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お姫様と私。  作者: kemuri
承章<変心編>
23/36

お姫様と私、恋がはじまる。

 私ことコーネリアの免職そして養女未遂事件から、もうすぐひと月になる。

 冬の名残のぼたん雪がうっすら庭につもってゆくのを眺めれば、なんだかあっという間であった。


 お屋敷に出戻ることが決まった日にあって以来、お姫様とは会っていない。

 もちろん王宮で働き始めてから親しくさせて頂いた面々とも疎遠になっている。オンジュと何度か手紙のやりとりをしているせいか、ユネ家の動向に限っていえば以前より詳しいくらいかもしれないが。

 あの忙しなくも華やかな非日常の名残は、夜会の前に殿下からもらった銀のかんざしくらいだろう。

 なにはともあれ。

 ここまでレイチーと離れたのは、初めてかもしれない。


「コニ」


 ぼんやりしていた意識に、するりとご当主様の声がきこえる。

 相変わらず、厳しくも美しい響きである。

 そういえば、家族とレイチーだけが呼ぶ名をご当主様が当たり前にお呼びになるようになったのはいつからだったろうか。今回の件といい、私が思っているよりもご当主様は私に優しい、というか心砕いていらっしゃるのかもしれない。

 一度そう思えば、必要以上に構えることもなくなるのだから我ながら単純だなぁと笑えてしまう。


「はい。紅茶のおかわりですか?」


 兄のよう、というほど距離は近くないけれど。

 むしろ兄という続柄を連想するならばリアさんが適当だろうけれど、あんなに色っぽい兄は困る。

 ティー・ポットを持ち上げようと手を伸ばせば、ゆったりとした仕草でとめられた。優雅さはあるけれど、そこにリアさんのような艶めいた空気はない。


「今日の昼に殿下をお招きしてるから、同席するようにね」


 不覚にもどきりとした。

 面白そうに煌めく瞳や木漏れ日のような声音、ひんやりとしたくちづけの名残を思い出すからかもしれない。何にしてもずいぶんと久しぶりに、話題にのぼるお方である。懐かしい、というわけではない。ただ、何か日常を忘れさせる空気を思い出させるひとだ。


「えっ」


 にこり、と笑っている話題提供のご本人であるご当主様なのだが、その貼りつけたような表情からは不機嫌なご様子しか感じとれない。いやむしろ、不機嫌というよりも苛立ちだろうか。

 私に非はないはずである。


「…私が同席してもよろしいんでしょうか?」


 よろしくないほうがありがたい。

 何しろ、昼餐というのはお茶会とは似て非なるものであり、その格式は晩餐に次いで高い。つまりは正式かつ公式なホストとゲストという関係が明確にされる場なのだ。だからこそ、低くない地位にある貴族の昼餐には王族だって公的に招くことができる。


「よろしくはないけど、あちらからの御要望だからね。この前は実際はどうあれ出し抜く形になってしまったし、ここらへんで御機嫌を伺うのも必要だろうから仕方ないよ」

「その節はご迷惑を、」

「迷惑なら手など回さないから、コニはつまらないことを言ってないで昼の準備でもしに行くくらいの気を利かせたらどうだい」


 どんなに目をかけていただいていたとしても、やはりご当主様はご当主様である。なんだかんだと私への叱責めいた言葉はなくならない。でも、今は昔とはすこし違って受け取ることができる。

 昔、まだお屋敷に上がったばかりの頃だって叱責を嫌だと思ったことはないが、御機嫌を損ねたのではないかとどきどきするのは嫌だった。

 でも今は、こんなことで損ねるような御機嫌ではないと知っている。


「は、はい!すみません、ただいま参ります!」

「まったく…」


 なので、ぱたぱたと昼餐用の広間へ向かう私がちょっぴり憂鬱である原因は、言わずもがなの殿下とご当主様の胃の痛くなるだろう会食が容易に想像できることである。

 しかし、そんな痛みも空腹の前ではみるみるうちにしぼんでしまう。

 キリリと冷やした発泡酒は金色に輝き、みずみずしいサラダにはオリブと岩塩のソースがたっぷりかけられていて野菜の甘みが存分に楽しめそうだ。香ばしい香りの大きな魚は、じっくりオーブンで焼かれてきつね色の皮の切れ目からふっくらとした身をのぞかせている。野菜と燻製の鶏肉をはさんだパンにバターたっぷりのスコーン、ショコラやホイップたっぷりのケーキまでもがずらりと並べられていく様は圧巻である。

