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お姫様と私。  作者: kemuri
承章<変心編>
20/36

お姫様と私、夜の王宮で。

 私は、目も眩むような大広間に怯むことはなかった。

 なぜなら、沸々とした怒りでちょっぴり上の空だったのだ。

 きわどかったとはいえ、乙女の唇いや柔肌にふれた罪は殿方たちが考えているよりずっと重い、はずだ。


「寡聞にして存じ上げませぬが、シュミット家というのはどちらに領地をお持ちなのかしら」


 煌びやかでたおやか、しかも艶やかな目の前のやや年嵩なご令嬢にとって、口づけがどのような価値を持っているのかは分からない。しかしながら、私を無視してリアさんを未遂とはいえ物陰に誘ったことを考えれば、私とは異なる価値観を持っていると考えて良いだろう。


「そのようなものは私の興味の埒外でして。…この可憐な魅力こそ両陛下や私の興味を独占しているのですから」

「…っアールメリア様のような浮気な方を繋ぎとめていらっしゃるには、ずいぶんとあどけなくていらっしゃるのね」

「はは。だからこそ、自分の手で花開かせてみたいと思っておりますよ」

「まぁ、ほほほ。お邪魔なのかしら、」

「いやはやお恥ずかしいかぎりです」

「!…っ失礼致しますわ」


 目の前で展開されている何某かの攻防については、リアさんには悪いけれども、まったく手助けするような隙はなかった。むしろ隙があってもできないというのが実際のところではあるのだが、気分的に恋愛のあれやこれやには今とっても関わりたくない。

 皆さん、もっと慎み深くあるべきではないだろうか。

 やや胡乱な目つきになってしまっていたのかもしれないが、リアさんは、宥めるように私の腰にまわした腕に力を入れた。ちらりと見上げれば、いつもの人をくった笑みではなく、少し緊張した表情でやや遠くを眼差している。


「さて、そろそろ本番だな」

「本番…?」


 ぽつりと呟かれた言葉を見上げたまま復唱すれば、ようやくいつもの笑みを浮かべた。


「そ、」

「コーネリア」

「!」


 やはり、第一印象は涼やか。

 表情は温かくどこか陽気で冷たいところなど見当たらないのに、なぜこうも印象が清冽なのだろう。

 リアさんの視線の先には、麗しい微笑を浮かべた王妃様が近づいてきていた。

 近づいてくるにつれて、不躾にならないぎりぎりの注目が集まってくるのが分かる。分かりきったことであり覚悟してきたことでもあるが、やはり王族の一挙手一投足に対する貴族方の興味は生半ではないものがあるようだ。

 せっかくの演奏にも、踊っているひとは少ない。


「ようこそ、夜の王宮へ。楽しんでいただけて?」

「王妃様、ご招待ありがとうございます。…王宮の夜の賑々しさに緊張しております」

「まぁ、ほほほ!アールメリアを引き連れてご令嬢たちの羨望を集めておいて、慎ましやかなこと。…アールメリア、十全に気を配るよう私からもお願いしますわ。…私にとって大切な客人でいらしてよ」


 さわり、と周囲の空気が動いたのがわかる。

 王妃様に視線と言葉を向けられたリアさん自身は、まったく動じることなく視線を受け止めて礼をしているが。やはり近衛として常日頃から王族と接しているだけのことはある。


「は。弁えております。…殿下にもくれぐれもと言いつかっておりますので」

「あら、あらあら!シェリーからですって?レイチェルではなく?…ほほほ、それはとってもよろしくてよ」


 楽しげに笑う王妃様に、リアさんはきょとんとした表情を返した。

 嗚呼、まずい。


「は…?レイチェル様、ですか」

「…まぁ、私としたことが失言でしたわ。どうしましょう?」


 ちろり、と王妃様の向けた視線の先には、なんとお姫様とご当主様が連れ立って控えていた。ご当主様としっかり目が合ってしまったが、お姫様が進み出たことでその姿が陰になる。ご当主様の視線は、私にとってはそれだけで圧力になるから助かった。この場の空気の重さは変わらないが。


