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田中さんの変わらない日常

 日常が壊れていく瞬間とはどういった時だろうか。家族の死。自身の病気。大災害。

 いつも当たり前のように思っていたその日の世界は、ほんの一瞬のほつれで脆く崩れ去り、それは己の、周囲の存在の試練となって襲い掛かる。

 しかしそんな時にも自分とは関係のない他者の日常は流れ続け、それらは当たり前のように「それ」を享受していく。

 世界は変わらない。ある日世界が滅びたりはしない。常に世界は静かに流れ続け、沢山の人々の日常は当たり前のように消化されていく。

 そして僅かばかりの例外を除きながら明日は続いていく。そう思っていた。

 あの時までは。


 ある晴れた昼下がり、男はただ目的もなく自転車で河川敷を走っていた。目的はない。しかしその目的がない行為は男にとっては至福だった。

 男の日常、それはこの毎日の繰り返し。時たま外に出ては自転車で滑走し、景色を眺める。

 そしてその日の風の向きや温度の差異などを感じ、日々変わらない、そしていずれ消えていく日常を消化しつつ、足にかかる心地よい重圧を感じながら己の視界を前に進めていく。


 男の名は「田中」それだけ良い。自分の名を呼ぶ者はもう親以外にない。男は引きこもりだった。いや、厳密に言えば外に居るのだから引きこもりではない。だが定職にも着かず日々をブラブラしている。そんな意味での引きこもり。

 普段は家に籠っているが、天気が良い日はこうやって外に出てに自転車に乗る。目的などない。ただあるとすれば、暗く狭い室内を抜け、解放感溢れる田舎のなんてことない日常の空を眺めながら、河川敷の下に生えるボーボーの草木を下に見つつ自転車が漕ぎたかったのだ。


 金も、友人も、将来もない。こんな生活がいつまでも続く訳がない。いつか破綻する日常。それを分かっていながらも男、改め「田中」は自転車を漕ぐ。そう、そこに目的はない。だがそれで良いのだ。

 田中は自転車を漕ぐ。自転車を、自転車を。それが田中の日常のクライマックスだった。

 

 そうして一時間ばかし自転車を漕ぎ田中は帰路に就く。玄関の戸を開け、靴を脱ぎ、ガチャリと大きな音を立て玄関ドアが閉まる音が聞こえると同時に、両親の呼ぶ声が聞こえる。

 それに答えるように気だるげにうん、っと一声あげて自室の布団の上にダイブした。

 「今日はどこに行って来た?」ドア越しに母親が訪ねる。 アメリカに行って来た。そう気だるげに答えると母はハハハと笑いながらそこで会話を打ち切る立ち去った。

 田中はと言うとテレビの電源を付け、持っているゲーム機を起動していた。

 それから田中の日常はつつがなく流れ続ける。ゲームを終えた後は寝て、朝になり、いくつかのローテーションを繰り返しながら田中の人生は消化されていくだろう。そこに僅かな危機感をブレンドしながら、日々は変わらない。

 いつか来るときまで、それは変わらず続いていく。いずれ来る決まりきった未来。それは到底幸福な物でないだろうが、それが田中の人生予想図だった。


 焦燥感に焼かれるだけの年齢も既に過ぎ去った。両親ももう諦めている。いつか来るその日、その日になった自分はうろたえ泣きわめくのだろうか。

 それは未来しか分からない。滅ぶのは分かっている。だが今はこの平常を感じていたい。そんな事を頭によぎらせながら、ただ無心で目の前のゲームに集中する。


 ふと田中のゲームをする手が止まる。そして立ち上がり机に座ると、PCを起動してパスワードを入力しネットに接続する。

 そうして田中は「作業」をする為の材料をネットで漁り始めた。いくつかの候補を絞りながらも「今日は実写にするか」などと思案しつつその欲求を満たす為の算段を立てていた。

 しかしふと田中はSNSを確認したいという欲求に駆られ、別タグを開き某有名SNSサイトにアクセスした。

 何の事はない。気に入っているSNSの投稿漫画の更新を確認したかったのだ。

 そうしてサイトを開きスクロールすると、なにやらトレンドに変化がある事に気が付いた。

 いつもは芸能人の不祥事や企業の不正、他取り留めのない炎上を扱ったトレンドが出て来るか、今日のは何かが違う。

 一貫性があるのだ。

 トレンドが妙に揃っている。

 それは。

「電気羊?」

 それが何を意味しているのか分からない。ただトレンドにびっしりとその文字が連なっている。

「なんのこっちゃ」

 その言葉の意味が分からず、田中は思わず声を出す。両親にその意味を問おうとしたが、両親は最近ずっと時代劇チャンネルの古い時代劇ばかり見てニュースを確認していない。

 新聞も解約した今、世の中に付いていけないのは自分と同じだろう。

 しかしそんな時の為にインターネットがある。インターネットは自分のようなロートルには未だ強い味方だ。

 世の中が進み、スマートフォンが世を座席しても、変わらず自慢のブラインドタッチの冴えを褒めてくれる。

 そうしてカタカタと検索ワードを入力し、結果を観覧する。

 それから出て来た言葉は。

「あはは。」

 しばらく黙読した後、彼は小さな声を笑う。そこに書かれている言葉の意味が理解出来ず、結果乾いた笑いが出てしまったのだ。

 それから特に何も考えないまま目的を達成するとそのままPCを落とし、日常を再開する。

 なんの事もない変わらない日々の一ページ。それは明日もきっと何の変わりもなく続いていくのだ。

 

