お姫様と私、嵐の夜。
サーベルトのお屋敷から実家を経由して、一通の封書が届いた。
差出人は大奥様であるが、筆跡がレイチーである。珍しいことがあるものだ。
『 親愛なるコーネリア
突然のお手紙ごめんなさい。
どうしても貴女に会いたいという方がいらっしゃるの。
夜九つの鐘がなる頃に私の部屋に来て下さい。
近衛の宿舎近くの噴水にひとを待たせておきます。
礼儀知らずなのも、無理なのも承知です。
でも、とっても緊急の用事なの。来てくれるって信じてるから!
あなたの親友レイチェル 』
非常識すぎるお願いは、驚いたり呆れたりを通りこして心配させるものである。
何と言っても、淑女の代表であるレイチェル姫の行動だ。このちょっとの失敗が人生を台無しにしてしまうこともある王宮において、このような手紙は本当にありえない。もし仲介する人や受け取った人に、少しでも悪意や過失があれば、レイチェルの評判が失墜してしまうほどの非常識っぷりである。
無事に私の手元に届いたから良いようなものの、あまりに軽率だ。
だからこそ、心配なのだが。
「ちょっと出かけてきます!」
夕食が済んでいて助かった。
使用人棟の管理人に急いで外出を届け出る。ぎりぎりだったがなんとか受け付けてもらえた。
そして、届いた手紙は細かく千切って燃やす。外出用のショールを取り出して羽織りながら、しっかり炭になったのを確認すればひと安心である。残しておいても心臓に悪いだけなのだ。
夜九つの鐘まで、あまり時間がない。
ちょっとくらい遅れても大丈夫だろうが、急ぐに越したことはないだろう。
「お待たせしました!」
以前リアさんと座ったことのある噴水の傍に、一人の女性が立っていた。
彼女で間違いないだろう。
「コーネリアですね。参りましょう」
「お願いします」
案内役の侍女さんは、とても身なりが良い。お姫様付の侍女さんならば普通の侍女さんよりは高級な雰囲気なのも当然ではあるが、それにしても少し上質すぎるほどである。派手ではないが、上品すぎる。少し年齢が高いせいだろうか。おそらく、ご実家はそこそこの貴族であるに違いない。
何やら嫌な予感がしてきた。
いくつもの回廊を通って、ようやく高貴な人々の居住する棟にやってきたらしい。もう一人で戻ることはできないくらいに入り組んだ道のりであったが、不審者対策だろうから文句も言えない。使用人棟とは、床に敷かれた絨毯からして同じ敷物だとは思えないほど上質だ。ふかふかで歩きにくい。
「コニ!ああ、こんな夜にごめんなさい」
「大丈夫」
扉をくぐった途端に、お姫様に抱きつかれる。
ぎゅっと押し付けられた胸に埋もれて、少し苦しい。でもレイチーの心臓が普通よりずっと早く鳴っているのが聞こえてきたから、安心させるようにレイチーの背中を軽く叩く。
「実はね、」
「レイチェル、その子が噂の子犬かい?」
こいぬ、また子犬か。
いや、そんなことより、こんな時間にお姫様の部屋に居る男性でお姫様を呼び捨てにできる人かつ私を子犬呼ばわりするって、王太子殿下くらいだとおもっていたのだけれど。
この渋いバリトンは、明らかに殿下とは違う。
「陛下、あちらで待っていらっしゃるよう御願い致しましたのに…」
「すまんすまん、待ちきれなくてな」
「!」
陛下。つまり国王陛下。
平身低頭したいところであるが、お姫様に抱きしめられている状態では不可能である。とりあえず、紹介されるもしくは声をかけられるまでは、私は石。むしろ石になれたらどれだけ平和だろうか。
嗚呼。
そういえば、王太子殿下よりも陛下の方が年季の入ったお姫様の信者だった。
「コニ、国王陛下のシュバル様ですわ。陛下、これが私の大事なコーネリアです」
「お初にお目にかかります、コーネリア・シュミットと申します。本日はこのような」
「はは!楽にして構わぬ。急に呼びつけたのは私だからな」
「はぃ…かしこまりました」
「本当に、陛下の我がままにも困ったものですわ。コーネリアは、殿下の子犬である前に私のお友達ですのよ?」
殿下の子犬になった記憶はない。
お姫様の発言に異議を申し立てたいところだが、小市民の私には不可能だ。まことに遺憾である。