「王妃様」

「レイチェル、まさかアールメリアが知らないとは思わなくてよ」

「申し訳ありません。王妃様がこのようにお声をかけるとは思い至りませんでしたわ」

「レイチェル」


 お姫様の不遜とも受け取れる物言いに、さすがのご当主様も窘めるようにレイチーの名を呼んだ。

 ほんのりと微笑んでいるが、眉間に浮かんでいる皺に不機嫌が滲み出ている。


「ローレル、かまいません。非は私にありますわ。…貴方が夜会にいらっしゃるのは久しぶりね?」

「最近は父の仕事の補佐をすることが増えておりまして、社交の場からは足が遠のいてしまいました。大変勉強になりますが、ユクレーヌ様のお姿を拝謁する機会が乏しくなってしまったことはまことに残念に思っております」


 すごい、ご当主様がこういった類の世辞をきらきらしい笑顔で言うとこういう雰囲気になるのか。

 しかも、さりげなく王妃様の御名を呼ばわっている。もうこのひと下りの台詞だけで、どれだけの牽制になっているのか計り知れない。ご自分の地位や立場を明確かつさりげなく示したあげくに、王妃様への世辞まで盛り込んでいるのだ。これほど意味深く効率の良い挨拶はなかなかないだろう。


「あら、今夜はずいぶんとご機嫌麗しくていらっしゃるのね?あなたから世辞を聞くことになるなんて、珍しいこともあるものですわ」

「常には本音を秘してこそ、言葉は尊いと考えておりますので」

「ほほほ。常の言葉を否定するような世辞しか言えぬようでは、まだまだ公爵閣下には及びませぬよ」

「…失礼致しました、」

「!」


 うわ、と慄かずにいられない。

 あのご当主様の言葉から隙を見つけ出したあげくに非を認めさせるような場面を見てしまったのだ。

 王妃様は私が考えている以上に、とっても怖いひとなのかもしれない。


「ずいぶんと気も漫ろですわね?貴方も子犬に夢中なのかしら」

「今は屋敷に子犬はおりませんので、機会があればまた手元にと考えております」


 屋敷の仔犬という言葉に、ふと懐かしい姿が思い浮かぶ。私がお屋敷に上がった頃は、現在番犬として活躍している仔たちが産まれたばかりであった。黒と茶の毛並みに円らな瞳のあの仔たちは、私が餌をやるたびに一生懸命じゃれついてきたものである。今だって会えば尻尾がちぎれそうになるくらい歓迎してくれるのだから、可愛がらずにはいられなかった。

 そろそろ次世代の仔犬を育て始める時期なのかと思い至って、お屋敷の日々が少し懐かしくなった。


「コーネリアは、これからサーベルト家に上がる気はあるのかしら?」

「あ、はい。…えっ?」


 ちょっとぼんやりしていたところに話を振られ、おもわず「はい」という言葉が口から出てしまった。安易に肯定してはいけない、というご当主様の小言が脳裏に浮かんだ。まずかっただろうか。


「それは困りましたわ」

「はい?」

「私、コーネリアには王宮に上がって欲しいと思っておりますの。陛下がレイチェルを御呼びになったように」

「えぇっ!?」


 思わず声をあげてしまった。

 と、ほぼ同時に、リアさんが窘めるように背をたたきご当主様が私の横に並ぶように進み出た。


「コーネリア、はしたない声を上げてはいけないよ」

「…失礼致しました」


 我にかえると自分の居る場所と、状況を思い出す。

 リアさんと寄り添うように一歩下がるのを横目で見たご当主様は、王妃様へまっすぐと向き直った。


「ユクレーヌ様も珍しくお戯れが過ぎているようにお見受けいたしますが、陛下の御裁量を伺ってもよろしいでしょうか?」


 凛とした声は、大きなものではないのに良く通る。

 はじめて、王妃様の表情がすこし曇った。


「…陛下の裁量を待つことでもなくってよ」

「しかしながらユクレーヌ様、レイチェルを王宮に上げたようにとおっしゃるのでしたら、王妃様の御認可を頂いたように陛下の御裁量も伺わなくてはなりません。…ご自分のお言葉に、誠実でありますようお願い申し上げます」

