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二十四話「娘」

「お父さん!見て、お父さんの似顔絵書いたの!」


決して裕福とは言えない家庭だが、貧困と呼ぶには少し違和感がある。

俗に言う一般家庭。生活に困窮しているわけではないが、余裕もない。


妻が事故で亡くなって以来、男手一つで子どもを育ててきた。

娘は楽しく暮らせているだろうか、幼稚園でいじめられてはいないだろうか。

日々の小さな出来事が幼子にとっては運命の分かれ道であり、父親としての責任は重い。


「おぉ!相変わらずお前は絵がうまいなぁ…!

っと…そろそろ仕事の時間だ」


足早に靴を履く、手元に残ったパンを無理やり押し込む。

「いってらっしゃい」そう聞こえたから、笑顔でこう返すんだ。


「いってきます!」


……


平凡などこにでもある企業。


「おはようございます」


「おはようナズナ君、今日も、しっかりと働くんだよ」


「ナズナ先輩!おはようございます!」


恵まれた上司、称える部下たち

中々の立場を会社内で得ており、その生活は実に充実していた。

目の前の仕事に集中し、仲間と協力し合いながら成長していく日々。

もちろん、時にはストレスも感じるが、それを乗り越えることでさらに強くなれると信じている。


……


いつものように業務をこなす。

だが、退屈では決してなく、毎日が幸せだと思っていた。

仕事の中で仲間と過ごす時間、達成感を感じる瞬間、どれもかけがえのないものだったから。


そう、いつもと変わらない日々だと思っていたんだ。

すべてが普通で、それが特別だと、そう感じていた。


しかし、運命は突然やってくる。

何気ない日常が、ほんの一瞬で変わってしまうことを。

あの日のことを振り返るたび、あの無邪気な幸せがどれほど大切だったのかを思い知らされる。

あの時の自分に戻れるなら、もっと大切にしておけばよかったと。


……


毎日のように繰り返されるこの食事。

ケチャップがたっぷりと挟まれたハンバーガー

アツアツで油が染み込んだポテト。口に運ぶたび、幸せを感じる。


外の喧騒が微かに聞こえる

だが、いつもその味わいに没頭していた。

脂っこい食事は、安易な快楽だった。


だがその快楽は、絶望へと落ちる。


ふと視線を移すと、部屋の隅に置かれたゴミ箱が目に入った。

無造作に捨てられた食べ残しの中に、ひときわ異彩を放つ物


ふと、それを覗いてみる。


それは、決して人の持つべきではない、黒く血の香りが漂う物。


その冷たさは、同時に自らの体温もすぅと冷えるのが感じられた。


これは拳銃だ。


だが、当時の平和ボケした自分は、それを玩具か何かだと思っていた。

好奇心に駆られ、ふと引き金を引いてみた。瞬間、空気が一変した。

金属の冷たさが指先に伝わり、静寂を破る鋭い音が響く。


その瞬間、心臓が跳ね上がる。目の前に広がった光景が夢から覚めるように現実を突きつけてくる。


一人の女の悲鳴でその夢は現実に戻る。


何がなんだか分からなかった、だから逃げた。

ここで弁解しても意味がない。


人は極限の場面では冷静ではなくなる、聞いたことがある者もいるだろう。

本来なら弁明すれば良かった、でも、その前に逃げるという判断が頭をよぎった。


店から走り去り、会社に戻るでもなく家に直行する。


………


「あれ、お父さん今日は早いね!」


いつものように純粋無垢な笑顔を浮かべる娘。


「ただいま、今日は仕事が早く終わってな」


………


その日から毎日のように鳴りやまない電話、力強く叩かれる扉。

会社には行けていない、怖かったから。


生前の妻にも言われたよ、そんな強面なのに臆病さんだねって。


「お父さん、仕事行かなくていいの?」


「ちょっと黙ってろ!お前は気にしなくていいことなんだ!」


「お父さん怖い……前はもっと優しかった!

お金はどうするの?!お母さんには、その姿、顔向け出来るの…?」


うるさいうるさい、これは、お前の為なんだ。


その言葉が耳に刺さる。うるさい、うるさいと心の中で叫びながらも

彼女の目から溢れる涙が、私の心に突き刺さる。

これは、お前のためなんだ。、何度も自分に言い聞かせてきたのに。


「なんで、そんな悲しい顔をするんだよ。」


思わず呟く。彼女の無垢な瞳が、私の心を揺さぶる。

かつての優しい父の姿は、どこに行ってしまったのか。

彼女にこの姿を見せることが、果たして本当に正しいのだろうか。心の奥で葛藤が渦巻く。


彼女の声が、内なる声と交錯する。

彼女の笑顔を守るために、どれだけのことを犠牲にしてきたのだろうか。


その悲しみを見ていると、自分の選択が間違っているのではないかと

強い不安が湧き上がる。

彼女を抱きしめたくても、距離が生まれてしまう。俺は、父親として何ができるのだろう。


そんな思いも虚しく、ぎゃんぎゃんと響く声はそんな内なる声を打ち消す。


俺より弱い癖に、俺がいないと生きていけない癖に。


その幼子の首は脆く細く、大人の力では、首を絞めるなんて生ぬるいものじゃなかった。


頸椎は砕け呼吸の出来ない肺を必死に動かす。

じたばたと、もう生きられるはずのない生命に縋る姿。


あぁ、なんて俺は弱虫なんだろう。


………


皆大好きだったさ、でも俺はもう戻れない。


「私は、救いの手を差し伸べる方法が分からない

だって、皆を拒絶して引きこもっていたんだから


……だから、この手を取るか取らないか、あなたが決めて」


…馬鹿らしいなぁお前は


だが、この血に染まった手を、お前は握るというのか。


本当に、お前の言動は分からないよ。




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