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お姫様と私。  作者: kemuri
承章<変心編>
22/36

お姫様と私、逃亡する。

 何事にも、分相応というものがある。

 他国よりもその垣根が低いとはいえ、我がセントリア国にも身分差が厳然と存在するように。


 私は油断していたのだ。

 いや、甘く見ていたのかもしれない。セントリア王宮に君臨する王妃様という存在が、あまりにも親しげに振舞っておられたからということは言い訳にしかならないだろう。どこか警戒はしていたはずなのだ。

 先日お招き頂いた王妃様の個人的なお茶会で、私の主張を受け入れ考えるかのように見せかけて、実はまったくの希望的観測に過ぎなかったことを思い知らされた。

 何が起ったかといえば、端的に言おう。


 下女をクビにされたのだ。


「お偉方の気まぐれにも困ったものだよ!できる限り早くまた雇えるようにするから、ほんの少しだけ実家で待っていてちょうだい」


 散々に怒りをぶちまけた後、ミスリルさんは潤んだ瞳で私の両手を握って言った。

 おそらく、このまま実家に戻れば王妃様の差し金でどこぞの貴族から養子縁組か何かの申し入れがなされるに違いない。断れないように、王妃様か誰かの推薦文つきで。

 こんなことになるなら、さっさとサーベルト家の方に頼っておけば良かった。

 今からでは、すべてが後手後手にまわるに違いない。


「コニ姉…!」


 とぼとぼ、という音がぴったりな歩調が実家の近くに差しかかったとき、久しぶりの声が聞こえた。といっても、み月ぶりというところであるが。

 向かいの通りから走りよってくる相変わらず可愛い弟に、憂鬱な気持ちを忘れて微笑んだ。


「シシィ」


 私とおそろいの飴色の髪に手を差し入れれば、機嫌のいい猫のように目を細めて手のひらにすり寄ってくる。ひとしきり戯れれば、思い出したように心配そうな表情になった。


「コニ姉、大丈夫?仕事辞めさせられたって、コニ姉が失敗するはずないよね」

「うん、」

「いじめられたの?なんだったら、ずっと家に居ても大丈夫だよ。むしろ、」

「あのね」

「あー!もう、だから反対したんだ。レイチーのために王宮なんか行くのやめた方がいいってさ」

「もう、シシィ!ちょっと待って、順番に説明するから。父さんと母さんはお店?」


 シシィは、私がお屋敷で働いていたときにお姫様の信者様たちにねちねち嫌がらせされたことを聞きつけて以来、ちょっぴり過保護というか貴族様たちのテリトリーに関わることを酷く嫌がる。王宮でレイチーに会うことさえ反対するほどだ。昔はレイチーに勝てない喧嘩を何度も売りに行くくらい仲が良かったのに、今では話題にすることもあまりない。

 心配してくれるのは嬉しいが、すこしだけ寂しい。


「ううん、お屋敷から手紙が来てさ。さっき慌てて店じまいしてきたんだ」

「え、そんな大切な手紙なの?もう!急がなくちゃ」


 一応、大旦那様には今回の件について報告のお手紙を出している。

 実家に知らせたのとほぼ同じくらいに届いたはずであるが、もしその件についてならば早すぎる対応だ。しかし、店じまいをするほどの用件など、他に心当たりはない。

 これは、急いだ方が良さそうだ。


「ちょ、どうせあの陰険貴族が面倒押し付けようとしてんだって!あー!コニ姉、そんなに走ったら転んじゃうよっ」

「転ばな…っ」

「ほらぁ!まだ舗装途中なんだから、王宮とは違うんだよ?」


 地面からとびでた石に躓いたところを、荷物ごとシシィに支えられた。

 王宮で履きなれた靴ではあったのだが、舗装されていない下町には華奢すぎる造りだったようだ。均されていない道には、ガラスの破片や大きい石がそこかしこにちらばっている。