「…わかりました」


 ピリリとした空気は、ため息を吐くようにして返された王妃様の言葉によって弛緩した。

 リアさんが静かに息を吐き出したのがわかって、私もゆっくりと空気を吐き出した。そうしてはじめて呼吸を止めていたことに気づいて、内心苦笑う。雛の刷り込みにも似ているのかもしれないが、いつまでたってもご当主様の真剣な声には慣れないのだ。


「まったく、ローレルはどんどん可愛くなくなってしまって残念ですわ」

「ありがとうございます」

「褒めていませんわ」


 わざとらしくはあるものの、うんざりした表情でご当主様を見た王妃様は、ふと思いついたように私に視線を向けた。そして悪戯っぽく微笑んだかと思うと、私の頭上あたりを見たままで首を傾けた。


「コーネリア、そのかんざしとっても似合っていてよ」

「!…ありがとうございます」

「ほほ、シェリーにも困ったこと。…嫌わないであげてちょうだいね」

「え、」

「シェリア殿下…?」


 なぜ知っているのか、というのは愚問なのだろう。

 殿下から曲がりなりにも賜ったものを外すわけにもいかず身につけたままでいたが、馬鹿正直につけたままだったのが仇となってしまったのだろうか。いや、外していても結局は言及されただろうことを考えれば、私にどうすることができただろう。不可抗力というものである。

 そういえば、「また」と言ったわりに殿下のお姿を見かけていない。まぁヒマがないのは確かだ。

 むしろ、ご当主様の訝しげな声の方が、後々めんどくさいことになりそうなのは気のせいだろうか。


「可愛くないローレルには秘密ですわ。では皆さん、御機嫌よう」


 最後に浮かべた楽しげな笑みは、確実にご当主様に向けたものであり、私はそのとばっちりを受けたものだと考えられる。そうでなくて、なぜこのタイミングで殿下の名前を出すはずがあるだろうか。

 悶々とした気分をもてあましていれば、今度はすぐ近くでずいぶんと暗い声で名を呼ばれた。


「コーネリア」

「レイチ…ェル様、どうなさいましたか?」


 さすがにこの場で愛称を呼ぶわけにはいかない。

 リアさんにはもうほとんどばれているようなものだが、ここには他の貴族も大勢耳を欹てているのだ。


「少しだけよろしい?アールメリア様、コーネリアはこちらで責任を持って帰しますので…今夜は譲っていただけるかしら」

「…コーネが良いなら」

「リアさん、ごめんなさい。せっかく相手をしてくれたのにこんなことになってしまって…」

「あー…んなへこむな。これが最後ってわけじゃねぇんだ、また会ったときにでも詳しく話せ」

「はい、全部は無理ですけど、かならず」

「なら良い。気ぃつけて帰してもらえ」

「ありがとうございます!」


 ふわりと前髪をすくった指先は、甘やかされているようで擽ったい。

 踵を返して立ち去る後姿は颯爽としていて、こちらに興味津々だったはずのご令嬢たちの視線を捕らえるのには十分すぎるほど格好良い。

 もっとも、さすがに殿方の視線までは奪えないらしく、周囲の視線の大半はいまだに私たちに向けられている。


「ごめんなさい…まさか、ううん。言い訳ね、」

「レイチェル様」


 しょんぼりした風情はお姫様の凛とした雰囲気を果敢なげに変えていて、まわりの方々の視線がいっそう興味深そうなものになった。居た堪れない、とはまさにこのような状態のことである。

 その視線の強さにご当主様がようやく気づいてくださったおかげで、私たちはついに大広間の衆人環視から逃れることができた。


「この部屋なら使っても問題ないだろう」

「は、はい。ありがとうございます」


 パタン、と扉が閉まる。

 一枚とはいえご当主様は閉ざされた扉の向こう側に控えてくださり、王宮にしては少し小さめの個室にお姫様と二人きりだ。沈黙が耳にいたい。

 レイチーがここまで落ち込むのは、いつ以来だろう。ジノア隊長の恋愛事件でも、ここまで落ち込むことはなかったのではないだろうか。つまり、ここは私が口火を切るしかないのだ。

