八角龍伝 起動編
6.
潜水艦に搬入するコンテナは、かなり凝った細工がされていた。食料品や武器などを出来るだけコンパクトにまとめ、それを梱包する段ボールを特注する。今度はその段ボール箱をパズルのように組み立て、各々の引き出しの中に収まるように特注する。最後に引き出しが収まるコンテナを特注する。コンテナを三個ずつまとめ、ビニル包装用テープでまとめる。まとめたものを、配送業者に移送させ、最後は船舶輸送会社に指定の位置に船ごと停止させておくと言った手の込んだ方法をとっているのだ。どの業者も中身が何か、誰の指示なのかも分からない状態で荷物が進むように計画されている。かなり手の込んだ策略だが、ヴィーナスとマーキュリーはその輸送経路を見つけた。一つの策略が分かれば、後は芋蔓式に全体が見えてくる。業者輸送の途中で難癖をつけてコンテナを一度トラックから降ろさせ、必要なコンテナを二つ空にし、三個ずつまとめる際に真ん中のコンテナだけ空の物を入れてまとめるように指示した。つまり真ん中のコンテナが空である纏まりを二つ用意させたのだ。これは、ヴィーナスとマーキュリーが忍び込むためのコンテナである。そのコンテナの塊だけ、梱包が簡単に解き易く出来るようにも工夫をした。
これで準備完了である。それにしても物騒な物まで、コンテナの中に隠されている。ナイフや日本刀も入っていた。自動補填式銃やランチャーなども見つけた。出来る限り元のまま手を加えないようにし、だが必要な備品は全て持参できるように工夫した。かなり手間取ったが皆の手を借りながら準備は完了した。
ひとまず落ち着いたところで、ヴィーナスは自分の部屋に戻り瞑想した。この連中の目的は何だろうと興味を持つ。いくら探しても発注業者の名は分からなかった。単に戦争へのプロムナードを奏でるだけなら、これ程の銃装備は必要ない。他に何か目的があるようだ。そこで、ヴィーナスとマーキュリーは念入りに計画を練った。だが、ヴィーナスには皆に伝えていない隠密の計画も考えている。最悪の場合、マーキュリーの第三の人格を呼び出そうと考えているのだ。マーズに詳細を聞いたが、第三の人格は恐ろしい程の殺人鬼に変貌するらしい。目が違うと言っていた。殺人を楽しみ、自分の身を守ると言う恐怖心は微塵も持っていないと言う事だ。その為に、どのような敵であっても第三の人格には敵わないであろうと断言していた。そして、コンテナの中にあった武器にも安心した。ナイフや日本刀は、マーキュリーの第三の人格の一番得意な武器である。武器が隠されているコンテナの場所は頭の中に入れてあるので、緊急時には、その武器を彼女に渡そうと考えている。
ヴィーナスは最終チェックとして、ロシアが開発した潜水艦に使用されている原子力発電機の構造を分析し始めた。最近の潜水艦は全てリチウム電池で動力を担っている。原子力はあまりにもリスクが高いからだ。多分ロシア軍も原子力潜水艦の処理に困っていたのであろう。それを買ってくれるのなら、どのような組織であっても問題視しないのであろう。さて購入の経緯は分かったのだが、原子力の核分裂を止めるにはどうするのか。もう一度、頭の中で反芻するのだった。中性子線を制御する棒を多く炉内に挿入すると、核分裂が少なくなり、やがて止まる。反対に制御棒の挿入を少なくすると、最悪の場合、無制限に核分裂が起こり原子力爆弾となる。環境の事を考えれば前者の方法が良いのだが、制御システムの再稼働で元の状態に戻す事が可能であり、トラブルが起こると制御不能になる。後者は簡単だが、日本近郊で核爆弾を使用するには抵抗がある。出来れば避けたい。だが、これだけはその場にならないと分からない。敵がどのような応戦をして来るかによる。そこまでは読めない。マーズに協力を要請して、心理的に人間の行動がどのような環境や言動でどの方向へ動くのかを相談したい。今では心理学的確率論に頼るしかないのだ。マーキュリーの第二の人格では、確率計算を一瞬で行うらしいが、元に戻すのに大変な苦労が伴うと言う事だ。この程度の事で彼女の第二の人格を利用するにはリスクが高すぎる。あれよこれよと様々な事を頭の中で考察していると、何時の間にか夜が明けだしてきた。少し眠ったあと、マーズに相談してみようと言う結論に達した。そして最終的な計画を、アースとサンに報告しなければならない。時間は限られている。出来るだけ早く結論を出さなければならないのだ。かと言って、間違った読みで計画を立てると、第三次世界大戦が始まる。非常に緊張した分析だ。まだ問題はある。潜水艦での画策計画を実行している間、ヴィーナスの目が届かない場所で、C国の最高責任者である国家主席に連絡を取り、この状況を話し合わなければならないのだ。この話しあいも、一歩間違えると、国家間の大きな隔たりを招く事になる。S氏の苦悩を理解していても、S氏のC国内での立場も考えなければならない。軍部を刺激しないように、S氏の力の均等を壊さないようにもしながらの会談になる。これも大変な仕事である。アースにデータや分析結果などを渡したが、それだけでは物足りない。現実にどのような応対をするのかを知りたい。その為には、ヴィーナスとアースが密に連絡を取り合う必要性が出てくる。ヴィーナスが原子力潜水艦の工作をしながら、通信機でアースと大事な決断が出来るのであろうか?戦争への引き金にも成りかねない事件である。そのような重要な事件の最中に、自分が本部で指揮を執らなくても大丈夫なのだろうか。不安は過る。全てが、ぶっつけ本番なのだ。いくら天才だと言われていても、このような状況では不安が募り、ストレスが極限状態になる。子供の頃に受けたストレスが走馬灯のように回帰する。この場を凌ぐには、頭を空っぽにする必要がある。ヴィーナスは、深呼吸をした。そして、今までに培ってきた経験から頭を空っぽにする方法を思い出した。その方法を現実的にしてくれる器具を、デイバックから取りだしたのだ。長年愛用してきた、携帯用ディジタル音源である。中でも音質重視の設計をしている、ウォークマンである。久しく聞いていなかったが、イヤホンを耳に当て、大好きな70年代のディスコミュージックを再生した。バブルの時代は子供だったので知らないのだが、テレビや映画などの映像で想像し大好きになったのだ。曲が進むにつれ、心が熱くなった。次第に夢の世界にのめり込んでいく。想像の世界でのディスコクラブのお立ち台で踊っている自分を見た。ナイスバディにピッタリと張り付いたボディコンを着ながら、自分を見つめる男を見降ろし、最高の幸福感を味わっているのだ。私は男を手玉に取る事が出来る容姿と知性を持ち合わせているの。最高の女には最高の環境が必要なのよ!と。
7.
幅60センチ、横1.2メートル、縦1.5メートルの細いカートの中に、ヴィーナスとマーキュリーを押し込み包装した。小柄なヴィーナスはまだしも、マーキュリーには少し窮屈かもしれない。そう思いながらも、他に手立てがないので彼女らに全てを託さないといけない。胸が張り裂けそうなほど、辛い。最強の人材を保有していながら、今回の作戦には適さない。カートに忍び込む事が出来るのは、小さな身体の持ち主だけだ。小さな身体と言う事は、戦いには向かない。もし、敵に出会うような事があれば、誰も彼女達を守る事が出来ない。自分で自分を守るしかないのだ。二人には能力がある。だが実践では少しのミステイクが生死を分ける場合がある。今回は簡単な任務ではないのだ。どうにかして、ユーラナスかジュピターを送り込みたい。彼らの身体を小さく折り畳む事が出来れば良いのだが、そうはいかない。この押し問答で、心が疲れる。アースは、先ほどから何十回とシミュレーションを行った。だが解答を得る事は出来ず、不安が募るばかりだった。アースの気持ちとは裏腹に、時間は残酷に過ぎていくだけなのだ。刻々と時計の針は進むのである。
危惧するアースとは対照的に、荷物をコンテナに入れるユーラナスは、自分の出番が無い事を不満に思い、唇を歪めている。恣意的な事だと分かっているが、つい口に出てしまうのだ。
「俺が行けば、直ぐに収まるのに。」と。
コンテナに押し込む力が感情の高まりと共に強くなってきた。無理に押し込もうとし、コンテナの外側に傷が入ったのだ。
「ガキッ!」
「こら!ユーラナス!なんぼ力あっても、壊すなよ!再注文は出来ひんからな!敵の注文品を騙して手に入れたんやからな!そこんところ、覚えときや!」
ユーラナスは、曖昧な謝罪の言葉で逃げた。それほど、今の状況はムズ痒いのであろう。その後も、ユーラナスの不満な言動は収まらなかった。
とうとう、彼女達を海の上に送り込む日時が迫って来たのだ。敵は硫黄島の最南端の海上に浮かんでいる目印のブイに、荷を積んだ船を停泊するよう指示していた。これもネプチューンからの最新情報で手に入った。数時間前にヴィーナスとマーキュリーをコンテナに押し込み、荷造りをした。彼女らの入ったコンテナは、海上で無謀な状態で浮いている。心配で矢も盾も堪らない。だがチームは全員、敵に見つからないよう、離れた硫黄島の旧日本軍土豪でモニターを見るだけであった。この場所に来て、小1時間ほど経っている。だが一向に不審な動きや気配は無い。夜は深まるばかりである。漆黒の水の塊が優雅でもあり恐怖でもある。本当にネプチューンの情報は正しいのであろうか。そのような心配事をしていると、突如としてモニターの中にクジラのような大きな黒い物体が姿を現した。交代で見張りをしていたマーズからアースに連絡が入り、モニターの前に駆け付けた。ほぼ全員が集まった。やはり気になって誰も眠る事が出来なかったのであろう。それは思ったよりも大きく、不気味だった。漆黒の海底から出て来た悪魔のようだった。
「アースさま、来たわよ。『みお』じゃなかった、マーキュリー達、大丈夫かしら。見つかって痛い事されないかしら。心配だわ!」
マーズが不安気に、口火を切った。
「大丈夫ですよ、彼女たちなら。特に、マーキュリーは強い女性ですからね。それよりも、まずは敵の正体を知らなければなりません。何者でしょうか?」
全員が口を閉ざした。今回の敵が何者か、全く見当がつかないのだ。首を横に振る者、頬杖をつく者など様々な反応が見られたが、誰も答える事は出来なかった。
「出てきましたよ。夜に黒い服装。大なり小なりの人間がいますが、それ程特徴のある輩は居ませんね。ですが、動きはテキパキしていますね。組織としては規律が守られているのでしょうか。」
アースは経験値から、黒服軍団の行動を見て分析した。その横で心胸に手を当て、心配そうにモニターを見つめるマーズが居た。
「あっ、今、マーキュリー達が入っているコンテナを運びだしたわ。あ~神様!ミオとユキナをお守りください。」
「マーズさん、ここでは本名は言わないで下さい。この音声が盗み聞きされているかもしれませんよ。彼女達の家族や友達に影響が及ぶとも言えません。ですからメンバーにはコードネームを使用するのです。私みたいに皆が天涯孤独ではありませんからね。」
「すみません。私とした事が。不安でお守りの言葉を忘れてしまいました。糖分が足らないわ。何かお菓子、無かったかしら?」
マーズはゴソゴソと、自分のリュックの中を探し出した。他のメンバーは見ぬふりをしていた。どうもマーズのペースには付いていけない。
「肩や帽子に、紋章のようなものが付いていますね。暗くて分からないですが、皆、同じようなデザインですね。録画しておいて、後で分析しましょう。」
アースはデータを、サターンに送った。何時もならマーキュリーの仕事なのだが、マーキュリーはここには居ない。敵の戦地に送ったのだ。急に送られてきたデータに、サターンは目を白黒させながらカッと見開いた。片目だが、大きな目がより一層大きく見開いた。サターンは画像を拡大し、ソフトでスムージングをかけた。その後、ぼやけている部分を範囲選択し、コンピューターの自動機能で鮮明にさせた。いつの間にか、サターンの周りに皆が移動していた。さて、何が出てくるのか。
やがて現れたのが禿鷹の模様の中に英語で「GIDORA」と書かれた模様であった。そして、薄らと嘗てのナチスドイツを彷彿させる、「卍」模様が刻印されていた。「赤軍派」とも見える模様もある。
「ジドーラ?何て読むのでしょうか?後でネットで調べてみましょう。」
サターンは普段無口である。声を聞いた事がある人間は少ない。そのサターンが話している。これから詳細を説明しようとしているところに、監視カメラを見ているマーズが割って入って来た。
「アース様、音声をもう少し大きくして下さい。言葉がバラバラよ。見て、このタバコを吸っている男は英語だと思いますが、それに返答しているこの人はC国語で話しているわ。」
皆が監視画像の方に興味が移り、そのモニターの周りに移動した。一人になったサターンは手持無沙汰になったが、ブツブツと言いながら画像解析を続けた。
「コンテナから、食糧や飲料水を出している。見つからないよな、お二人さん。」
ユーラナスが心配そうに画面に手を当てながら話している。その横で、ジュピターも腕を組み仁王立ちしている。
アースがユーラナスの気持ちを察して、優しい目でユーラナスの肩に手を置いた。
「大丈夫ですよ。ユーラナスさん!余り気を揉むと、ストレスになりますよ。彼女らを信じてあげましょう。ですが、このままモニターを見ていても埒があきません。皆さんは、会議室に戻って下さい。ここは、サターンさんに監視をお願いしましょう。何かあれば、連絡して下さい。」
「ウム。」 サターンは、短い言葉で返答した。ジュピターの近くでは極力会話をしないようにしている。以前、ジュピターの下垂体からホルモンを勝手に採取しようとして殴られたのだ。ジュピターは手加減したと言っていたが、サターンはそれ以来、ジュピターに関わらないようになった。最近では敬語まで使っている。余程、痛かったのか、怖かったのであろう。サターンの天敵である。
束の間、賑わいを見せた敵の潜水艦上であったが、全ての搬入は無事に収束を迎えた。その後、何事もなく荷を積んだ潜水艦は、またもや漆黒の海に沈んでいった。沈み始めは悪魔のような大きな音と水の壁が出来たが、やがて渦もなくなり元の静かな大海原に戻った。これから起ころうとする大惨事の前の静けさである。
翌朝の午前10時になった。交代で夜通し監視を続けたが、何も起こらなかった。最後の担当はサターンであった。彼を残して他のメンバーは会議室に集まった。会議室と言っても、旧日本軍が使用していた防空壕を利用し、テーブルと椅子を持ち込んだだけの簡単な会議室である。唯一、文明を感じるのはネット環境を構築するための機材だけである。大型モニターがその象徴である。そしてヴィーナス特製の発電機も備え付けられている。大型モニターを介して、今から防衛大臣と首相、そしてC国の国家主席達との会談がある。その席でアースが、現状の説明をする事になっている。C国の主席がどのような人物かはプロファイリング出来ているのだが、C国の体制と言うものがある。常套手段では通じない事案が予想される。アースの能力が試される時だ。
サンは、ネットで繋がった防衛省の事務官と話しをしている。多分、今から行うネット会談の段取りでもしているのであろう。開始時刻は30分後の10時半からと聞かされている。
マーズによるC国のトップ、国家主席S氏のプロファイリングは以前に報告されている。その報告書を読みながらアースは様々なシチュエーションを考えた。出てきた結果が次のようであると、皆に伝えた。
「S氏は、若い頃はヴァイタリティー溢れる精悍な青年だったと考えられます。国家権力に屈しない強い精神を自分にはあると信じていた若者だったに違いありません。当然、御父上も同じ理想主義者であったと思われます。だが活動の末、彼は投獄されます。四回ほどそれを繰り返し、自分自身で悟る事となったわけです。やがてさらなる知識を得ないといけないと理解し、勉強を始めます。そこで社会主義を学び、C国のあるべき姿を考えたのでしょう。反対するだけでは何も起こらない。それなら敵の腹の中に飛び込んで、中から変えようと思ったと考えられます。努力は報われ、C国共産党内での権力を持つ事となり、気が付けば自分自身が嫌っていた集中権力の中心に居た事に気が付くのです。その頃には、「時すでに遅し」と言わんばかりに、自分を取り巻く連中に、上手に利用されるようになってきた訳です。力を持てば持つほど、自分の意見を通す事が出来ず、やがて操り人形のように成っている事に気が付きます。ですが、理想には一歩ずつ近付いていると信じるわけです。後は方法だ。どのようにすれば、取り巻きを抑え、理想の国家に誘導する事が出来るのか。今はその事に頭を悩ませているのだろうと推測されます。また、S氏はご婦人を心より愛されております。今でも若き日と同じように、手紙でやり取りをされているようです。彼は手紙で自分の思いを夫人に伝える事が何よりもの楽しみだと思っています。また、ご婦人もS氏から貰う手紙を楽しみに待っています。お二人の関係は至極良好です。私は、S氏の愛の強さに賭けようと思っています。彼の心の奥底には国を良くしようとする強い意志が感じられます。今は、軍などの力に押されているようですが、耐えている時だと思います。この軍部の力を押さえる事が出来れば、理想の国家にする事が出来ると信じていると思うのです。ですから、今回はアメリカの要望で動いたのではなく、日本が独自に情報を得、分析した結果、出てきた結論がC国との調和、共生である旨を伝えます。決してアメリカの意図や画策では無く、日本国が導いた結果である事を強調します。」
アースの話に耳を欹てていた防衛省の大臣は、眉間に皺を寄せたまま重い口を開いた。
「君達も分かっているとは思うが、今回C国との対談は非常に微妙である。本来なら総理が直接話せねばならない事だが、日本では今まで経験をした事が無い対テロ組織の対応である。軍事組織を持たない我が国が出来る事は知れている。C国はそこのところを疑っているのだ。結局はアメリカの手を借り、アメリカの僕のように動くのであれば、今回の対談は意味が無いと言う事なのだ。東アジアの独立国として、世界的にも高いGNPを誇る国として対応出来るのかが、焦点となっている。C国とアメリカは非常に微妙な関係で現在はつり合いが取れている。そこに今回の事件が勃発し、どちらかに傾く事を非常に懸念しているのである。くれぐれも、C国の感情を逆撫でるような真似だけはしないでくれたまえ。我々の首が飛ぶだけでは済まない。今後の日本とC国との関係にまで罅が入れは修復不能になる。そうなれば日本経済自体が終息してしまう事にもなる。君達だけでは責任が取れないぞ。」
「分かっております。責任重大な事、そして両国の関係が微妙である事も。ですが今回の事件を避けて通る事は出来ません。多分、今後も同じような事件は起こるでしょう。下手な対応をしますと、そこに目を付けた世界中のテロ組織が日本をカモにして来るでしょう。その為にも、今回の事件はしっかりとした対応をしなければならないのです。重々、承知しております。」
アースの答えは明瞭だった。キリッと前を見据え、未来をも見据えている慧眼だった。その態度に、防衛省の大臣は総理に口添えを行った。それまで総理は深々と腰を沈めていたが、少し上体を起こし足を揃えて膝に両手を添えた。そのままの姿勢で、カメラに向かって口を開いた。最初は聞きとれないような掠れた声だったが、咳払いをした後、明瞭な声でアース達に話した。
「分かりました。最初はC国国家主席に挨拶などをしますが、紹介をした後はあなた方に全てをお任せします。そして、我々の替わりに主席の心を掴んで下さい。我々も協力します。どうぞよろしくお願いします。」
と言いながら、深々と頭を下げた。総理が頭を下げたのだ。チームの総員が、モニター画面を凝視した。自分達に総理が依頼している。感無量となった。
「責任重大ですね。マーズさん、主席について他に私に伝える事はありませんか?他のメンバーの皆さんも、何か伝える事はありませんか?少しでも情報が歪められていたりするととんでもない事になります。もう後戻りは出来ません。慎重にも慎重を重ねて行動しなければなりません。」
メンバー全員の顔を見ながら、アースは最後の確認を取った。ヴィーナスとマーキュリーを箱詰めにして送り出したのは、つい数時間前の出来事だ。そして今、日本国の代表たちと話し合っている。この後、C国の国家主席と会談する。このような展開は誰も想像する事は出来なかったであろう。だが、避けて通る事の出来ない事態なのである。折角リモートでの会談をする準備を進めたが、政府高官の指摘で延期する事となった。硫黄島での旧日本軍の防空壕では落ちつかない。資料なども即座に手に入らない。C国の国家主席に対して失礼であろうと結論付けられた。どのような質問にも即座に対応するには本部に戻る必要があったのだ。そこで、一行はこの後、高速ヘリで本部へ戻った。その後、日本国の総理と共に、リモートでC国外交官とコンタクトを取った。今までの概要と日本の立場、そして八角龍と言う組織の説明を行った。その後、国家主席との対談を取る約束を交わして頂いたのだ。7月3日(火)、いよいよ決戦の日が明日に迫ってきたのだ。C国国家主席との会談は4日の当日に行う事となり、日本の外務省にあたる人物に説明を行った。今までの経緯や不審点などを伝えた。国家主席に失礼に当たらないよう、当日に相談したい事案なども詳細に伝えた。全ての準備は整った。後は、決戦の日を待つだけである。
8.
