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お姫様と私。  作者: kemuri
承章<変心編>
19/36

お姫様と私、夜会の前に。

「あの…本当に、これ私が?」


 きらきら、しゃらしゃら、ふわふわ。

 目の前にあるドレスを表わすとしたら、そんな言葉がぴったりである。


「もちろん。義兄上と義母上がひと月以上もかけて吟味した、とっておきですわ」

「えぇ!?」


 お姫様が自分でふた月も吟味したとっておきのドレスと並んでも霞まない、そんなドレスを自分用に誂えられたと言われても息が詰まるばかりである。しかも、高級志向のご当主様と着道楽でいらっしゃる大奥様のお見立てとは、もう何の精神攻撃なのだろうか。私がサーベルトのお屋敷で働いた数年間分のお給料をはるかに凌ぐほどのお値段なのでは、とついつい現実的な心配をしてしまう。

 おそるおそるドレスに触れてみれば、実家でやっているお店では一生取り扱うことのないだろう最高級の絹の感触がする。さらっとしているのに、どこか潤いを閉じこめたようにしっとりしたさわり心地だ。


「はぁぁー…着るのこわい。こんなに綺麗なドレス、きっと着られちゃうもの」


 お日様の光りを綴じこめたような、とても淡いひよこ色の布地には複雑な刺繍と小さい真珠が縫い取られている。首まわりや袖、腰から裾にかけてを飾っている繊細なレースは、良く見れば雪の結晶の意匠となっており、聖冬祭のために作られたことがわかる。きゅっと絞られた胴から下はたっぷりとした布地が幾重にもなってふくらみをもって広がっていく。

 清楚な印象ながら、とても贅沢な造りだということが伝わってくる。


「そうかしら?陽の光みたいに暖かいのに雪の結晶のように清楚で可憐。コニ以上に着こなせるひとなんて王宮にいないと思うわ。コニのふわふわの髪を纏めなければならないのは残念だけど、綺麗な飴色はそのままだから十分似合うもの」

「あは、ありがと」


 まだ背中におろしたままの髪に、お姫様の指がすべる。

 私はまっすぐでさらさらの黒髪が羨ましいと思うことが多いけれど、レイチーにこうやって褒められれば悪い気はしないのだ。清楚で可憐というのが友達の欲目だと分かっていても、である。


「それに、義兄上ったらエスコート役を取られてしまったんだもの。少しくらいは、楽しませて差し上げて?」


 今夜の夜会には、当然のことながらサーベルト家の方々もご出席される。

 リアさんが居なければ、現在まだ独身でいらっしゃるご当主様に同伴させていただく予定であったのだが、やはりリアさんが居てくれて助かったとしかいえない。たとえリアさんが恋愛相手として女性に大人気であったとしても、ご当主様はさらにたちの悪いことに結婚相手として大人気であるらしい。私のエスコートの方が楽しいと思うほどに、その結婚の値踏み社交はめんどくさいようなのだ。

 そんな貴族様方の嫉妬を浴びるくらいならば、リアさんにくっついて恋の鞘当やら当て馬やらをしていた方がまだ五体満足でいられそうなものである。


「ご当主様を楽しませるのは、私には荷が重いわよぅ」

「そんなことなくってよ。コニを着飾らせるなんて、滅多にないことだもの。十分にお楽しみだったと思うわ」


 貴族というかお金持ちは、他人のためにお金を遣うことに楽しみを見出すというが、あの実利主義なご当主様までそうだったとは意外である。実にならないものに投資などしないかと思っていたが、そういえば、私をいじめても何の得にもならないのにあの時は随分と楽しそうであった。


「そんなもの…?」

「そんなものですわ」


 ころころと笑うお姫様は、本当に楽しそうである。

 たまに、ご当主様と血が繋がっていないのが不思議なくらい似ているが、こうやって笑うお姫様を見るとやっぱりお姫様がレイチーであってレイチーがお姫様なのではないのだなぁと思う。

 だからこそ、お姫様は王宮でも魅力的なのだろう。


「ふふふ、レイチェル様はコーネリア様がとってもお好きなのですね」

「あら、今ごろ気づいたの?マイヤー」


 いつの間にか、衣装を用意してくれていた侍女さんたちがいなくなって、少し年嵩の落ち着いた侍女さんだけが残っていた。

 マイヤーと呼ばれた女性は、朗らかな笑顔と落ち着いた立ち居振る舞いが印象的な美しいひとである。お仕着せではない上等な衣装から、なかなか位の高い侍女であることがわかる。何より、レイチーの声に親愛がにじんでいることが、マイヤーさんがただの侍女ではないことを示している。


「このようにお傍で拝見するのは初めてですもの。コーネリア様、初めまして。レイチェル様の部屋付侍女を務めさせて頂いておりますマイヤーと申します。本日はコーネリア様の身支度をお手伝いさせて頂くことになりまして嬉しゅうございますわ」