 こういう場合、レイチーはひどく臆病だ。


「私は…レイチーが、頑張ってきたの知ってる。だから、少しでも助けたくてお屋敷にもついていったし、王宮でも会いに行ったわ」

「コニ、」


 視線を上げたお姫様と、しっかり向かい合う。

 本当に伝えたいことがあるとき、ちゃんと相手の目を見ようとするのがシュミット家の習いなのだ。


「殿下とか貴族様とかに、なるべく関わらないように、関わってしまっても最小限になるように頑張ってくれてたのも知ってるよ。秘密の花園だって、今はあんなに大げさに言われてるけど…元は私と会うために作ってくれたものだし」

「結局、あんまり意味はなかったわ。殿下には何度も見つかってしまうし、アレク様にだって」


 初めて殿下に乱入されたときや、お二人がいっぺんに居たときのことを思い出して苦笑する。


「あれは確かにびっくりした」

「コニがこんなに王族の方々から興味を持たれてしまったのは、ぜったいに殿下のせいだもの」

「否定はしないわ」


 その殿下に興味を持たれた理由はいまだに良く分からないが、あの匂い袋ひいてはレモーネ・ケーキが大きな契機となったのは疑うべくもない。


「これって、コニが嫌いなめんどくさいこと、でしょう?…私の我ままのせいでコニの大好きな日常がなくなったって思ったらすごく、こわい。でも、どうしてもコニのこと手放せなくて…陛下にだって会わせるつもりなかったのに…!」

「うん。でもレイチーができることだって、そんなに沢山はないと思うわ」


 そう、いくらレイチーがお姫様でも、王宮においてはお姫様でしかないのだ。

 しかも、それは王族のお姫様なのではなく、臣下であるサーベルト家のお姫様である。


「でも」

「たしかにめんどくさいこと、嫌いだけど…でも、私たちにはどうしようもないことっていっぱいあるもの。もし後悔するなら、ずうっと昔のことまで後悔しなきゃならないんじゃないかなぁ…それって、とっても淋しいわ」


 たとえば、サーベルト家にレイチーが見初められたことだって私たちにはどうしようもないことだった。サーベルト家のお姫様は人並みはずれた美しさや聡明さ、そんな魅力のための努力を惜しまない人間でなければならなかったはずだ。

 そうならないためには、レイチーがレイチーであってはいけなくて、それはレイチーの頑張ってきたこと全部を否定してしまうことになるのではないだろうか。

 だって、レイチーがレイチーであるということが、お姫様になるということだったのだから。


「だから、いまさら謝られたって困っちゃうわ」

「そう、ね…いまさらだわ。ここまで私の夢に巻き込んでるんですもの」

「でしょ?だから、どうせならありがとうって言ってほしいな」

「え、」

「たしかに今回のことは、ちょっとどころじゃなく巻き込まれてるなとは思うわよ。まさか王妃様に目を掛けていただくなんて、私の人生には考えられないようなことだし…それってやっぱり、レイチーがきっかけなことには間違いないもの」


 私の言葉に、お姫様は神妙な表情でこくりと頷く。 

 それでも、この部屋に入ったときの暗さはもうなくなっていて、少しほっとした。


「でもね、ちょっと…じゃなくてかなり面倒なことだけど。それでも諦めてほしくないくらい、レイチーの夢って素敵だと思ってるの」

「…うん」

「まぁ、私の生活だって大切だけど」

「ふふ…そうね、」


 しかも、巻き込まれるのなんて、今に始まったことではないのだ。

 それなりに、私だって自分の生活を楽しんでいる。王宮の下女としての日常だって、巻き込まれたからこそ得られた日常で、それは全然めんどくさいものなんかじゃない。たぶん。

 そして、お姫様がどんなに我がままに見えたとしても、レイチーの夢が優しいことは変わらない。


「コニ」

「ん、なぁに?」

「ありがとう」


 そんなレイチーは、やっぱり素敵だと思うのだ。

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