いよいよ決行の日になった。不確定要素は多々あるが、現場で訂正していく事に決まった。その為に現場ではヴィーナスが、総指揮はアースが執る事に決定した。様々な事態を考慮して必要な物は全て持ち込むようにした。出来るだけコンパクト化し、軽量にした。そしてコンテナの中にヴィーナスとマーキュリーの2人が入り、敵が何も知らずに潜水艦内に運び込むのを待ったのだ。静寂の中に、揺れ動く波の音だけが聞こえた。
ヴィーナスは、身体のあちらこちらに不自由さを感じながら諦念していた。何故なら狭いコンテナの中だからだ。自分の身体は身長も低くやややせ気味である。まだ、熟成していない身体である為、難なくコンテナの中で潜んでいる事が出来た。それでも数時間も経つと身体の節々が悲鳴を上げ出してきた。痛いと言うより痺れている。同じようなコンテナに入っているマーキュリーを按じた。彼女は豊満な乳房と臀部を売りにしている。羨ましい程の均等のとれた身体であるが、この狭いコンテナには向いていないであろう。彼女は自分以上に苦しんでいるのに違いない。解放された時は、暫くの間休ませてあげないといけないなと感じていた。
「せやけど、キツイな!この態勢は。マーキュリーは大丈夫かいな?」
思わず独り言が口に出てしまった。いくら大海原の真ん中であっても、いつ敵の連中が現れるかも分からない。論理的に考えてもやってはいけない事を、思わずしてしまった。それほど、ストレスに感じているのだ。心の中で反省していると、突如、コンテナが揺れ動いた。数人の人間の声が凪の間から聞こえてくる。C国語だ。英語も混じっている。この連中の会話のパターンが理解できない。真っ暗闇の中で耳を澄まして聞いていると、クレーンのようなもので吊るされ、倉庫の中に入って行くのが分かる。このコンテナを全て潜水艦に回収しているのだ。ガタン!ゴトッ!と、荒っぽい扱いだ。
「良かった。ようやく解放される。」と、心の中で叫んだ。先ほどのような失敗をしないように、口に手を当てた。
如何にも潜水艦の中に収納されたようだ。物の音が反響して木霊している。狭い空間だからこそ起こる反響音だ。コンテナを一つずつ扱いやすいように分けているようだ。既に潜水艦に搬入する前に一つのコンテナは開けられた。命が縮む瞬間だったが、今回は中身までは確認していない。今、見つかると大変である。人数的にも敵の数が多く、マーキュリーと二人だけでは太刀打ち出来ない。神に祈るようにして、コンテナに身を預けた。数分後、やはり楽観的予想は外れた。コンテナの中を開け出したのだ。英語は理解できるのでその部分だけ解釈すると次のように言っている。
「おい!見ろ!ギドラ総統からの贈り物だぞ。これは日本刀だ!サムライの魂が宿っているナイフの王様だ!俺はこれを戴くぜ!」
「ダメだ!その日本刀はラドン様のものだ。元の所に戻しておけ!殺されるぞ!」
他のメンバーの話声も聞こえてくる。
「おい!これを見ろ!自動ランチャーだぞ!これで、何を狙うのだ?自動小銃まであるぞ!たまげたな!本当に戦争をするのだな。」
C国語でも話している。簡単な単語なら理解できる。英語の連中と同じような事を言っているようだ。
「酒は無いのか!酒は!俺は武器よりも酒が良い!ウォッカかスコッチは無いのか!」
まるで宴会でもやるような勢いで、コンテナ内を探している。運良く、酒はすぐに見つかった。瓶が当たる音が其処ら中で鳴っている。一人で何本も持っているのだろう。お祭り気分も束の間で終わり、やがて話声も少なくなった。お目当ての物を担いで食堂にでも行ったのであろう。ようやく人の気配がなくなり、静寂が戻った。
ヴィーナスが脱出用に自分で準備しておいた紐を解き、コンテナを開けた。辺りは酒の臭いがプンプンしていた。葉巻も吸ったのであろう。独特の臭いが漂っている。早くマーキュリーを出してあげないといけない。
ヴィーナスは小さな声で、マーキュリーを呼んだ。コンテナに付けた印が剥がされており、どのコンテナにマーキュリーが入っているのか分からない。一つずつ、テープを解き開けていった。すると背後のコンテナから、ゴトゴトと音がした。多分、その中に入っているのであろうと予測し、コンテナを開けた。
「もう、私、ダメ!苦しい!体中が痛い!身体がカチコチになっていて、動けない!ヴィーナス、早く出して!手伝って!」
「分かった!分かった!大変やったなぁ!早よ出したるさかい、もうちょっと、辛抱しいや!」
ヴィーナスからすると、一回りは大きいマーキュリーの両脇を抱え、外に引きずり出した。ヴィーナスにはない、女の臭いがした。肉付や豊満さ、色気、豊潤さなどが感触として伝わって来た。自分には無い魅力である。男を惑わす魅力なのだと、嫉妬した。
「そら、こんな大きなオッパイしとったら、しんどいわなぁ!四角になったんちゃうか!」
冗談で紛らわした。早く自分にもこの女の魅力が欲しい。何時になれば、このような豊満な身体を得る事が出来るのだろうか?あと何年待てば良いのか?本来の任務を忘れかけ、久々に嫉妬心が頭を持ち上げてきた。長い間、このような感覚を味わった事がなかった。辛くて楽しい、不思議な感覚だった。
「さあ、早よ、元に戻りや!やらなあかん事は山のようにあるんやで!」
「そうね!私のパソコンは何処に隠したの?それを出してくれれば、私はこの潜水艦のネットワークに入り込んで詳細を把握するわ。」
マーキュリーは首や手指を鳴らしながら話を続けた。相当身体に堪えている様である。
「分かった!今、パソコンを出したるわ!多分、この中にあるんやと思う。」
全ての印が取り外されていたのだが、自分達の武器や必需品などが入っているコンテナには、傷が入っている事を思い出した。荷作りする際、ユーラナスが無理やりに押し込んだので、大きな傷が付いたのだ。
マーキュリー愛用のLINUXパソコンが出てきた。早速、起動させる。その間にLANケーブルを接続できるジョイントを探した。だが、この部屋の中には、LANのコネクターが無いのだ。因みにWIFIの電波状況も調べたがWIFIも飛んでいない。BLUE-TUTHも無い。
「ヴィーナス!大変だ!この原潜、原始時代の代物だ!ネットワークに繋がっていない。すなわち、全てアナログ接続ヨ!機械的に操作しないといけないみたい!どうする?」
潜水艦の見取り図を見ていたヴィーナスは、マーキュリーの言葉に同意するように何度も頷きながら口を開いた。
「ほんまや!この原潜、第二次世界大戦時代の代物かも!まあ、あの頃には原子力みたいなものは無かったけどな!せやけど、骨董品やな!」
マーキュリーはお手上げ状態だと言わんばかりに、両手を上に向け、肩を竦めた。そのまま、瞑目しながら話した。
「私の仕事は、これでお終い。何もやる事が無くなった。ヴィーナスの手になるしかないわ。何でも言って頂戴。私が実行役になるから。」
「おおきに!ほなら、あたいが設計図を見ながらあんたに指示するさかい、言う通りに動いてな。ほんまやで、勝手に動いたらあかんで!」
あれこれ考えている暇は無い。今の間に出来る事は全てやっておかなければいけない。マーキュリーの提案を呑み、ヴィーナスはマーキュリーにグーから小指と親指を広げて電話の形をとる合図をした。インカムの操作である。二人はインカムを耳に当て、スイッチをオン状態にした。少しテストを行った後、直ぐに行動に移した。
「インカムを使用する場合は、全て暗号名で呼ばなあかんで!あんたは、マックで、あたいはヴィンや。分かった?」
マーキュリーは肯定の意味で頷きながら、重たそうな鉄の扉の真ん中に張り出している輪っ窩を回した。潜水艦では部屋を仕切る扉ごとに密閉度を高める為の工夫がされている。その一つが、施錠方法だ。施錠するだけでなく、扉を機械的に締め付けて、密閉度を上げるのだ。
「マック!その通路を真っ直ぐに行った突き当りに狭い階段があるわ。その階段で一番下まで行って!原発は一番下層にあるんや!」
「分かった。でも、私一人で行くって、ちょっと勇気がいるかも!ヴィン!聞いている?」
「聞いてるで!心配すな!あたいが見守ってるやんか!周りに人が居れへん事に気ぃ遣いや!鉢合わせになったらヤバいで!」
「分かっているって!でも怖いのヨ!お化けが出そう!」
「何や!そっちかいな!アホか!お化け何か出るか!殺されへんようにする方が先決やろ!」
「そうね!そうね!誰にも会いませんように!」
二人のやり取りはインカムで行われている。小声で話し合っているのだが、狭い艦内では反響する。ヴィーナスはそれを心配しているのだった。
運も良く、マーキュリーは原子炉の制御室まで無事に着いた。後ろに背負っていたリュックを降ろし、中から工具箱を取りだした。
「ヴィン、今、着いたよ!次にどうすれば良い?」
「まずは、ガイガーカウンターの電源をオンにし!それがピーピーって鳴ったら、線量オーバーや!それまでは仕事が出来る!鳴ったら、直ぐに止めや!あんたも元気な子供を産みたいやろ!」
「エッ?子供?私はまだそこまで考えていないけれど。」
「アホか!何照れてんねん!将来の話しをしとんや!ほんまに、何考えとんねん、こいつわ。」
「バカね!私もそれくらいは分かっていますよ。ちょっと冗談を言っただけでしょ!」
「そんな事はどうでもエエんや。早よ、原子炉を止めさせなあかんねん。せやから、あたいの言うとおりにしてや。メルトダウンだけはかんにんしてや!」
「分かった。早く、指示をちょうだい。」
こうして、二人は原子炉の制御剤である中性子棒で、核反応を止める作業にかかった。マーキュリーはヴィーナスに言われた通り、慎重に且つ迅速に事を進めて行った。だが、原子炉停止作業に移りかけた瞬間、異常を知らす警報がけたたましく鳴ったのだ。やはり原子炉を制御するコンピューターには、セキュリティも高度な物が掛けられている。
「ワァ!えらいこっちゃ!エラーが鳴りよった!マーキュリー!一先ず退散や!何処かに身を隠すところを探しや!あたいも、隠れるわ!」
「そんな!聞いてないよ!何処に隠れれば良いのよ、モォ~」
マーキュリーがアタフタとしていると、この原潜の乗組員が原子炉制御室になだれ込んできた。
「どうしたのだ!何があったのだ!」
一人の男が、英語で喚いていた。他の乗組員の足音も近づいてきた。音が反響するので、大勢の人間が移動している様に聞こえる。そして、部屋に入る為のドアの施錠を開放する音が鳴りだした。マーキュリーは身を隠す場所が無く、そのまま固まっていた。間もなく、乗組員に見つかったのだ。乗組員の前に、小柄な汚い風貌の人間が仁王立ちしていた。帽子を被っており、顔が良く見えない。
「誰だ!お前は!手を上げろ!」
英語で話しかけられた。マーキュリーもイギリスの大学で学んでいたので、普通の会話は出来る。だが、ここでは英語が分からないフリをした方が得策だと思い、日本語で答えた。
「私、英語、分かりません。私、迷いました。助けて下さい!」
白人相手に、日本語を片言の話し方で言った。すると、奥の方からアジア系の男性が人を掻き分けながら前に進んできた。
「何を言っている。俺は日本語が話せる。お前、頭が可笑しいのか?このような所に迷い込むはずが無いだろう!その声では、女か。このバカ女が!」
続けてもう一度言われた。「バカ女が!」
この最後の言葉、「バカ女」で、マーキュリーの顔が変わった。目が虚ろになり、相好が変わったのだ。マーキュリーの身体の中で、人格が入れ替わった瞬間である。マーキュリーの第二の人格が現れたのだ。第二の人格は、マーキュリーを虐げる言葉で出現する。ネクラで自殺願望が強い人格である。ただ、数学には強く確立に長けている。複雑な確率の計算も一瞬で答えを出す事が出来るのだ。
「良いんだ!良いんだ!どのみち、私なんて生きる資格はないんだ!死んでやる!死んでやる!」
インカムを通して、ヴィーナスにもこの状況は伝わっていた。ヴィーナスは敵に悟られないよう、小声で話した。
「あんた、マックとちゃうんやな!」
マーキュリーは不審な顔をしながら普通に答えた。
「誰?私に話しかけないで。辛いの!死にたいの!」
「分かったって!マックとちゃうんやったら、あんた誰や?」
「私は、みおリンよ!」
「アホちゃうか!みおリンって?おまえ何もんや!」
「アホじゃないもん!みおリンだもん!だから、嫌なのよ!この世界は!死にたい!」
「まぁ、みおリンでも、みぽリンでもエエわ。とりあえず、早々にコンピューターでデータベース検索をしなあかんねん。コマンドを打って、データベース検索して!」
「エッ!無理よ!私、コンピューターなんて分からないもん!」
「何やて!あんたパソコン得意やん!そう、ちゃうのん?」
「誰の事を言っているの?私は、パソコンなんて触れないわよ。スマホくらいよ。」
「あちゃ~!そうか、マックとちゃうねんな!『みおリン』やもんな!せやから、コンピューターも得意やないんや!と言う事は、マーズから聞いたけど、確率には強いんやな。『バスケット分析』や『ロジスティック回帰』なんてお手のもんやな!」
「まぁ、データマイニング等は簡単に計算できるけど。」
「そうか、そうか。それでエエ。せやけど、パソコン出来ひんやったら元データを収集できひんやんか。もうちょっと後で『みおリン』になってくれたら良かったなぁ。」
「いつもそう言われるの。やはり私なんて、生きている価値が無いんだわ。死にたい。」
乗組員の先頭に立っている男は、途方に暮れていた。目の前で、小声でブツブツと話している小柄な輩が居る。どうやら自分の事が気にならないのか、無視しているのかどちらかである。
「おい、バカ女!何を一人で話しているのだ!お祈りでもしているのか?」
インカムで話しているとは知らない乗組員は肩に担いでいたカラシニコフを構えた。銃口をマーキュリーに向け、舐めるように全身を見た。男はこの小柄な女の事が気になった。良く見ると若そうである。興味本位で、女に近づき帽子を取ったのだ。すると長い髪が垂れ、美しい肌を持った美女が目の前に現れたのだ。また、長い髪がマーキュリーの小さな顔をなお小さく見せた。髪の間からは魅力的なまつ毛が、パタパタと何度か羽ばたいたのだ。男は驚き、矯めつ眇めつ眺めた。その魅力的な顔をさらに良く見ようと胸ぐらを掴み自分の方に近づけると、上着の上のボタンが外れ、胸の谷間が乗組員の目に飛び込んできた。
「何だ!バカ女だと思っていたが、若い姉ちゃんじゃないか!良い身体をしてやがる。作業服なんか来ているから、今まで分からなかったぜ。俺が、可愛がってやるぜ!その後、他の奴らのおもちゃになりな!」
この会話を聞いていたヴィーナスはインカムの向こう側での情景が目に写るようだった。多分、マーキュリーの顔が豹変しだすだろう。そして、マーキュリーは第三の人格「マンティス」に変わるのだ。マンティスは、今頃、乗組員に誘いをかけているだろう。バカな乗組員は、自分がモテると勘違いし、マンティスに言い寄るだろう。彼女はその隙を見逃せない。男の持っている武器を自分の物にする。もしナイフや剣、刀があればもう彼女の世界だ。気が付いた頃には、彼女はマーキュリーに戻っており、死体は切り刻まれて海の中で魚の餌と化しているであろう。十人くらいの乗組員なら朝飯前であろう。この恐ろしい予想が当たらない事を祈りながら、ヴィーナスは最下層の原子炉制御室に駆けだした。一番は彼女の身の安全だが、乗組員の命も心配になる。不必要な血は流したくない。どうか、彼女は未だ「みおリン」のままで居ますようにと、祈った。
全速力で階段を駆け降りた。そこで違和感を覚えた。これだけけたたましく足音を立てながら走っているのに、誰とも遭遇しない。と言う事は、乗組員たち全員はマーキュリーの居る原子炉制御室に集まっているのか。そうだとすれば大変だ。死体の山が積みあがる。
狭い迷路のような作りになっている通路をかけて5分ほどで原子炉制御室に着いた。シーンとしている。恐る恐る、扉を開けた。予想はほぼ当たっていた。
下着姿になっているマーキュリー、いや、今はマンティスと呼んだ方が良いだろう。全身が血で真っ赤に染まっている。その手には大きな剣とナイフを構えている。顔には満面の笑みが零れ、陶酔している。その彼女の足元には、人間だったと想像は出来るが、今は肉の塊と果てている死体が何体もある。ただ、全員が殺された訳では無かった。数人が部屋の隅で震えている。マンティスは、ヴィーナスの顔を睨みながら言った。
「カ・イ・カ・ン!エクスタシー!今、恍惚感を味わっているの!素晴らしい!」
そう言って、項垂れた。ヴィーナスは隙を見て、乗組員達に言った。
「あんたら、今や!早よ、逃げ!殺されるで!」
その言葉を切っ掛けに、乗組員たちはそそくさと逃げ出した。銃やナイフなどの武器をそのままにして逃げだした。蜘蛛の子を散らしたように、黒い物体が放射線状に散って行った。
そして、ゆっくりと項垂れているマンティスに近寄り声をかけた。
「大丈夫か?あんたは、マンティスか?マーキュリーか?どっちや」
返事は無かった。意識を失っている。多分、眠っている状態に近いのだろう。彼女が目覚めても、この事件の記憶は無いのであろう。自分の身に何が起きたかは覚えていないとマーズが言っていた事を思い出した。
「しかし、難儀な奴やな!まぁ、お陰で、あたいは助かったわ。おおきにな!」
そう言って、彼女を抱きかかえ、横にした。裸同然のままなので、服を着せた。
9.
