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前編 男の子視点

本編は短編版とほぼ同じです。

すでに読まれている方は、番外編に飛んでもらって構いません。


 俺の家の近所には、一人の女の子がいた。

 それはまるで人形のような女の子で、いつもぼーっと窓から外を眺めてる。近所には俺たち以外に歳の近い子供はいなくて、俺はいつも暇を持て余していた。けれど一人で遊ぶのも何だか嫌で、俺は彼女を連れてよく近所を歩き回ったものだ。

 でも、彼女の手を引くたびに思う。彼女は、嫌ではないのだろうかと。


 始まりは単純だった。ただ近所というだけで彼女の存在は物覚えがつく前から知っていたし、気がついた頃にはもう、俺は彼女の手を引いて歩いていた。

 彼女は歩くのが遅いわけじゃない。俺が駆け回りたいのを抑えながらも無意識のうちに歩調が早まるので、それによって彼女はいつも一歩後ろを遅れて歩いていた。

 いつからそう感じ始めたのかはわからないが、いつのまにか俺は彼女の手を引きながらほんの少しの不安を抱くようになった。

 彼女はいつも椅子に座って窓の外を眺めてた。その姿は本当に人形のようで、同じ人間なのかを疑わざるを得ない。でも、俺はそんな彼女を見て、「外に行きたいなら行けばいいのに」と、そう思うことが多かった。だから彼女の手を引いて何度も外を歩き回った。

 けれど、彼女の温度の感じない手を引く度に思う。

 彼女は、本当に外に行きたかったのだろうか。

 もしかしたら、それは自分の思い込みで、俺に手を無理やり引かれるから仕方がなくついてきているだけじゃないか。

 本当は、あのまま、一日人形のように外を眺めていたかったのではないか。

 俺も彼女も、あまり話す方じゃない。というか、彼女に至っては全くと言っていいほど何も喋らない。本当に人形みたいな子だ。

 感情も抜け落ちたその顔を見るのが、いつも少しばかり怖かった。


 そんなモヤモヤとした思いを抱えながらも、俺はいつも同じ時間に彼女のもとに訪れ、彼女の手を引いて近所をぶらつく。できる限り彼女の歩調に合わせて、けれど彼女よりも一歩早く踏み出して、彼女の顔を見ないようにして歩き回った。


 歳が二桁にのった頃、ようやく近所の囲いから出ることを許せれ、街に行くことができるようになった。

 俺は彼女の手を引いて、何度も街まで歩いた。街にはたくさんのものや人がいた。俺たちと同じ年頃の子供も何人かいた。小遣いがある時は屋台で買い食いをし、その子たちと街中を遊び回った。

 初めは一人で街に行ったのだが、いつも近所を連れて歩く彼女に何故か罪悪感を感じた。だから街に行くにも彼女を連れて行った。

 けれど何度か遊んでいるうちに街の中で親分を気取った俺よりも小さい男が、彼女を見て言ったのだ。

 「お前人形みてぇ。気持ち悪い!!」

 それはあまりにはっきりと、大きな声で言い切ったもんだから、周囲にいた子供たちも黙り込んでしまった。

 そして親分の取り巻きたちが「確かに」「変な女」と同調をはじめ、他の子達は所在なさげにお互い顔を見合わせていた。


 これはまずい。そう思った。

 俺は彼女を連れ回していて、それで彼女をバカにされたのだ。

 確かに彼女は人形のようだ。感情の表れない顔。温度の感じない手。あまり聴くことのない声。

 けれど、それでも彼女は人間だ。どんなに人形みたいでも、彼女はちゃんと生きる“人”なのだ。


 けれど、その時の俺は反論することも、怒ることもできず、後ろを振り返ることすらできなかった。

 もし、これで彼女が傷付いたら、こんなところ来たくなかったと思われたら、それは全部、俺のせいだ。

 無意識のうちに手に力が入り、俺はそれに気がつくこともなく、何も言わずに黙って彼女の手を無理やり引いて、その場から逃げた。

 もう、あの街には行けない。行かない。

 ほんの少しの楽しかった記憶が少しばかりの未練の尾を引いて、俺は変わらず彼女の手を引きながら帰路についた。


 次の日、それでも彼女を連れ歩かないのも変で、俺はまた彼女の手を引いて近所を歩き回る。彼女は何も言わなかった。けれど、俺はどこか怖くて「近所を回る」と一言だけこぼした。それでも彼女は何も言わなかった。