いつの間にそのような肩書きが広まったのか。おそろしい。
「レイチェルの友人というだけでも、会ってみる価値があると思うがね」
またしても、お姫様信者特有の知りたがりか。
国王陛下も例外じゃないとは、私の統計と分析もなかなか馬鹿にできない正確さである。
「陛下が考えていらっしゃる以上の価値がありましてよ」
しかしながら、お姫様の無茶振りはそんな私の予測をぶっちぎるレベルである。
昔からのことではあるものの、このレイチーのコーネリア評価の高さは信者様たちには大不評だ。もちろん面と向かってお姫様に、いやいやそんな価値ないですよっていう方は少ないが、お姫様のいらっしゃらない場所にてお会いしてしまった場合はいい気になるなとかなんとか良く言われたものである。
まったく良い思い出ではないが、今となっては懐かしい。
二度と御免であるが。
「ほう、ずいぶんと子犬に期待をかけるものだ」
まったくだ。
そのような期待に応えられるだけのものを持っていない私からしてみれば、期待されることは期待されないことの百倍辛い。裏切ることの分かってしまう期待など、悲しく空しいいだけだ。
現に、陛下の視線には面白がるような光りはあるものの、それよりもずっと強く冷たいものが込められている。それは端的に言えば、分不相応なものを見る眼だ。
私にとっては理不尽であるが、同時に正しく正直なものでもある。
「期待じゃありませんわ」
お姫様の、凛とした声がその視線を断ち切らせる。
庇われたと感じないのは、レイチーの方が苛立っていると分かるせいだろうか。
「ふむ?どういうことだね」
「コーネリアがいなければ、私、サーベルト家からとっくの昔に逃げ出していましたわ。コーネリアの価値は、これから何かをしてくれるからあるのではありません。すでにコーネリアは、私にとって十二分に価値ある人間なのです」
「…なるほど」
私としては、そんな言葉で納得してしまっていいのか少し疑問だ。
結果としてレイチーは逃げ出さず、一人で王宮に上がった。
たしかに、私がレイチーの隣に居たことは事実だ。でも、もし居なかったらなどという仮定を基にした主張など、とてもあやふやで…陛下のような実務に秀でた人間にとっては、重大な論拠になることなどではないと思うのだ。
ましてや、私を見る眼を変えさせるようなことではない。
「しかも、さらに放蕩息子の興味までかきたてているとは!その事実だけで素晴らしく面白いな」
にもかかわらず、なぜ陛下はこうまで上機嫌になるのか。
しかも、まったく面白いことなどない。
殿下に興味を持たれていたのは、お姫様の恋人疑惑のせいである。すでに解決した今となっては、記憶の隅に引っかかっているかどうかというところだろう。
誤解も甚だしい。
「是非、王妃にも会わせてみたいものだ」
王妃様は、陛下の唯一の妻にしてセントリア国に次ぐ大国ガシェット国の王妹で在らせられる。しかも、陛下に愛妾がいらっしゃらないこともあるが、王太子殿下を含む王子全員の母親という将来の国母という磐石の地位を築いている方でもある。
しかしながら、それだけ身分が高い方であるにもかかわらず彼女の噂はほかの王族方に比べてずっと少なく、権力者というよりも神秘的な女性というイメージが強い。
あまり社交界にも現れないらしく、私たちのような下々の者にとっては謎そのものである。そんな普通の貴族様よりずっと難解そうなお方と対面して、失礼なく過ごせる自信は皆無である。
「…恐れ多い、です」
「あら!王妃様とは、きっと仲良くなれると思いますわ。私よりもコニの方が、王妃様とは上手くいくに違いなくってよ」
「は?」
「それでは困るかな?」
「ふふ!」
また、私の評価が異常値を叩き出している。
しかも今度は陛下までお姫様の話術によって、その異常を認識せずにスルーしている。お姫様の信者様をたぶらかす能力が上がっているように思えてならない今日この頃である。
しかし。
これ以上、私を貴族社会に巻き込まないでほしい。
ここまで関わっていて今更ではあるが、あくまで私は一介の下女なのだ。
下女でありたいと思っている。
なぜなら、そこに私の平穏があるのだ。