 そうして朝が来て、田中は日常を再開する。年金暮らしの両親が買い物を終えた後、アパートの階段をドタドタと降りながら一階の自転車置き場へと向かう。

 古びたアパートの手すりから生じた鉄錆びの匂いを手にこびりつけながら、いつも通りの動作で手早くロックを解除し、日課の散歩を開始する。

 今日はどの市内を回ろうか。変わらない日常のちょっとした変化。それを思案しながら長年暮らすアパートを後にした。

 本日快晴なり。しかしやや風は強く。これでは遠出は望めないだろう。今日は近場にしよう。ならば場所はどこだ?

 自転車を漕ぎながら目的地の思案を開始する。コンディションが良い日は2時間以上かけての遠出も辞さないが、しかし今日はそれが悪い。ならば。

 っと、田中はいつも通りの一時間コースの河川敷を選択した。昨日も通った道。安定と信頼のお散歩コースだ。

 そうしてやや強めの風を感じながら河川敷下の川の流れを横にしつつ、自転車を漕ぎ続ける。


 変わらない日常。変わらない毎日。そしていつか終わる、滅び去る日常。しかしその日常は今続いてる。

 続いているのなら続けよう。いつか終わるその日まで。終わってしまった自分の将来の悲観も少し混ぜながら、田中はただ自転車を漕ぎ続ける。

 そこにあるいつもと変わらない日常に思いを馳せる。

 しかしそんな田中の思いを他所に、ふと非日常が顔を出してきた。

「な、なんだ?」

 思わず自転車を漕ぐのをやめ、地面に足を付ける。彼が走りを止めた理由。それは声だった。


 聞こえてくるのだ。声が。

 それも尋常なものではない、声。いやそれは雄たけびと言って良いだろう。

 それは人の声なのだろう。しかしそれはどこか動物的な情緒を思わせ甲高く。

 それでいて理性なんて持ってないかのようにハチャメチャで、汚く大きく無秩序に、不愉快で下品に喚き散らしている。

 白昼堂々、平日の昼間の河川敷にこんな音が出るとは何事だろうか。

 静寂の中の寒村たる田舎町にこだまするそれは、普段は一体どこに居るのだろうという多数の人々を集め、注目を浴びる。

 通常は人込みを嫌う田中だが、その声の正体が知りたくて、乗っていた自転車を押しながらゆっくりとその現場へと近づいた。

 近づくにつれ大きくなる声。そして増える人々。小さな町に起きた不可思議なイベントを目撃する一人になりたくて、田中はギュッと自転車を掴む手を強めながら速足で現場へと近づいた。しかしその瞬間。


 ドカン、っと大きな音を立てながら、何かがさく裂したような音が響き渡る。

 一瞬の沈黙、しかしそれを裂くように群がっていた人々が悲鳴を上げながら逃げ去り始める。先程の声とは違う群衆の雑音。蜘蛛の子を散らすように集っていた人々は逃げ去り、続けてサイレンのけたたましい音が聞こえて来た。

 何事か分からず佇む田中は、ふとそれが起きた訳を知りたくて、押していた自転車を再び漕ぎながらゆっくりと現場に近づいていく。

 一体何事が起きたのだろうか。田中は久しく感じていない慟哭を感じながら「ソレ」が起きたであろう場所に目を向ける。

 しかし。

 

「何もない……?」

 

 現場には何も無かった。そこに「何か」が起きたという痕跡はなく、ただいつも通り。穏やかな河川敷の草花は風に揺られ、太陽の陽の中漂っている。

 静寂の中に包まれるその爽やかな光景を、田中は現場に駆け付けた警察官と共にジッと眺めていた。

 その場で誰も、何も言わずその場で佇んでいる。何事か知りようにもその「何事」が無いのだ。ならばどうしようもないだろう。

 そうしてしばらくキョロキョロと顔を見合わせ互いの顔を確認した後、警官達はパトカーと共にその場を後にした。

 ただそこで「何か」が起きたのだという風情だけを残して。

 

 田中も勿論その風情を感じた一人だ。今は既に何もない。いや何か「あった」であろうその河川敷を見下げながら、ふと気を取り直して再び自転車を漕ぎ始める。

 心には小さなモヤ。しかしそれを見なかった事にするかのように、田中は再び自分の日常へと還っていった。

 帰宅、そうして家に着いた田中は玄関戸を開け自室へと向かう。今日はどこに行って来た。っと問う両親の声に対し、イタリアだと答え自室の布団の上にダイブする。

 変わらぬ日常、しかしそれに何処か違和感があった。

 だがその違和感を考えるのが億劫で、いつも通りゲーム機を起動し変わらぬ日常を謳歌した。それから日が落ち、街灯明かりが夜道を照らし出す時刻に。それは起きた。

 