 やっぱり!マイヤーさんは、お姫様が初めて選んだ部屋付の侍女さんだった。


「はじめまして、コーネリア・シュミットと申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします!」


 できるだけ丁寧に、でも慇懃すぎないように挨拶をする。普段なら雲の上のような役職の方なのだけれども、今は客人として私が仕えられる側なのだ。あまり遜りすぎても失礼である。

 慣れないふるまいに、ちゃんと笑えたかどうか心配になる。


「あら、まぁ…とっても可愛らしいですわ」


 きょとり、と見返せば蕩けるような微笑みが返された。

 女性にもかかわらず、なんだかとても居た堪れない気分になってしまった。リアさんや殿下の色気にあてられたときと似たような気分である。耳が赤くなるのがわかった。


「マイヤー、あんまりコニをからかわないでちょうだい」

「ふふ、失礼しました。それでは、お着替えを始めさせていただきます」

「コニをお願いね」

「かしこまりました」


 綺麗なお辞儀は、礼儀作法のお手本のようだ。

 そして、これにたおやかさを加えたお姫様の会釈もまた、社交界の理想の実体化であった。


「じゃあ、私も用意をしてきますわ。コニ、またあとで」

「うん。レイチーのドレス姿、楽しみにしてるね!」

「私はもっと楽しみにしていますわ」


 にこり、と笑い交わしてお姫様は退室した。

 部屋にはマイヤーさんと私だけが残り、すでにマイヤーさんは鏡台の前で様々な櫛や飾りピンなどを用意していた。ぱちりと視線が合えば、微笑んで椅子を示される。


「コーネリア様。まずは御髪から、」

「は、はい!…お願いします」


 即席令嬢作りの、始まりである。


「いっ」

「申し訳ありません。もう少しだけ引かせていただきます」

「大丈夫です」


 侍女をしていたときなど比べ物にならないほど、私の髪の毛は複雑かつ美しく編み上げられていく。

 頭皮の至るところで引きつれがおきようとも、その高い完成度の前には文句などあるはずもない。


「うっ」

「少しだけ我慢していただけますか?」

「平気です」


 初めて肌にのせられる高級白粉は、甘い薫りをまとっていて香水の役目も果たすことになるらしい。

 たとえ鼻の奥に入り込んで息が詰まろうとも、今までにないほど肌を滑らかに白く見せてくれる。


「あっ」

「これで最後ですわ」

「はい…!」


 滅多につけないコルセットは、私のものよりも肌触りがよく体の線とぴったりと合っている。

 締めつけがいつもよりきつかったとしても、あの美しいドレスのドレープを崩さないためには必要なのだ。


「コーネリア様、大丈夫ですか?」

「は、はい…ありがとうございました。マイヤーさん」


 すべての仕度が整った頃には、すでに私の気力はごっそりと削り取られていた。

 私はただ座ったり立ったりしただけなのにも関わらず、その十倍以上は動いたはずのマイヤーさんよりもぐったりしているのはなぜなのか。

 むしろマイヤーさんは、すっきりとした達成感で生き生きしていらっしゃるように感じられる。


「お疲れになったでしょう?何か飲み物をお持ちしますわ」

「あ、」


 いくら元気そうに見えるといっても働きっぱなしのマイヤーさんを、これ以上働かせるのは気が引けた。しかし、止めようとした私に、にっこり笑ってマイヤーさんは扉の向こうへ行ってしまった。

 ぱたん、という音がひとりきりの部屋に響く。

 ひとりだ。


「はふ」


 息をつけば、思いのほか大きなため息になる。

 緊張しているのかもしれない。いくらふた月以上も心構えをする期間があったとはいえ、いまだに今日という一日は夢心地で、どこか現実感がない。今日もみんなは仕事をしているだろうが、私がこの部屋を出て行く頃には家に帰っていくのだろう。華やかな夜会の噂をしつつ、自分の家で聖冬祭の晩餐を楽しむのだ。去年の私がそうだったように。

 大きく切り取られた窓は透明度の高いガラスで、カーテンをめくれば夕暮れの朱色が目に沁みる。結い上げられた髪をくずさないように額をガラスにあてれば、予想以上の冷たさに驚く。

 部屋が暖かすぎるのだ。

 くるりと暖炉を振り返るのと同時に、続き間ではない方の、つまりは廊下に繋がる扉を叩く音がした。

 エスコートのリアさんが迎えに来るまで、まだあと一刻はあるだろう。


「どなたですか?」


 扉は開けないまま、少し離れたところで誰何してみる。

 事情を知らない貴族だったならば名乗るか立ち去るかするだろうし、事情を知っているものなら名乗るか用件を述べるだろう。まさか押し入ってくるような人間は、こんなところまで来られないはずだ。

 と、思いきやである。


「やあ、子犬ちゃ…ん?」


 特に躊躇いもなく扉は開かれ、名乗ることも用件を述べることもせずに見知った人物が部屋に入ってきた。想定の範囲外の出来事である。これでは、慌てて人を呼ぶこともできないし、だからと言って適切な振る舞いというものも思いつかない。