 転んだだけでもなかなかに危ないのを、すっかり失念していた。


「…ありがと」

「別に!コニ姉くらい、いつでも助けられるし」

「シシィったら背が伸びたら急に格好良くなっちゃったのね」


 いつの間にか、シシィの背は私に並びそうなほど高くなっていた。

 一緒に暮らしていた頃はもっと小さくて、私の胸のあたりまでしかなかったのに。


「…カッコいいほうが好き?」

「好きよ。可愛いシシィも大好きだったけどね?」

「俺もコニ姉好き!」


 急に大人びてしまったのかと思いきや、今度はまだまだ幼い表情で満面の笑みを見せてくれた。

 置いてけぼりな気分がふんわり消えていく。


「ふふ…あ!母さん、ただいま」

「おかえり、コニ。とりあえず、お屋敷から呼び出しがあったわよ」

「え…大旦那様から?それともご当主様?」


 どちらにしても珍しいことではある。お屋敷で働いていたり王宮内で暮らしていることもあって、お屋敷に呼び出されるようなことは今までほとんどなかったのだ。

 ましてや、今回の件はお姫様とはほとんど関係ない。


「とりあえず至急ってことだったけどね」

「分かった、この荷物置いてくるわ」


 お店から裏に回ると、入り口に父さんが待っていた。

 変わらないのんびりした笑顔に、家に帰ってきたことを実感する。


「おかえり、コニ」

「ただいま!父さん手紙読んだ?お屋敷からのじゃなくて私のね。もう大変なの、でもこれからお屋敷に行って大旦那様に相談してみるけど」

「読んだよ。お前を養女にやるつもりはないんだが…そんなに大変なことなのかい?」


 にこにこしたまま、私の荷物を取り上げる。

 早い内から働きに出てしまったとはいえ、父さんの中で私はまだまだ子供なのだ。むしろ大人になりきる前に家を出たせいで、私への認識が変わっていないのかもしれない。ありうることだ。だって、私が家を出たのと同じくらいの年になるシシィには色々と仕事を任せたりしているようだし。

 まぁ、たまには甘やかされるのも悪くないけれど。


「うーん、父さんは頼りにしてるんだけど…貴族様たちって常識が通じないもの。変なことされないか心配だわ。王妃様の御意志もあるし」

「まぁ、何はともあれお屋敷で助けてくれそうならお願いしようかね」

「うん」


 お屋敷からの呼び出しは本当に至急だったらしく、家がある通りのすぐ近くに迎えの馬車まで用意されていた。正直、王宮からは乗り合い馬車と徒歩で来ていたので助かった。

 ガタガタとうるさい車輪の振動も、上質なクッションのおかげで苦にならない。むしろ素晴らしく乗り心地の良い馬車だといえる。庶民からは縁遠い車内を独り占めする居心地の悪さをのぞけば、であるが。


「ありがとうございました…」


 門を抜け、そのまま車寄せまで乗せていかれたことを考えると、どうやらサーベルト家のお抱え馬車だったようである。どおりで豪華すぎたはずだ。


「コニ!!」

「…レイチー?」


 玄関から応接間に通されると、お姫様に出迎えられた。

 ぎゅ、と抱きつく柔らかな体に腕を回す。たしかにお姫様の家ではあるものの、王宮に居室のあるお姫様がここにいるのは常にはないことである。理由は王妃様の件であろうが、仕事場の詳細を知らないお姫様がこんなにも早く、しかも私を出迎えるようにしてここに居られるはずがない。

 誰かが呼び出さないかぎりは。


「まったく、レイチェルを泣かせないでくれる?」

「!」


 甘やかな声にふり向けば、ご当主様がいらっしゃった。

 ということは、今回の呼び出しはご当主様で間違いないだろう。迎えによこしたのがお抱え馬車であったことから、そこまでの驚きはない。大旦那様に宛てた手紙もすでにご存知なのだろう。