 これを御相伴にあずかれるというならば、すこしくらい空気の温度が下がったって問題ない。

 かもしれない。

 たぶん。

 いや、やはり問題は大いにある。

 楽観視すると心積もりができなくて後悔することになるのだ、と私は殿下に頭を下げられながらしっかりと頭に叩き込んだ。覆水は盆にかえることはないのだが。


「子犬ちゃん、この前は母上が先走った真似をしてすまなかったね」


 綺麗なつむじは左巻きだ。

 動揺すると、いらないことばかりが目に付くらしい。


「え、あ!殿下、そのような」


 慌てふためく私に、くすりと微笑んだ殿下はゆっくりと視線を上げた。

 視界の端にはご当主様の渋面が見える。


「あれでも普段はどちらかといえば常識的な方なんだけれど…よほど俺が子犬ちゃんに夢中に見えたんだろうねぇ」

「えっと、王妃様はレイチ…ェル様と殿下が有意義な時間だけではなく、もっと楽しい時間を過ごして欲しいとお考えだったようです。だから、私のような考えなしな人間に興味を持たれたのだと思います」


 王妃様の「普段」の人となりというものを、私は知らない。

 なんといっても天上人であるし、王妃様の噂は本当に下々には届いてこない。神秘的なイメージと権力のある方だというくらいが精々である。

 お姫様も情報というものには敏感だけれども、王妃様はさらにその上をいっている気がする。

 そして、情報というものがそれほど重要視される王宮というところが空恐ろしいと思う。


「うーん、他に何か言われた?」

「いえ、今のようなもの以外は特に…」

「俺とレイチェルが、限定的な許婚だってのは聞いてないってことか」

「殿下!」


 苦笑するように言った殿下の台詞に、我慢しきれなくなったようにご当主様の声が割り入った。

 その表情は、先ほどの渋面からより怒りの形相と呼ぶに相応しいものに変化している。こわい。


「この件についてはサーベルト家と王家における密約だ。もちろんわかってるさ、ローレル。でも、子犬ちゃんはサーベルト家の預かり、なんだろう?この昼餐に同席できているんだから、公式に預かりとして扱う意があると見做されても文句は言えないよ」

「…はい。しかし、ここでそのようなものに言及する必要性は感じられませんね。仮にも、国政に関わる密約です」

「そりゃあ意味もなくこんなことを暴露したりしないさ。それにレイチェルと父上の許可もとった」


 しれっとした表情の殿下と先ほどの怒りを静めたかのようなご当主様の表情は、一見して似通っている。しかし、その内情は真逆だろうと予想できてさらに怖い。

 それにしても、国政やら密約やらと物騒この上ない話題である。さすが昼餐という場を設けてまで話題にするだけのことはある、ということか。それに完全に巻き込まれていることは遺憾であるが、レイチーもまたその渦中にあることは間違いない。それなら聞いてよいところまでは聞いておこうと思う。

 限定的な許婚という言葉には、何かお姫様のこれからの自由を匂わせるものがある。主に恋愛面で。

 それって、お姫様の片想いを応援したい私としては聞き逃せないところであるはずだ。


「そこまでして、なぜですか?」

「簡単に言えば、子犬ちゃんとのこれからのためにってところかな」

「コーネリアとの関係が、今よりも深まるような物言いですね。ユクレーヌ様はコーネリアの件については手を引かれたと理解しておりましたが、早計でしたか?」


 ぴりぴりとした空気に、ご当主様の怒りが伝わってくる。

 やはり、サーベルト家としてはお姫様ことレイチーが殿下と結ばれるのが望ましいのだろう。こんな王族の気まぐれな興味でその心積もりをひっくり返されたら、そりゃあ怒りの一つも湧くに違いない。