誰かが私の名前を呼んでいる。でも、本名じゃない。懐かしい名前。
「マーキュリー!マーキュリー!」
身体が重だるい。筋肉痛のような身体の強張りもある。気絶していたのか、自分がどうしてここで寝ているのか、思い出せない。そう言えば、原子炉の前でヴィーナスに言われたコマンドを打ち込もうとしていたはずなのに。
「マーキュリー!目覚めたか?」
やがてしっかりとヴィーナスの顔が見えるようになってきた。そして、全身が生温かいもので覆われている違和感を持った。
「ねぇ。私の身体に何か付いているみたい。気持ち悪いんだけれど。」
「ああ、あれね。気にせんでもエエ。ちょっとした塗料みたいなんが付いているだけや。服着ているから大丈夫や!」
意味不明だが、今はそれどころでは無さそうな雰囲気である。周りを見渡すと、血の海となっている。そこら中に多分人間だったと思われる肉の塊が散乱している。惨殺事件があった現場のようである。
「何が起こったの。私、襲われたの?何処も痛くないけれど、怪我などしていない?」
「大丈夫や!あんたは心配ない!せやけど、早よ、ここを出なあかん。追手が来るかもしれん!せやから早よ立ち!ほんで、あたいに付いてきて!」
ヴィーナスは、必要な機材を自分のリュックに押し込めながら、何事も無かったように取り計らった。
「せや、あんたにお守りを渡しとくわ。また、今回みたいになった場合に、早よ立ち直る為に必要な奴や!」
そう言って、ヴィーナスは武器庫から頂戴した日本刀を彼女に渡した。身の丈ほどある日本刀を渡されたマーキュリーはキョトンとした顔つきで口を開いた。
「どうして、これがお守りになるのですか?ひょっとして、私、何かやらかしたのですか?先程の血の海は、私のせいですか?」
「いやいや、そんなんは気にせんでエエ。あんたが悪い訳でも何でもあらへん。悪いのはあいつらや。せやから自業自得ってやつや。ただ、あんたにはそれが似合うんや。せやから背中でもエエから、担いでおき!エエな、絶対に手放したらあかんで。」
「はい、分かりました。やはり私は何かしでかしたのですね。」
ヴィーナスはマーキュリーの質問には答えなかった。聞こえなかったかのように無視した。マーキュリーも暗黙の了解だと理解した。別の自分がまた出てきたのだ。それをヴィーナスは見たのだ。大変な事を仕出かしてしまった。今更言い訳は出来ない。マーズから、説明してもらおうと考えた。私の暗闇の世界を知って貰わなければならない。彼女とは、これからも長く友達でいたい。その為にも、私の全てを知って貰わなければならないのだ。マーキュリーは自分の中に居る悪魔の存在を呪った。マーズには悪魔じゃなく、病気なのだと言われたが、このような現実を目にすると悪魔としか言いようが無い。自分自身が怖くなる。帰国すれば直ぐに相談しようと、心に誓った。
沈黙が数分間続いた後、突然、船内にアナウンスが流れた。どうやら自分たちに向けてのメッセージのようだ。
「艦内に居る異分子達よ。良く聞きなさい!私はこの潜水艦を指揮下に収めているラドンと言うものだ。私の居る操舵室に入る事は絶対に出来ない。だから、これ以上騒ぎを起こしても無意味である。今から部下をそちらに送るので、部下の指示通り行動して欲しい。噂では、うら若き女性が二人だと聞いた。私として、君達を殺しても得にはならない。また争っても時間の無駄だ。ここは穏便に解決しないかね。君達の安全は保証する。陸に上がるまで、部下が案内する部屋で大人しくしてくれていれば良いだけだ。簡単な事だと思う。食糧や水なども与える。客として取り扱う事を保証する。どうだね、納得して頂けるだろうか?」
この放送を聞いたヴィーナスは、哄笑が弾けた。
「アホぬかせ。このラドンと言う奴、ほんまのアホやな!あたいらが、そんな手に乗ると思うんかいな。マック、耳を貸したらあかんで。あたいの後ろに付いておいでや、見失いなや。」
「分かった。でも、船長の言うとおりにした方が、安全じゃない?私たちでは、大勢の兵士達に勝てないわよ。」
ヴィーナスは艦内の設計図を見ながら、これからの計画を考え直した。逃げても意味が無い。いずれ捕まり、捕虜にされるのが落ちだ。やはり原子炉を止めるしかない。命に代えても原子炉を止めるのだ。ヴィーナスは自分にも言い聞かせるように、マーキュリーに話した。
「せやな、まぁ、エエわ!とりあえず、今からもう一度、原子炉に戻るで。あそこのコンピューターに入っているデータを収集して欲しいねん。そうでないと的確で効率的な原子炉の制御が出来ひんねん。データは全部、あんたが持っているSDカードに入れといて。」
「分かりました。データの収集は簡単ですが、分析はヴィンがして下さるのですか?」
「せやな、データマイニングしたらエエと思うねん。あたいは『SPSS』を持ってるから、それに掛けるわ。」
「分かりました。私は、『R』を持っています。お手伝いするのなら、また言って下さい。」
「その時は、頼むわ。」
ヴィーナスにはそのような遠回りをしている時間は無かった。マーキュリーには悪いが、強制的に「みおリン」になってもらう必要がある。彼女なら、ソフトに掛ける必要もない。あっという間に答えが出るのだ。前回、「みおリン」に会った際、目の当たりにした。彼女の能力は格別だ。マーズには口を酸っぱくなるほど言われた。「みおリン」にすると元に戻すのが大変だと。だが今回の事件で、もう一度人格を変化させる事が出来れば上手くいきそうである。マンティスに変えれば、その後は殺人をさせれば元に戻る事が分かった。平和な状態であれば問題のある行為だが、これ程悪党のいる異常な環境の潜水艦内なら、少々殺人を犯しても誰も文句を言わないだろう。それどころか、ヴィーナスにとっては自分を守ってくれる唯一の守り神なのだ。この非常事態を乗り越えるには非合法である事も厭わない覚悟が必要である。今回の任務はそれほど重要であり、悪人の命よりもテロを防ぐ事が重要である。マーキュリーには、直接言えない作戦である。決してマーキュリーの人格で遊んでいる訳ではない。小柄な女性が二人でテロ組織の真っただ中に置かれ、任務を遂行するにはいたしかたない選択である。事件が落ち着いてから説明しても遅くは無いだろう。これには、サンもアースも同意してくれている。ユーラナスやジュピターは自分達が守れないので、非常に心配してくれている。皆がマーキュリーの第二と第三の人格に賭けたのだった。今のところ、作戦は成功している。後は操舵室を乗っ取るかハッキング出来れば良いだけである。最悪の場合は、原子炉を止めれば良い。その準備はこれからだが、直ぐに済むであろう。マーキュリーの能力が頼もしく思える。
話している間に、原子炉制御室に戻って来た。不思議な事に、遺体が片付けられている。血糊もある程度拭かれている。惨殺現場が元に戻っていたのだ。マーキュリーは何事もなかったかのように部屋に入って行った。早々にコンピューターの前に座り、マウスを操作しだした。
「ねえ、ヴィン。このコンピューター設計した奴は馬鹿か、世間知らずの奴ね。OSがWindowsなのよ。ビジネス用のOSなのだけど、使用料が安いのよね。その為に、最近は医療用機器にもOSをWindowsにしているのだけど、セキュリティがイマイチなのよね。特にネットに繋がっていないので、脆弱性の更新は一年以上されていないわ。これなら、簡単にハッキング出来ちゃう。だから、これからこのOSをハッキングして、簡単なプログラムをインストールするわ。時間がくれば制御棒を最大値にまで上げて原子炉を止める事は可能よ。再稼働させないのだから、余り難しく考える必要は無いわ。これで良いのじゃない。」
「そうなんや。ほんなら、あたい達の命の保障としてそのプログラムを入れておいてくれへんか。それからさっき言うたデータベースの収集をしてくれへんか?あたいとしては、データも欲しいねん。」
「分かったわ。ではサラッとプログラミングするね。データベースも構築しておくわ。後でSDに保存して渡すね。」
「おおきに!頼むわ。あたいは、ちょっと寄るところがあるねん。一人で頑張れるか?」
「今のところ、大丈夫よ。忙しいので、後でね!頑張って!」
マーキュリーは、プログラミングに没頭していた。今、自分が居る状況を余り把握していないようだ。だが、原子炉を止めるプログラムは急いで欲しい。彼女の能力なら直ぐに可能となるだろう。それよりも、最初にコンテナが搬入された部屋に早く行かなければならない。先ほどまでは雑魚が相手だったので何とか凌げたが、強い相手が出てくれば我々の対戦能力では簡単に捕虜にされる事が予想される。何としてでも、銃器類を探し出して武装しなければならない。最初からコルト・パイソンは携帯していたが、これだけでは身を守れない。出来ればマシンガンが欲しい。マーキュリーには刀を渡しているが、相手が機関銃ならそれまでだ。もし無事に本部に戻れば真っ先にマーキュリー専用と言うよりマンティス専用の刀を作ろうと思った。殆どの物が切れるような刀を考案しようと思ったのだ。もう、今回のような怖い経験はしたくない。自分も、もっと気合を入れて武術を習得しようと思った。身体が小さい分、実践的に必要な武術を会得しないといけない。最低限、自分の身を守る術は持っておかなければならない。この組織に所属する限り、必要だと痛感した。
コンテナの部屋に戻った。不思議な事に、誰にも出会わなかったのだ。大半はマンティスが殺ったが、逃げた連中は何処に行ったのであろう。不思議に思いながら、コンテナの中から武器を調達した。殆どの物がそのまま残されている。最初に持ち出したのは飲み食いする物だけだったようだ。本当に、連中は何を考えているのであろうか。こうなると反対に不気味である。何か企んでいるのではないかと疑心暗鬼になってくる。戦略家でもあるヴィーナスが不安になると言う事は珍しい。虫の知らせと言うのか、鳥肌が立つのを感じた。その不安を取り払うように、アース達との連絡用の無線連絡網を起動した。海の深いところに潜るので、通常の無線機では会話できなくなる。そこで、船外に取り付けたブースターで音波に変え、海上のブイに仕込んだ受信機で音声に変えるシステムを作ったのだ。その通信装置を起動した。頭に付けているインカムで併用できる。周りに気配が無い事を確認して、小さな声でマイクに話した。
「CQ!CQ!応答願います。こちらコバンザメ。現在、マンタの腹の中に居ます、どうぞ。」
暗号を使用しながら応答を待つ。コバンザメとは、自分達の事である。ヴィーナスとマーキュリーの二人をさす。マンタは原子力潜水艦を意味する。
「やぁ~!こちら、シーワールド。無事でしたか?心配していたのですよ。」
本当に心配そうな声でサターンが話しかけてきた。ヴィーナスは一瞬、涙が出そうになった。今までは緊張のせいで余り恐怖感を感じなかったのだが、サターンのぎこちない話し方だが優しい声を聞いたせいで、堰を切ったように恐怖感が押し寄せてきた。何故かサターンの声で、胸がキュンとなってしまった。
「何とか無事でやっとります。マックに助けてもらいました。現在、暖炉の火を消して冷まそうとしています(原子炉の停止)。アプリはマックに買ってもらいます(プログラムをマーキュリーが作成中)。」
暗号を入れながらの会話である。何回も練習した用語である。標準語で話すよう練習もした。実際に使うと、会話が成り立たない場合もある。今後の課題になる。あれこれ考えているうちに、サターンから返事が届いた。
「もう少し、買い物を続けて下さい。こちらも、現在大家さんを探しているところです。来月分の家賃を交渉しようとしています。家賃を譲歩してくれれば、また連絡します。」
「大家」さんは、C国の国家主席S氏を意味する。「家賃」とは、このテロ事件の事である。マーズのプロファイルを使用して、アースがS氏と交渉するのだ。上手く行かなければ、戦争に発展する場合もある。マーズがいるので安心だと思うが、相手がC国である。常套が通じない為、苦戦する予想が今のところ一番高い確率である。
ヴィーナスは、胸に秘めていた疑問を吐き出した。
「ところで、「ギドラ」と言う名前、聞いた事がありまっか?マンタの足鰭がそう言うてましてん」
少し安心したのか、もう標準語で無くなってきた。だが、本人は気付いていない。
「『ギドラ』ですか。初耳ですね。」
後ろで他のメンバーに伺っている様である。ザザザーと言う摺れ切れ音の間に、サターンの焦った声が途切れ途切れ、聞こえる。
「他のメンバーにも聞きましたが、知らないそうです。サンも知らないと言っていました。何ですか?」
「原潜のメンバーの組織名のようやわ。そこのボスの事を崇拝しているみたいや。リーダーが制御室に居んねんけど、誰も入られへん状態なんや。単独で行動しているみたいやわ。」
「分かりました。こちらでも調べてみます。ところでマックはどうしています?マー君が心配しているので。」
「心配いらんって言うといて。ミポリンになって、カマキリちゃんにも成ったで。お陰で助かったけどな。カマちゃんの姿、見せたかったわ。」
「ちょっと!『ミポリン』って何よ!もしかして、二番目の『みおリン』の事?」
どうやらサターンの手からマイクを奪い取ったのであろう。マーズが食らいついてきた。
「せや、二番目の『みおリン』や。また、帰ってから話したるわ。とりあえず終了や!」
不安でどうしようもなかった先程までとはうってかわって、現在は能動的である。身体の中からエネルギーが湧きでてくる。自信もある。やはり仲間と言うのは有難い。不安と焦燥感でかなり精神的に追い詰められていたのだが、メンバーと話しただけで気持ちにゆとりが出てきた。さらに活力と言うか、腹の底からエネルギーが吹き出してきたのだ。
「よっしゃ~!頑張るで!もう一回、マックのところへ行って、作戦の練り直しや。一気に大掃除や!」
ヴィーナスは立ちあがった。そして予め奪っておいた武器をリュックに詰め込んだ。ライフルだけは長すぎて入らない為に、紐を付けて背中に担げるように工夫した。忍者のような格好だ。リュックの先からはカラシニコフの銃口が上を向いている。銃弾もたっぷりと詰め込んだ。ちょっとした軍隊並みの装備である。流石に先程の経験をすると慎重に成りかねない。相手の正体が分からないのであれば、重装備で迎え討つまでである。ヴィーナスはマーキュリーと一緒に行動出来た事に感謝した。彼女がマンティスになれば、強い味方となる。自分は、彼女の為に武器を与えるだけである。自分の使命を全うするだけである。駆け足で、狭い通路を走った。思った以上にリュックが重かったが、弱音を吐いている暇は無い。早くこの武器をマーキュリーに渡さなければならない。彼女の為でもあり、自分の為でもある。そして、世界を戦争から守る為でもある。
「あたいはこの為に生きてきたんや。長いこと、しょうも無い時間を過ごしてきたんやけど、全てがこれからの為やったんや!今、頑張らなあかんねん!」
必死で自分を鼓舞した。長い人生の中で充実した瞬間だった。迷路のような艦内を走り回るのには苦労しなかった。息も上がらない。超人になった気持ちである。多分、アドレナリンが全開で出ているのであろう。そして最終決戦に備えるのだ!最後の扉を開け、マーキュリーの居る原子炉制御室に入った。
「マック!大丈夫!エエ物をようけ(沢山)持ってきたで!」
だが、マーキュリーの姿は無かった。原子炉の熱で作られた蒸気により回転するモーター音だけが唸っている。ここでは、このモーターで発電している。かなり大きな発電機である。その発電機を利用してエンジンが動き、海水を電気分解し酸素も作られている。飲料水なども作られているのである。食糧以外、長く調達不要なのである。放射能さえ気にしなければ夢のようなエンジンである。だが、放射能とは背中合わせだ。少しでも事故が起こればこの潜水艦は原子爆弾となる。何千年と地上に戻る事が出来なくなる。だから停止させるのである。環境破壊も考えなければならないので、永遠に原子炉を冷えたままの状態で眠らすのである。
「マック!何処におるん?かくれんぼは止めてや!あたいは、気―小さいねん!おどかしたら漏らすで!」
冗談交じりで言ったが、返事は無かった。ヴィーナスは一気に緊張状態になった。何かが起きたのだ。リュックからカラシニコフを一丁出し、身構えた。銃弾は装てんしている。安全装置を外す。トリガーを引けば、連射される。銃口を相手に向けるだけだ。
「マック!何処におるんや!早よ出てこんと、シバクで!」
先程までの嵩にかかって攻める言動は消えていた。言葉の最後は、聞きとれないほどの小さな声になり震えていた。
原子炉の陰部分で、何かが動いた。背中の真ん中部分が痛くなった。キューっと締め付けられるような痛みを感じたのだ。多分、後腹膜にある副腎からアドレナリンが絞り出されたのであろう。誰に聞いてもそのような痛みは感じないらしいが、自分は緊張すると何時も背中の同じ部分が痛くなる。絶対に、副腎が絞り出しているのだ。
「そこに誰かおるんか!返事せんかい!」
すると、頭を掻きながらマーキュリーが現れた。
「何よ!余りにも遅いから横になっていただけよ。ちょっと~!私を撃つつもり。危ないから、物騒な物を降ろしてよ。」
「わっ!すまん!すまんのぉ~!返事せえへんから敵やとおもたんや。」
「どうでも良いけど、それを撃ったら、壁に穴が開くわよ。水深百メートル以上の所で穴が空いたら、ペッチャンコですよ。」
「ほんまや!危な!」
ヴィーナスは、潜水艦を止めるにはこの方法でも良いかなと頭の隅で考えた。だが今のままでは、自分達も巻き込まれる。無言のまま、かぶりを振った。任務に集中しなければいけない。
「せや!あんたに重要な事、聞いとかなあかんねんやわ。原子炉停止のプログラムはインストールしたんやな。どうしたら動くんや。時限爆弾式か?」
マーキュリーは鼻を鳴らしながら、得意げに言い放った。
「どなたにご質問をされているのでしょうか?乗組員?でも、誰も居ないわね?えっ?そう、私に!それなら、愚問は止めてよね!私のスマホで全て可能よ!PCのBluetooth機能をオンにしたので、連動できるようにしたわ。連中の中に、プログラムやネットについて詳しい奴がいれば厄介だけど、先ほどの輩では大丈夫と見たのよ。皆、頭の中は空みたいだし。」
「よっしゃ!ほんまにあんたは大好きや!それやったら、急いで操舵制御室へ行こか!最後の仕上げや!」
マーキュリーは無言で首肯し、ヴィーナスに続いた。するといきなりヴィーナスが立ち止り、踵を返してマーキュリーに向き直った。
「ちょっと待って!あんた、もうちょっとダサイ恰好にしよう。セクシーさは出さんように。最初から噛みつき(セクシーさに酔う)よったら、あんた全部殺してしまうさかいな。」
マーキュリーが来ている作業服風の上着を身体に対して大きすぎるサイズに着替えさせた。
「3Lや、これやったらダボダボや!身体の線は見えへん!そして、下のパンツも3Lに変えて!ほんで帽子や!性欲をそそるその長い髪は帽子の中に隠して!目が見えへんように深く被ってな!どや!」
マーキュリーはヴィーナスによって性別の分からない小柄な人影へと変身した。
「よっしゃ!これやったら、奴らも変な気、起こしよれんへんわ。あたいが合図したら、帽子も服も脱ぎや!そこからが本番やからな!あんたの実力発揮や!」
「エッ~!嫌だ~!変な私に変われって言うの!罪を犯すかも知れないのよ。私には制御できないの。今までどれだけ苦労したか。だから、出来るだけ今の私のままで居なければいけないの。マーズにも、そのように言われているし。」
「それは分かっている。せやけどな、今は状況が違う!このままやったら、あたいら二人ともあの世行きや!殺されてもエエんか?あんたは頼もしい人間や。女にしておくのは勿体ないくらいや、まぁ、女としても魅力的やけどな。羨ましいわ、あたいからしたら。」
「ヴィンは良いじゃない!頭脳があるのだもん!私なんて、パソコンオタクなだけ。セクシーにしているけど、男の人が怖いの。だから中々彼氏を作れない。マーズが居れば良いけど、たまに、良い男の胸の中で眠りたい夢も見るのよ。」
「そうか!せやな。あたいも良い男が欲しいと思うけどな。身体がこれじゃ、少女趣味の変態やろうしか寄ってけえへんからな。」
「そうか、ヴィンも男運が無いのね。悲しい二人よね。こんなに良い女なのにね。」
ヴィーナスは、メンバーに入る前に付き合っていた彼氏の話しをする事は止めた。余りにも儚く、余りにも悲しい出来事だったからだ。その上に、アースの誕生にまで関わっているので、このチーム内ではご法度となっている。
「辛いな!せやから、その辛さを、これに向けるんや!こいつらを懲らしめる事で、ストレス発散や!悪者を成敗や!」
カラシニコフを握りしめながら、ヴィーナスが言った。この言葉で、マーキュリーの相好も変わった。決断をしたのだ。
「そうね!やるわ!私も。変態人間になっても、正義の為になるのなら、一肌脱ぎましょう!」
「せやな。あんたの場合は、ほんまに脱がなあかんけどな。」
二人で哄笑した。今までの緊張が解け、正義感が身体の中から溢れてきた。活力が湧きあがり、力が増してきた。この勢いで、操舵制御室まで突進だ!二人は無言のまま、駆けだした。一番上にある操舵制御室へ向かったのだ。狭くて迷路のようだった通路も、今の二人には唯の通路となった。恐怖も不安も無くなり、闘争心で一杯なのだ。前に進む力が増してきた。そして、通路の最後の扉を開けた。予想はしていたが、一番悪いシナリオが目の前で現実になった。部屋の中には胡散臭い猛者どもが二人待ち構えていたのだ。
「よう!待っていたぜ」
やはり言葉は英語である。
「なんや、また変な奴が居るな。一人は脳みそまで筋肉の塊みたいなゴリラやし、もう一人はキモイいか人間みたいやな。青白くて薄っぺらい顔や。」
「ヴィン!あなた上手いわね。良くイメージを捉えているわ。」
マーキュリーが楽しそうに話した。その話が終わる前にイカ人間が話しだしたのだ。
「ほう、イカ人間か。初めて言われたよ。俺様の姿を見ると、誰もが怖がるのだがな。お前たちは恐怖と言うものを持ち合わせていないのか?」
イカ人間は、手に持っている長い棒状の物を弄びながら、ヘラヘラとした口調で話した。
「どちらから、このアルゴン様のビームソードの味を知りたい?このビームソードは良く切れるぞ!痛みを感じる暇もないぞ。気が付いた時には、ブファッとな。」
棒状の武器を持っていない右手を大きく開きながら、「ブファッ」を表現した。それを見ながら、横に居るゴリラが笑った。このゴリラは、ユーラナスよりも大きそうだ。身長は2メートルそこそこくらいであろう。両肩から下に伸びている腕は、ヴィーナスの胴体よりも太い。全身が筋肉の塊と言える。いくらヴィーナスが格闘を習ったと言っても、重量級を相手では簡単に捻り潰されるであろう。右腕で頭を砕かれる事も考えられる。
「こらあかんわ。予定変更や!こんなん相手では、手も足も出えへんわ。逃げるか。」
いくらなんでも、こいつらには敵わないと思った。殺し屋マンティスでも、ゴリラのような筋肉バカと変態やろう二人相手では無理である。さらに、自分はもう腰が抜けている。逃げる算段をしている最中、隣でマーキュリーが服を脱ぎ出した。
「ちょっと、あんた!あたいは、合図を出してへんで!何勝手に脱いでねん。」
「もう、私は逃げないの!ゴリラも変態やろうも、やってやろうじゃん!」
口角を上げ、覚悟を決めた微笑みだった。マーキュリーの美しい曲線美が露わになった。作業着の下には美しいビキニ姿だったのである。どこからこのような物を調達してきたかは定かではないが、マーキュリーの作戦だったのだ。案の定、変態やろうが反応した。
「うへっ!上玉じゃん!小柄な姉ちゃんかと思いきや、美味しそうじゃねぇか。俺は戴くぜ!姉ちゃん、俺のをぶち込んでやるぜ!」
この言葉で、マーキュリーはマンティスに変貌しだした。しかし、今日のマーキュリーはいつもと違う。自分を見失う前に、スマホの入った上着をヴィーナスに投げつけたのだ。スマホには、原子炉を制御するプログラムの始動スイッチが入っている。一瞬だが、ヴィーナスの目を見ながらウィンクをした。上着をキャッチした後、もう一度彼女を見た際には、相好は変わり薄気味悪い笑い顔をしていた。そして、男二人を値踏みしだした。
「二人とも、好みじゃなーい!つまんないな!じゃ、楽しむとしようか!」
マンティスは背中に日本刀を担ぎ、右手には軍用のアーミーナイフ、左手には返しのついたサバイバルナイフを持っている。その捌き方はまるで芸術品でも見ているかのように見事なものだった。身体もバク転や宙返りなど、アクロバットを見ているような身のこなし方である。何処かに映画用のワイヤーがついているのではと、錯覚をしたくらいである。
だが、今回の相手は今までとは違った。イカ人間も強かった。手に持っているビームソードに呪文をかけると、先が真っ赤に光り出した。ジジジと言う小さな音だが、多分レーザービームだと考えられる。焦点温度は千度を超えるであろう。そのビームソードを、カンフー映画の主人公の如く、美しく捌きだしたのだ。敵の身のこなし方も半端ではない。相当、熟練しているのであろう。目にも止まらない早さで剣が付き出てくる。かわすだけでも大変である。だが、マンティスは軽やかにかわしていた。次に何処に出てくるのか分かっているような動きだ。一瞬、マンティスの動きが止まった。そして止まったと同時に背中にある日本刀に手が伸びた。次の瞬間、イカ人間のビームソードの長さが半分になった。何が起こったのか分からなかった。余りもの早さで、目が付いていかなかったのだ。居合抜きだろうか。刀はもう鞘の中に納まっている。イカ人間も豆鉄砲を食らったような顔をし、口を尖らせて言った。
「ホウホウ!なかなか素早い動きだな、姉ちゃん!これは、ますます楽しくなって来たぜ。こんな女は初めてだ。さぞ、楽しませてくれるだろうな。俺のは、熱いぜ!」
短くなったビームソードをナイフのような持ち方に変え、千手観音の如くマンティスに襲いかかった。同じように、マンティスも対応しながら避けている。また、手が止まったかと思うや、日本刀の中心で閃光が放った。
パキン!と言う、乾燥した音が船内に木霊した。ビームソードの穂先で、マンティスの刀が二つに折れたのだ。イカ人間は、口角を上げニヤついた顔で勝ちを誇ったかのようだった。その時、左目に鈍い痛みを感じたのだ。マンティスは、折れた日本刀をナイフのように投げ、見事、イカ人間の左目に命中させたのだ。
「痛て!俺様の目を傷つけやがったな!くそ!もう許さねえ!」
左目に刃が鋭く刺さっているのに、まるで他人事のような物言いをしている。神経が通っていないのだろうか。或いは痛みを感じないのだろうか。だが、イカ人間の顔付きが変わった。変態性がなくなり、戦士の顔になったのだ。
そこからは、拷問を見るようだった。イカ人間の手のビームソードは、機械のようにマンティスの身体を少しずつ傷つけていった。目にも止まらない早さである。流石のマンティスもその早さには追尾できなかった。大量の出血はしないが、確実に少しずつ細い血管を切って行く。要所要所で、腱を切る。最後にアキレス腱が切られ、立てなくなった。これを拷問と言わなければ何と形容すれば良いのであろうか。ヴィーナスの目の前で、マンティスが見る見る刻まれていくのだ。
ヴィーナスは悲鳴を上げた!このままでは、殺される。マーキュリーが殺される。悲鳴と同時にスマホの原子力停止プログラムを起動させた。
「もうどうでもエエわ!行くとこまで行ったれ!皆、道連れや!」
10.