 それからはずっと同じ調子だった。近所を歩き回るにしても、彼女の手を引く時必ず行き先を告げるようにした。

 それまでのモヤモヤははっきりとした不安になった。彼女は嫌ではないのか、歩きたくないのではないか、外に出たくないのではないか。

 ……自分に手を引かれるのが、嫌ではないのか。

 何度そう思ってはいても、歩みを止めることも、彼女の手を離すことも、俺にはできなかった。


 思春期の年を迎えれば、俺が男で、彼女が女であるということを認識しはじめた。自分の体が大きくなることが嬉しいと同時に、彼女の体つきが女らしくなっていくことに戸惑った。人形のような彼女は、その変貌を遂げてもなお人形のようだった。感情の映さない瞳も、変わらず温度の感じない手も、俺と彼女を遠ざけようとしているように思えた。

 そしてほとんど同じ時期から仕事の見習いも始り、俺が彼女の手を引くことは一切なくなった。


 その日は、いつもより少しばかり遅く見習い仕事を終え、帰路についた。空は見事な赤から黒にグラデーションをかけ、道に映る影はどこまでも伸びていた。

 けれど、暖かな風が頬を撫でたとき、ふと不思議に思った。そろそろ日が短くなり、冷たい風に身をすくませる時期だ。その暖かな風は違和感を感じ得なかった。

 もう一度空を見上げれば、風が通った方向から奇妙な明るさを見た。自分の家の方角であることに、直感的に焦りをもった。俺は急いで足を早め、全速力で駆けた。


 着いた先には、大きな炎が燃え上がっていた。

 それは俺の家ではなく、彼女の家だった。火は一階から燃え広がっており、すでに二階建ての彼女の家に覆い被さっていた。

 ふと、目についたそれを見て、俺は激しい憤りを感じた。

 俺は何も考えず、ただ必死に燃え盛る火の中に飛び込んだ。

 窓の中から、こちらをぼーっと眺めている彼女を見つけたからだ。

 火がついていることも、周囲の状況から気づいているだろうに、彼女は焦っている様子もなく、ただその場にいたのだ。

 彼女のいる部屋に向かいながら、俺はこれほどの怒りを感じたことなどこれまでに一度としてなかった。部屋の扉に勢いを抑えることなくそのまま体ごと打ち当たり、部屋に押し入った。

 そこは、本当に火事になっているかと疑うほど、静かな時間の流れがあった。彼女は未だ窓の外を椅子に座ったまま眺めていたようで、俺が部屋の扉に突撃した音を聞いて、ようやくこちらをゆっくりと振り向いた。その時の彼女の瞳には少しばかりの揺れがあったように、俺は後から感じるのだった。

 しかし、この時ばかりはそんなことも気がつく暇もなく、俺はつい感情に任せた言葉を彼女にぶつけた。

 「何してんだっ、このバカ!!」

 暴言を吐くことには慣れていないし、好きじゃない。でも、この時ばかりはそんな余裕はなかった。

 こんなにも部屋の温度は高まっており、窓の外では紅い光が周囲を照らしているというのに、彼女はそれに何も感じないのか。何故逃げようと考えないのか。

 ……これでは本当に、彼女が人形みたいではないか。

 俺は急いで彼女の手を引き、無理やり立ち上がらせた。そして屋敷を駆け、無事脱出したのだ。今さっき通ったはずの廊下はすでに火が燃え盛っており、とてもじゃないが通れそうになかった。急いで別の道を探したが、最終的には窓から飛び降りた。こんな経験は、二度としたくなかった。