 ましてや、ひと月も前に決着させたと思っていた件である。


「はは!母上には俺から手出し無用、と釘をさしたからね。…本当なら、あんな牽制くらいで母上が一度出した手を引くはずがないのはローレルだって分かっていたことじゃないか」

「王妃というお立場になってもお変わりないようですね」

「残念ながらね」


 この前も思ったことであるが、ご当主様と王妃様は旧知の間柄なのだろうか。

 王妃様のお名を呼ぶ人を、私はご当主様以外に知らない。気になってしまったのはなぜだろう。


「それで、」

「だからって、息子の恋愛事情にまで首を突っ込むほど無粋じゃない」

「恋愛事情、ですか?今、その事情とやらを持ち出す必要がありましたか?」

「もちろん」

「ほぅ」

「子犬ちゃん、」


 呼びかけられて、ふと我にかえる。

 そして子犬ちゃんという呼び名が、すなわち自分を示すものだと認識してしまっていることに気づく。思考の小路から引き上げるくらいに、馴染みつつある呼び名になってしまっている。

 それはちょうど、ご当主様にコニと呼ばれることが馴染んでいるように。


「子犬呼ばわりするような相手に恋情を説くとは、随分と酔狂ですね」

「ローレル、嫉妬か?」

「はっ」

「…俺は子犬ちゃんとの関係がこのまま閉じられたくないだけだよ。今はまだ、ね?」

「え、」


 めまぐるしい、というのとは違う。

 けれども思考が追いつかないようなやり取りは、私の頬を朱く染め上げるには十分なものである。

 恋情、嫉妬。

 近くにありそうで、まだ触れてはいなかった感情だ。


「たしかにレイチェルのことは好きだけど、そりゃあ上に立つ者としてかくあるべきっていう見本みたいな師に好意を持たない方がおかしいだろ?しかも麗しい女性だしね。でも、レイチェルとの関係の行く末なんて見切れてる。俺が王として相応しくなったら即行で捨てられるね、間違いなく」

「で、でも逢引相手を気にされたりしていましたよね?」

「そりゃあ、あの!レイチェルが好きになる人間なんて気にならない方がおかしいよね」

「そうですけれど、」

「子犬ちゃんは期待以上だったよ?なんたって可愛い女性だったわけだし」

「あの、私とレイチーはそういう関係じゃ」

「ふはっ…はは!そんなのわかってるよ、何を言ってるんだい?」


 混乱したままに、殿下との会話は感情の表面を滑っていく。

 つまり、どういうことなのだろうか。


「…シェリア殿下、それはコーネリアに求婚する意思があると受け取ってよろしいか」

「ローレル、すべてに結論を急ぐのは邪魔したいっていう本音の裏返しなのかな?そうじゃないなら、そんなに怖い顔しないでほしいな」

「しかし、」

「まだ子犬ちゃんは面白くて気になる存在なだけだよ。でも、それって俺にとってはかなり興味深いことだっていうのは、ローレルならわかるよね?譲るつもりはない」

「…」


 まるで、ご当主様と対抗しているかのような物言いである。

 しかもその対象が、私。

 まだまだ私には遠かったはずのものが、どんどんはっきりとした形をとっていくのがわかる。でもまだ分かりたくない。だって、まだ曖昧なままにしていた方が心地よいのだ。


「俺が言いたいのは、ひとつだよ」

「殿下、」

「コーネリア」


 初めて、コーネリアと呼びかけられた。

 合わせた視線を逸らすことができない。


「俺はきっと君を好きになる」


 悪戯な子供みたいに、きらきらとした目がまっすぐに私をみている。

 正直に言えば、まだそういう気持ちってわからない。もちろん殿下にそんな気持ちを持っているはずもない。

 でも、楽しそうな殿下を見ると悪くないって思ってしまうのはなぜなのか。


 いつか、わかりたいと思った。

これで【変心編】は終わりです。

【幕間】の後からは恋愛路線がかなり前面に出てきますので、じれじれ感が苦手な方はご注意ください。

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