2018年7月4日 午前10時45分(日本時間)
首相官邸にて オンラインによる日本・C国二国間協議を開催
出席者
日本国側:日本国内閣総理大臣・防衛大臣・日本国安全保証実行委員会指定アドバイザー
C国側 :国家主席・中央軍事委員会副主席
「では、只今より日本国及びC人民共和国での二国間協議会を始めます。私、進行役をさせて戴きます、自衛隊統合幕僚長の川田と申します。よろしくお願いいたします。では、まずはお手元にあります資料をお読みください。本日、自衛隊による調査の結果、日本国南西に位置します尖閣諸島付近にて、ロシア製原子力潜水艦の航行を確認しました。調査の結果船体にはC国の物と思われる国旗が貼付されております。ただし、我が国の情報機関からの調査ではC国とは何の関係もないテロ組織だと言う事が明らかである報告がされております。昨日より、自衛隊の護衛艦二隻が通信を行っておりますが返信はありません。本日、現時点では北緯25度44分、東経123度28分の位置を北北西に向かって航行しております。このまま行けば、C国黄海に着くものと思われます。」
両国に手渡たされている資料を見た。印刷されている文章を事実確認として朗読しただけである。
通訳を通じて、C国国家主席に伝えられる。隣で眉間に皺を寄せながらねめつけている、中央軍事委員会副主席が最初に口を開いた。
「初めに申し上げておきますが、今回の原子力潜水艦は我が国の艦ではありません。我が軍にはロシア製の原子力潜水艦の存在は確認しておりますが、二隻とも軍指揮下の元、港に停泊している事を確認済であります。よって、誰かが我が軍の模範を勝手にしておるものと考えられます。」
「では、この潜水艦はどちらの国の物でもないという結論でよろしいでしょうか?最悪の場合、この潜水艦を撃沈しなければならない場合があります。人命を尊ぶ観点からも、どちらかの国の艦であれば救助を行わなければなりません。ですが、今の状況では最悪の場合撃ち沈めても良いと言う確認をさせて頂きます。」
進行役の自衛隊統合幕僚長は、日本国側の軍事情報提供者をも兼任している。C国側と日本国側の双方の代表が顎を引き首肯した。了解の合図である。
「ただ、少し問題があります。我が国の防衛省からの報告によりますと、安全保障の調査員二名が極秘でこの潜水艦に乗りこみ、情報収集をしているとの報告を受けております。現在、安否の確認は出来ておりませんが、この二人の安全を確認してからの行動をお願いしたいとの事です。」
C国側の二人が、顔を俄かに崩し、お互いを見た。不快感を露わにしている証拠である。
「どうして、そのような勝手な行動をしたのですか。何もしなければ、今でも我が軍の駆逐艦に命令して、このようなテロ行為は簡単に解決出来ますのに。」
中央軍事委員会副主席は、自信ありげに胸を張って述べた。C国の軍事レベルの高さを見せつけたい感情が露わになっている。
「そうは言いましても、相手が誰か、目的は何かも分からないまま沈めてしまうのも問題です。現時点では領海侵犯しか起こしておりません。出来れば捕まえて調査をしたいと考えております。」
日本国の首相と防衛大臣は沈黙を保ったままである。殆どが、自衛隊の統合幕僚長とC国側の中央軍事委員会副主席の対談となっている。
「ですが、その潜水艦は我が軍の空母を標的にしているとの事。このような事態を、ここで待っているだけなのであれば、C国を汚す行為である。先制して潜水艦を砲撃するべきではないのか。まして、我が国旗を船体に表記しておるなど言語道断である!侮辱するにも甚だしい!」
みるみる顔が赤く膨らんできた。噂通り、C国の軍部は強い力を持っているようだ。第二次世界大戦に入る前の日本の軍部に似ている。自衛隊統合幕僚長は戦争経験は無いのだが、祖父から聞いている歴史を目の前で上映されているような錯覚を覚えた。どこも軍部が力を持てば同じ行動を取るのだなと内心で考えていた。国家主席の心内を察する。
「副主席の御心はお察しいたします。ですが、今は暫く我慢して下さい。我々の偵察の隊員から間もなく連絡が入ると思います。その結果、合図を送ってくるはずです。その合図で砲撃するなり停船させるなりの軍事行動を取って戴きたく提案させていただきます。副主席も経験豊かなお方だと察しますに、敵の行動を良く観察し分析してからの行動を取られた方が副主席らしい作戦では無いでしょうか?」
アースは防衛大臣の変わりに話をしている。通訳を介しての会談なので、事前にアースの言葉を翻訳するように伝えている。防衛大臣は口をパクパクしているだけなのだ。この辺りは、リモートでの会談で良かった。対面では、口パクの話しあいは直ぐに暴かれる可能性が高い。そのようなリスクを今回は出来るだけ抑えなければならないのである。アースが根回しをしながら巧妙にこちら側の要求を通しているのである。アースの能力は本物である。この会談を見ている誰もが能力を認めている。最初は疑心暗鬼だった首相なども、今ではアースに頼り切っている。アースの言葉一つ一つに頷いており、肯定の意思を伝えている。
C国の副主席は痛いところを付かれて、歯を食いしばっている。自分の名誉の為にも反論できないでいるのだ。仕方なく副主席は、同意の意を示した。
「仕方が無いであろう。貴国の偵察隊の大切な命を無駄にする訳にはいかない。どの国でも人材は貴重ですからな。」
「有難うございます。副主席の大きな心と優しさに感謝致します。副主席のような方がおられて我が国は助かります。今後も我が国との協力関係にお力をお貸し下さい。」
「大きな心」に正鵠したのか、副主席は満足げな顔で首肯した。つい先ほどまで口をへの字にし、不満を露わにしていた赤ら顔の副主席が、親しげな顔に変貌してきたのだ。この様を見て、横で無表情を保っていた国家主席に安堵感が感じられるようになってきた。その国家主席が初めて口を開いた。
「では、我々はこの後どのような行動を取れば良いのですかな。指を咥えてただ待つだけですかな。」
「いえいえ、国家主席と副主席のお二人には、我々が得た情報をリアルタイムでお伝えします。我々だけでは到底このような軍事作戦を成功に収める事は出来ません。是非とも、お知恵をお貸し戴きたいのです。」
アースは本当に上手である。C国の代表に全ての選択権を持つように見せかけている。日本国は憲法9条で定められている為、先制攻撃は出来ないのだ。戦争行為をしかけられて初めて対応攻撃が出来るのである。だが今回のテロ組織は、いきなり核弾頭を撃ってくる可能性が高い。そのような状況下で憲法9条をとやかく言っている暇は無い。是非ともC国の国家法及び海洋法に基づいての先制攻撃を実施してもらいたいのが本音である。その為にも、攻撃の先手はC国に委ねるしか方法はない。また、どのような理由であろうともC国の国旗を船体に記している潜水艦を、他の国が攻撃すると国際問題に発展しかねない。特に相手はC国である。その為にも、自国の潜水艦を撃沈したシナリオでないといけないのだ。国際問題まで考えないと今回の事件はまとまらない。素晴らしい案なのである。
「おっしゃる事は理解出来た。では、これから我が軍の会議にて今回の作戦を練り直すこととしよう。状況は変わり次第、情報を流してくれたまえ。」
「分かりました。30分後には、リアルタイムで偵察隊員とのインカム及びモニターの映像をC国と我が国とで共有する事が出来ます。その際に、またご連絡させていただきます。有難うございました。貴国のご協力を得られた事は、素晴らしい一歩を踏まえた事と認識させていただきます。ではこの後、少し私的な事で国家主席にご相談したい事があります。他ならぬ2年後に控えておりますオリンピックについての事案です。貴国も4年後に冬季オリンピックを控えておられるので、放映権などについてのご相談をしたいと思っております。副主席殿はお忙しい身だと思いますし、政治の事ですので、国家主席に代わって早く軍事行動に関しての対策を立てて頂けないでしょうか。我々も防衛省に戻り情報収集をいたしますので、副主席殿は先に連合参謀部にお戻りください。主席はこのままの状態でお待ち下さい。こちらもオリンピック委員会の委員長と首相を同席させる準備を行いますので。」
急な展開で、一同は不思議な気持ちに包まれた。誰もがアースの顔を見つめ、今の言葉の説明を待ち望むような雰囲気になった。何故、この時期にオリンピックの話をするのかと。横で聞いていた首相でさえ、自分が呼ばれる理由が分からない顔をしている。ただ、副主席の行動は早かった。軍事行動なので、自分が先頭に立って指揮しなければならないと考えているからだ。モニターの向こう側では、ザワザワと人の移動が行われている。やがて、通訳と国家主席、そして側近だけになった。
「主席。お一人ですか?通訳の方にも、側近の方々にも退席をお願いします。これからは英語で話させていただきます。」
主席は、いきなりの提案に戸惑いと嫌悪を抱いた。
「それは困る。私は余り英語が得意ではない。通訳を退席させれば理解できなくなる。」
慌てて、アースの提案に遺憾を伝えた。
「主席、私は主席の事を良く知っております。主席は1985年にアメリカ合衆国を視察で訪問し、当時のアイオワ州知事、後に駐中国大使のT.B.氏と親交を結んでホームステイをされた事を存じております。今さら英語が出来ないとは言わせませんよ。それよりも重大なお話があるのです。私を信じて、人払いをして下さい。」
主席は自分の過去を見透かされた事で、唖然とした。目の前で話している日本人は誰なのだと、自問した。だが、直ぐに敵意が無い事や、自分の事を理解してくれる人種かもしれないと、心が揺れ動いたのだ。少し様子を見ようと、騙される振りをした。
「ホホー。そこまで御存じなのですね。分かりました。人払いをしましょう。少し待っていて下さい。」
主席はモニターの画面から姿を消し、誰も居ない椅子の背もたれだけがモニターに映し出された。数分後、主席がモニターの前に座り、英語で話しかけてきた。
「お約束通り、人払いをしました。今は、私一人です。」
多分、モニターに映らない袖で、側近は待機しているのであろう。主席が全くの一人で、日本国の名も知れない輩と話すはずが無い。だが、それを知った上でアースは主席を信じる芝居をした。
「有難うございます。では、改めてご挨拶を申し上げます。私は、首相のアドバイザーをしております、日本国の機密組織の人間です。今回のテロの情報を最初に入手したチームのリーダーです。最初はC国の悪戯か、何かの軍事作戦の一環かと考えておりました。そこで、申し訳ないのですが主席の経歴を多方面から調べさせていただきました。その結果、主席は奥様と家族を一番に愛される方だと分かりました。家族を一番に愛される方は、国民の事も一番に愛されます。そのようなお方が、今回のような茶番劇などを目論むはずが無いと言う結論に達しました。そうなれば、軍部の反乱か、本当のテロが考えられます。先ほどの会談では、軍部の反乱も考えられません。主席は上手に軍部の方をも手懐けておられるようです。そうするとテロです。ですが、どうしてC国を狙うのでしょうか?何か思い当たる事は無いでしょうか?」
主席は様子を伺おうと斜めに構えていたのだが、どうやら本物のリーダーのようだ。礼儀も弁えており、信頼できそうである。事実、C国内では問題を抱えている。まるで見透かされているようだ。少しくらいの情報提供なら大丈夫であろうと柔和になった。
「オリンピックの話では無いのですね。私達を騙した訳だ。ですが、今回は特別に許しましょう。実は、私も少し迷っておる次第なのです。余り我が国の事を他人に話す訳にはいかないのですが、お察しの通り問題が起こっています。半年ほど前に装備発展部や国防動員部に軍需備品と傭兵の提供が出来ると言う提案がありました。軍部は秘密裏にその組織と交渉を重ね、かなりの額の軍需物質を購入する手はずになっていたのです。その情報を得た私は、いろいろと調べました。するとその組織は、名前こそビジネス的な企業を装っていますが、目論みは世界を制する為のテロ組織だと分かったのです。我が国が軍需物質を購入しますと、その組織の力を強める事となります。いずれ我が国をも勢力下に収めようとするのは至極当然です。そこで私の独断で、取引を直前でキャンセルしたのです。それから、私を脅すような事件が頻繁に起こり出しました。直ぐに、妻と家族を郊外に疎開させ、身を隠すように手配しました。お恥ずかしい話ですが、私自身が危ない状況になっているのです。」
「そうですか、それで話しの辻褄が合います。実は、私どもには非常に優れたハッカーが居ます。ですがその優れた能力を持っても、貴国の情報を入手する事は困難でした。かなりの仕掛けを施され、サーバーを特定する事すら出来ないほどでした。そこで、目を付けたのが奥様です。ただ、奥様もかなり慎重にコンピューターのセキュリティを守っておられたのですが、ある日、急におろそかになったのです。多分、その頃に、身を隠されたのでしょうね。我々は申し訳ないのですが、そのセキュリティの穴を巧妙に利用させてもらいました。そこで見つけたのが、あなたと奥様との手紙です。あなたからは手紙を処分するようにきつく言われているらしいのですが、女心としては、旦那様の辛い胸の内を聞いた自分の思い出として残しておきたかったのでしょう。スキャニングしその後、巧妙な暗号化を行い秘密のフォルダに隠してあったのです。それを見つけ、暗号を解読しました。その文章を拝見させていただき、主席の熱い意思と愛国心を知りました。家族を思い、国民を思う強い熱意を感じました。ですから、我々は主席の愛と情熱に賭けようと思ったのです。我々が情報を収集し、主席の世界の人々を重んじる熱い心があれば、必ず安全に皆を守り、最後は国を守って下さるだろうと。軍部の力の強さに心を痛めておられる事は重々承知しておりますが、全世界の人々の命が今回の事件にかかっております。ですから主席のお力で、今回は軍部の力を押さえて戴きたいのです。主席のゴーサインで全てが動くようにしてほしいのです。このような、大それたお願いを聞いて戴けますでしょうか?」
耳を傾けている間に、主席の心内では、信頼に値する者と判断する気持ちが強くなって来た。
「そうですか、そこまで私を分析されましたか。心が弱い為に、妻に癒される事を望んだ私が悪いのでしょうね。その弱さが、私を分析する切っ掛けになってしまったのですね。国家主席としては失格です。分かりました。あなた方を信じましょう。まずは本当の人払いをします。少しお待ちください。」
やはり、思惑通り側近は傍らに付けていたのだ。
「それで、本題は何でしょうか。」
アースは今までの経緯を詳細に話した。人質立てこもり事件から強盗事件に発展し、そこから東アジアテロ攻撃を目論む資料が見つかった事。ロシアの原潜を何処かの組織が購入し、改造した事。そして、C国の国旗を纏った潜水艦になり済まし、C国の空母を攻撃しようと目論んでいた事。果ては核弾頭を発射する恐れがある事などを伝えた。最後にC国の国家主席にお願いしたい事も簡単に伝えた。瞑目しながら聞いていた主席は、苦しそうな表情になった。
「そうですか。そのような出来事が起こっていたのですか。私を狙っている者たちなら、そのくらいの事をするかもしれません。多分、軍需物質の提供を促してきた組織でしょう。やはり手を切って良かったと思います。分かりました。我が国のトップとしてC国の人民を守る為にも、私の妻に賭けても今回の任務は全うしましょう。もし、最終的に良い結果を得る事が出来れば、私の力も軍部にまで影響が浸透する事となります。大きな転換期ともなります。そうなれば今後は皆さんとは良い関係を築く絆も出来ます。その時には、是非ともオリンピックの話しをしましょう。未来の為に、頑張りましょう。」
「有難うございます。やはり私の思った通り、主席は愛に満ちている方だ。家族だけでなく全人民にも充分な愛を注ぐ事が出来る方です。ありがとうございます。オリンピックも成功させましょう。」
アースは、本当に涙した。日本の首相でもない自分に、小さな隣国の首相のアドバイザーに耳を傾けてくれたのだ。今までの日本とC国の関係からは信頼関係を築く事は難しいであろうと思われた。だが主席の愛情に賭けた事が功を制したのである。アジア人に愛を求める事は難しいのではと言う古い考え方を覆したのだ。やはり人類は愛に命を賭ける事が出来るのだ。愛する人、愛する国、愛する人々。愛する事が全ての原動力となり得る事を現代人は知っているのだ。それは、教養であるかもしれない。或いは宗教であるかもしれない。だが、考え方、宗教、国が違っても、求めるものは一つなのだ。この大胆であるが、人間の本質を見抜き信じたアースの信念には皆が尊敬の念を露わにした。
国家主席も非常に貴重な時間を過ごす事が出来たと言われた。首相からも、心の底から礼を言われた。このようにして、日本とC国のトップ会談は終了したのだった。後は、潜水艦に送り込んだヴィーナスとマーキュリーに賭けるしかなかった。もし、ネットワークに繋がっていればマーキュリーの能力で本部から遠隔操作が出来る。そうすれば簡単に事件の解決に誘導できる。もしなければ、ヴィーナスの能力で原子炉を停止する手筈になっている。運良く潜水艦を制圧出来れば原子炉の停止も回避するように段取りは組まれている。制圧はあくまでも希望であって必須ではない。自分の身を守る事に専念して、くれぐれも安全に脱出する事を試みる作戦である。彼女達が脱出出来れば、原子炉が停止し、潜水艦は浮上せざるを得なくなる。エンジンの停止は酸素の供給も止めるからである。その後は、C国による先制攻撃を仕掛けても良いし、チーム八角龍が乗りこんで制圧しても良い。先ほどの会談の様子からみると、中央軍事委員会副主席は先制攻撃で撃沈させたいようだ。C国を侮辱する行為は許さない態度だった。報復など微塵も怖がっていない様子だった。報復するのなら、すれば良い。それだけC国の軍の能力を世界に見せつける事が出来ると言っていた。中央軍事委員会副主席はこの機会を得て、自分達の力を全世界に見せつけたい意図を孕んでいる様である。最後は、国家主席に任せようとアースは考えている。国家主席も国の政治で色々と苦労も有るであろう。少しでも国家主席にとって有利になるのであれば、今回の事件を利用する事も良いのでは無いかと考えている。上手く行けば国家主席に恩を売る事が出来る。今後、C国との関係が良くなるのであれば、これも一計である。アースは事の先を常に考えている。これも能力の内なのであろう。チームのメンバーはアースが八角龍のリーダーであった事を喜んでいる。絶対に敵に回したくない存在である。
