表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

夕焼けの河川敷

 昨今の我が国において欠かせない企業がある。名を田中商事という。おおよそ5年前に開業したその企業はその期間で国内物流を座席した。

 非常に安い価格で食品、衣類、原材料を揃える事が出来るこの企業は、我が国の経済をあっという間に支配し天下を取ったっと言っても過言ではない。

 しかしその手法には謎が多く、なぜそんな安値であれこれ揃える事が出来るのか謎であった。

 

 そんな企業の噂。なんでもその企業の創業者田中さんは「異次元」を見つけたのだとか。

 異次元を見つけ、そこで宇宙を作り、そこから通常世界に物資を流入させている。そんな荒唐無稽なデマが広がるほど田中商事は国内で存在感を放っていた。


 田中と同じ苗字で、歳もそう変わらない。そんな凄い方の田中さん。

 同じ田中さん。しかし両者の人生には大きな差が出てしまっている。無職の方の田中の年収はもちろんゼロ。

 つまり年収の違いを考える上で。もはや田中はその差分を計算する存在にもなれないのだ。

 悲しきかな田中の人生。しかし田中はそんな殿上人田中さんとの生活差など気にしていなかった。彼はただ何となく生きていければ良いのだ。

 ギャンブルも、酒も、風俗通いも、あらゆる下賤な娯楽には興味がない。ただのんびりと過ごせれば彼は満足だった。


 ただ日々の生活にテレビゲームと散歩があるだけ、それで満足だった。

 そんな訳で今日一日のささやかな満足を得る為に自転車を漕ぐ。それはとても大事な日常の一コマなのだ。


 「今日、河川敷は止めるか……」


 そんなひと時に生じる僅かな変化。田中は河川敷を散歩コースから外した。昨日の騒動が心の底に引っかかるのだ。

 共に生じた今朝のニュースの情報。「電気羊」世界の人々は電気羊なのだというアレ。


 信じるに値しない荒唐無稽な情報だが、テレビのニュースで堂々と報じられている以上、どうにもその言葉が引っかかる。

 世界が滅びる。そんな事が起こるのだろうか?

 そう思い見上げる空は昨日と同じように青く美しい。街の街路樹は力強い緑葉で溢れ、鳥は変わらず人類の黄昏など気にせず鳴き続ける。


 昨日と変わらない世界。滅びなど予想だにしないその光景は、今朝見たニュースが不誠実なデマだと断じていた。

 世界は青い、世界は美しい。今日も何ひとつ変わらない素晴らしい日々だ。こんな世界が本当に滅びると言うのだろうか。


 「まさか」田中は心の中で自嘲し、口元を小さく歪め眉を下げながら普段とは違う繁華街に向かって行った。

 繁華街と言っても、田舎の繁華街の人通りなど底が知れている。


 人など居ない。たまにあるのは電気工事に来たトラックくらいか。しかし夜になれば酒を飲みに来た何者かで賑わうのだろう。

 たまに道端に汚らしい人工物のもんじゃが落ちている事を見れば、ある程度人は居るのだ。

 ただそれを確認できる時間体に自分が来ないだけ。そんな昼の閑散とした繁華街を素通りしながら、変わり映えのしない街並みを眺める。

 

 すっかり薄汚れたアスファルトの壁に貼られる目新しいビールの値が書かれた立て看板。

 田中商事誕生前その値は常に値上がり、ビールやつまみが徐々に目減りしていたというSNSの愚痴を思い出す。

 しかし商事誕生後、全ての値段は公正され1万円という金額の価値は上昇した。

 たまに食べるお菓子の量も増量し、食料品の値段も下がった。

 しがない無職の身の上でその変化は嬉しかった。某中華飯店の炒飯の値段も500円据え置きとなった。


 そんな僅かな変化を目の当たりにしながら、田中は普段閑散としている街中の変化に気が付いた。人が居るのだ。いや人込みがある。

 この場所で人込みなど一度たりとも見た事は無かった。レアケースだ。しかしなぜ人込みが……?