 夕食を終え自室でゲームをしていた田中の耳に、今朝経験したあの声。いやその亜種。声は女性だった。

 しかし今朝感じたあの声と同じように、冷静さを置いてきたようなあのけたたましい雄たけびが聞こえて来た。

 通常の人間であればおおよそ出せないであろう異質な大声が閑散とした住宅街にこだましている。

 

 その声に何事かと父親が台所の薄窓を開けて確認しようとするが、それを母親が父の手を掴み抑制する。

 曰く面倒事に巻き込まれたくない。との事。母のその言葉を聞いて、父は曇りガラスからのくぐもった背景を眺めながら、未だ聞こえるその声に聞き入っていた。

 声。聞こえる声は一瞬遠ざかったかと思うと、また同じ音量を携えながら、こちらに戻って来る。声の主はぐるぐると周囲を巡回しながら彷徨っているのだろう。

 救急車のサイレンを思わせるその音響の大小を感じながら、田中一家は何事かとその異常を窓越しに立ちすくしながら見守る。

 そんな中ふと父親が蛇口へと手を出し、乾いた喉を癒すべくコップに水を溜め、飲み干そうとした。

 

 瞬間ドカンッ!一度聞いた音、しかしその大きな音に聞き覚えのない父は驚き、持っていたコップを落としバシャンという水音と共にガラス片を辺りにばらまいた。

 それに驚いた母が雑巾を取り出しその後処理に追われる事となった。

 静寂。音は聞こえなくなった。瞬間聞こえる人間の雑音。田中家と同様に声を潜め騒動を見守っていた人々が確認の為出て来たのだ。

 だがそれもしばらくして消えた。恐らく、恐らく「何も」無かったのだろう。

 何も無かったから帰った。確かにそこにあった筈のものが「何も」無かった。だから諦めたのだ。

 しかし何事か起きた。狐につままれるように「何か」が起き、消えた。

 だが、だがしかしそれが起きたという証拠が何もないと言うのなら。

 それは結局「何も起きてない」と同じだ。田中は考え込んだが、しかし「何も」見なかった事にしてその日は就寝した。

 

 その日は珍しく寝付けず夜更かしした。寝付けなかったのだ。田中が寝入ったのはすっかり夜が明けた頃だった。

 そうして翌日となった昼の12時、田中は目覚めた。あまり良い目覚めとは言えなかった。

 その後、昼食を取る為に居間へと向かう。そこで両親がちゃぶ台にお茶を出し座布団であぐらをかきながら、テレビの某大手投稿サイトを食い入るように眺めていた。

 一体何をしているのかと問う田中に両親はテレビを見るように促した。

 また何か可愛い猫の新規動画でも見つけたのだろうか。気だるげな顔でテレビの画面に目をやると、久しく見ていないニュースのアナウンサーが何事か唱えている。

 田中が画面を見たのを確認すると、動画を最初の方に戻し、それを再び再生する。

 そうして子供の頃よく見ていた形態でのニュース番組が田中の耳に届き始める。

 

 見た事もないアナウンサーの声、曰く。

 「真実」であったと。

 それは「真実」であった。本当の事だった。

 世界は危機にひんしている。世界は大混乱の中にある。

 各地で暴動が起きている。暴動は鎮圧された。暴動は消え去った。

 各地で人々が消えつつある。各地で人々が爆散している。

 人が消える。人が消える。いや、それは人では無かった。

 そう、それは。

「電気羊」であったのだと。


 電気羊が電池切れで消えつつある。そう人々は、我々以外の「世界」は全て「電気羊」に置き換えられた居たのだと。


 アナウンサーは冷静に、そして正しくそれを伝えていた。

 世界は消える。人々は期限切れになる。電気羊はもう維持出来ない。


 我々の世界は。


 いや、我々以外の世界は。


 終わりつつあるのだ。そう宣言した後、動画は再生し終えた。

 再生し終えた後、関連動画が画面に広がる。それはどれも電気羊に関連した動画集。


 田中はそれを見て思い出した。SNSのトレンドの言葉。

 自分が鼻で笑ったその言葉を。


 「貴方の隣人は電気羊でした。すいません……」


 呟く田中はリモコンの戻るボタンを押し、両親が普段見ている猫動画へとチャンネルを進めた。

 それから昼食を取りいつも通り階段を降り、日課の散歩をするべく自転車の鍵を差し込む。


 世界が終わる。そんな物騒な情報が錯綜する社会の中でも、本日も晴天であった。

 清々しい太陽の陽を浴びながら、田中はいつも通り、現実へと走り出す。いつか滅びる世界。いつか滅びる明日。

 いつか消える自分の日常、様々な思いを横に寄せながら、田中は自転車を漕ぎ続ける。

 明日もきっと変わらない毎日が続く。それを心の中で信じながら。


 明日は、きっと、きっと変わらず続いていくのだ……。

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