「では、サターンさんに言って、潜水艦内部の監視モニターを接続してもらいましょう。科学部門のヴィーナスさんが現場に行っていますので、現在の科学部門はサターンさんに代理として行動してもらいます。サターンさん、準備が整えば連絡を下さい。その後、確認が出来ましたら、首相官邸とC国の中央軍事委員会にも映像を共有してもらいましょう。よろしいですか?」
サターンは、不承不承とパソコンを睨めつけながら、首肯した。自分は医療部門の長であるのに、厄介な仕事を依頼されている。後で敵が捕虜となれば何人かを自分に分けてもらえないか交渉しようと考えだした。最近では実験用のサンプルの入手が非常に困難になってきている。この機会に、実験材料を入手したいのだ。タダでこのような面倒な事はしたくない。能力外の仕事である。そのような事を考えながら、監視モニターを接続するソフトを立ち上げた。IPアドレスを入力しソフトに認識させた。後は潜水艦内の監視モニターに電源が入りIPアドレスが振られればモニターに映る。音声も同時に入ってくるはずだ。そろそろ時間的に接続してくる頃だ。そのように考えていると以心伝心か、モニターにヴィーナスの顔が映し出された。てっきりマーキュリーが最初に連絡してくると思っていたが。
暗号名を間違わないようにしなければならない。もし、間違っていつもの呼び名を言えば大変だ。ヴィーナスは「ヴィン」だ。マーキュリーは「マック」だ。
「ヴィン、応答願います。映像は入っているが、音声の確認をしたい。」
モニターの向こうで、口を尖らせながら操作しているのが分かる。ヴィーナスの癖である。彼女は、集中しだすと口を尖らせてブツブツと何かを言う癖がある。正に、今その状況だ。集中しているので黙って待った。
「CQ!CQ!応答願います。こちらコバンザメ。現在、マンタの腹の中に居ます、どうぞ。」
ようやく双方向で通信が可能になった。ヴィーナスの声である。
「やぁ~!こちら、シーワールド。無事でしたか?心配していたのですよ。」
サターンがぎこちないやり取りで対応している。
「どや!聞こえまっか?さっきの声は、「サタデイ」やね。準備OKやで。これからは、この回線で応答しますわ。この部屋は、コンテナが積まれた部屋なんやけど。さっきまで、ものすごう大変やってんけど、とりあえずマックも無事やわ。この部屋に定点型カメラを設置しとくわ。ほんで、あたいの胸のボタンに二つ目のカメラを仕込んどくわ。この二つで監視して!エエか?」
「了解!了解!このカメラの映像は、C国と首相とも共有します。その点、気を付けて下さい。」
「了解や!変な事だけ、言わんようにしとくわ。」
「では、監視モニター始動します。録画も開始します。」
「ラジャー!」
その後、ヴィーナスは他所行きの声で通信を再開した。
「現在、暖炉の火を消して冷まそうとしています。アプリはマックに買ってもらいます。」
サターンから返事が届いた。
「もう少し、買い物を続けて下さい。こちらも、現在大家さんを探しているところです。来月分の家賃を交渉しようとしています。家賃を譲歩してくれれば、また連絡します。」
通信を終わらせようとされたので、ヴィーナスは急いで聞きたい事を言った。
「ところで、「ギドラ」と言う名前、聞いた事がありまっか?マンタの足鰭がそう言うてましてん」
「『ギドラ』ですか。初耳ですね。」
マイクに会話が入らないように手で塞ぎ、横に居た看護師:レアに聞いた。レアは組織のメンバーだが、事件の事は何も知らない。とりあえず、ヴィーナスを安心させる為に、他のメンバーにも聞いている様に繕ったのだ。
「他のメンバーにも聞きましたが、知らないそうです。サンも知らないと言っていました。何ですか?」
サターンは嘘をついた。
「原潜のメンバーの組織名のようやわ。そこのボスの事を崇拝しているみたいや。リーダーが制御室に居んねんけど、誰も入られへん状態なんや。単独で行動しているようなんや。」
「分かりました。こちらでも調べてみます。ところでマックはどうしています?マー君が心配しているので。」
「心配いらんって言うといて。ミポリンになって、カマキリちゃんにも成ったで。お陰で助かったけどな。カマちゃんの姿、見せたかったわ。」
すると、どこから入って来たのか、マーズがマイクを横取りし強く握りしめながら話した。
「ちょっと!『ミポリン』って何よ!もしかして、二番目の『みおリン』の事?」
「せや、二番目の『みおリン』や。また、帰ってから話したるわ。とりあえず終了や!」
強制的に通信を切られたマーズは、不安げな顔でブツブツと独り言を言いながら通信室を後にした。30歳は歳とったような風貌だった。余程、マーキュリーの事が心配なのであろう。マーズに声をかけようとしたところ、スピーカーから大きな声が飛び出してきた。ヴィーナスの声だった。
「よっしゃ~!頑張るで!もう一回、マックのところへ行って、作戦の練り直しや。一気に大掃除や!」
サターンは何事かと驚愕したが、ヴィーナスの気合いだったと確認すると、早々に立ち去った。早くアースやサンに現状を伝えなければならないのだ。映像を共有し、安全である事、原子炉の停止プログラムを現在開発中である事などを伝えなければならない。観客が誰も居ない部屋で、ヴィーナスの輝く目だけが、キラキラとしてモニターに映し出されていた。
11.
カメラの映像がC国の国家主席室と日本の首相官邸でも共有できるようになった。ヴィーナスの服に隠されたカメラで、船内の状況が映し出されているのである。一時間ほどは、何事もなくドキュメンタリー映画でも観ているようだった。実はヴィーナスはマンティスの正体を隠すために、カメラ付きの服を格納室に掛けたままにしていたのだ。緊張が解け、各部署で雑談などが垣間見られるようになった。だが突然、映像が途切れたのだ。ヴィーナスが、操舵室に行く前にもう一度カメラ付き衣服を身に纏ったのだった。乱暴に来たので、衝撃で一時回線エラーが起きたのだ。映像を見守っているサターンは、こちらの接続エラーでは無い事を確認し、普及するのを待った。その時、映像が回復すると同時に、事件が起きたのだ。マーキュリーとヴィーナスが相手の幹部クラスの戦士に捕まり、今まさに格闘の真っ最中だったのである。映像が映し出されている八角龍の会議室では、皆がモニターを凝視した。モニターの中では、マンティスと変貌したマーキュリーと彼女らがイカ人間と呼んでいる輩との戦闘シーンが写っている。皆は口をあんぐりと開けた状態のまま凝視した。特に政府高官たちは、C国側にこの映像を見せても良いのか不安で右往左往していた。その時、ユーラナスがボソッと口走ったのだ。
「この二人、出来るぞ!特にこの痩せている方!お二人さんは、「イカ人間」と呼んでバカにしていたが、奴の棒術は半端ない技術だ。それに棒の先に付いているレーザー光をビーム状にして三角錐を作っている。これだと、殆どの物を焼き切る事が出来る。見事な武器だ。マーキュリーがマンティスに変わっても、奴には勝てないかもしれない。」
この言葉に、皆が閉口した。戦いのプロであるユーラナスが、敵の事をこのように言ったのは初めてだった。それほど、奴の技術は確かなのか。その言葉に不安気な皆の心を察して、アースはユーラナスに質問した。
「では、どうすれば良いのですか?この二人ではこの敵には勝てないと。」
「フム。勝てないな。ゴリラだけならチャンスはあるかもしれないが、イカ人間は無理だろう。こいつは異常だ。これだけの技術があれば、精神さえまともなら良い武術家になれるのに。多分精神が壊れているのだろう。その異常さが、さらに奴を強くしている。」
「それなら」
アースが口を挟もうとしているのを、手で制してジュピターが言った。
「だから、俺達がいるのだ。さあ、出発の準備をしよう。彼女たちなら何か策を講じているはずだ。それを信じよう。俺たちは、あの原潜に乗りこむ準備をしなければならない。事が起きた時に、直ぐに行動できるようにな。そして、彼女らの痛みを奴らに全て返してやる。俺とユーラナスを怒らした罰だ。俺達のメンバーに痛い目を合わせたのなら、その百倍の痛みを与えてやる。決して殺さずにな。」
この言葉には寒気を覚えた。鳥肌が今も立ったままでいる。ユーラナスとジュピターが久々に熱くなっている。特に冷静なジュピターにオーラが纏っている。相当、熱いのだろう。人熱で部屋の温度が上がっているのではない。ジュピターとユーラナスの体温と情熱で室温が上がっているのだ。この様を見て、アースが皆に指示を出した。
「では、皆さん!準備して下さい。ヴィーナスとマーキュリーを救出しに行きます。サターンさんはもしもの場合を考えて、救護班を結成して下さい。何処でもオペが出来る準備をして下さい。マーズはマーキュリーの人格の制御とケアをお願いします。では、出発しましょう。私は、首相官邸とC国の国家主席の方々と最後の会談をしてきます。私の合図で行動して下さい、良いですね。」
「了解だ!アースを信じている。我々は一蓮托生の身だ。必ず救出する!」
ジュピターが皆の気持ちを代弁した。士気は高まっている。このエネルギーを感じながら、アースは颯爽と部屋を後にした。急いで次の準備をしなければならない。時間が迫ってきている。失敗すると、チームの命に関わる事となる。
こうして、チームは最後の賭けに出るため、一致団結の音頭を取ろうとした。その時だった。ユーラナスが大声で、皆に言った。
「マーキュリーがやられた!マンティスになっていたのに、手も足も出なかった。唯一、相手の左目に負傷を負わせたのが関の山だ。」
この言葉で、皆がモニター画面に集まった。ヴィーナスの位置が悪く、中の様子が把握できない。だが画面の隅で、マーキュリーがイカ人間に拷問に近い扱いを受けている様子が見えた。全員が自分の目を疑った。マンティスに変貌しているマーキュリーが拷問に遭っているのだ。
「アース!急がなければならない!マーキュリーが危ない!その内、ヴィーナスも同じ目に遭うぞ!」
「アースさんは居ないのよ!先程ヘリで、首相官邸に行ったのよ。そこでリモートを使って、C国の国家主席と話し会うと言っていたわ。合図があるまで攻撃しないでくれと頼むらしいのよ。でもマーキュリーとヴィーナスさんが異常事態になっている事は知らないと思いますよ。サターンさん!悪いですが直ぐに首相官邸へ行って下さい。アースさんにこの事を早く報告しなければならないわ。ヘリにも連絡を入れたのですが繋がらないの。携帯も無理だったわ。急いで頂戴!」
マーズが焦っている。大きな身体が畝っている。左右に動かす度に脂肪が畝るのだ。流石のサターンも事の重大さに動きが活発になった。普段は優雅な動きしかしないのだが、キビキビした動きもやれば出来るのだ。
その後、サターンは本部の車を一人で運転し、高速に乗った。ナビには「首相官邸」と登録されている。案内開始を行った。ついでに自分の携帯電話をナビに認識させ、ブルートゥース機能を立ち上げフリーハンドでの通話を行った。通信先は首相官邸である。今から30分ほどで着く事と、首相と一緒に居る人々をそのままの状態で待機させておくように要望した。事態は一刻をも無駄に出来ない状態である事も伝えた。電話に出た秘書らしき女性の声が、余りにも冷静な対応だったので些か苛立ちを覚えた。冷静でクールな風貌を気にしている自分が、同じような態度に苛立ちを覚えている。サターンは自嘲しながら笑った。
「俺も変わったな。連中に感化されたかな。」と。それほどメンバーを信頼し始めたのである。最近はこのメンバーたちと一緒にいると、仄かな安堵感を覚える。非常に暖かい、気持ちの良いものだった。それが、サターンの楽しみにもなっているのだ。
首都高速を降り、首相官邸に近づいた。慌てて正門を潜り、官邸の会議室に辿り着いた。扉を開けた瞬間、大型モニターに映ったC国の国家主席の顔が目に入った。アースが何やら真剣に話していたのだが、サターンの顔を見るなり、人差し指を唇の前で立てて制止した。サターンが聞き耳を立てると、とんでもない話が耳に入って来た。
「後少しで、メンバーの救出を完了します。その際、オレンジの発煙筒を焚きます。それが合図です。それまでは、軍部を押さえておいて下さい。もし、発砲する事になれば大惨事になります。アメリカからは情報を漏らさないようにと言われていますが、現在、沖縄県内にあるアメリカの基地には、空母や潜水艦、イージス艦など太平洋艦隊が終結しております。戦闘機がスクランブル発進できる体制が整っています。失敗しますと本当に、第三次世界大戦が始まってしまいます。それだけは避けたい。我々も、アメリカにはお願いしているのですが、相手がC国と言う事で緊迫状態になっています。一発でも打てば、戦争状態になります。ですから、合図を待って下さい。合図がありましたら発砲して戴いて結構です。アメリカには、C国の内政での問題である為、日本側からの救難信号が発せられない間は手を出さないように伝えております。C国の内政に日本の諜報員が巻き込まれたと伝えています。C国に主導権がある事も伝えています。後は国家主席に一任します。我々を信じて戴いた主席を、我々も信じます。お願いします。」
アースは、通訳に熱く語りかけた。その情熱が伝わったのか、通訳の者も主席に熱く語りかけた。主席は深く耳を傾け瞑目した。アースが話し終わったと同時に、目をカッと開け椅子から立ち上がった。
「分かりました。日本国民の皆さま。私を信じて戴いて有難うございます。私も、皆さまに答える事が出来るように、権力を行使し致します。このような権力ならいくらでも行使します。絶対に平和を崩しません。我が国と日本とが良い方向になるように、私が責任を持って行動します。任せて下さい。」
「よろしくお願いします。」
最後に首相と防衛大臣、アースが頭を下げていた。サターンもその場で頭を垂れた。深く頭を下げ、そして祈った。アースの気持ちが現実化しますようにと。その様を見守っていたアースが、サターンに話しかけてきた。
「すみませんでした。少し取りこんでいましたので。それで、何かありましたか?」
「そうだ、船内で急展開が起こった。マーキュリー達が捕まった。今、拷問を受けている。早く手を打たないと、命に関わる。」
サターンのぎこちない話し方にはまだ慣れていないが、内容は理解出来た。大変である。マーキュリーとヴィーナスの安全を約束したのに、大変な展開になっている様である。すぐさま、何か手を打たないといけない。
「そこで、ユーラナスやジュピター、サンは今どこに居ますか?」
「チームはもう原潜の近くに行っている。自衛隊の協力を得て、護衛艦で原潜の後を追っている。もうすぐ、到着するだろう。
「流石ですね。サンの命令ですか?」
「イヤ、チーム全員が同じ意見で行動した。」
「やはりこのチームは違いますね。指揮系統としては少し問題がありますが、皆さんが同じ意見であると言う事が凄いですね。メンバーは全員で守る。一蓮托生!これ程結束力のあるチームは無いでしょう!では、私達も直ぐに現場に向かいましょう。高速ヘリコプターを用意してもらいました。直ぐにでも飛び立つ事が出来ます。」
「分かった。それなら同行しよう。」
首相はそのまま官邸に残って戴き、防衛大臣と三人でヘリに乗り込んだ。尖閣諸島排他的水域へ直行である。海上には自衛隊のイージス艦がヘリポートを用意してくれている。小1時間ほどで、目的地に近付いた。前面からは、壮大な光景が目に飛び込んできた。大海原に自衛隊の現有イージス艦が6隻(こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい、あたご、あしがら)編隊を組んでいるのだ。そして、「そうりゅう」や「おやしお」などの潜水艦も10隻続いている。他にも護衛艦が数隻編隊に加わっていた。日本国海上自衛隊の存亡を賭けたような光景である。日本国民なら誰もが誇らしくそして安堵感を得られる光景である。反対側に目をやると、そこにはC国側の海軍と海警局の編隊も凄い事になっていた。就航していない空母も姿を現し、フリゲート艦や駆逐艦、潜水艦などが軍事パレード並みに編隊を組んでいる。状況を知らない人間が見ると、本当に戦争が始まるのではないかと誤解を招きそうな光景である。そしてその中心に、問題の原子力潜水艦が深海で潜んでいるのである。二人の人質をとったまま。防衛大臣を含む三人は、日本国側の編隊の一番先頭に位置しているイージス艦「こんごう」に降り立った。その艦からC国の国家主席とも会話が出来るように手配してもらった。後は、無事にヴィーナスとマーキュリーを救出するだけだ。だが、アースだけもう一度ヘリに乗り換え、就航前のイージス艦「まや」に移ったのだ。「まや」は編隊の一番後ろに位置している。アースの秘策を実現させるには古いタイプの艦では無理があるらしい。自衛隊も未発表のイージス艦を出航させたのだ。前代見物の事件である。この最新鋭の艦を利用してアースは何をしようとしているのか。知るのはアースのみであった。
12.