 疑問を感じ現場へと近づく田中の耳になにやら言い争うような声が。声の調子から中年と若い女性の言い争いか。

 両者は狭い繁華街の道路脇で何やら子供を連れて言い争っている。子供の顔は見ると東南アジア系の思わせるエキゾチックな少年だ。

 年齢は5、6歳と言った所か。少年は母親に手を繋がれながら、中年の女性と言い争っている。

 

 曰く海外に逃げれば、何処かに抜け道が。治療法があるかも。ハーフだから大丈夫、との事。

 言っている事の意味は分からなかった。っというのは嘘だ。分かる。例の話。恐らく電気羊絡み……。

 

 だからこそ田中は自転車を後ろに引きその場を後にしようとした。自分とは関係のない話。

 故に目を背けて逃げた。今までそうやって生きていた。今更恥も外聞もない。


 面倒な事には関わりたくなかった。そうして後ろを向き去ろうとする田中の耳に、また例のあの声。

 これは、少年の声か?少年はくぐもった声を上げギィ、ギィと不自然な奇声を出しながら苦しそうにかすれ声を出している。

 それを見て心配して少年の体を揺らしているであろう母親。田中は彼女達を見ていない。だから声で判別する。

 

 一体何が起きているのか。くぐもった少年の声は更に大きくなる。大きくなる大きくなる。

 限界まで大きくなった声で奇声を上げる少年は床に転がったのだろう。

 道路のアスファルトをこするようにジタバタと暴れだし、母親がそれを必死に止めている。

 暴れる少年は古いアスファルト道路の陥没で体を傷つけたらしく、母親が必死になって少年の暴走を止めている。

 血が出ている。怪我している。しっかりして。なんとかなる。

 

 頑張って、頑張って。半狂乱になった母親は少年を必死でなだめすかそうとする。

 その声は恐怖と絶望、そして僅かな希望を詰め合わせたかのように震え、ホラーなドラマや映画でも聞いた事もないような異様で異常んなかすれ声で母親は子を制止する。


 「しっかりして、絶対大丈夫だからっ!」


 母親からの慰めの言葉。

 それに答えるように、いや答えてしまった。制止された子は静かに母親に応え言った。


「死にたくない」


 その瞬間聞こえて来た。例のあの音。ドカンっという大きな音を立てて「何か」が爆発した。

 のち、母親の甲高い悲鳴。その声の大きさに思わず田中は耳を塞いだ。両腕が離れた事で掴んでいた自転車が床に転がり、ガラガラと音を立てる。

 塞いだ両耳を貫通するほどの強烈な母親の慟哭。それはまるで蛇口を全開に開いて水を出すかのようにドボドボと溢れ出し、その流れは止められないかのように思えた。

 しかしそれはそれほど長く続かず、声が枯れたであろう母親はかすれ声を上げながらアスファルトに、地面に手を寄せた。

 そこに「何も」無い事を分かっていないかのように。声が止み辺りに静寂が訪れたタイミングで、田中は転げた自転車を引き起こし、そのまま全速力でその場を後にした。

 後にする間も聞こえてくる、母親の声にならないようなさめざめとしたすすり泣き。

 鼻水と涙が混じったその泣き声は彼女の身に降りかかった不幸の大きさを物語っているようだった。


 田中は自転車を漕ぎながら理解した。そう。


 「人間が爆発して消えた……」


 もはや逃れようもない事実。ニュースで聞いたあの言葉「電気羊」あまり頭に入れまいとしていたその言葉が頭の中でリフレインする。

 電気羊とは何か。そうそれは。


「世界征服を本当に成し遂げた人物のおままごと……」


 電気羊とはそう、過去人類を自国以外本当に滅ぼしてしまった男の壮大な偽装工作。

 自国以外の全ての人間を動く電子存在に置き換え、そうして「世界」がまだある事ように偽装した。


 世界はそこにあった。人々は居た。そうして営み、繋いで来た。次代を。時代を。

 しかしそれは嘘だった。それは全てまやかし。何も居なかった。存在していなかった。

 世界は全て電気羊。電気羊とは。それは電気的に作られた生命。何者かのペット。

 世界は、海の向こうにある全ての人々の営みは、その全てが。

 

 全部、茶番だったのだ。

 電気羊の電池が切れた。だから消えてしまうのだと。


 だからこそ、だからこそ「生物」ではない電気羊は消え、そして電気羊から生まれた者も消える。

 電気羊は命ではないから、それから生まれた者も命では無いのだ。

 全部偽物だから、全部嘘だから。全部、全部本来そこにはない。生きていないから。


 だから消える。形すら残らなくなる。だってただの「電気」だから。

 これが今の世界の真実だ。

 世界なんて、世界人民なんてもうどこにも無かったのだ。


 自転車を漕ぎながら、田中は軽く指を噛んだ。そんな筈はない。一瞬そう思った。

 しかし先程の親子の別れを目撃しているからなのか、その得体の知れない「事実」に、田中は胸の鼓動が止まらずにいた。


 彼が考える事は先程の痛ましい親子の別れでも、世界をそうしてしまった。してしまった……。

 自身とは違う優秀な方の田中の、荒唐無稽な大蛮行の事についてでもない。

 