 彼女の家を後にし、どこに向かうでもなくただ歩いた。火事の場から、ただ離れたかった。

 しばらく歩いて、彼女の呼吸が少しばかり荒くなっていたことに気がついた。普段は気遣えていた歩調も、この時になってようやく彼女を歩かせすぎたことに気がついた。

 とりあえず、行くあてもないので彼女を宿に泊まらせることにした。先日もらったばかりの小遣いとも言えるわずかな給金をはたいて、彼女を防犯の整った部屋に押し込めた。


 宿から出て冷たい空気を吸った時、俺はようやく冷静になれた気がした。あの場から逃げて、きっとまだ数時間と経っていない。

 けれど、この時にはもう、あの時感じていた怒りは矛を納め、ただ今後のことについて考えていた。

 一度、あの火事現場に戻ろうか。

 そう考え始た頃に周囲がざわめき始たことに気がついた。

 「おい、向こうで火事があったらしいぞ」

 「家一つが丸焦げらしい」

 「どうにか火は消しとめたらしい」

 「幸いにも遺体がなかったそうだ」

 俺はそんな無責任とも取れる言葉の端端を聞き、その中の一つの火事の現場に遺体が一つもなかったということに、少し不思議に思った。

 彼女の両親はどこに行ったんだ、と。

 けれど、すぐに思考を打ち切った。それ以上考えたくなかったからだ。一瞬でも、“彼女を置いて逃げたのでは”と考えてしまうことが嫌だった。

 すると、前方、火事の現場の方から何人かの男たちが慌てたようにこちらに向かってきていた。というよりも聞き込みをしながら何かを探しているらしかった。距離がどんどん近づくに連れ、彼らの焦り混じりの声が聞こえ始める。

 「女を見なかったか」

 「誰か走ってこなかったか」

 「逃げてくる奴はいなかったか」

 人々に聞いて回るその姿は、焦りのほかに苛立ちも混ざっていた。


 「人形のような女を見かけなかったか」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は頭が真っ白になった。

 人形のような女。それは、どう考えても彼女のことだった。どうしてこの男たちが彼女を探しているのか俺には見当もつかない。

 しかし、この近所では見慣れないその姿に、俺はあの火事はこいつらが仕組んだことなんじゃないかと疑いを持った。ついにはその男たちが俺の前を通り、聞いてきた。

 「おい、女を見なかったか」

 何も考えることができず、俺はただ「見てない。知らない」としか答えられなかった。そのすぐ後、男たちの一人が舌打ちをし、「どこに消えたんだ」と言葉を漏らした。その瞬間、俺はただ一つ確信した。“コイツらだ”

 男たちが完全に見えなくなって、俺は急いで宿に戻った。表から入るのは怖くて、裏手に回り、彼女の泊まっている部屋に急いだ。

 部屋の前に来ると、先ほど出た時と何ら変わらない様子だった。一応、部屋の中に合図を送り、様子を見たが特におかしなことはなかった。ここで、俺は少しばかり安堵を感じたものの、すぐに考えを改め直した。

 このまま宿に泊まっていれば、奴らに見つかるかもしれない。外は今大騒ぎだ。明日の朝早くになら、みんな疲れで寝静まっている。早くここから彼女を連れて逃げないと。

 俺は彼女から離れるのが怖くて、結局宿の前で周囲を眺めていることしかできなかった。幸いにも、宿代が払えないからと、路上に蹲る奴は少なくない。彼らに紛れ、俺は奴らが来ないことを祈った。