ヴィーナスの目の前で、血だらけになっているマーキュリーが首を垂れて座っている。普段は、肌が白く瑞々しい。髪にも艶があり、妖艶な姿をしている。ヴィーナスは何時もマーキュリーの容姿に嫉妬していた。いつかは自分もマーキュリーのように美しい女性になりたいと。
だが、今、目の前に居る女性は血だらけで傷だらけである。髪は乱れ、よだれを垂らしている。全身から死の臭いがしそうなほど、痛めつけられている。まるで人形のように動かない。首から上はだらりと精気が無く垂れており、身体を縛られているのでようやく座っているような状態である。そのような彼女を目の前にしながら自分は何も出来ないのだ。見守る事しか出来ない。さらに、ゴリラのような筋肉の塊の大男が、自分の手を縛っている。先程まで、マーキュリーの身体を執拗に傷つけている変態男は、完全に気が狂っているようだ。何とかしてこの状況を変えなければいけない。ヴィーナスは、必死に考えた。原子炉を止めるにしろ、マーキュリーから預かったスマホを起動させなければならない。起動方法も、どうすれば良いのかの説明も受けていない。自分の頭をフル回転させて考えた。だがこの場を脱却できる良い案は何一つ浮かばなかった。
その時である。船内の明かりが不安定になり、点滅を繰り返した後やがて停電した。闇夜が一瞬だけ艦内を支配し、その後、非常灯に切り替わった。オレンジ色の世界になった。警報音が様々な所から鳴り響きだした。今まで気が狂ったように踊りながらマーキュリーを切り刻んでいたイカ人間が、正気に戻った。
「なんだ、この警報は!おい、ラドン様に連絡しろ。どうなっているのか確認しろ。」
ゴリラはイカ人間の命令で、掴んでいたヴィーナスの手を放し、無線機を腰から取りだした。何やらやり取りがあったようだが、ゴリラは直ぐにイカ人間を連れて、部屋を出て行った。人質に取られると思っていたのだが、あっさりと解放されたのだ。一体、何があったのだろうか?詳細は分からないままだが、とりあえず自由になった。ヴィーナスは自由になった手で、足や身体を縛られていたロープを解き、マーキュリーに駆け寄った。
「マック!大丈夫!生きている?私の声が聞こえる?」
ヴィーナスは泣きそうだった。普段はそれほど親しく連れ立ってはいない。彼女は何時もマーズと一緒だからだ。傍目から見ていても、仲の良い姉妹のようである。そのような関係にも少し嫉妬していた。自分には、そこまで気遣ってくれる友達はいない。また、女としても嫉妬していた。彼女のような魅力のある女に早くなりたかったのだ。頭は自分の方が良いし、器量も自分の方が上だ。だが、彼女は幸せそうだ。男を手玉に取れるほどの美しさと妖艶さがある。そのせいもあって少し距離を空けていた。今回も事務的に、任務をこなせばそれで終わりだと思っていた。だが、予想は覆され、マーキュリーが瀕死の状態になっているのだ。自分が画策したのが原因でもある。彼女の三つの人格を利用したのだ。その結果、彼女の命を犠牲にする危険な任務になってしまった。自分が許せなかった。何故、もっと冷静に判断できなかったのか。少し甘く考えていたのではないか。マーキュリーの殺人鬼の顔を上手く利用すれば、全て上手く行くと鷹を括っていた。それが大きな失敗である。何時もなら第二案や第三案まで考えて行動するのに、今回は余りにもストレートな画策だけで行動に移ってしまった。そしてこの失敗である。どうしても、自分が許せなかった。マーキュリーは青息吐息である。ヴィーナスは泣きながら、マーキュリーの血だらけの手を取り、絞り出すように声を出した。
「ごめんな!かんにんやで!マック!あたいがしょうもない嫉妬を持ったばかりに、こんなんになってしもうた!かんにんな!あたいの命に替えても、あんたをここから出したるさかい!心配せんでエエで!」
ヴィーナスの涙は止まらなかった。次から次へと、目や鼻から涙があふれ出した。せめて、マーキュリーと一緒に外へ出る事が、今の自分の役目だと思った。マーキュリーの身体を縛っているロープを小さな手で一つずつ解き、自分の背中に背負った。子供が大人を背負っているようだ。だが、ヴィーナスは負けなかった。グッと腰と足に力を入れ、部屋を出た。狭い通路を一歩ずつ前へ進み、出口に向かった。
ヴィーナスはマーキュリーに絵本を読むように、自分の幼少期の話をした。
「アタイはなぁ、母親から余り愛されへんやったんや。発育が遅いと医師に告げられてな、近所の手前、連れだって外を歩いて貰えへんやったんや。物心がつくまで、どうして手をつないでくれへんのか分かれへんかった。他の友達はどんどん大きなっていくのに、自分はいつまでも幼児体型のままやった。小学校三年のへんから自分の成長が遅い事と母親の愛情の薄さに気付いてな、ストレスのはけ口を勉強につぎ込んだんや。何でか分からへんけど。成績が良うなると、虐められへんし、皆からも良う認めてもらえるしな。身体の発育が遅うても、勉強が出来ると皆から尊敬される。せやから寝る間も惜しんで勉強に時間を費やしたんや。化学や物理の実験は楽しかったわ。小学低学年で日の出の研究をして、初めて地動説を知ったわ。それで感動してな。コペルニクスさんの名前も初めて知ったわ。ほんで唯一、母親があたいに与えてくれたおもちゃが化学実験用器具やったんや。どんどん科学にのめり込んで、あたいの部屋は、いつの間にか小さなラボになってたわ。せやけど、友達はおれへんやったな。小学校高学年から中学校にかけて、何時までも幼児体型であるあたいに対して気味悪がられるようになってな。高校に入学した時も、見た目は小学生の低学年程度やった。乳房が発育しだし、初潮を迎えたのは29歳を過ぎてからやったわ。その頃には、母親はいなくなってたな。父親の顔は生まれてこの方、見た事もあれへんし。母親に言わせると、父親はおれへんで、自然と生まれたと言うとったわ。アホか!嘘やと分かってたんやけど、年齢と共に事の真相を知りとうなってきたんやけど手掛かりはなかったんや。」
誰に打ち明ける訳でも無く、独り言のように話したのだった。そして、気合を入れ直した。
「絶対に皆が助けに来てくれるはずや。それまで、がんばりや!あたいがついてるからな!」
すると、背中の方で「ククク」と笑う声が微かに聞こえた。
「あなたの背中は居心地が悪いわね。」
「マーキュリー!生きとったんや!大丈夫か!」
「私は死なないわ!死ぬ時は、あのイカ人間も道連れよ!」
「ハハハ、よう言うた!せや、あんな変態、いてまえ!」
「でも、ヴィーナスも苦労したのだね。私も大変だったけれど、良く一人で頑張って来たね。」
ヴィーナスは返す言葉が無かった。一瞬、沈黙が続いたが、何事も無かったかのようにマーキュリーが話を続けた。
「あっ!そうだ!原子炉が止まったようね。私のプログラムが正常に動いたようね。」
「エッ?あんた、あの状況でどうやってプログラムを起動させたんや?」
「起動なんかしてないわ。原子炉のパソコンに私のスマホのブルートゥースの電波が届かなくなってから30分以内にもう一度、スマホを近づけるか、んーっと、つまりブルートゥースの電波を届かすか、キーボードでストップコマンドを入力するかしないと原子炉が止まるようにセッティングしたのよ。何が起こるか分からないから、保険をかけたわけ。」
「あんたは天才や!ほんまにあんたって子は!うち、あんたが大好きになったわ!」
「痛い!痛い!そんなにきつく締めつけないで、身体のそこら中に傷があるのよ。」
「ごめんな!ごめん!かんにんやで!せやった、せやった!つい嬉しゅーなって。」
背負っているマーキュリーの重さが軽く感じるようになった。背中で息づかいを感じる。本当に生きているのだ。また背中の中心部分が熱くなってきた。アドレナリンが副腎皮質から分泌されているのだ!活力が湧いてきた。
「もうすぐ、酸素も切れるわ。エンジンも止まり、電気も点かなくなる。その前に海上に浮上しないと全員窒息死よ。この原潜の蓄電池は古いからね。そんなに長くは持たないはずよ。だから必ず浮上する。私達はコンテナの部屋に戻って、逃げる用意をしましょう。酸素ボンベとスーツに着替えましょう。私は傷が痛くてスーツは切れないわ。ヴィーナスだけ来て。私は酸素ボンベだけで充分。」
「あかん。傷に海水は沁みるで!ほんま、因幡の白ウサギみたいになるで!あたいが着したるから安心し!コンテナから救急箱も出して、ある程度の手当てもせなあかんし。このままやったら失血死するからな。輸血は出来ひんから、電解質を点滴しよ!何かの本で読んだんや。失血の場合4リットルまでやったら電解質の点滴だけでも充分やと書いてあったと思うんや。ちょうど、点滴セットの中にソリタか何かの輸液があったと思うんや。悪いけど急速で入れさせてもらうで!」
「お願いします。少しでも楽になれば歩けると思うから。それから直ぐに脱出しましょう!」
「よっしゃ!点滴なんか何十年もした事ないから忘れたわ!大丈夫やろか?まっ、自転車と同じや!身体が覚えとるやろ。」
「えっ!ヴィーナスは点滴もした経験があるの?何をしていたの?」
「イヤイヤ、実験でや。昔、研究班に居た時に、治験の研究もしとったんや。その時に人出が足らんかったから、あたいが採血やら注射もしとったんや。医療法もへったくれもあれへんやったからな。」
「でも、今日は助かるわ。お願いします。」
ヴィーナスはマーキュリーの声が聞けただけで幸せだった。彼女を絶対に地上に連れていく。こんな狭い窮屈な所では死なせない。そうなれば一生、自分を許せなくなるからだ。必死になって彼女をコンテナのある部屋にまで背負っていった。重くて息が切れるが弱音は吐けない。彼女を生還させる事が、今の自分の使命なのだ。その後、15分ほどで500ccの点滴を急速で終わらせた。失血の量が見た目ほど多くなかったのか、マーキュリーの顔に血の気が戻って来た。傷口にガーゼを張り、応急処置をした。だが、あのイカ人間もまんざら気がふれていた訳でも無かったようだ。考えて傷を与えている。致命傷にはならず、痛みだけを与えるやり方を施している。その為に大事に至らなかったのだ。少し元気になりだしたマーキュリーにウェットスーツを着せた。痛みを堪える為に、口を歪ませながら息を吸った。
「よっしゃ!これで準備OKや!後は手筈通り、魚雷発射管に行ってそこから脱出しよう。多分、上には仲間が救助に来ている筈や!マーキュリー行けるか?」
「大丈夫よ。行きましょう!」
こうして、二人は潜水艦の前部に備え付けられている魚雷発射管の部屋に移動した。当然、マーキュリーの行動は鈍い。だが、ヴィーナスはマーキュリーの身体を眺めているだけで幸せだった。ゆっくりだが一歩ずつ、確実に前へ進んだ。マーキュリーは腱をも切られているので、殆どを背負って移動した。ようやく着いた魚雷発射管の前で一息ついた。その後、発射管の中の魚雷を取り出した。自動で魚雷の装填が出来るようになっている。その装置を反転させて魚雷を外した。セキュリティも掛かっておらず、案外簡単に操作出来たのだった。ボンベやシースクーター、密閉したパソコンの入ったリュックを発射管に入れ、マーキュリーを押し込んだ。傷だらけで弱っているマーキュリーを狭い発射管の中に入れるのは苦労した。ヴィーナスは、未だに高校生ほどの身体である。重労働には耐えられない。精神力だけで耐えた。全ての作業を終えると、最後にヴィーナスが何やら操作を行い、急ぎ足で発射管に入って来た。
「ほんなら、扉を閉めるで!今から海水が充満するから、酸素ボンベを口に当てて準備してや。それから、扉が空いたら水圧がかかってくるから注意しいや。特にあんたの傷には、ちょっと痛いかもしれんけどな。我慢や!頑張りや!あたいが付いているから大丈夫や!ほんなら、行くで!」
そう言うや否や、海水が満たされだした。冷たい海水が肌を刺激する。スーツを着ていても、冷たさは堪える。海水が充満すると同時に、発射管の扉が開いた。二人は外へ出た。やはり潜水艦は浮上している。海上まで10メートル程の深さか。二人は泳ぎながら足鰭を付け、リュックとボンベを担いだ。ゆっくりとシースクーターにアシストしてもらいながら浮上した。潜望鏡が伸び出すのを横目で確認しながらの浮上である。
すると下からクジラのような大きさの物体が急浮上してきたのだ。このままだと潜水艦にぶつかる。急いで横に逃げよとした時に、大きな網のようなもので掬われた。一瞬、何が起こったのか分からず戸惑ったが、そのまま気が遠くなった。
気が付くと船上にいた。目の前には懐かしいユーラナスの顔があったのだ。
「やあ、大丈夫だったか?もう安心だ!俺さまが二人を見つけ、網で救助したのだ。見ろ、潜水艦は向こうに居る。急浮上して、C国と日本の艦隊と対峙している状態だ。無線で、呼び出しているが反応がない。アースの命令で、攻撃合図のオレンジの煙を焚こうと思っている。ヴィーナスに聞きたい。あの潜水艦を攻撃しても大丈夫だな?」
話しの途中から、ようやく意識がはっきりしだした。アースの交渉が上手くいったのだ。それでC国と日本の艦隊が潜水艦の周りを取り囲んでいるのだ。日本は、排他的水域の内側に居る。排他的水域にはC国のフリゲート艦や駆逐艦が戦闘準備に入っている。10キロほど離れた所にはC国の空母も待機しているらしい。
「あっ、大丈夫!あたい達が潜水艦の原子炉を止めたんや。もうすぐ動かんようになると思うわ。」
その話が終わらない間に、緊急事態が起きた。ユーラナスの無線に緊急報告が入ったのだ。
「直ぐにその場を離れて下さい。敵の潜水艦から魚雷が二発発射されました。ユーラナスさんの船と、その後ろに待機している日本の護衛艦に照準をセットしています。早く逃げて下さい。」
あわてて、ユーラナスは船長に命令を出した。横に逃げるように命令した。だが、船長からは間に合わないと言う答えが返って来た。
「くそっ!折角助けたのに、魚雷の餌食になるのか!二人とも俺と一緒に来い!救命ボートで逃げるぞ!」
もう一度酸素ボンベを担ぎ三人が救命ボートに乗り込んだ。ユーラナスがマーキュリーと酸素ボンベを担いだ。流石に体力が違う。軽々と身をこなしていた。ボートを緊急降下させ、海上に降ろした。船長の判断で、船上の乗組員にも避難命令が出された。
「緊急事態!緊急事態!全員退避!直ぐに本船から退避せよ。本船は後3分ほどで敵の魚雷の標的になる。急いで退避せよ!」
けたたましい警報が船内を駆け巡った。だが逃げる船員は殆どいない。船長を筆頭に、皆が船と共に生死を共にするらしい。戦時中なら理解できるがこの平和な日本で、船と生死を共にするとはフィクションの世界だけだと思っていた。ユーラナスは、現代の日本人の感覚が分からないでいる。中にはユーラナスに救助用の浮輪とゴムボートを渡そうと必死になっている者もいる。
「そんな事をしている暇は無いぞ!直ぐにそのボートで逃げろ!魚雷でやられるぞ!」
船員の神経が理解できなかった。
その時、ユーラナスの後ろで船の汽笛が鳴った。振り向くとC国籍の駆逐艦が我々を守るように壁になってくれるのだ。どうやら魚雷に自分達の船で体当たりをしようとしている。
「どう言うことだ。C国籍の駆逐艦が、我々の盾になってくれているぞ。」
数秒後、魚雷が見事にC国駆逐艦の右舷前方で炸裂した。続いて二発目の魚雷も右舷後方で爆発した。船の長さを最大限に利用して防いでくれたのだ。船の後方ではかなりの部分で抉れた状態になっている。二発目の魚雷が致命傷を与えたようだ。そこから浸水し始め、船は後ろに傾きだした。見ていた日本国の護衛艦がスピードを上げ、C国駆逐艦の乗組員救助に乗り出した。船内から沢山の浮輪やゴムボートを投げ、中には海に飛び込んで救助をしている乗員もいた。
ユーラナスは自分が恥ずかしいと思った。今までの戦場では自分の身は自分で守る事が常識だった。誰も助けてくれないし、誰も信じる事は出来ない。だからまずは自分の身の安全を考える。安全を確保できた上で、他の救出を考えるのが常套だった。だが、今回の戦闘ではお互いを信じあい、助け合っている。自分達を犠牲にしてまで相手を助けようとしている。言葉も文化も違う国なのにだ。世界は変わろうとしているのか。「未曾有の出来事が人間の進化を促すのだ。」
誰かの諺で聞いたような覚えがある。ユーラナスはふと、そのような事を考えながら、久々に爽快な気持ちになっていた。
13.
C国駆逐艦が魚雷で爆撃される数時間前、アースは沖縄宮古島分屯基地より出航した船に、ヘリで乗船した。その船、イージス艦は2020年に就役する「まや」と言う新悦のタイプである。これには「AWS(AEGIS Weapon System):イージス武器システム」と言う対空戦闘重視の艦載武器システムであり艦全体をカヴァーする防空能力を持つシステムである。これは、レーダーとセンサー、制御装置、武器の三大要素で構成されている。「SPY-1:多機能レーダー」は、飛来するミサイルなどを探知する中核装置である。多角形の巨大なレーダーで長距離・広範囲を探ることが出来る。そして制御装置は高性能コンピューターで攻撃相手の脅威度を自動判定し、射撃(迎撃・反撃を含む)を自動制御で短時間に実行する事が出来る。武器は「スタンダード対空ミサイル(SM-2.SM-3)」などである。システムには弾道ミサイル防衛能力(BMD)も加えられている。まだ就航はしていないのだが、今回の事件がこのイージス艦の性能を測るチャンスでもあるので急遽出航したのだ。またアースの強い要望で、この指令室の隣に自分専用の部屋を用意し、様々な機器を搬入させたのである。その部屋にはまるでゲームセンターにあるアーケード型ゲーム機に似た装置が備え付けられていた。出航前に数人の自衛官がその装置の説明を聞いたが、曖昧な答えしか返ってこなかった。
だが、今、目の前で起こっている事件を見ることなく、アースはアーケード型ゲーム機の前に座った。電源を入れるなり、モニターにはとんでもない光景が映ったのだ。
何と、ジュピターとユーラナスの背中が見え、回転させると彼らの後方が映し出されたのだ。
アースは、ようやく口を開いて説明を行った。
「この装置は、ジュピターとユーラナスの背中に背負わせているロボットの制御装置です。彼らの背中には、ここで私が遠隔操作出来る腕が付いています。その腕には70口径機関銃が二挺持たせてあります。そして360度三次元的に自由に動かすことが出来るカメラが備え付けてあります。つまり私が彼らの後方を守るわけです。ゲームの「TPS:プレーヤーの後方から客観視点で操作するゲーム」と同じ理屈です。私は右手でジュピターを、左手でユーラナスの後方を守ります。そして、VRを目に装着して現場に居る環境に近づけます。その為には最新鋭のコンピューターシステムと通信手段が必要なのです。無理を言って就航前のこの艦を用意してもらいました。我がチームの天才、ヴィーナスの作品です。では、今からお見せしましょう!準備は良いですか?」
と、話すのが終わる前に、ユーラナスとジュピターは問題の原子力潜水艦の上に降り立ったのだ。ヘリに2人を乗せ、パラシュートで潜水艦めがけて降下したのであった。アースは二人の後方に焦点を当てた。そこには潜水艦の後方と真っ青の海。そして遠方に見える日本の海上自衛隊の艦隊の姿が陽炎の中に浮かび上がっていた。青い空と青い海。このような事件がなければ、最高のシチュエーションだが、今はそれどころではない。緊張の真っただ中で、ジュピターが潜水艦の搭乗口ハッチに近づいていた。すると突然ハッチが開き、中から黒服の戦闘員がこちらめがけて銃を乱射してきたのだ。隠れるところはない。潜水艦に橋渡しをするようにロープで繋がれた二人がバランスをとって中吊りになった。二人の阿吽の呼吸を見て欲しいと思う程のバランス感覚だ。だが良く見ると、背中に担いでいるロボットアームの手が船体を引っ掻いて身体を支えてくれているのだ。このロボットアームの凄さが今更だが理解出来た。本当にヴィーナスは天才である。戦場に出た経験は無いはずなのに、戦場を知り尽くしている。もしもの場合に備えて、このロボットアームは役に立つ。そのような事を考えながら上を見た。そろそろ船体の陰から間抜けな戦闘員達の顔が見えるはずである。多分、視界からいなくなった二人を、戦闘員達は海に落ちたように見えたはずである。確認のために覗き込んできた時が、あの世行きの発車時間だ。待つ事30秒ほどで、案の定、間抜けな顔が船体の陰から見えた。二人は同時に機関銃を連射した。潜水艦の上から覗き込んだ戦闘員達の眼下から、機関銃の唸る音が鳴った。数秒で、彼らの頭は見る影もなく吹き飛んだ。残された胴体だけがゆっくりと海の中に落ちていったのだ。
「まだ次から次へと出てくるぞ。ゴキブリみたいな奴らだな!奴らは俺が始末する。ユーラナスは、後ろにある核弾頭ミサイルの発射口を開かないように溶接しろ。お前は、アースが守ってくれる。アース!いいな!」
ジュピターが楽しそうに大きな声で話していた。無線なので、大きな声を出さなくても聞こえる。それだけ興奮しているのだろう。彼らは最近、ストレスのたまる事件ばかりであった。自分達の出番が全くなかったのだ。今回は違う。自分達が先頭に立って制圧するのである。これほどまでに戦う事が楽しく感じた事は無かった。何時も虚しさが最後に心を苦しめたのだが、今回は正義の為の戦いである。自分達の仲間を救出し、世界の平和を守るのである。これ程正義感あふれる戦闘は無い。二人は爽快な気分で挑んだ。背中のロボットアームにアシストしてもらいながら船体を登った。普通なら四苦八苦しながら登るのだが、このロボットアームは優れものである。邪魔ではあるが、ヴィーナスの作品であり非常に役に立つ。彼女達を助ける為なら、重かろうが邪魔になろうが構わない。また、使いこなせれば結構役に立つ代物だと思い、今では好きになってきた。どのような構造なのか、注意せずに担いだのだ。後でゆっくりと構造などを見直そうと思った。「ほら見!」と、ヴィーナスの鷹揚な笑顔が思い出される。彼女の為にも、この任務を成功させるのだ。その時、アースからインカムが入った。
「ジュピターさん、ユーラナスさん。今、ヴィーナスから連絡が入りました。無事に脱出したそうです。ジュピターさんはそのまま潜水艦に留まり、敵が攻撃する時間を奪って下さい。何でも良いです。大暴れしてもらえば良いです。最後にはC国の艦隊が一斉射撃しますから。ユーラナスさんは、直ぐにヴィーナスとマーキュリーの救助に向かって下さい。彼女らは簡易型のシースクーターで脱出したそうです。敵に捕まらない内に、救出して欲しいのです。任せてよろしいですか?」
ユーラナスが「OK」と答えようとした時に、またもや、背中のロボットアームの振動を感じた。同時に機関銃の連射音が耳に届いた。
「敵が来ました。二手に分かれて作戦通りの行動に移って下さい。」
アースの号令と共に、二人は分かれた。ジュピターは、四本の腕で機関銃を連射した。敵は前方だけだ。正面をジュピターが、両脇をアースのロボットアームが連射した。敵は面白いように倒れていった。出入口のハッチに敵が居なくなるのを見計らって、ジュピターは手榴弾を投げ込んだ!爆発音と共に灰色の煙が吐き出されてきた。すかさず、ジュピターはハッチの中に滑り込み、狭い通路を降下した。背中のロボットアームは邪魔にならないように折り畳んだ状態になっている。ヴィーナスが日本の折り紙の原理を使用していると言っていた事を思い出す。
「このロボットアームが変化する度に脅かされるな。ヴィーナスの天才ぶりに。このアームを今度、自衛隊に提案してみよう。」と、呑気な事を考えていた。
ジュピターは、潜水艦内に入ったと同時に四方に機関銃を連射した。背中に付けているロボットアームも連射している。傍から見ると千手観音のような手から銃弾が連射されている。足元に薬莢がごろごろと落ちていく。書類や計器類の残骸が空を舞う。狭い部屋の中に火薬と焼けた臭いが立ち込めた。それでも、数発の弾がジュピターめがけて飛んでくる。
「しぶとい奴らだ。まだ抵抗する元気があるのだな。」
ジュピターは機関銃を撃ちながら、手榴弾を数個束にして繋ぎ、弾が飛んでくる方向に投げた。爆発音と共に、銃の発射音は聞こえなくなった。ジュピターはインカムで制圧した旨を伝えた。
「アース!良いぞ。潜水艦の出入口は制圧した。俺はこれから退避する。ユーラナスが任務完了なら、オレンジの発煙筒を焚くぞ!」
14.