「お義兄さま、まさか王妃様がこんなに早く動かれるとは思っていませんでしたの!」

「ふふ、」

「…お義兄さま?」

「僕が、王妃様といえど遅れを取るなんて思わないでほしいね」


 気の逸っている様子を隠しきれないお姫様に対して、まぁあまりご自分には関係ないだろうご当主様が余裕綽々なご様子なのは理解できる。

 しかし、その発言の真意はどういうことなのだろうか。

 お姫様と二人、きょとりとご当主様を見つめれば、素晴らしく楽しげな笑顔を浮かべられた。


「もうコニはサーベルト家の預かりになってる。そう簡単に他の貴族が養女にすることはできないよ」

「え、いつのまに」


 ちょっと素で驚いた。

 貴族の「預かり」という扱いは、奉公と養子の間を取ったような状態のことで、一朝一夕に審査が通るものではない。少なくとも、保護者の同意と政務において次長以上の地位にある貴族三名と国王または大公以上の承認が必要なのだ。保護者については一度お屋敷に上がっているから問題ないにしても、他はどんなに迅速な根回しをしていても十日はかかるだろう。

 十日前といえば、まだ夜会の準備をしていた頃である。


「ユクレーヌ様に目を掛けられたって聞いてから、すぐ根回しをしたからね。十分間に合う準備期間だったよ」

「義兄上、ずいぶんと用意周到ですわね…」


 つまり、私の手紙をご存知だったということとは別次元で、すべてお見通しであったということなのか。

 おそろしい。

 考えるまでもなく、お姫様の感想に同意したい所存である。


「そうかな?感謝されこそすれ、そんな目で見られる謂れはないと思うけど。ねぇ、コニ?」

「は、はい!ありがとうございます!」


 急に話と視線をふられて慌ててしまったが、確かにご当主様のおっしゃる通りだ。

 下手に王妃様の息のかかった貴族の養女になって、あまつさえお姫様の対抗馬に担ぎ出されそうになったところを助けられたのだ。元々サーベルト家にはレイチーという縁があった。今さら、多少の扱いが変わったからといって何の文句があるだろうか、いやない。

 私の返事に、ご当主様はにっこり微笑んだ。


「うん。その代わり、しばらく屋敷で働いてもらうから」

「はい!」

「部屋は前と同じね」

「わかりました」

「レイチェルが居ないから、僕付の侍女だよ」

「頑張ります!」

「また仔犬を育てようと思っているから、コニにはその世話もしてもらいたいしね」


 以前の仔犬たちを思い出して、強ばっていた頬が自然とゆむる。

 今日は馬車に乗っていたせいで会うことはできなかったが、落ち着いたら懐かしいあの仔たちの雄姿を見にも行かなくては。新入りの仔犬が来るのはいつになるのだろうか。

 いろいろと大変な流れで出戻ってきてしまったわけだが、すこし楽しみになってきた。


「本当ですか?嬉しいです」

「僕も嬉しいよ」

「…え?」


 滅多に聞けないどころか有りえない台詞が耳に飛び込んできた気がする。

 私に向けた言葉ではないのかもしれない。もしかしたら幻聴だったかもしれないし。

 ああ、いや。私がお屋敷に居ることでお姫様がいらっしゃる機会が増えることが嬉しいのかもしれない。うん、そうに違いない。びっくりさせられたものだ。まぎらわしい。


「じゃあ、レイチェルを送ってくるから。コニは必要な荷物を運んできなさい」

「わかりました。お世話になりま、す」


 麗しい微笑みに一瞬だけ惚けてしまったが、慌てて頭を下げた。


「じゃあ、一度また王宮にいってこようかな。陛下との謁見もあるし」

「私も戻らなくてはいけませんわね」


 玄関の広間まで見送れば、お姫様はやや不本意そうな表情である。

 やはり無理をいって王宮を抜け出したのだろう。だが、特に文句も言わないところをみると、今回の件ではこれ以上の対応は不可能だということがわかる。

 さすがのレイチーも、私を貴族にしてまで傍におきたいとは言えないし、言わないのだ。


「いってらっしゃませ」

「ああ、うん。行ってくる」

「また来ますわ」


 それになんだかんだとは言っても、お姫様はご当主様を信頼しているし、ご当主様はお姫様を可愛がっているのだ。


「義兄上ったら随分と、ご機嫌ですわね?」

「はは、そうかな」


 レイチーのいつになく低い声に、いつになく楽しげなご当主様の笑い声が不吉ではあるが。

 とりあえず一件落着、かもしれない。

一部改稿。

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