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お姫様と私。  作者: kemuri
承章<変心編>
21/36

お姫様と私、甘くない罠。

 今日の仕事はお昼で終わりだ。

 それというのも、内々に予定をねじ込まれたからである。


 聖夜の夢、それで片付けられるのであれば夜会の美しさは素晴らしいものだった。

 きらきら輝くドレスに華麗なダンス、荘厳な大広間は昼間のように明るく心打つ音楽が流れるひと時。でも実際は、どろりとした貴族様たちの社交場であり、今あるこの現実とひと続きに連なる一夜だったのだが。

 私の巻き込まれ人生に三度訪れた、変化を兆した夜を思わずにはいられない。


「コーネリア・シュミット嬢はこちらか?」


 部屋の外からかけられる聞きなれない呼称は、その残滓ではなく始まりなのだ。


「はい…あ、」


 扉を開けば、対面するのは約半年振りになるだろうか。

 噂においてはお馴染みの、でも実際は数度言葉を交わした程度の顔見知りが立っていた。

 これからの用件を考えれば、驚くには値しない。


「この度、王妃殿下の居室へお連れする命を賜った近衛隊々長アレクサンドル・ジノアです。…夏以来か、変わりないようで何より」

「いやいや、だいぶ変わったと思います。本日はご足労をおかけして申し訳ありません」

「仕事なのだから当然だ。では、」


 促されるままに、ジノア隊長の後ろを半歩遅れて着いていく。

 ぴしりと伸びた背筋は相変わらず生真面目そうで、言葉の端々に表れるどこかずれた思考も相変わらずである。表面的な情報だけを見ればかなり魅力的な結婚相手にもかかわらず、未だ独身という事実がそのずれっぷりを示しているように思えてならない。

 お変わりないのは、ジノア隊長の方だろう。


「…コーネリア嬢」

「はい」


 ほんの少しの躊躇いを匂わせつつも、ちらりを視線を向けられたので半歩進んで会話する体制をとる。淑女としてはあまり褒められた行動ではないが、ジノア隊長は頓着する様子もないので構わないだろう。

 まぁ、話しかけてきたのは相手なのだから当然といえば当然であるが。


「推挙の件では、君がレイチェル様と旧知の仲だとは知らず失礼した。リアには殿下と懇意だと、」

「は?」

「まぁ、こちらの勘違いだったようだが」

「…どういうことでしょう?私はてっきりジノア隊長はご存知でいらっしゃったのかと」


 そうでなくては、ああも自信満々に侍女への推挙云々などと言い出さないだろう。

 出処は結局良く分からないままであったが、リアさんはお姫様と私の関係を知らなかった。ジノア隊長が出まかせを喋るとも思えないが、しかし知らない情報を話せるはずもない。

 …もっともリアさんは、匂い袋の件で殿下との関係を邪推していらっしゃったようだけれど。不謹慎だ。


「いや、今さら蒸し返しても無礼かと思うのだが…シェリア殿下と懇意ゆえレイチェル様とも交流を持っていたのかと思っていた。あの時も殿下と一緒に居られたし。レイチェル様はあれで頑なな部分があるだろう?ただの侍女に心許すとは思えなくてな」


 つまり、殿下のお手つき侍女がお姫様にも少しばかり気に入られての三角関係ということだろうか。

 不謹慎どころではない。

 それで円満な関係を結びうるという考えが生まれる時点で、ここが下町とは異なった倫理によって動いているということを実感する。

 おかしいとは思ったのだ、あのジノア隊長好きのレイチーが「悪い話にしかならない」なんて一蹴するような提案など、そうそうない。あなたの許婚とその浮気相手を交えて仲良くどうですか、なんて想い人に提案されたら泣きたくもなるだろう。お姫様といえど、レイチーのそういった倫理観は貴族様よりも私に近いはずである。

 まったく、面倒な行き違いがあったものだ。


「ずいぶんな倫理観でいらっしゃいますね…」

「倫理観?」

「愛人を交えた三角関係でも睦まじくなりうるというお考えには、同意しかねます」

「は!?いやそんなつもりは、いや…そうか」


 私のつんけんした物言いに気分を害したわけではないようだが、何やら認識には行き違いがあるようだ。その行き違いをこの場で質すことができるかどうかは定かではないが。

 ひとりでふむふむ頷く様子は、お姫様あたりがご覧になれば喜ぶに違いない。私にとっては不可解である。

 つまり、端的にいえば、ちょっと変わった人だなぁと見られるようなご様子である。


「ジノア隊長?」

「その件に関しては、私の認識は君に近いとだけ言っておこう。私は案内役であって、情報を提供する立場にはないのでね」

「…はぁ、」

「この件も含め、今日は御沙汰があるのではないかと考えている」


 御沙汰、と称されるようなお話など聞きたくもない。

 案内された居室は、廊下から三枚もの扉をくぐった先にあり、ごく私的な部屋であることが伺える。私が入室した時点で控えている侍女は二人で、一人はほとんど入れ違いに出て行ってしまう。さすがに王妃様の奥室付の侍女さんにはお目見えしたことがない。どちらも見知らぬ美人であった。