艦隊の後方で指揮を執っていたイージス艦「まや」。海上自衛隊幕僚長の横でアースが無線機を握りしめていた。ロボットアームのシステムは、待機状態のままスリープしている。C国の主席とリアルタイムで意思決定をしなければならないからだ。能力をフル回転させなければならない。首の後ろが熱くなるのを感じる。熱中症症状が出ないように、OS1を半分ほど一気に飲み干した。
「ジュピター!直ぐにオレンジの発煙筒を焚いて避難して下さい。その後、C国の駆逐艦が砲撃しましたら、我が国も潜水艦に魚雷とミサイルを撃ちます。その為の準備をして下さい。ヴィーナスとマーキュリーは無事です。先ほど、ユーラナスさんから救出した報告が届きました。後は、C国の国家主席の命令のみです。それまで待ちましょう!」
海上自衛隊幕僚長が、アースの会話に入って来た。
「アースさん!前方を見て下さい。C国駆逐艦が我が国の艦隊を守る為に、魚雷の盾になってくれました。我が国の護衛艦もC国の救助活動を行っています。素晴らしい光景です。」
アースが双眼鏡を手に取り、距離を合わせて前方で起こっている様子を見ようとした時、遠くにオレンジの煙が上がっていた。ジュピターが上手くやってくれたのだ。空かさずC国の駆逐艦二隻、フリゲート艦一隻、潜水艦一隻から砲撃が始まった。テロ潜水艦に向けての集中攻撃である。慌てて、海上自衛隊幕僚長も命令をだした。
「我が国もC国に続いてテロ潜水艦に向けて砲撃を開始する。撃て!」
日本国艦隊からも火の手が上がった。両国の砲弾がテロ潜水艦に集中攻撃を行った。広い海の中で艦隊の中心に位置する目標にピンポイントで爆撃される。最近の砲弾や魚雷の性能が数段上がっている事が実践されたのだ。テロ潜水艦の後方から3分の1程で、くの字になって折れた。海水が船内に流れ込み、大きな口を開けたまま、漆黒の海底に沈んでいこうとしている。黙々と黒い煙が立ち上がり、火の粉が無数に飛び散っている。まるで大きな生き物が潜水艦を飲み込むように吸い込まれていくのだ。折れた潜水艦の後を追うように一点を中心に渦巻が起こりだした。渦巻は次第に大きくなりそして消えていった。ドキュメンタリー映画を見ているような光景だった。思いの外、反撃が少なかった。ユーラナスが真っ先に核弾頭発射口を開かないように溶接したお陰で、最悪のシナリオが消えた可能性もある。敵は核弾頭の発射時、面を食らったであろう。エラー音が鳴り響き、右往左往したに違いない。最悪、潜水艦内で爆発する可能性もあるからだ。
魚雷で二発の砲火を受けたC国の駆逐艦の救助活動も滞りなく進んだ。船は辛うじて航行可能ではあるが、大破している。船長等の幹部クラスを除いて、殆どの乗組員は日本の救助によって、護衛艦に移動完了した。
アースは、モニターに映っている国家主席にお礼を述べた。
「有難うございます。貴国の軍隊の方々には大変なご迷惑をおかけしました。偶発的な事故だとは言え、身を犠牲にしてまで我が軍の船を守って下さいました。このご恩は決して忘れません。日本国を代表してお礼を申し上げます。また、首相からも国家主席殿にお詫びとお礼の挨拶があると思います。
ようやく緊張が取れたのか、C国国家主席の強張った顔に笑みがこぼれた。
「大丈夫です。お互い様です。我が軍の国旗を掲げた潜水艦が日本国の艦隊に向けて発砲したのです。テロとは言え、我が国で起きた事件は我が国で解決します。それが我が国の掟です。我が国の軍部を愚弄した訳ですから、それなりの制裁を加えなければ指揮系統に影響が出ます。また、他の国に迷惑がかかればそれだけ軍部の組織系統にも支障が出ます。ですから、我が国の為に行った行為でありますから、日本の皆さまはお気を使わないで結構です。今後も、信頼関係を築いていきましょう。」
予め用意しておいたシナリオではあるが、主席の顔には満面の笑みが溢れ出ていた。軍部内での主席の地位も上がったのであろう。多分、今回の事件で不動の地位に就いたのではないだろうかと推測される。悪く考えれば、我々が上手く利用されたという感じである。だが、主席を信じよう。たまたま、今回の事件の結果が上手くいったので主席の地位が上がったのであろう。そのような事を考えながら、アースは主席に返事をした。
「有難うございます。主席のお陰で私どもの自衛隊の乗組員の命を守って戴けました。今後も、信頼関係を築いていきましょう。よろしくお願いします。」
最後に、首相が挨拶をして通信は切られた。首相は目を白黒させながら、アースに訪ねてきた。
「君!今回の件はこれで良かったのかね。私には分からない。まるで戦争映画でも見ているようだった。だが、上手く解決したのだよね。国民に説明責任があるので、詳細を教えてもらいたい。私にではなく、秘書に説明して下さい。この後の会見で、今回の事件の全貌を説明しなければならない。頭がヒート状態で、訳が分からない。自信が無いよ。だから、秘書に分かるように説明して下さい。私は、その後秘書が作成した原稿を丸読みします。私が理解するのは、今日の夜にでも落ち着いてから勉強します。今は無理です。」
首相は自嘲気味に言っているが、本心であろう。戦後、80年ほど平和が続いていたのに、いきなり実践の中に放り込まれたのである。当然の反応であろう。
「分かりました。では、説明を秘書の方に伝えておきます。」
そう言ってアースは踵を返し、首相との通信室を辞去した。
尖閣諸島を中心に、日本とC国の艦隊全員が胸を撫で下ろしたであろう。最悪の事態は回避できた。未だこの事件の詳細も分からないのだが、とりあえずは平和が訪れたのだ。瑣末な事は落ち着いてからで良い。爽快な気分で各艦隊は各々の母国へ引き揚げていった。
その後、チームのメンバーも横浜の本部へと戻った。アースは首相に会って、直接説明をしようと首相官邸に向かったのである。官邸に入るや否や、熱い拍手で迎えられた。1時間ほど説明を行い、資料を渡した後、官邸を辞去した。
すると、官邸前にはサターンが車で迎えに来ていた。前にも思ったのだが、片目で車の運転をしても違反にならないのだろうか。本人は、片目でも両目でも同じだと言っているが、世間的にはどうなのだろうかと考えていた。それを察してか、サターンが口を開いた。
「今回も大手柄だな。俺の目には狂いは無かった。片目でも、両方で見ている奴よりも良く見えているのだ、俺はな。心配ご無用。」
車は徐々に加速し、直ぐに首都高速に乗った。40分ほどで北横浜線に入り本部に戻った。
15.
原子力潜水艦沈没の一時間前、潜水艦内では原子炉の停止により緊急警報が鳴り響いていた。
潜水艦内での警報音がそこら中で鳴り響いている。いか人間と言われたアルゴンはゴリラと呼ばれたサルファーに荒い口調で言った。
「ラドン様に報告しろ。何の警報なのか。そして今後の指示を乞え!こいつらとの遊びは終わりだ。」
アルゴンは、今までいたぶっていたマーキュリーを余所に、サルファーに言い寄った。サルファーは荒い息をしながら目で答えていた。そして、無線機をアルゴンに向け、変われと言っている。ラドンと繋がったのだ。
「ハイ、私です。エッ!原子炉ですか。分かりました。では直ぐに準備にかかります。」
そう言いながら、無線機をサルファーに返した。
「おい!原子炉が停止したようだ。ラドン様が直ぐに浮上すると仰っている。海上はC国の海軍で一杯だそうだ!直ぐに戦闘準備との事だ。こいつらはこのままにしておいて、お前は部下を連れて核弾頭の発射準備に取り掛かれ。俺は魚雷の点検をして来る。」
二人はそう言い残して、各々の部署に戻った。
潜水艦は急浮上していた。残りのエネルギーが残っている間に、一発でも発砲し、世界大戦の切っ掛けを作らなければならない。戦争の引き金を引く事が、今回の最大の任務だ。それが小賢しい女性二人に邪魔され、悪戦苦闘している。まさか、このような展開になるとは考えもしなかった。どこで情報が漏れたのだろうか?最初から総統に進言していたのに、聞く耳を持たなかった。自分の言う事を聞いてくれていれば、このような失敗はしなかったのだ。ラドンは操縦席に座り考え込んでいた。
口元には大きなマスクをしている。事故によって口や鼻が損傷し、普通の状態では呼吸が出来ないのだ。最先端技術により、人工的に呼吸機能が維持できる装置を装着している。また、口の半分以上が損傷しているので発声が出来ない。そこで、声帯の近くにマイクを当て、咽頭から喉頭で作られた声をマイクで拾い音声に変換しているのだ。だからラドンの声は聞きとりにくい。装置特有の感情の無い発声になり少し籠っている。その上抑揚が無く感情も伝わらない。右目の周りにも大きな傷があり、マスクと右目の傷で人からは恐れられている。見た目だけでラドンは不気味さが漂っているのである。また、ラドンには過去の記憶が無い。どのようにしてこのような状態になったのか全く記憶がないのだ。気が付いた時はギドラと言う組織内の治療室で寝ていた。装置を外すと死ぬと言われ、不便だが何時も装着している。だが、不思議と自分の発する言葉が何時も現実化するのだ。自分でも怖くなる場合がある。何故、そのような言葉を発するのか自分でも分からない。自然と口が勝手に話しているのである。まるで未来を知っているかのような言動で、いつの間にか組織の幹部になっていた。居心地は良いのだが、いつもイライラしている。この苛立ちを何処にぶつければ良いのか迷っていた。すると総統からその苛立ちを戦いに向けるよう進言された。気は乗らなかったが、ある日偶然に事故が起こり人を殺める羽目になった。すると苛立ちが無くなり、快感を得た。最近では欲求となっている。いつの間にか、戦う事が生きがいになり、人を殺める事が楽しみになっている。もう自分では止める事が出来ない。この罪悪感と爽快感との狭間で時間だけが過ぎている人生になっているのだ。このような苦労も知らずに、総統は今回の戦いを自分に依頼してきた。確かに世界は歪んできている。大国が好き勝手に世界を動かしている。軍需も流通も経済もだ。格差は広がり、自然は破壊され、地球が壊れてきている。これを止めるには人口を減らすしか方法が無いのだ。有能な人間だけを残し、無能な人間は抹殺する事が望ましい。その為に、計画を立てた。大国同士を戦わせる事が一番簡単で、成果も大きい。人間のエゴを刺激するだけで事が進む。リスクも少なく、自分達はトリガーを引くだけで良いのだ。そのような素晴らしい計画を、総統は台無しにしたのだ。訳のわからない自分勝手な理由でだ。全くもって理解できない。最初から、問題があった。まず、今回の兵隊は、俄仕込みの素人兵隊ばかりである。総統は「ハイドロジェン隊」と言って喜んでいるが、自分の選別隊を使わせてくれていればこのような事態は招かなかったのだ。多分、この隊から情報が漏れたのであろう。総統は秘匿している。ラドンの部隊は「ヘリウム隊」と言って、選りすぐった兵士を集めている。訓練もレベルが高い。ラドンとヘリウム隊は一心同体なのだ。だが、無理やりこのような雑魚どもを相手にしなければならない命令が下った。心配していると、案の定、大敗した。辛うじて、アルゴンを連れてこられたから何とかなる物の、彼も片目を負傷した。女二人とバカにしていたつけが回って来たのだ。筋肉の塊のゴリラのようなサルファーは役に立たない。
思わず「クソッ」と言葉に出してしまった。だが人質に取った女二人の内、高校生の方は何か懐かしさを感じる。女の話す言葉が非常に居心地の良い気持ちにさせてくれたのだ。何故だろうか?あのような女は見た事もないし、自分はロリコンでも無い。あの女子高生が気になる原因が分からない。そのお陰で、二人を逃してしまった。いや、故意的に逃したと言った方が的確である。兵力としてはかなり低い値なので、放っておいても殺しても問題は無いのだが、存在が気になる。頭の隅でこのような事を考えながら、目の前の問題にも対処しなければならない。
「アルゴン。魚雷はどうだ。制御室では全ての発射管でエラーが出ている。早く発射できるようにしてくれ。」
「ラドン様、もうしばらくお持ち下さい。今、右舷の魚雷管の準備が整いました。次に左舷に行きます。同時に四発が発射できます。なお、核弾頭ミサイルはサルファーに任せています。点検だけですので大丈夫だと思います。」
「フム。核弾頭ミサイルは、現在、最終的な弾道シミュレーションを行っている。浮上と同時に発射準備に入る。」
「了解しました。では、後ほど。」
「了解」
無線の周波数を変えて、サルファーに繋いだ。
「核弾頭の発射準備は出来たか?」
「はい、ラドン様、只今準備中です。最終の実行命令はラドン様のお手元のコンピューターで行います。ただ、気になる映像が探知機に映っております。多分小型のボートだと思われますが、こちらに近づいてきます。どうしますか?」
「フム。こちらもソナーで確認している。捕虜二人の救出隊だろう。浮上と同時に自動小銃とランチャーでケチらせ!お前に任せる。」
「了解です。では、部下を数人連れて行きます。後15分ほどで浮上ですね。」
「そうだ、15分ほどだ。浮上と同時に、一斉射撃しろ!船はランチャーで爆破しろ!良いな!」
「了解です。お任せ下さい。ラドン様!」
サルファーは久々の戦闘で熱く燃えていた。最近、武器を思い切り使用していない。何処も彼処も頭脳戦になってきており、戦略ばかりだ。昔のように暴れ回りたい。今回は、思い切り暴れ回り、撃ちまくっても良いとの命令だ。これほど最高の仕事は無い。思わず笑みが零れる。長い間のストレスを発散できるチャンスだ。部下の中でも変わった奴を選んだ。一人一人に自動小銃を持たせ、撃ちまくれば良いと命令した。皆が喜んでいた。こいつらも変な奴らだと思いながら、楽しんでいる。浮上が楽しみだ!ワクワクしながら、出口で待っていると、アルゴンから無線が入った。
「おい!あの女二人が逃げたらしい。右舷の魚雷発射口から船外に出たようだ。俺は今、左舷の魚雷発射口に居る。見に行けないか?」
「ラドン様から浮上と同時に近づいてきているボートの抹殺の命令を受けています。後10分程で浮上します。今、持ち場を離れる訳にはいきません。」
「了解した。では、俺が見に行こう。お前は、ボートを一掃すれば右舷の魚雷発射口に来い。あの女二人を追跡する。」
「了解です。また連絡します。」
無線を終えたと同時に、船体から大きな音が聞こえてきた。どうやら海上に出たらしい。サルファーは潜望鏡で船外の状況を把握しようと覗いた。ボートが確かに近づいてきているが無人である。辺りを見回すと空からパラシュートを操作して降り立つ二人を見た。サルファーは指令を出し、部下を一人一人デッキから外へ出した。
「外に二人居る。自動小銃で蹴散らして来い!」
「了解!」
と言って、部下が数人、船外へ出て行った。数秒も経たない間に自動小銃の炸裂する音が聞こえてきた。どうやら命令通り、二人を血祭りにあげているようだ。音が鳴りやんだので、外は片付いたのであろう。死体の確認をしようと少し時間を空けて船外へ出た。すると部下達が、辺りを探している。
「どうしたのだ。」
「ハイ、奴ら二手に分かれて、海に飛び込んだようです。目の前から消えました。」
「バカ野郎!見ていてどうする。直ぐに海上を探して銃で撃て!必ず仕留めろ!」
「了解です!」
部下達は二手に分かれて、潜水艦の上から海上を捜索しようとした。その時、船の下から機関銃の炸裂音が両側からステレオで聞こえてきた。何事が起きたのかと部下の方に目をやると、思いもよらない光景が目に飛び込んできたのだ。部下達の胴体には頭が付いていなかった。注視していると、少しの間のあと、頭の無い胴だけが海に向かって真っ逆さまに落ちていった。
慌てて、サルファーは部下達に退避命令を出した。
「潜内に戻れ!無理に深追いするな!奴らは戦闘に長けている。船内に誘導して殺せ!」
そう言いながら一目散に潜水艦内に戻った。部下達もサルファーに続き潜内に戻った。
最後の部下が船内に入り、出入口用ハッチのハンドルに手をかけようとする前に、大きな音と同時に吹き飛んだ。正面に居た部下は扉と共に横側へ吹き飛んだのだ。何事が起きたのか理解する前に、催涙弾が投げ込まれてきた。
「仕舞った!先に敵の襲撃を受けた。全員退避せよ!何処かに隠れろ!そして応戦するのだ!」
最後の言葉が放たれる前に、銃弾の嵐が襲ってきた。マシンガンタイプの銃弾だ。かなり大きな口径の銃弾が撃ち込まれている。机や計器類が見る見る粉々に砕けていく。逃げ遅れた部下が二人程、銃弾で細切れになった。まるで爆発したかのような破壊力だ。その銃弾の間から大男が顔を出した。
「ハハハ!どうだ!これが、ジュピター様の歓迎セレモニーだ!気に入ったか?」
大砲のような機関銃を肩からぶら下げ、両手で打っている。いや、肩の後ろにもロボットアームのような物が取り付けられており、その手にも機関銃が2丁握られている。4本の手から4丁の機関銃が火を吹いているのだ。男は、銃の衝撃など無いかのように撃ちまくっている。大きな薬莢がボタボタと階段に転げ落ちてきた。薬莢の大きさを見て腰を抜かしそうになった。まるで、小さなミサイルのようだ。潜水艦の船体もボロボロになってくるほど激しい銃撃だ。隠れている鉄の壁ももう少しで穴があきそうだ。サルファーは身動きが取れない状態になった。秘策は無いかと考え、一対一の決闘に持ち込もうとした。
「おい!大男!そのような、どでかい銃が無けりゃ怖いのか!どうだ、俺とタイマンで戦わないか?」
「ほう!俺とタイマンで戦うだと。百年は早いが、まあ、良いだろう!今日は無性に気が立っているのだ!悪者をボコらなければ、気が収まらねぇ。お前で勘弁してやる。ただし、後は病院送りになっても知らないぜ!」
その声が終わるや否や、銃声が止まった。粉々になった壁や計器類の残骸が宙を舞い、煙が充満している。その煙の中から大きな影が現れた。本当に影だけが動いているようだ。実体が見えない。目が可笑しくなったのか、サルファーはしきりに目を擦った。するといきなり首の後ろを掴まれ、足が宙に浮いた。サルファーは身長が180センチはある。筋肉が隆起し体重も90キロ以上ある。標準よりも大きな身体であるが、後ろに立っている男は熊のようだった。身長は、ゆうに2メートルは超えているだろう。片手で身体を掴まれた。握力も凄い。サルファーも太い首をしているのだが、その太い首を片手で締め付けられている。骨が軋む音がする。呼吸も出来ない。大人と子供の喧嘩のようだ。大男の前では、自分の力が全く役に立たない事に気が付いた。生まれて初めて恐怖を覚えたのだ。こいつには勝てない。最後の力を振り絞って、空いている手で相手の頭に手を回そうとしたが大きすぎて回らない。次に、足で手当たり次第蹴飛ばしたが、壁を蹴っているようだ。股間めがけて蹴りを入れたが空振りに終わった。もう駄目かと覚悟を決めた時、急に首の締め付けから解放された。サルファーは、首を左右に振り意識を集中させた。
