いつかセントリア国中で見られることになりましょう」

「まぁ、素敵。領民の方も幸せですわね」


 やや興奮気味に喋る彼に、お姫様はおっとりと微笑んだ。

 しかし、興奮して喋っていた彼は、一瞬わけがわからないという表情を浮かべ、お姫様を見やった。


「領民、ですか?」


 おそらくは、お姫様が幸せですわとか言うのを期待していたのだろう。お姫様のために栽培したのだと言わんばかりの口調であったのだから、ぼんやりとしたご令嬢なら自分のためにありがとうという台詞を返して当たり前である。思わずそれを期待していたことを表明してしまった彼は、やや間抜けなところがあると言える。

 まぁ、お姫様にかかれば可愛らしいとか扱いやすくて良いとか称されるのだと思われるが。


「この薔薇の栽培を貴方が成功させたことで、ずいぶんと交易が盛んになったとうかがっておりますもの。賢い主は領民の宝ですわ…もちろん、その逆も」

「…そうですね。うちの領地は良い庭師が多いですから」


 誇らしげにそう言った彼の言葉に、お姫様はそれは嬉しそうに微笑んだ。


「!」


 その微笑みは、きっと夜会でのぼせ上がったお姫様の微笑などよりもずっと魅力的な、レイチーの笑顔であった。この時こそ、彼は真にレイチーの虜、つまり信者様となったのである。

 これは、とある信者様の一例であり、お姫様のもっている魅力が認められていく課程に過ぎない。


 つまり。

 レイチーの魅力とはお姫様の魅力なのではない。

 お姫様の魅力が、レイチーの魅力の一部でしかないということなのである。

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