「本日はお招きありがとうございました」


 歓迎するように微笑む王妃様に深く腰を折れば、王妃様の左向かいの席を示される。

 この距離から、催されたお茶会が二人きりで進められることがわかる。


「ようこそ、コーネリア」


 憂鬱な気分はぬぐえない。

 だが、夜会も序盤で一旦居室に退いたまま大広間に戻らずにお暇してしまった身としては、お茶会を辞退するのも気まずいものがある。これは私にとってかなり大きな変化である。

 つまり、気まずいと思わされるような関係を築かれつつあるということなのだ。

 いつのまにか。

 変化は、当事者の気づかぬところで進行するものではあるけれど。


「それ、本気だったんですか…?」


 音もなくティーカップを皿に戻し、王妃様は優雅に微笑まれた。


「もちろんですわ。たしかにレイチェルは王太子としてのシェリアを良く援けてくれるでしょう…でも私の可愛いシェリーを楽しませてくれるのは、コーネリアだと思いましたの」

「え、あの…」


 本当に楽しそうに笑っておられるのを見ると、つい台詞の中身をうっかり肯定しそうになる。

 そうですね、と応えれば、さらに楽しげに微笑まれるのだろうと期待させるように口元と瞳は笑いを含んできらめいている。人の心を掴むことに長けた人間の表情だ。


「何も私は王妃になれと言っているのではなくってよ」

「はい」


 悪戯っぽく、どうしてもなりたければやぶさかでもないけれどと笑う王妃に、知らず頬が引きつった。これで私が本当に望んだら、いったいどのような反応を見せるのか。楽しげに微笑むのか、冷徹に微笑むのか…どちらにしても、素晴らしく恐ろしい想像である。


「ただ、シェリーと会うことのできる立場になってほしいのですわ」

「それは、下女という身分を剥奪されるということですか」

「剥奪、というと穏やかではなくってよ。わざとなのかしら?」

「私の主観を交えてしまうと、このような表現になってしまいます」

「ほほほ、思ったよりもずっと気が強いのね。ますます気に入ってしまいますわ」

「…恐れ多いことです」


 どこまでが本音で、どこからが建前なのか。

 私のような貴族における社交経験の浅い人間には、王妃様の深淵を覗くことは不可能である。

 ただ、きらきらと光る眼に圧倒されるしかない。


「でも、貴方のそんな魅力は対等な身分あってこそだと思わなくて?ふふ…私、遜られてがっかりするシェリーも可愛ゆいと思うけれど、そうはなってほしくないですわ。そのためには、対等になれる環境が必要だと思いませんこと」


 やや身を乗り出すような仕草は、親身で真摯な態度に見える。面白そうに輝く表情はもちろん、はずむ声音やときおり混じる笑い声もとても魅力的だ。

 なのに、どこか頭の片隅で、かすかな警鐘が鳴りやまない。


「秘密の花園ではいけないのでしょうか?」

「問いかけを返すようだけれど…あの花園は、本当にすべてを隠せるのかしら?」

「わかりません。でもレイチーの作った、特別です。私が王宮で信じられる、もしかしたら唯一の特別かもしれません」


 完璧な特別ではないのは、殿下やジノア隊長の件で分かっている。それでも私が信じている特別は、王宮の中では「いつものお庭」しかない。口にしてみて、再確認した。

 私が信じているのは、レイチーだけなのだ。

 それは、俄かにできた王族の後ろ盾による身分なんかよりも、ずっと確かに私の味方になるだろう。


「強情ね、」


 一瞬だけ眇められた目線に、神経がぴりりと逆撫でられた気がした。


「申し訳ありません。ですが、これが私の偽らざるところなのです」

「…そうねぇ、考えさせてくださいな」

「はい」

「とりあえず、紅茶をもう一杯いかがかしら?」


 にこり、と微笑んだ王妃様の合図で、気配もなく控えていた侍女さんが紅茶を新しいものに替えてくれる。白磁の華奢なカップには、青い釉薬でうっすらと薔薇が描かれていた。


「ありがとうございます」


 なんとなく張りつめていたものが緩み、ようやく紅茶の香りが届く。

 それは、いつぞやに飲んでみたいと思った薔薇の紅茶であった。

 その匂いは想像以上に濃厚で、喉を過ぎても薔薇の香りに包まれているような気分がしばらく続いていた。

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