「殿下!?どうなさったのですか?」


 とりあえずは、この誰が通るかも分からない廊下と部屋が繋がったまま、殿下と二人きりという状況を打開するためにどうするべきかを考えたい。そのためには、殿下の目的を知らなくてはならない。それを知るには、何も言わずに立ち尽くしている殿下をどうにか正気づかせることが必要である。

 かつり、と歩み寄れば、見開いていた目がようやくまばたいた。


「これは驚いた、どこのご令嬢の部屋に迷い込んだかと思ったよ」

「ありがとうございます?」


 本当に驚いているようなのだが、どうも褒められた気はしない。

 どこか皮肉っぽい雰囲気を感じる。何かしただろうか。するはずもないのだが。


「んー…想像以上に、化けたな」

「はぁ」

「さすがに今日はゆっくりできないんだ」

「…はぁ」


 いや、できれば可及的速やかに退室して欲しい。

 もちろん、そのためには無駄口をたたかず成り行きを見るのが最も近道であることには気づいている。急がば回れという言葉は偉大な発見だと思う。


「これを子犬ちゃんにつけてもらおうと思ってね?」


 しかし、それも時と場合によるのである。

 このような、いかにも綺麗で希少で高価であるという装飾品を意味もなく渡されているというような場合、成り行きに任せることは必ずしも面倒ごとを回避することに繋がらない。

 繊細な小鳥を意匠とした銀細工のかんざしは、いつかの飴細工のようで美しい。小鳥の瞳に填めこまれた明るい緑の石はおそらく最高級の翡翠であり、羽を飾る真珠は示し合わせたかのようにドレスのものとそろった色合いである。つまりは、ものすごく価値のありそうなものなのだ。


「!…受け取れません、」


 賜るのではなく貸されるだけなのかもしれないが、万が一のことを考えればそれさえも遠慮願いたいくらいだ。しかし、殿下が簡単に私の主張を聞き入れるはずもない。


「いや、これはただのお返しだから。受け取ってもくれないと困るよ」

「お返し…?私、殿下に何も差し上げたことありません」

「あれ?これ、覚えてないかな」


 首をかしげた私に習うかのように、殿下の首が傾けられる。

 その殿下が懐から取り出したのは、いつぞやお姫様にプレゼントしたはずの匂い袋であった。


「あ!」

「これって君が作ったものだよね」

「…はい。でも、」


 この匂い袋は、レモーネ・ケーキのお礼にレイチーにあげたものであって、けっして殿下に差し上げたものではない。むしろこれと引き換えにしたものならば、レイチーに渡すべきだろう。むしろお姫様に匂い袋を返してほしい。

 私の作った匂い袋だといつからご存知だったのかとか、そうと知ってなぜ未だにみにつけているのかとか、そんなことが頭の中をぐるりとめぐる。今はそんなことを気にしている場合ではないのだろうが。


「それなら、やっぱり君はこれを受け取らなければいけない。だって、俺はこれを誰にも渡すつもりはないからね」

「ただの匂い袋です」

「価値は、自分で決めたいんだ」

「……わかりました」

「そう、じゃあこれは俺がつけてもいいね?」

「え」


 今の了承の返事は、匂い袋の価値についてであって、そのかんざしを受け取ることを了承したものではない。わざと取り違えたに違いないのだが、もうこれいじょう主張してもさっきの返事を言質として引き下がらないに違いない。

 というか、だんだん逆らうのがめんどくさくなってきたことは否めない。

 だって疲れたのだ。


「じっとして、」


 ひとつ息を吐いてうつむけば、何度目かになるミントとカモマイルの香りに包まれる。

 このリラックス効果は、こんなときにも有効なのか。抵抗する気力が削がれてしまった。たぶん、非日常の一日に、気持ちが麻痺してしまっているのだろう。そうでなければ、こんな面倒事を目の前にしてまぁいいかなんて思わないはずだ。だって、私は日常を大切にしていたいと思ってきたのだから。


「うん、似合う。子犬ちゃんの瞳とおそろいにして正解かな」

「ありがとう、ございます」

「はは、おひとよしだねぇ」

「そんなことはありません」

「うん、いいよ」


 意味が分からない。

 訝しげに見つめれば、にんまりと怪しげな笑顔が近づいてきた。思わずのけぞれば、背中と腰の中間あたりをぐいっと引き寄せられた。のけぞっていた体勢のまま引かれれば、下半身が着いて行けずに殿下の胸元にすがる形になる。


「わ…っ」

「じゃあ、また夜会でね?」


 手馴れた所作に苛っとするが、声をかけられれば見上げるしかない。


「!?」


 唇の横、わずかに外れた部分にしっとりとしたものが触れた。

 わずかに温かく、離れたあとはひんやりとした感触が残る。


「ぇ、」


 私が我にかえったのは、リアさんの迎えがようやくやって来たときであった。

 嗚呼。

 気力が尽きかけそうである。

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