「こんなに簡単に死んでもらっては面白くねえ。タイマンで殴り合いをしようぜ。」
ジュピターは、業と隙をみせて、からかった。その隙をついて、サルファーは得意のボクシングスタイルでジャブ、ストレートとワンツーパンチを繰り出した。だが、壁を殴っているようだった。自分の拳の方が痛い。「こいつの筋肉は何で出来ているんだ。」と、恐怖心が募ってきた。その隙をジュピターは見逃さなかった。右・左とパンチを繰り出し、そのまま回し蹴りを食らった。辛うじて膝と肘でパンチを防いだが、どちらも骨が軋む音がした後、可笑しな方向を向いていた。「ガハッ!」と、口から暖かい胃液と血液が吹き出した。下を向いたと同時に、頭上からハンマーで殴られたような激痛と共に失神した。
「なんだ、こいつ!偉そうな口を叩きやがって、もう終いか。まだ殴り足らないぞ!ストレスが溜まる!くそ!だが、そろそろ行かなくては、時間が来たな。」
もう一度、機関銃を全弾打ち込み船外に出た。出入口のハッチの中に、手榴弾の塊をなげ扉を閉めた。直ぐに甲板を横切り、潜水艦の尾部に走った。アースに連絡を入れ、確認を取った。その後、命令通り合図のオレンジ色の煙筒を焚いたのだ。爽快な気持ちで縄梯子を下り、ボートに乗り込んで退去した。最初に空のボートを潜水艦に接近させたのはこの為なのだ。敵は空のボートを見て策略だと勘違いしただろう。もちろん注意を引くにはもってこいの作戦だが、それくらいは敵も察知するであろう。目的は帰る為のボートだったのだ。行きは空からの降下だが帰りは海を泳ぐ訳にもいかない。そこで、空のボートを送り策略を仕掛けたように見せかけたのだ。上手く、嵌ってくれた。
ボートを発進して間もなく、C国の駆逐艦からミサイルや砲弾、魚雷が潜水艦めがけて同時に何発も打ち込まれるだろう。数分後、予想通りお祭りが始まったみたいだ。ドン!ドン!と花火を上げたような音が後頭部で鳴っている。2発だけの音だったが、余り気にしなかった。
「フラストレーションが溜まったままだが、仕方がねぇ!帰ってからサターンでも甚振るか。もう少し、遊ばせてくれると思ったのだがな!フン!」
ジュピターは、不思議と爽快だった。何時もなら、イライラする気持ちを弄びながら帰還するのだが今回は気持ちが良かった。大きく息を吸い、幸せを感じた。そして、アースの居るイージス艦に戻ろうとした。無線で、戻る連絡を入れようとしたが、先にアースから連絡があった。
「ジュピターさん!敵が魚雷を二発、こちらに向けて発射しました。気を付けて下さい。落ち着くまで、海上で待機しておいて下さい。」
先程、潜水艦が撃たれてその音が後頭部で鳴っていると思ったのだが、実はC国の駆逐艦が日本国の艦隊の盾になってくれて、魚雷を二発とも受け止めたと言う事だ。慌てて音のする方向に目をやった。黒煙が上がっているC国の駆逐艦が見えた。直ぐに駆逐艦の方向に舵をとった。一人でも多く、このボートで助ければ良い。サターンを甚振ろうと思った事で罰が当たったのか。大きな犠牲が出た。直ぐに日本国の護衛艦も救援活動に移ってくれた。自分も護衛艦の船員と共に、ジュピターも海に放り出されたC国の海軍兵を助けようと考えたのだ。数分で現場に着いた。その後、必死になって救助活動を行ったが、ボートが小さく5名程しか助ける事が出来なかった。ジュピターは、助けたC国の乗組員と共に、同じ護衛艦に乗船した。戦地では良くこのような救助活動を行った経験がある。昔を思い出しながら、直ぐにもう一度、救命ボートに乗り込む準備をした。
「サターンは何処に居やがる!こう言う時に必要だろ、奴が!無線でサターンを呼べ!」
救命処置を行いながら自衛隊隊員に向かって吠えた。近くに居た隊員が直ぐに連絡をとりジュピターの話しを伝えた。すると、無線の向こうからジュピターに変わってくれと言われ、隊員がジュピターの耳元に無線機をつけた。
「こんにちは!ジュピターさん!サターンです。今からヘリでそちらへ伺います。私も役に立つでしょう!ネッ!たまには私に願い事を言って下さい。喜んでジュピターさんのお手伝いをさせていただきます。」
「フンッ!そのような御託を並べている暇があるのなら、早くこっちへ来い!礼なんか言わないぞ!当たり前の事をしろと言っているだけだ!お前の仕事は人を助けることだろ!まだ、実験材料を探しているのか!」
実は、ジュピターとサターンの間には大きな確執があるのだ。お互いがチームのメンバーになった頃、眠っているジュピターの頭から下垂体ホルモンを抜き取ろうとして失敗したのだ。それ以来、ジュピターは怒っているのだ。サターンもその時、ジュピターに殴られ半殺しの目に遭っている。だからサターンはジュピターの目を見ない。話さない。何時も遠いところから見守っている。その上、敬語を使う。そのようなサターンをジュピターは長年、無視してきた。だが心底怒っている訳ではない。サターンの能力は尊敬もしているし、チームにも必要だと考えている。サターンが誤れば許してやろうと思っているが、いつもサターンは逃げるのだ。その卑怯さにイライラする。
「分かりましたよ。後5分ほどで着きます。医療班を組んで下さい。そして状況を教えて下さい。着いたと同時に、オペが必要な方々の処置を行います。」
今頃、ヘリの中で長い髪を掻き分けているのであろう!サターンが本気モードになった時の癖である。昔からアニメの医師の主人公に憧れているのだ。その様を真似ているのだ。
「奴は変わらないな。このような有事の際でも落ち着いている。と言うよりも楽しんでいるようだ。」
ジュピターは独り言を言った。物思いに耽っている間に、救命ボートはC国の大破した駆逐艦の傍に着いた。余り近づくと沈没の際に飲み込まれるので、少し距離をとって停泊した。海の上では、救助を待っている乗組員の姿が広範囲で確認できた。直ぐに近くに居る者から救助し始めた。中には負傷した兵士も居た。とりあえずは近くに救助の為に近づいてきた日本国の護衛艦に救助者や負傷者を擁護してもらった。その後ピストン運動で現場に戻った。二回ほど繰り返した時には、救援用の日本の護衛艦が二隻ほど現場に近づいて来た。沢山の救援用のボートや浮輪、救命具等を海に投げ込んだ。お陰で死者を一人も出さずに救助出来たのだ。着弾の際に重傷を負った乗組員だけヘリコプターで救命用のオペ室を急遽設置したイージス艦に移動させた。命は助けられるであろう。流石にサターンの腕は良い。彼にかかれば、かなりの確率で助ける事が出来る、神の手を持っているのだ。
数時間後、イージス艦の休憩室で待っていると、艦長などの幹部クラスがサターンの容姿と腕の良さを噂していた。話しを聞いているだけで誰の話か直ぐに分かった。あの独特の容姿は他には居ない。自分の所属しているチームを誇らしく思った。
16.
アルゴンは、ラドンが占拠している操縦兼制御室へ走った。誰かが煙幕弾と手榴弾を投げ込んできやがった。その後、化け物のような機関銃で撃ちまくった。サルファーや部下は多分全員死亡したであろう。生き残った部下は、後で操舵席に呼び集めよう。ただ現状をどのように打破するかは、ラドン様に聞かねばならない。無線で暗号を伝え解錠してもらった。操舵室の扉を開けると、操縦席に陣取っているラドン様が不気味な笑みを作っていた。
「ラドン様、どうされますか?殆どの部下がやられました。サルファーも死亡した模様です。魚雷も二発発射されましたが、C国の駆逐艦で防がれました。これでは戦争になりません。」
ラドンは不気味な笑みを止め、地獄からのメッセージのような物言いをした。
「これで世界は終わりだ。核弾頭を発射する。奴らのせいだ。フフフ。目標はC国首都P市とN市・香港・上海、日本国首都東京と大阪、韓国首都ソウル、台湾の台北、インドのニューデリー、タイのバンコクの10か所にセットした。アジアは全滅だ!責任は、C国の国家主席にある。彼の横暴さがこのような結果を招くのだ!ハハハ!」
地獄の黙示録を解いたのだ。開けてはならないパンドラの箱を開けようとしている。流石にアルゴンも、目の前に映るラドンに恐怖を覚えた。この人の心には悪魔が住み着いている。だが、自分の心もこの方と一緒である。同じように黙示録を見よう。
この潜水艦に搭載されている核弾頭は「MIRV」と言う新しい技術で、一つの弾道ミサイルに複数の核弾頭を装備し、それぞれ違う目標に攻撃が出来るのである。一基で10~14発を搭載できるのである。その10発を全て使用して攻撃しようと試みている。
「ラドン様、設定が終わりましたらここから脱出しましょう。暫くしますと、C国艦隊の砲弾の嵐に見舞われます。この船を捨てて脱出しませんと。」
アルゴンは、ラドンの身を守るのも仕事の一つだ。ラドンは格闘技などの訓練は受けていない。戦略などの知識や決断力は素晴らしい能力を持っている。自分たちでは考えもつかないような戦略を立てる。今回のテロ事件策略も基本はラドンが考えた。ただ、総統が我儘を言い、「世界征服を目論む前にC国を痛い目に合わせるのだ。」と言い張った為に、このような失敗を招いたのだ。C国などの特定の国にテロ攻撃を仕掛けるのではなく、いきなり不特定多数の国々に核ミサイルをお見舞いした方が確実であり、インパクトもあると明言したのだが、総統の一言で今回のようなシナリオに書き換えられた。C国への復讐心がそうさせたのだ。些末なことに拘り、その尻拭いを我々がしなければならない。ラドンは無性に腹立たしさを覚えた。
一方、アルゴンも同じような見解を持っていた。ラドン様は優秀な方だが、総統はそのように思えない。いつかこの組織は潰れる。その時の為にもラドン様を守らなければならない。次の総統はラドン様だからだ。アルゴンは、最近何時もこのような思考を巡らすようになった。総統には逆らえないが、従順にもなれない。自分の命を総統に預ける気はしない。全てはラドン様に預けるつもりである。
「ラドン様、女二人が脱出したルートを我々も利用しましょう。船内には、大男が暴れ回っています。船もろとも爆破すれば良いと思います。時限装置を作動して、船もろとも自爆させましょう。よろしいですか?」
ラドンは難色を示したが、熟考した結果、アルゴンの提案を呑んだ。核弾頭の設定も終了し、世界の滅亡を見るだけだ。この船では難しい環境になって来た。その為には船外に出なければならない。海上で世界の終わりを見物しなくてはならない。
「よし、分かった。脱出ルートを確保してくれ。私は、最終のミサイル発射ボタンを押す。その後、脱出しよう。」
「分かりました。では、右舷の魚雷発射管でお待ちしております。」
「フム」
ラドンはマニュアルを広げ、核弾頭発射の手順を踏んだ。パスワードの入力を終え、セキュリティの為の二重キーを、改造して難なく回避した。そして最終ボタンを押した。
地球大改造計画の第一段階の設定は終了したのだ。二人は、脱出ルートへ避難した。操舵室から右舷の魚雷発射管へは直ぐに辿り着く事が出来る。だがその移動中、核弾頭発射ミサイルの異常を伝える警報が鳴った。
「核弾頭発射ミサイルの発射口に不備があります。発射ドアが閉じられたままです。確認して下さい。自動開口が出来ません。」
と言うメッセージが流れている。ラドンは足を止めた。
「どう言う事だ。核弾頭が発射できないとは。発射口を見て来い!」
「ラドン様、いけません。もうそのような余裕はありません。敵が周りを取り囲んでいます。一斉攻撃を受けます。もう、この船は終わりです。逃げましょう!チャンスはまた有ります。ラドン様さえ生きておられたら、大丈夫です。今度はもっと入念な計画のもとで行いましょう!私はラドン様を信じております。」
ラドンが戻ろうともがいていたが、アルゴンは執拗に抵抗した。何度も何度も、「ラドン様が生きている事が必要なのです。」と、説得したのである。
「分かった。お前がそこまで言うのなら、お前に従おう。核弾頭はこの船の中では自爆出来ないのか?」
「ハイ、安全装置が付いており、エラーが出た場合はプロトコルが自動で終了するようになっているそうです。私がロシアから説明を受けた際に聞きました。諦めて下さい。」
「クソッ!ならば仕方があるまい。今回は敗北を認めよう。だが、次はこのような失敗は無いと思え。奴らに仕返しをしてやる。」
「そうです、ラドン様。次は、奴らに思い知らせましょう!」
話しをしながら二人は右舷の魚雷発射管に辿り着いた。ヴィーナスら二人が脱出した経路だ。
「ところで、ラドン様。どうして、あの二人を逃がしたのですか?あんな小娘二人くらい殺すのは簡単ですのに。何か、計画があったのですか?」
アルゴンは、不思議に思っていた事を聞いた。今なら聞いても、罰は当たらないだろう。
「フフフ、ならばお前も、どうしてあの女を殺さなかったのだ?甚振っていたようだが、致命傷は付けていなかったではないか?」
「流石、ラドン様です。見破られていましたか。何故か、あの女が気になりまして。殺すのが惜しくなったのです。少し可愛くも感じました。女を可愛く感じたのは初めてです。」
「そうか、ならば私も打ち明けよう。高校生風の女が気になってな。彼女の話す言葉が妙に私の心を擽るのだ。安堵感と言うか、懐かしい感じがした。面識は無いのだが、話し方が忘れられないのだ。もう一度会った時に問い質したい。それで生かしておいたのだ。」
「やはり、そうでしたか。何か訳がお有りだろうと思っておりました。いつもなら、火種になる物は全て消去する方なのに、今回は何故だろうかと考えておりました。」
「流石にアルゴンだな。私の可愛い部下だ。良く私を分かっている。脱出した暁には、新しい計画がある。それをお前に一番に話そう。楽しみにしておいてくれ。」
ラドンは訳ありな笑みを浮かべながら、話した。最後の言葉は、いつまでも耳に残った。
二人は発射管内の水圧を下げ、中に乗り込んだ。その後、自動で海水を注入し、外圧と同じ圧力に調整する。同圧になると、魚雷発射管の外側の扉が自動で空いた。アルゴンはシュノーケル等を装着した後、そのまま船外に脱出した。ラドンには、最初からマスクが装着されており外せない。水中でも作動するのかは疑問である。だが背に腹は代えられない。夢中で、船外に出た。そのまま海上に上がり、悟られないように潜水艦から離れた。ラドンの呼吸装置は仕組みが分からないので、仕方なく我慢してもらった。水の中でも呼吸が出来るのであろうか。疑問をもちながら、簡易型のジェットスクリューを起動させ、二人はそれを掴んだ。大海原の中を一本の筋を作りながら進んだ。彼らの後ろには細長い二等辺三角形が出来上がっている。その遥か向こうでは、平和な大海原を劈くように、轟音と爆音が繰り返し、黒い煙が上った。潜水艦への一斉射撃が始まったのである。黒い煙は、まるで龍が天をめがけて駆け巡っている様である。ラドンの頭の中は復讐心で一杯であった。自分が計画したものであれば納得もいくが、総統が手を加えて失敗した。それが許せない。まずは、総統を何とかしなければならない。無能なトップは組織を根底から崩していく。そうならない前に、頭を挿げ替えなければならない。
「おい、アルゴン!ゴホッ!組織に帰れば、腕が良く私に忠実な部下を五~六人程集めてくれ。ゴホッ!ギドラの改革をまず行う。その後、再度計画を練り直そう。奴らに仕返しする為に。ゴホッ!」
海上であるが故に、聞き取りにくいラドンの言葉が、さらに聞き取りにくくなっている。アルゴンは、かろうじて話の趣旨を理解し返答した。
「ハイ、ラドン様。腕っ節の強い奴を数人見つけます。誰か推薦する奴は居ますか?」
「フム、キセノンとクリプトンを同行させい。ゴホッ!それとヘリウム隊を編成しろ。今回のような素人の集まりのハイドロジェン隊では無く、私の部隊を中心に集めろ。ゴホッ!今度こそ、奴らと対決だ!ゴホッ!ゴホッ!」
ラドンは咽ながら、アルゴンに命令した。
「分かりました。仰せの通りにします。お任せ下さい。」
ラドンは、今回の敗北を認めざるを得なかった。それも自分の計画では無く、無理やり変更させられた計画である。何としても総統を失脚させなければならない。画策するよりも殺す方が手っ取り早いであろう。腕の良い忠実な部下は数名確保できる。総統の失脚計画を考えながら脱出した。腹の底から煮えたぎるような復讐心と、組織の大編成を行わなければならない重圧とで脱出時の事は何も覚えていなかった。アルゴンに連れられたまま行動を取るだけだった。首のあたりが熱くなってきた。いつもの奴だ!オーバーヒートしているのだ。呼吸も苦しくなってきた。このような所で休んでいる暇は無いと頭では考えているのだが、意識が薄れていく。数分後には、意識が遠のいた。気が付けば、ギドラの総本部の医療ゾーンの個室で目覚めた。
ラドンは、海水により人工呼吸システムに不具合が生じたようだった。医療科学部門が知力を集めて環境によるエラーが起きないシステムに改造した。また、集中力が長時間続くと、首の後ろが発熱する症状により熱中症と同じ状態になる為の対策も講じられた。その他にも詳細は知らされないがかなりの改造を行ったらしい。その為に、とうとう口周りのマスクだけではなく、顔全体を覆うヘルメットのような物を被る羽目になった。まるで、スターウォーズのダースベーダーだ。日本の侍が被る兜の形にはしないで欲しいとの要望が通り、スポーツタイプのバイク用ヘルメットに鳥の口ばしに似た物が取り付けられているスタイルになった。目の部分には、外からでは分からないが、ラドンにはコンピューターからの情報も同時に見えるように工夫されたタイプである。また首に係る負担も少なくなるような仕掛けや、本体もかなり軽い。大きな力が掛かっても、上半身に纏わりついている防護服とヘルメットが吸収する構造になっている。ナイフくらいでは傷つかない対策も講じられた。脱着が少し大変だが、ラドンは気に入った。声も前よりは聞き易くなり、懐かしい声になっている。元々の声だったかも知れない。ともあれ、人間らしい声になった。感情も抑揚も付くようになった。
だが、新しい身体と対照的に、組織の中での待遇は悪くなっていた。今回の大失態は全てラドンの責任になっていたのである。アルゴンから聞いたが、総統が自分の失態では無くラドンが命令に従わず勝手な判断で計画を失敗に追いやったと言う説明になっている。もはや、迷う余地は無くなった。総統を失脚させるのだ。ラドンは、強く決心した。
ラドンは新しい自分になった時間を知らなかった。彼が寝ていたのは約1年だったのだ。ラドンにとっては、昨日の事であった。