 暗い空を眺めながら、俺は昔のことを思い出した。

 まだ、あの街に彼女を連れて通っていた時のこと。その時は彼女が貶されるとも知らず、ただ広く大きい街に憧れに似た感情を抱いていた。

 けれど、街まで行く道のり、街中でも知らない男たちに何度か声をかけられたことがあった。

 「どこに行く」

 「送ろうか」

 「運んでやろうか」

 「自分についてこないか」

 初めは、ただ小さい子供を狙っている大人だとしか思わなかった。そういう話はよく近所の大人たちから聞いていたからだ。しかし、その途中で、その男たちが彼女を見つめていることに気がついた。その目は、どこまでも輝き、どこまでも薄暗かった。

 大人は怖い。生涯で初めて感じた種類の恐怖だった。

 あの時は彼女の手を強く引き急いで逃げたが、もしかしたら、今回の奴らはその男たちの中の誰かなのかもしれないと思った。

 もう、顔は覚えていないが、こちらが覚えていないからと言って、向こうがそうであるとは言えない。

 きっと、人形のような彼女を、奴らはずっと探してたんだ。


 夜が明け、空が明るさを取り戻したと同時に、俺は彼女の手を引いて宿を出た。彼女はやはり何も言わなかった。ただぼーっとついてくるだけ。

 しばらく歩いて、前に通っていた街とは正反対の方向に向かった。あまり表通りは歩かず、しかし薄暗い細道も避け、ただひたすら歩いた。

 地元を出ることに、俺は不思議と何の未練もなかった。彼女にも訳を話さず、行き先も告げず、ただ歩くばかり。それでも、あの地域から抜け出せることに俺はほっとしていた。


 どれほど歩いただろう。何度か休憩を挟みながら、人と顔を合わせないようにしながら、ここまでやってきた。まだ子供と言える年であれ、奴らに追いつかれることはもうないだろう。

 そんな安心を抱き始た頃、急に後ろから言葉をかけられた。


 「……どこに行くの?」


 それは、彼女の声だった。

 周囲には人形のようだと褒め言葉かもわからない言葉をかけられ、それでも何の反応も示さずただ呆けていた彼女が、ここに来てやっと、そう聞いてきた。

 今まで、一度として彼女が行き先を尋ねてきたことはなかった。昔からずっと。ただ俺に手を引かれるばかりの彼女が。

 俺はこのとき、どこか不思議な心持ちで、けれど、どこか、おかしいほどに嬉しかった。


 「……どうか、したの?」


 不思議そうに俺の顔を見る彼女に、俺は情けなく、泣きそうになった。

 「……っ、やっと、聞いてくれたな」

 できるだけ笑って、涙をこぼさないようにするのに必死だった。

 彼女の手を引いている間、ずっと思ってた。

 彼女は、本当に何も感じてないのだろうかと。

 ただ俺に手を引かれ、行き先も知らず、気にもしていないのではないかと。

 彼女は本当に、人形なのではないか、と。


 今までの不安が少しばかり晴れたことに、俺が安心して小さく笑っていると、その様子をずっと見ていた彼女の瞳に、「不思議」という色が浮かんでいるように思えた。


 ひとしきり笑った後、落ち着いてきた頭でここまで彼女に何の説明もしなかった自分を軽く罵りながら俺はようやく、彼女の顔を正面から見た。

 未だ何も答えない俺に、彼女はやはり何かを疑問に思っているようだった。そんな表情を見て、俺はまた泣きそうになった。

 「……遠くに行く。ここよりも、もっと遠いとこ」

 その言葉をやっとのこと返すと、彼女はその言葉を噛み砕くように少しずつ頷いた。その様子を見て、俺はもう、泣きそうにはならなかった。


 「……見習いの、仕事はもういいの?」


 今日は随分と聞いてくれるな、と思いながら、俺は頷いた。

 「うん。新しいとこは探さないとだけど」


 彼女はそう聞くと、少しだけ、本当に少しだけ、嬉しそうに笑ったように見えた。


一日一話の感覚で投稿していきます。

お付き合い下さりありがとうございます。

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