 ただ。

 ただ今後の自分の生活がどうなるかのみ気になっていた。

 両親の年金が停止されやしないか。両親の預金が閉鎖されたりしないか。

 食料品などの値上げが実地されやしないか。そんな事ばかり頭に思い浮かぶ。

 世界の人々が大変な目に合っている。今後の人類社会を揺るがしかない。

 そんな事態になってなお考える事は。


 自分の生活はどうなるのか。


 ただ、それだけだ。

 己の心が薄情であると意識しながらも田中は自転車を漕ぎ、ある場所に向かう。


 それは地元の小さなスーパーだった。たまによくここで買い物をする。

 そのスーパーは見切り品が半額以上に値引きされて販売される穴場スポットであったのだ。


 大変な事になっている外界の現状とは程遠く、その内部は静かだった。

 そうしてカートを手に取り進ませながら、向かうのは精肉コーナー。そこで外国産の牛、400グラム70%OFFのシール付きの値段を見た。


 「安い……」


 田中はそれを手に取り、他に人参じゃがいも、玉ねぎをカゴに入れ。


「お菓子……」


 お菓子を手に取ってカゴに入れレジへと並んだ。田中以外に妙齢の女性達がそこに並び、思い思いの金額を出して会計している。

 そうして田中の番が来て、中年女性の素早いレジ捌きで会計を済ませ、その場を後にした。


 スーパーを出た瞬間、テラついた太陽の光が田中に浴びせかけられる。

 田中は買い物袋を自転車のカゴに収めるとそのままガサゴソと中身を漁り、購入した10円ガムを口の中に頬張ると。

 自転車のストッパーを外し、再び外に向かって走り出した。


「なんとかなるかな!」


 今夜はカレーにしようか。そんな事を考えながら田中は帰路に付く。

 道中浅黒い肌の外国人が四つん這いで奇声を上げながら通り過ぎて行ったが、田中がそれを気にする頃には爆音と共に「ソレ」はこの世から消えていった。

 日暮れと共に焼けたオレンジ色の空を、田中は高台に面した河川敷から眺める。

 高台の下からは何者かの悲鳴と慟哭。突如大事な人を奪われたのであろう何者かが絶望し、泣いている。

 そこには数々のドラマが、そして悲劇があるのだろう。

 だが。

 だが田中には何もない。

 大事な人も、大事な者もない。

 あるのは家族くらいか。しかし己がまだここにいるという事は、自分は大丈夫なのだろう。

 ホッとした気持ちに少し後ろめたさを感じながらも、田中はいつものペースで帰路を走る。


 何もない。知り合いも居ない自分。そんな自分が変わってしまう世界にうろたえてどうするのだろうか。

 変わってしまう世界。変わっていく人類の社会。

 しかしそんな社会にありながらも。

 こうやって生きて自転車を漕げるのであれば田中には何の不満は無かった。


 高台の下でまた悲鳴が聞こえる。自動車事故だろうか、何か鉄の塊がぶつかり合う轟音。

 悲鳴。悲鳴。悲鳴。どうしてこんな事に。なんでこんな事が。後悔と焦燥と悲壮。

 あらゆる感情を。あらゆる悲観と絶望を下にしながら、田中は自転車を漕ぐ。


 夕焼けが美しい。でも明日は食べ物の値段が上がるだろうか。

 何も無い田中は取り留めのないどうでもいい事を考えながら進み続ける。


 現状の世界に悲観を感じられない。それは不幸な事だろうか。

 何もない事は不幸か。


 不幸だろう。だが今の田中の感情に不幸はない。

 なら。

 なら良いだろう。

 田中は自転車を漕いだ。


 家に付くと自転車を止め、階段を上がる。そうして玄関を開け家に入った。


「おかえり、今日はどこに行って来た?」


 両親の言葉、田中は答えた。


「フランス」


 そう言って、彼は買って来た食べ物を冷蔵庫に詰めるのだった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